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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第五章
75/87

魔神の骨と戦火の少女19

 

 ***


 林道を抜けると、あたりは急に荒廃した大地に変わった。

 王国の歴史では、シルバートがウィンスターから独立するために激しい戦闘を繰り広げたという記録が残されている。その一つがこの場所だったのかは定かではないが、緑は極端に減っていた。白く乾いた大地が色褪せて見え、それが魔毒に侵された大地なのだとわかった。悲しいことにそういう光景に出会うと、シルバートに帰ってきたのだと実感してしまう。

 と、その時だった。遠くに目を引く行列があった。ざっと百名ぐらいだろうか。黒いローブを着ているので魔術師なのだと分かったが、その全員が馬に跨り、隊列を組んでいる。ただの雑兵には見えなかった。


「あの魔術師たち……」

「訓練中の魔術師じゃないかな? この辺りは土地が広いからよく訓練場にされるんだ」

「そうなの……? アレスの邪魔にならなければいいのだけれど……」


 気にはなったが、目をつけられても厄介なので先を急ぐ。

 荒野の道はまっすぐと伸び、前方の岩山を迂回するように続いていた。少しずつ陽射しが強くなって馬も疲れてきたようなので、岩山まで近づいたところで日陰を探して休憩することにした。桶がないので馬に水を飲ませるのに困った。仕方なく両手に水を貯めて差し出すと、べろべろと舐め回すように飲んで、手の平がくすぐったいやら、水が飛び散るやらで、水をこぼさないようにするので大変だった。ユイナ達も水を飲んで休憩した後、再び出発する。

 岩山沿いにしばらく行くと見覚えのある村が現れた。

 アレスから逃げた時に助けを求めて駆け込んだ村で、逆に反逆者として閉じ込められた記憶がよみがえり、苦々しい気持ちになった。周辺には痩せた畑が広がっていた。村の中心部にレンガ造りの建物があり、その横にユイナが閉じ込められた食糧庫も見える。しかし、ペントと出会った場所でもある。鍵を開けてもらい、二人で走って逃げたのを思い出す。

 その光景を置き去りにして離れていく。人の足では長く感じられる距離も、馬だと短かった。


「ねぇ、後で村に戻ったりする? ペントの育った村だし、必要な荷物とか置き忘れていたりしない?」


 馬を走らせたままペントに問いかける。


「い、いいよ。そんな事。いい思い出がないから」

「そう、だね。あそこの人達は自分のことしか考えていないものね」


 反逆者から逃げてきたユイナに対して、懸賞金目当てで村中の人間が捕まえにかかった。真実も善悪も関係なく圧し掛かってきたあの時の恐怖と絶望は今でも忘れられない。思い出しただけで寒気がした。


「それより、早く密告書を届けようよ。ほら、あれが役所だよ。あのレンガ造りの建物」


 ペントは村には一瞥もくれず、前方を指さした。右前方にぽつりとレンガ造りの建物がある。シルバートの最北端にある役所は目と鼻の先だった。



「これがアレスの計画を箇条書きにした物です」


 ユイナは荷袋から出した手紙をデスクに置き、男の前に差し出す。髭を生やした男はそれを手にし、中に入っていた手紙を広げて読み始めた。ユイナとペントは緊張の面持ちで見守る。

 そこはシルバートの最北端にある役所の所長室。門番に自分の素性を明かして手紙の事を話すと、まっすぐここへ連れてこられた。

 スノーマ所長とは面識があった。閉じ込められた食糧庫でのぞき込まれた時に目を合わせている。反逆者と疑われていた時とは別人のようにユイナ達を歓迎し、密告書を真剣に読んでいる。そして、読み終わった彼は驚いたように顔を上げた。


「まさかこれほど貴重な情報を持ち帰ってくれるとは、貴女は勇敢だ」

「お褒めに(あずか)り、光栄です」


 貴族女性のお辞儀をして感謝の意を示す。このような行為は久しぶりだった。


「反逆者の計画を調べる時、怖いとは思わなかったのかね」

「怖かったです。ですが、汚名をそそぐには、危険を冒す以外に道はないと覚悟を決めていました。ですから、こちらに帰ってきて、私が無実になっている事を知った時は驚いたといいますか、拍子抜けしてしまいました」

「そうだろう。しかし、貴女の持ち帰った情報は貴重なものだ。この情報で反逆者を捕まえましょう」


 そう言うと、所長は手を二度ほど叩き、廊下に控えていた男を中に呼ぶ。


「これは反逆者の行動計画だ。これを大急ぎであの魔術師達に届けてほしい。急げば追いつくはずだ」

「分かりました」


 男は手紙を受け取り、部屋を出て行く。ユイナは心持ち柳眉をひそめて彼を見送る。その様子に気づいたのだろうか、所長は言った。


「心配しなくても優秀な魔術師たちが反逆者を捕まえてくれるはずだ。それで、今度は貴女の今後について話したいのだが、しばらくはこの役所にいてもらうことになる」

「しばらくとはどういう事ですか」

「今、兵士が出払っていて貴女を送れる人員がいない。本当はすぐにでも親許に帰してやりたいのだが……」

「それなら大丈夫です。馬もありますし、保存食もありますので自力で帰れます」

「それでは私が困るのだよ。道中で蛮族に襲われるような事があれば私の監督問題になる。だから誰かが戻ってくるまで何日か滞在してもらいたい。部屋は私が用意しておく。それまで散策でもしておきなさい」

「そ、そうですか。それではご厚意に甘えさせていただきます。――失礼しました」


 ユイナとペントはお辞儀をし、退室することにした。

 部屋を出て、さて、これからどうしようかと思っていると、廊下の角から中年の団体が現れた。先頭の女に目を止めたユイナは、胸に嫌悪感がこみ上げてくるのを止められなかった。相手も遅れて気付いたようだ。


「あんたは……!」


 おばさんが目を丸くしてユイナを指さした。救いを求めて逃げ込んだユイナに笑顔でミルクを与えておきながら、裏では懸賞金を狙っていた人物だ。その隣にいる気弱なおじさんが申し訳なさそうにこちらを見ている。おじさんの事も覚えている。村で初めて会ったのが彼で、彼は山羊の乳しぼりをしていた。ユイナを捕まえようとしなかった数少ない一人でもある。その後ろにぞろぞろといるのはあの村の人々だ。ユイナを捕まえる時に背中に圧し掛かって地面に押さえつけた男やら、犯罪者扱いをして倉庫に閉じ込めた男達もいる。

 彼らと関わり合いたくなくて廊下の端に寄った。すると、先頭のおばさんが立ち止った。太い体のせいで廊下は狭く、後ろがつかえた。


「あの時は悪かったね。あたしらも生活がかかっていたんだよ」


 つっけんどんで言い訳がましいが、それはバツが悪いからで、どうやら謝っているらしかった。だからと言って簡単に許せるわけがないが、責めるのも煩わしかった。


「もう過ぎたことです。気にしていませんから」


 関わり合いたくないというのが本音だった。


「あたしが悪いんじゃないよ。悪いのはアンタに懸賞金をかけた奴らさ。それに、懸賞金をかけられた人間が冤罪だなんて誰だって思わないじゃないか。軍や役人はいつもそうさ。今日だって、部屋を貸して食料まで出してやったというのに代金を払おうとしないんだからさ。役所まで請求しに行けとか何様のつもりなんだいって」

「そうですか」


 おばさんの言葉はどれもこれも言い訳に聞こえ、それを大の大人がしているのかと思うと見苦しささえ感じた。素直に謝る事ができる子供達の方がどれほど素晴らしいか。

 おばさんは舌打ちした。


「そんな態度だから反逆者にされるんだよ」


 捨て台詞とともにユイナの横を通り過ぎていく。

 関わらないようにしたかったユイナだが、さすがに黒瞳を見開き、おばさんの背中に鋭い視線を送る。


 何も知らないくせに。


 村人を引き連れたおばさんは太い体でずんずんと所長室に乗り込んでいった。何に対しても物怖じしない性格らしい。廊下には、おじさんとユイナとペントの三人が残された。


「すみません。あれは昔から口が悪いのです」


 振り向くと、廊下に残っていたおじさんが頭を下げた。


「あ、いえ、お気になさらず」


 おだやかな彼を見ていると、先ほどまでの怒りはどこかへ消えてしまった。頼りない印象ばかりが目立つが、考えてみれば、おばさんと暮らしていける彼は人格者なのかもしれなかった。すると、所長室のドアを突き破るような怒声が聞こえてきた。


『こっちは一晩の宿を提供したんだ! 普通ならそれ相応の金額を先に払ってもらうところを後払いで、しかもわざわざ足を運んでやったんだよ! 相応の金はもらえるんだろうね!』


 物怖じしない剣幕に、ユイナはおじさんと目を合わせ、お互いに苦笑した。


「すごい啖呵ですね」

「いつもあんな調子なのですよ」


 おじさんはいくらか笑顔になってこたえる。


「それより、無事で何よりでした。疑いも晴れたようですし」

「ええ、そうですね。私も、こんな風に疑いが解けてシルバートに戻ってこられるとは思ってもみませんでした」

「もともと悪かったのはアレスという反逆者です。風に聞いた噂によると、お嬢さんは脅されて、無理やり従わされていたそうですね。そういう話を聞くと、アレスという人間がどれほど悪い人物かわかるものです」

「あ、アレスは……」


 一瞬、弁護の言葉がのどまで出かかった。世界の崩壊を止めるために天女の啓示を受けた救世主なのに、何故こんな悪し様に言われないといけないのだろうか。

 おじさんはこちらを見て怪訝な顔をしていた。


「いえ、アレスって変な人なんですよね。最初は匿うように命令されましたが、特に危害を加えられなかったですし、食事も分けてもらいました。盗んだ物でしたけど」

「反逆者もお嬢さんには情が移ったということでしょうか」

「さ、さあ、どうでしょう」


 少し笑いながら首をかしげていると、ペントが袖を引っ張ってきた。


「ユイ姉さん。僕、外を散歩してくるね」

「あ、じゃあ私も行くよ」

「いや、いいよ……ちょっと一人になりたいんだ」


 いつも傍にいるペントに拒絶されたので、「そ、そう……」と答えるしかない。

 ペントは育った村の人に会って委縮しているのか、顔を合わせようともせずにお辞儀して廊下を歩いていった。その背中が角を曲がって見えなくなると、おじさんがこちらに視線を戻して質問してきた。


「先ほどから気になっていたのですが、あの子はどうしたのですか」

「それが、朝から調子が悪いみたいなんです。聞いてもちゃんと答えてくれないんですよね」

「いえいえ、そうではなくて」とおじさんは手を振る。

「見かけない子ですから、どこで知り合った子供かと思いましてね」

「……え?」


 ユイナはおじさんをまじまじと見詰めたまま表情を凍らせた。



 目の前に得体の知れない空白が現れたような気がした。魔術の黒穴とは真逆の白い闇。ユイナはその空白を愛想笑いで取り繕う。


「ペントを見かけたことがないなんて、そんなのおかしいですよ。だって、ペントは同じ村で育ったんですよ?」


 訴えかけるユイナに、おじさんは首を振る。


「村にあんな子供はいませんよ。村の一番下の子供ですら成人式を終えています。それに、私は村にいる人の名前も顔も全部知っています。そもそも六世帯しかない村で知らない人がいたらおかしいでしょう」


 それは、確かにそうかもしれない……、と眉根をよせる。確かにおじさんのいう事は正しい。だけど、それでは認識と事実が一致しなくなる。だとしたら、おじさんの認識不足とは考えられないだろうか。


「誰かが内緒で彼を育てていたという事は考えられませんか」


 ペントはもともと貴族で、何らかの理由があってあの村に預けられた。公にはできないので隠すように育てられていたのではないか。


「どうでしょう。自分達の食事を確保するだけで手一杯なのに、子供といえども一人の人間を養う余力はどこにもありませんよ」

「でも、私があの子と出会ったのはおじさんの村なんです。あの子が倉庫の鍵を持ってきてくれたから、倉庫を出て逃げる事ができたんです……」

「そう言えば、いつの間にか倉庫の鍵が持ち出されていたと聞きます。それに、倉庫番の男が貴女を逃がしてしまったことについて見知らぬ子供に騙されたとか言っていましたね」

「それがペントだと思います……」

「こういう事を言うのは何ですが、その子が嘘をついているとは考えられませんか」

「ペントが嘘を……?」


 びくりとしておじさんを見詰めた。


「そうです。失礼ですが、それ以外に私は考えられません」

「………」


 思い返してみれば、朝からペントの様子はおかしかった。どことなく元気がなく、村に寄ろうと誘っても拒絶された。それは、嘘がばれるのを恐れていたからだとしたら……。反論したくても、そう結論付けると疑念の空白にぴたりと一致してしまう。

 ペントに嘘をつかれている。それを自覚した時、あまりのショックで耳鳴りがした。釈然としない、はっきりとした不協和音が頭の中で響いている。でも、それが本当だとして、どうして嘘をつく必要があったのだろうか。


「ペントが村の人間じゃないのなら、彼はどこから来たのでしょうか。近くに他の村とかあるんですか? それか、貴族の屋敷があるとか」


 おじさんは首を振る。


「近隣の村はかなり離れた場所にあります。貴族の屋敷なんてさらに遠くです。税を納めに行くだけでも大変ですよ。近くにあるとすればこの役所ぐらいなものです」

「その貴族はいくつかあるのでしょうか? その中にネプルスという貴族はありますか?」

「ねぷるす……いえ、この地を治めているのはコーネウス家です」


 コーネウス……。聞いたことはないが、真実なのだろう。だとしたら、ネプルス家はどこを治めている貴族なのだろう。いや、そもそも、そんな家名がシルバートにあるのだろうか。


「おじさん……。あの、名前を聞いてもいいですか」

「はい?」


 不意に名を聞かれた事に驚いたようだが、答えてくれた。


「私の名前ですか。エンビノといいます」

「エンビノさん……。ありがとうございました。失礼します」


 動揺を押し隠しておじさんと別れ、廊下を歩く。

 あまり掃除されていないのか、石畳の廊下には砂埃が溜まっていた。普通に歩いていても、しゃり、しゃり、と足音がする。ひと気がないために廊下は静かで、ひんやりとしていた。停滞した空気の中、頭を冷やしながら歩き、ペントとの思い出を振り返ってみる。

 閉じ込められていた倉庫から助け出してもらった。その時から彼を信頼してきた。男の子だけど舞姫になりたい彼のために一緒に踊りの練習もしてきた。カトレアとの舞踊劇の時は協力してもらい一緒に舞台を盛り上げてくれた。


 それなのに嘘をつくなんてあり得る……?

 ペントの言葉はどこまで本当なのだろうか? どうして嘘をつく必要があったのだろうか? そもそもどこから来て、どうしてユイナを知って、どういう目的で近付いてきたのだろうか。


 ふと、立ち止まる。何かとてつもなく嫌な予感がした。その予感は一瞬の幻にも似て、捕まえようとしても指の隙間からすり抜けていく。もどかしく、はやる気持ちだけが胸を焦がしていく。

 ユイナは廊下から窓の外へ視線を向けた。ガラス越しにシルバートの荒涼とした原野が広がり、くぼんだ大地に雨水が溜まったのか、役所近くに濁った溜め池がある。ペントは溜め池の前に座り込み、石を拾っては山なりにほうり、濁った水面に落としていた。

 ユイナは廊下を急ぎ足で進み、裏庭へと出る扉を押し開けようとして立ち止まる。胸元に下げた舞姫のペンダントを握り締め、緊張する鼓動を深呼吸で落ち着かせ、ドアを開いた。


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