魔神の骨と戦火の少女17
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明け方の空を怪鳥の背に乗って飛行していると、右手の地平線から太陽の片鱗が現れた。残夜を払う金色の陽射しが、風にざわめくメリル王女のブロンドを更に際立たせ、怪鳥の甲殻に覆われた胴体を鈍い鉄色にぎらつかせた。
怪鳥は茶色の翼で大きく羽ばたき、王女とテンマを乗せた体を上昇させる。
眼下にはシルバートの大地が広がっている。魔術を推奨してきた国の大地は、破壊の力を浴びて困窮していた。そんな痩せた大地で、町や村は少しでも肥沃な土地を求めて集まり、点在している。その光景から視線を南下させていくと、それまで通り過ぎてきた町など比較にならないほど巨大な都市が現れる。国の約半数の人口が集約されているという王都だ。その北側に、国の象徴とでも言うべき山城が聳え立ち、城下町を見下ろしていた。
巨大都市は近郊の農地さえも第一の外壁で囲み、防備を固めてある。その内側にある第二の防壁は平民の居住区を守り、第三の防壁は貴族と魔術師の居住区を囲っている。それらの障壁は、攻めてきた敵の侵攻を遅らせて防備を固めやすくする意味もあるのだが、平民や貴族などの階級を区別する役目も果たしていた。
本来、防壁を越えるには身分を証明する必要があるのだが、空からではそんな面倒な手続きもない。メリルはまっすぐ目的の山城を目指す。
そこは国王が住まう城。歴史の重みを感じさせる、古い歴史を持つ王城だ。城は堅い山の上に造られ、歩いて城に辿り着くためには斜面を登りつつ、いくつもの堅牢な門を越えていかなければいけない。シルバートの城は世界でも有数の堅城として名高い。しかし、下から見上げれば堅牢な城も、上空からでは弱点をさらけ出している。侵入も簡単だ。そもそも、城は空から攻められることなど考慮して造られていない。
メリルは山城が真下に見える位置まで怪鳥を飛行させ、しばらく目的地の上空を旋回させた。ほどなくして城の防御回廊(門前に迫った敵を上から射殺すために設置された回廊)から中庭に魔術師と兵士が集まってきた。誰もが異界の怪鳥に慄き、魔口や弓を番えてこちらに向けている。
メリルは後ろのテンマに命令する。
「『忠誠の剣』を掲げなさい」
命令を受けたテンマが、シルバート国旗を風になびかせる。クロスした剣と白百合が朝焼けの空に広がる。
中庭からこちらを見上げる兵士は、味方だと認識したらしい。
「撃ち方やめィ!」という防衛隊長の号令が上空でも耳に届いた。
怪鳥が最後に大きく羽ばたき、落下速度をゼロにして静かに中庭へと着地した。
「メリル王女様!?」
こちらの正体にいち早く気づいた防衛隊長が目を見開き、片膝をついて首を垂れた。周りにいた魔術師達もそれに倣う。
メリルは怪鳥の背から中庭に降り立ち、ブロンドの前髪を払い、エメラルドグリーンの瞳で睥睨する。成人男性に化けたテンマも、中庭に足をつける。その腕には危険な爆薬の入った水筒を抱えている。
「申し訳ございませんでした。刃を向けた無礼をお許しください」
「そんな事はいいわ。それより、彼を研究所まで案内してあげなさい。彼は遠い異国の魔術師、研究の役に立ってくれると思ったから連れてきたわ」
「異国の、でありますか」
半信半疑の顔つきなので、メリルはテンマを振り返り、「見せてあげなさい」という。
テンマは一瞬ためらったようだが、静かに息を吐き出し、息を止める。と同時に右手を開き、そこに蒼い光の粒子を集め始める。粒子は手のひらの一点に収束すると、一気に左右へと伸び、一本の槍を生み出した。
「魔口も開かずに……」
「どうなってるんだ」
一部始終を見ていた兵士たちは感嘆の声を上げる。隊長は鎮まるように咳払いした。
「かしこまりました。彼を研究所に連れて行かせましょう」
隊長は言い、手近の一人を呼び寄せ、テンマを研究所まで馬で送るようにと指示を出す。メリルはテンマの歩み去っていく姿を尻目に中庭から隣の山を見た。岩肌を剥き出しにした山の頂上に、円筒形の塔が建っている。遠くてもしっかりと視認できる塔は、魔術を研究するために建造された。王都に潜伏している味方の話では、塔の最上階に魔神の骨が安置されているという。そして魔神の骨をデルボで燃やして消滅させるのは、姿を変えられるテンマの役目となった。あとは国王の説得が成功するか否かで計画の変更もあり得る。
メリルは隊長を振り返る。
「お父様に会いにきたの。国王の所へ案内しなさい。それと、そこの怪鳥には近づかないように。食べられても知らないわよ」
その場にいた兵士がぎょっとしたように怪鳥を振り向く。
「はい、かしこまりました」
隊長は、当直の兵士たちに持ち場へ戻るように命じ、国王への案内役を務める。メリルは彼に案内され、中庭を歩く。防御回廊に囲まれた無骨な外観とは裏腹に、花壇には季節の花々が咲いており、細やかな手入れを感じさせた。ただ、岩盤の上に城を大きな根を張るような木々は見当たらない。そんな花壇の横を通り過ぎ、歴史ある主塔へ足を踏み入れた。
メリルは絨毯が敷かれた廊下を進む。石壁はかすかに煤けていたが、それがかえって風格を漂わせていた。
この城は、シルバートが独立する前、まだウィンスターの一部であった頃から南方の敵を見張るための重要拠点とされていた。それを足がかりに一人の偉大な魔術師が多くの民衆を従えて独立し、シルバート初代国王となった。そして、その血は枝分かれしながらも絶えることなく二十二代目に受け継がれている。それがメリルの父親、コルセオス王だった。そして、その国王が魔神の骨を蘇らせようとしている。メリルがここに来たのは魔神骨の蘇生計画を阻止するためだった。
城の内部はまだ冷えている。石壁や石畳にため込まれた夜の冷気が放出されているようだ。案内役の隊長は廊下ですれ違った宰相と短く言葉を交わし、とある部屋の前で立ち止まり「こちらです」と言った。そこは国王の寝室ではない。どうやらコルセオス王は目覚めて瞑想しているようだ。メリルは扉をノックする。
『誰か…?』
扉の奥から懐かしい父の声がした。
「メリルです。ただいま戻ってまいりました」
『待っていたぞ。入りなさい』
「はい」
許可が得られたので、隊長を廊下で待機させ、一人で部屋に入る。
そこは椅子が一つ置いてあるだけの淋しい部屋だった。すでに正装した国王はいつものように椅子に座って瞑想していたらしい。天井間際へ伸びる窓から朝日が差し込むのを背にして立ち上がり、メリルと向き合った。
「会いたかったぞ。長旅で疲れたであろう。こちらに来なさい」
馬車の長旅だと思っているのだろう、父はしわがれた声で近寄るように勧めた。年齢は五十にも満たないが、その風貌は苦悩に刻まれて十歳以上老けて見える。後ろに流した金髪は、会わないうちにまた白くなったようだ。その落ち着いたモスグリーンの瞳が娘との久々の再開に細められていた。しかし、今のメリルは彼を父としてではなく、国王として見ていた。戸口に立ったまま問いかける。
「何を考えていらしたのですか」
「……国の未来に想いを馳せていた」
「それは、私にとって幸せな未来ですか?」
冷たくしたつもりはなかったが、国王のひそめられた眉を見ると、父としての心が異変を感じたらしかった。
彼はこの部屋で自身を落ち着かせ、国の未来を考えて決断を下している。戴冠して八年足らずだが、魔術師の教育を確立させ、育てた彼らを傭兵として他国に送って外貨を手に入れたり、貿易のための道を舗装したりと国のために尽力してきた。その的確で早い手腕から賢王と呼ばれ、王都の国民に絶大な支持を得ている。だからこそ、国王が憎い。
娘の婚約者を、反逆者だと認めた国王が憎い。
国王と対峙するメリル王女の胸には、父親に対する愛と、国王に対する憎しみが渦巻いていた。
「手紙には重要な話があると書いてあったが、それはアレスのことか。私がアレスを反逆者と認めたので怒っているのか」
「アレスは侯爵殺しではありません」
「それについての確証はどこにもない。しかし、たとえ侯爵を殺してなかったとしても、彼は我々に対立してきた。敵対者なのだ。だから私は彼を反逆者と認めた」
そう言い切った父の顔は国王のものだった。娘の前でそんな顔をするようになったのかと思うと、胸の奥が失望にも似た喪失感に苛まれた。あれほど娘を溺愛していた父が……。だが、ここで引き下がる訳にはいかない。自分には愛する者より託された任務があるのだ。
「お父様、私が話したいのは別の件です」
「……別の件とは?」
国王はメリルを見据えて聞いた。
「お父様は、魔術が大地を貧困させているという話を耳にした事がありますか」
「ああ、ラインハルトから聞いている」
「ラインハルト侯爵から?」
メリルは眉根を寄せて聞き返した。ラインハルトは魔術師団をつくったほどの魔術推進派だ。そんな彼が魔術の危険性を国王に申告して得する事でもあるのだろうか。大地の貧困で国民が困ると知れば、それを父が許しておくはずがない。そう、国や国民に不利益となることを許すはずがないのだ。それなのに、父の選んだ方針はメリルの予想に反していた。魔術師の制度を廃止するどころか、助長し、魔神の骨にまで手を伸ばしている。
「魔術の危険性を知っているのなら、どうして魔術師を育てているのですか。その上、魔神の骨まで蘇らせようとしていると聞きました」
「その情報をどこで知った」
「私のもとを訪れたアレスが教えてくれました」
「そうであったか……」
「魔術は魔神がもたらした破壊の力です。お父様が蘇らせようとしている魔神の骨は破壊の力を増幅し、世界を蝕み、最後には滅ぼしてしまいます。魔術の使用も、魔神の骨を蘇らせることもやめてください」
「そちらに向かったラインハルトからは何も聞かされていないのか? いや、ウィンスターの見張りがいる前でそれはできぬか……」
「何の話です」
メリルは金色の眉根を寄せた。国王の口ぶりはまるで、自分が知らない情報をラインハルトから聞かされたかのようだ。
国王は扉へと視線を向け、廊下に声がもれないように声のトーンを落としていう。
「ラインハルトが天女の啓示を受けた」
告げられた事実に、今度はメリルが声をひそめる番だった。
「……それは、本当ですか」
「事実だ。魔術や魔神骨の危険性もその時に聞かされたようだ。そして最後に、我々にとっては無視できない事を知らせてくれた」
まだ他にも? それ以外の話をアレスから聞かされていない。
「何です」
「天女は、このシルバート大陸が直に崩落する事をラインハルトに予言されたそうだ。そしてこの地を捨てて生き延び、残る世界を護るように命じたらしい」
思わず足許へと視線を向けた。だが、シルバートの大地が崩壊するなど信じられないと国王を見つめ返す。
「誰がそんな予言をしたのですか」
「バチルダ・エミス・シルバートだ」
「お、お姉さまが……舞姫?」
国の第二王女がその身に天女を宿したというの?
それに、シルバートの神話と食い違っている。
世界の危機に現れる救世主は一人で、啓示を与える舞姫も一人だと言われている。
アレスが救世主でカトレアが舞姫だ。それ以外に考えられない。
「予言は、お姉さまの虚言とは思わなかったのですか」
国王は首を振る。
「私はお前達に魔術を教えた事は一度もなかった。しかし舞姫となったバチルダは、誰も知らない事まで知っていた。魔術が大地を貧困させていることまで言い当てたのだ。我々がそれを真実だと認識したのは、幾度もの検証でそれが証明された後だ。しかも、それを告げた本人が自分の言った事をまったく覚えていないという……」
国王は小さく息を吐く。ため息だった。
「天女の啓示は本物だと認めるしかなかった。だとすると、我々の大地が崩壊するという予言もまた事実なのではないか。そのうえで、天女はラインハルトだけでも安全な地へ逃がし、これ以上の崩壊を防ぐように指示したのではないか……。私はぞっとする。もし、ラインハルトが我々への忠誠心を持っていなければ、我々は天女に見捨てられたことさえ知らず、死に行く大地と運命をともにしてしまうのだ」
「………」
「このことは一部の信頼できる者にしか知らせていない。天女に見捨てられた事が国民に知れ渡れば、未曾有の混乱が生じるからだ。だが、私はこの事を国民に知らせない代わりに、他国の領土を奪うというラインハルトの計画を許可した。魔術師を育てているのも、魔神の骨を利用するのもそのためだ。国民の被害を最小限に抑え、早期に戦争を終結させる」
「魔神の骨を利用し、他国を侵略するなど、ラインハルトの計画は異常です。賢明なお父様ならもっと良い方法を見つけられるはずです。崩壊を止めるには魔術の使用を止めればいいではないですか」
国王は目を閉じ、静かに溜息をついた。
「それは、この国を守る魔術を放棄し、他国の侵略を受けろという事か。建国から五百年、シルバートがどれほどの国を侵略し、滅ぼしてきたか。そして恐れられてきた魔術を手放した時、周辺の魔術国家からどうやって民を守るというのだ。全国民の食料もろくに用意できないというのに」
父の言葉は的確で、メリルは言葉を詰まらせてしまう。国王は反論の余地を与えないように続ける。
「私とて考えに考え抜いた。だが、他に方法はないのだ。崩壊は回避できない所まで来ている。我々が生き残るためには、他国の正常な土地を奪う以外にないのだ。私は国王として、国民を安住の地へ連れて行く義務がある。そのためには魔神の骨を利用してでも安全な領土を手に入れるしかないのだ」
「ですがっ!」
反論しようとした時、背後で扉が開け放たれた。メリルは振り返り、戸口に立つ二人の金髪女性を目に止め、エメラルドグリーンの瞳を見開く。
「お姉さま……」
奥に立つのはシルバートの第三王女、ローザ・エミス・シルバート。そして手前にはシルバートの第二王女であり、ラインハルトに啓示を与えたというバチルダ・エミス・シルバートがモスグリーンの瞳を細めている。
「その目は何? 姉を見る目ではないわね」
「突然のご登場で驚いただけです」
「そう。それにしてもお父様に意見するなんて感心しないわね。貴女の役目は国務への口出しではないわ。貴女はウィンスターとの友好を示す人質であると同時に、オルモーラ地方の監視役でもあるはずよ」
「分かっています」
「だとしたらこれはどういう事かしら」
バチルダが指を鳴らすと、廊下で控えていた兵士が、何か汚い物体を運んできて廊下に座らせた。メリルは眉根を寄せ、ぼろ雑巾のような物体を凝視する。
いや、それは物体ではない、生きた人間だ。足が切断されているのでわからなかった。拷問を受けて服はボロボロになり、殴られ続けた顔が膨れているのだ。今にも崩れそうになる人間を、兵士が首根っこをつかんで座らせている。老いた男のようだが、と汚い物を見るように身を引いていると、
「ッ!?」
一瞬、悲鳴をあげそうになった。が、あまりにもショッキングな光景に声さえ出てこない。彼が、こんな所にいるはずがないのだ。
バチルダの切れ長の目がさらに細められる。
「この人はオルモーラ研究所の所長さんらしいわ。そんな彼がオーデル伯爵の指示を受けて危険な物を作っていたらしいの。貴女はオルモーラにいながら、そんな不穏な空気に気付けなかったの?」
「わ、私は……気付けませんでした」
否定の言葉を吐き出すのがやっとだった。廊下に座らされた男は、意識が朦朧としているようだ。目を開けないほどに目蓋も腫れ上がり、こちらを認識しているかどうかも怪しい。
「そう、それなら良かったわ。まさか貴女がオーデル伯爵に手を貸して私たちを裏切ったのではないかと心配していたのよ」
「お姉さま、私がシルバートを裏切るなんてひどい冗談ですわ」
「そうね、フフフ」
バチルダが口許を押さえて笑い、メリルも無理に笑みをつくってみせる。そうしないと本当に気付かれてしまいそうだった。
「どうしたの、顔色が悪いようだわ」
ローザが指摘する。
「ええ、長旅でしたし、血のにおいで気分が悪くなったみたいです……」
「そう、それなら――」
バチルダが何かしゃべっているが、言葉は耳に入らず耳朶を滑っていく。
「お姉さま。私はこれから他にも用事がありますので、失礼させてもらいます」
メリルは一礼して国王の瞑想室から出る。
「ご気分が優れないようですが……」
後ろについた防衛隊長が気遣いの言葉をかけてきたので「心配ないわ」と答える。
防衛隊長に付き従われて廊下を歩き、曲がり角に差し掛かったところで来た道を振り返る。
兵士に引き立てられていく瀕死の男は、オルモーラでデルボを開発した男だった。だがあり得ない。オルモーラにいるはずの彼がこんな所で拷問を受けているはずがないのだ。
疾風の速さで飛行する怪鳥の背に乗ったからこそ一昼夜で来られたが、オルモーラの研究所から王都まで馬を走らせても丸二日、いや、三日はかかる。だとすると、昨日の昼にデルボを持ってきたサント助手は、所長の不在を知っていたはずだ。なのに、その報告をしなかったという事は、まさか……。
胸中に嫌な予感が広がっていく。
だとすると自分の後ろに従っている防衛隊長は、付人という名の監視ではないか。
「気分がすぐれないので外の風に当たりたいわ」
「はい。それがよろしいかと思います」
メリルは気取られないように平生を装い、階段を上がっていくと、前方にテラスが見えてきた。テラスは中庭を見下ろす位置にあり、王都も一望できるようになっている。その風景に向かってメリルは走り出し、テラスの腰壁に両手をついてよじ登る。
「なっ!? 王女様!?」
追いすがる防衛隊長を振り切るように空に向かって跳んだ。体が宙に踊り出す。
横からすくい上げるように飛来した怪鳥の背へと降り立ち、バランスを崩してしがみつきながらも怪鳥を上昇させる。
瞬く間に城が遠ざかる。
「全力で飛びなさい! 戻るわよ!」
命令すると怪鳥の翼が羽ばたき、矢より速いスピードで雲を突き抜ける。激しく吹き付ける風にブロンドを乱し、メリルはぎりと歯噛みする。
「不味いわアレス。私達の計画は筒抜けだったのよ」




