魔神の骨と戦火の少女20
遠くに見えるペントの背に歩みを進めながら、どうやって声をかけようかとユイナは迷っていた。気付けば彼の近くまで来ていた。これ以上近付けないと思い、声をかける。
「ペント」
彼との間に乾いた空気が流れた気がした。緊張と不安で口が渇いていた。
気配に気付いていたのか、ペントは驚いた様子はなく振り返る。
「ね、ねぇ、なにしているの?」
問いかける声は上擦った。
「ちょっと、池に石を投げてた」
視線を合わさないように池へと戻すペント。
「おじさんとの話は終わったの?」
「おじさんって、ボッカオおじさんのこと……?」
投げかけられた質問に対して、おじさんの名を偽って投げ返してみる。
「うん、そう」
ユイナの言葉を受け取ったペントは、何食わぬ様子で肯定する。
その瞬間、ペントの嘘が判明した。村の人間だというのも真っ赤なウソなのだ。それだけで、ユイナは足から崩れてしまいそうだった。
「話は終わったよ。あ、ボッカオおじさんね。私の家に来る事になったんだ」
「どういう事?」
「いろいろとお世話になったから、そのお礼に食事会に招待することにしたの」
「そうなんだ」
「それでね、食事会にはペントにも参加して欲しくて、ガモルド様に紹介しようと思うの。一緒に暮らせるように頼んでみるから、挨拶とかはきちんとね」
「あ、挨拶……」
「そ、ペントは貴族だったんだから、そのあたりは大丈夫だよね」
「だ、大丈夫じゃないよ。実はあまり覚えていないんだ」
「でも、挨拶とかってすごく基本的なことだよ? 筆記体を使うことよりも……」
「そうかもしれないけど、貴族だったのは昔だし、すっかり忘れてしまってるよ」
「しょうがないねペントは。ほら、フォークダンスでやっていた挨拶があるじゃない。あれが貴族の挨拶だよ。男の人は右手を出して、ね? 思い出した?」
「そうだった。僕、思い出したよ。どうして今まで忘れていたんだろ」
ペントはうれしそうに笑ってフォークダンスの挨拶をする。
しかし、ユイナは笑ってはいられなかった。
「ペント、こっちを向いて」
「なに? ユイ姉さん」
無邪気な顔でペントは振り返った。そんな純粋な顔で今まで騙されてきたとは思いたくない。でも、それが現実なんだ。
「フォークダンスは平民の舞踊だよ。貴族の挨拶なんてしないよ」
ペントの笑顔が凍りついた。
「それに、役所で出会ったおじさんの本当の名前はエンビノさんだよ。ボッカオというのは咄嗟に思いついたウィンスターの町の名前……」
ペントは絶句し、顔面蒼白になっている。
「ペントはおじさんの名前を間違えたんだよ。しょうがないよね。最初から知らなかったんだもの」
涙を目に溜めて男の子を見詰める。
「ペントはあの村の人じゃない。筆記体を知っているけど、貴族でもない。……じゃあ、ペントはいったい何者なの?」
この数週間で一番身近に感じていた男の子が、急に見知らぬ男の子になってしまった。そんな淋しさに押し潰されそうになりながらも、問い詰めた。
本当なら触れたくない。きっとペントが隠しているところは、彼にとって心の傷だから。触れないままでいるのが一番幸せなのかもしれない。でも、今は嫌な予感に突き動かされている。
「本当の事を言ってよ。私、ペントを信じていたんだから……これからだって信じていたいんだから……だから、教えてよ、本当の事」
「僕は……」
ペントは突然、涙をこぼし、うつむいた。地面にこぼれ落ちて行く涙は、仮面が砕け落ちていくようにも見えた。知りたくもない現実が背後から忍び寄ってくるのを感じ、じっと耐えるように拳をつくる。
「泣いてるだけじゃ分からないよ。ちゃんと最後まで教えて」
「……教えなくても、ユイ姉さんはもう気付いているんでしょ? 僕がスパイだってこと……疑っていたからあんな質問をして試したんでしょ」
「悪い事をしたと思ってる……でも、ペントは本当にスパイなの……? そんなひどい話が……、嘘だと言ってよ……!」
「本当だよ!」
ペントは泣きながら叫んだ。
「本当なんだよ。僕はスパイなんだ。貴族の文字が読めるのもスパイには絶対に必要だから」
ペントは薄い唇を噛み締めた。こぼれる涙を何度もぬぐい、全てをさらけ出すように声を大きくして、隠していたことを吐き出していく。
「ユイ姉さんと一緒にいればアレスに近付くのも簡単だった。ユイ姉さんに近づいたのは、アレスの行動を監視して、報告するためだったんだ」
嫌な予感は現実となって襲いかかってきた。背中を鈍器で殴られたようなショックでめまいがした。
「私を倉庫から出したのは……アレスに近付けるかもしれないから?」
俯いたままうなずくペントに、ユイナは自分の額を押さえる。
「それじゃあ魔術師に襲われた私を助けて魔力中毒にかかったのも、私がスパイだと疑われている時に味方でいてくれたのも……」
途中からはめまいとの戦いだった。大切な思い出が崩れていく。
ペントの行動は、すべてが偽りだったの……?
めまいが大きくなっていく。
足が、全身が、いっせいにぎこちなく笑っている。
「舞踊劇を一緒に成功させてくれたのも、全ては私達を信用させてアレスの事を調べやすくするため……?」
「そうだね……否定はしないよ……」
「ひどいよ……。こんな事ってないよ……」
これ以上ない落胆とともに、後ろへよろめいた。その時、地面の窪みに足を取られた。体を支えられずに後ろへ流れ、「ぁ」と声をもらした時には無防備な体勢のまま尻から斜面を転げ落ちる。
ゴチンッ!!
派手に後頭部を打ちつけた。目の奥で特大の火花が散る。
「イッタぁ~」
「だ、大丈夫? ユイ姉さん」
そう言って駆け寄ったペントはユイナに触れようとして、思いだしたように手を引っ込めた。その顔には騙した苦しみがにじんでおり、どう接したらよいのか分からなくなって途方に暮れていた。笑顔で苦難を乗り越えてきた仲間にそんな顔をされると、ユイナまで切なくなる。
ユイナも、ペントも、涙目で見つめ合っていた。声をかけたいのに、見えない壁で遮られてしまったかのように声を届けられる自信がない。どう接していいのか分からないのはユイナも同じだった。様々な想いが頭の中を嵐のように駆け巡り、本当に大切な想いを言葉にする事ができない。
しばらく二人とも無言だった。そうしていると、嵐のようだった頭の中が少しずつおさまり、静かになってきた。
ペントは涙を拭き、ユイナの言葉を待っているようだった。
何かを言いたいのに、嵐で吹き飛ばされてしまったのか、かけたい言葉は見つからなかった。でも、それで良かったのかもしれない。ただ見つめ合っているだけで、彼の気持ちがじわりじわりと伝わってくるような気がした。
ペントは確かにスパイで、敵側の人間だ。それを隠して私に近付いた。しかし、今だって私の身も案じ、良心の呵責に苦しんでいる。そんなやさしい彼をどうして嫌いになれるだろうか。いや、そもそも敵だとか味方だとか私の気持ちには関係ない。私にとってペントは大切な人だ。それだけは変わらない。
「ッ……!」
頭の後ろに手をやると、こんもりとタンコブができている。運悪くむき出しになった岩に後頭部をぶつけたらしい。頭の中がまだ、じーん、としている。でも、おかげで目が覚めた。予期せぬ痛みが、全身の震えなど吹き飛ばしてくれていた。確かめておきたいことがある。
「どうしてスパイなんて危険な事をしようとしたの」
キョトン顔でこちらを見詰めるペント。
「どうしても答えないといけないの?」
「聞かせて。知りたいの」
ペントは答えようか迷っているようだったが、静かに口を割った。
「お医者さんを呼ぶためのお金がほしいんだ」
「お医者さん? どこか体が悪いの?」
「僕じゃないよ。別の人……たぶん、僕のおかあさん」
「たぶん?」
「うん、たぶん……」
「それじゃ全然わからないよ。ちゃんと説明して」
ペントは真剣な顔でうなずいた。
「僕は物心ついた頃にはスパイの養成所にいたんだ。まわりにいたみんなも同じだった。だから、みんな親の記憶がない。自分に親がいることも知らないんだ。だけど、僕は気付いた。初めての任務に出たとき、子供には親がいるものだと知って、僕は、僕の親が誰か、僕が誰の子供か知りたくなったんだ。それでいろいろ調べてたら、その人を見つけた。だけどその人は独りぼっちで、外に出られないほど弱っていて、それなのに小さな工芸品をいくつも作って、それを食べ物と交換してどうにか生活しているんだ。本当は助けに行きたかった。だけど施設の人に気付かれちゃって、契約を破れば母親の命はないって脅されて、もう他に道はなくて……、ぇ?」
思いっきりペントを抱きしめる。
「ごめん。気付いてあげられなくて。私はペントの何を見ていたんだろうね」
「どうして謝るの……? 僕はユイ姉さんを騙していたんだよ?」
「ペントはスパイでも、私にとってはやっぱり大切な友達だよ。それなのに友達の苦しみに気付いてあげられなかった……。それにごめんなさい。スパイだと気付いてしまったペントを依頼主のところへ帰すわけにはいかない。せめてアレス達が無事に計画を終わるまで離さないから――」
友達を労わるためにも、スパイを逃がさないためにも、ペントをきつく抱きしめた。
だが、ペントは言った。
「もう遅いよ」
「え?」
「僕は一番重要な任務を終えてしまった」
「任務? スパイの? どうやって? ずっと一緒にいたのに」
「伝書鳩だよ。鳩に手紙を持たせて飛ばしたんだ。僕の任務はアレスの隠れ家や戦力などを正確に調べる事だった。そして調べ終えたからシルバートの教官に文を送った。その文を見てラインハルト侯爵がオルモーラ地方に来たんだと思う。それに、魔神の骨を燃やそうとしている事も知られていると思う。研究所にいたサントという助手は、同じ施設の仲間なんだ」
ユイナは目を見開く。
「ま、待って。それじゃあ、アレスの計画は最初から筒抜けになっていたの!?」
ペントはうなずき、「ユイ姉さんにもう一つ言っておきたいことがある」という。
「ラインハルト侯爵はアレスを捕まえるために罠を張っていると思う。さっきのおじさんとおばさんが偉い人を泊めたって言っていたよね。たぶん、その偉い人っていうのはラインハルト侯爵が呼び寄せた魔術師だと思うんだ」
「まさか、アレスを捕まえるための人達?」
「そうだと思う。僕、窓から見えたんだ。あの手紙を持った人が、馬に乗ってオルモーラの方角に向かうのを……きっと、魔術師達はオルモーラの地でアレスを罠にはめるための準備をしていると思う」
「それじゃまさか、ここに来る時に見かけた魔術師の集団は……」
「たぶん、そうだと思う」
「知らせないとッ!」
「知らせるってどこへ。まさか、アレスのところへ戻るの!?」
「それ以外にどこに知らせるというの?」
そう言いながらも馬小屋に向かって駆け出す。
「ユイ姉さん待って!」
ペントが追いかけてくる。
「ダメだよ! 危険だよ! 下手したら巻き込まれてしまう! 殺されちゃうかもしれないんだよ!?」
わかっている。だけど、
「アレスは天女に選ばれた世界を救える人だよ。邪魔させるわけにはいかない」
「本気なんだね。――アレスがどこにいるか分かってるの?」
「分からない。でも、アレスの行動予定なら全部覚えているよ。私があの密告書を書き写したんだから。その場所を探していけば見つけられると思う」
「雲をつかむような話だね」
そんな事を言っている間に馬小屋に来た。すぐさま柱に括り付けていた馬を自由にし、その背に跨る。すると、ペントも身軽に飛び乗り、ユイナの腰に両腕を回した。
「ペント……」
「僕も一緒に行く」
決意は固いようで、しっかりと背中に抱き着いている。
ユイナも力を込めてうなずく。
「一緒に行こう」
オルモーラから走らせてきた馬は、準備運動などさせなくてもすぐに全力疾走できるほどに温まっていた。馬の腹に蹴りを入れ、走るように指示を出す。馬がその期待に応えるように全身の筋肉を躍動させ、荒れた大地を疾駆する。地鳴りを起こしながら目の前の空気を切り裂き、鬣と尾を風になびかせる。
「ま、間に合うかな」
ペントが向かい風に目を細めて不安をもらした。
「間に合うよ、きっと。この馬なら大丈夫だと思う」
「ど、どうしてそう思うの?」
「だって、この馬はアレスが選んでくれた馬だよ。私達が家まで安全に帰られるように足腰の強い馬を選んでくれているはずだよ。アレスって、そういう人だと思うの」
「信頼しているんだね、アレスのこと」
うらやましいな、とペントは呟く。
「何を言ってるの。私はペントも信頼しているよ。前よりもずっと」
「……うん」
ペントはユイナの背中にしがみついた。




