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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第五章
71/87

魔神の骨と戦火の少女15

 

 ***


 ベッドで横になったユイナは、爪先から首まで毛布にくるまり、真っ暗な天井を見上げていた。夜明け前には馬に乗って城を離れるというのに、作戦前夜の緊張でまったく寝付けないのだ。

 シルバートに届ける密告書には、アレスの行動予定をびっしりと書き込んである。アレスはその密告書通りに行動し、立ち塞がるであろう敵の攻撃を掻い潜り、船でシルバート大陸を脱出する手筈になっている。しかし、それはただの予定であって、失敗して捕まる可能性だってある。そう思うと寝付けないのだ。


 天井を見つめながらどれほどの時間を過ごしただろうか。横に視線を下ろすと、隣のベッドで寝ている男の子が寝返りをうった。ペントだ。ヨセフはカーマル家の城へ移動したので、この部屋は自分とペントしか使っていない。


「ねぇ、まだ起きてる?」


 もう寝ているだろうと思いつつも淋しくて声をかけてみた。すると、意外にもベッドの人影がごそりと動いて返事した。


「起きてるよ」

「ペントも眠れないの?」

「うん」

「こっちのベッドに来ない?」

「いいの?」

「もちろん」


 そう言って毛布の端を摘み上げると、ペントがこちらの毛布に潜り込んできて、隣に顔を出した。なんとなく肩を寄せ合って真っ暗な天井を見上げていると、さっきと違い、少しだけ穏やかな気持ちになれた。


「静かだね」


 つぶやくように声をかけると「うん……」と返事がある。


「ねぇペント。シルバートに帰って全てが解決したら村に帰るの?」

「あの村には……行きたくない」

「そう……」


 嫌がるのも無理はないのかもしれない。ユイナの逃亡を手伝った事を考えると、ペントに恨みを持っている村人は多いだろう。


「それなら提案があるんだけど、私の家というか、ガモルド様の家に来ない? ひょっとしたら一緒に住めるかもしれないよ。ガモルド様には私からよく頼んでおくから。アリエッタも弟ができたとか言ってきっと喜んでくれるよ。ね、どう?」


 ペントが笑顔になる。


「いいね、それ。楽しみ」

「ペントのジャグリングを見たら、きっとガモルド様もアリエッタも驚くだろうね」

「うん、すごいのを見せようかな」

「そうだね。あ、ジャグリングを見せるのはいいけど、筆記体が読めることは秘密にしておいた方がいいかもね。平民で筆記体を使ったら死刑になることもあるらしいから」

「うん……」


 急にペントの声がしぼんだ。少し彼を怯えさせてしまったかもしれない。


「ねぇ、ペントに筆記体を教えてくれた人はどんな人だったの? 変わった人だとは聞いたけど、変わっているからって平民であれば筆記体を使うのも教えるのもダメなんだけど……」

「……貴族だったよ」

「貴族の人が教えてくれたの? どうして?」

「僕は……貴族だったんだ。いろいろあって……あの村にいたんだ……」


 しゃべるのも辛そうな声で告白され、一瞬、言葉を失う。初めて聞かされる話だ。


「それって……」


 貴族から追い出されたってこと?

 それとも、平民の村に預けられた?

 いや、もしかしてご両親はもう……。

 彼はユイナと同じで戦争孤児だったのかもしれない。


「ごめん。思い出したくない事を聞いちゃったね……ホントにごめん」

「う、うん……そ、それよりさ。明日は大丈夫? ユイ姉さんは馬に乗れるの?」

「心配しないで。ちゃんと乗れるよ。学校の選択科目で乗馬をやっていたからね。これでも乗馬の成績はトップクラスなんだよ」


 選択科目で馬術を選んだのは、ダンスで鍛えたバランス感覚に自信があったのと、他の生徒に邪魔されにくいと考えたからだ。

 ふと、訓練で使った馬術のコースや石灰石の校舎が脳裏をよぎる。


「学校がなつかしい?」

「そう、かもね……」


 どろどろした人間関係や競争が嫌いだったが、数週間も学校を離れてみると、懐かしいものもこみ上げてくる。都合の良いように解釈されていた神学、美と健康を追求するための薬学、筆記体で物語を作ったり読んだりする文学、そして、なにより一番楽しかった舞踊。学校に通っていた頃を思い返すと、授業風景や、舞台のにおいが蘇ってくる。そして、ティニーが待っていてくれるはず。

 その場所に帰れるかどうかは、明日の働き次第だ。他の事に気を取られている余裕はきっとない。だからアレスは、釘を刺してくれたのかもしれない。



 ***



 ひさびさのベッドで気持ちよく寝ていると、不意に頭を小突かれて目が覚めた。

 部屋が暗いのでカーテンを閉め切っているのかと思ったが、そういうわけではなく、日の出もまだのようだ。


「おい、起きろ」


 そういって頭を小突いてくる相棒を少し恨めしげににらむ。


「もう少し寝かせろよ。まだ暗いじゃないか」

「あいつが動いた」

「なに?」


 相棒の言葉で全身が覚醒する。ふとんを跳ね除け、靴を履く。そして、窓辺へ近付き、二階から表通りを見下ろす。すると、一人の魔術師が向かい側の宿から姿を現した。ローブはシルバート魔術師のものだ。フードは被っておらず、腰元まである金色の髪が夜風に流れている。


「こんな時間にどこへ行こうってんだ、金髪さんは」

「それは俺にも分からん。だが、この時間に動くのは普通じゃない」

「……違いねぇ」


 言いながら部屋を後にしていた。

 廊下に出てすぐ右手にある扉から外階段へ抜ける。普段は防犯上の関係で施錠されているのだが、そのあたりは宿主と話をつけて解錠してある。埃まみれの階段を足音に気を付けながら駆け下り、表通りを歩いて行く魔術師を尾行する。

 ターゲットはシルバートから来たラインハルト侯爵だ。女のような長いブロンドなので金髪さんと呼んでいる。

 金髪は表通りを下っている。一週間前は収穫祭でにぎわっていた商店街もまだ仕込み時間には早いのか、閑散としている。


「馬は使わないようだな」


 相棒の言葉に頷く。金髪は馬小屋とは逆の西側へ向かい、表通りから一つ裏に入った通りへと消えていく。それを追いかけていく人影が二つ。


「同業者か」

「らしいな。たかが魔術師一人にどれだけ慎重になってるんだか」

「手柄を横取りされるのはうれしくないな」

「違いない」


 相棒とともに一区画離れた場所から裏通りへ回る。そして、建物の陰から金髪を探す。

 いた。裏通りもさらに下っている。


「あの方角には貿易商社しかないはずだが……」

「そこに用事があるんだろ。俺は通りの向こうから尾行する」


 相棒にそう言い置いて裏通りの反対側に回り、さらに奥の裏通りへと抜け、金髪の向かう場所を予測して先回りする。いくつかの区画を駆け抜け、民家の陰から表通りの様子を探る。

 予測は当たっていた。

 オルモーラの貿易商社は二つあるのだが、金髪はそのうちの一つ、主に食料や油などの農産物を扱う貿易商社の前に立っていた。ほどなくして貿易商社の主人が出てきて金髪を中へと案内する。


 内通者か? だとしたらどんな情報を握っているのかも知る必要がある。表には相棒がつくとして、彼は西側から近づくことにした。

 看板の影を利用して社屋の西側窓に近づく。耳を澄ますと、わずかだが階段を上る足音がした。二階へ上がったようだ。こちらも運搬用の大樽を足場にして柱をよじ登り、二階テラスへと潜入する。木製のテラスは新しいものではないようだが、毎日掃除されているのか足下に埃はない。


『あれはどういう事なんだ。聞いていた話と違うぞ』


 主人の声はベランダのガラス戸越しに聞こえた。どうやら隣の部屋で密会は行われているようだ。こちらの姿が見えないように壁へと寄り添い、室内から聞こえてくる声に神経を集中させる。


『説明なら済んでいるはずだが』

『確かにメリル王女の城から多くの人が荷馬車に隠れて来た。そしてオーデル伯爵の城へ行く荷馬車に乗っていった。しかし、あれが反逆者なのか? 女や子供ばかりじゃないか。聞いていた話と違うぞ。俺は侯爵殺しの凶悪な犯罪者だと聞いたから協力すると言ったんだ。彼らはどう見たって……、彼らが反逆者というのは何かの間違いじゃないのか』

『それで、例の物を持たせたのだろうな?』

『い、いや……あんな事、すぐには決められない。ちゃんと確認してからでも遅くはないと思ったから――』

『持たせていないのだな』


 背筋も凍るような声で金髪は言った。気圧されて後ずさりした主人の姿が視界に入ってくる。


『ま、待ってくれ。まだ時間はあるはずだ』


 主人は後ずさりを続けながら言う。開く距離を縮めるように金髪が前へと進み出る。


『私は言い訳を聞きにきたのではない』


 冷たく言い放ち、ローブの袖から刃物を抜く。それは接近戦で不利な魔術のかわりに護身用として持ち歩くナイフ。細身で耐久力はないが、軽さと切れ味は高い。魔術師の武器といえば魔術と思われがちだが、接近戦や隠密行動の時はナイフを使う。相手との距離や状況に応じて魔術師は武器の使い分けをしている。その武器を金髪は引き抜いたのだ。そこには明確な殺意があった。


『ま、待ってくれ! ちゃんとするから命だけは……!』


 哀願する主人。だが、金髪に情けはなかった。突き出したナイフで主人の心臓を串刺しにすると、主人の背後に回って返り血を浴びないようにしてからナイフを引き抜く。目を伏せたくなるような血しぶきが床や壁に散った。

 いかれている。人を、殺し慣れていやがる。


『――殺しちゃったんですか』


 不意に室内から場違いな子供の声がした。


『ま、こっちも三人ほど後ろからズブリと始末したんですけどね』

『三人……情報より一人足りないな』


 金髪はナイフの血を拭いながら言う。


『途中で見失ったんです。でも、他のメンバーが探しているからすぐに見つけて始末してくれるはずです』


「!?」


 テラスから裏通りを見下ろすと、見知らぬ人影が何かを探しまわっている。見えるだけでも一人、二人……。まさか、俺を捜しているのか。俺達の尾行は最初から漏れていたというのか。


『まったく、ラインハルト様を付け狙うなんて恐れ多い事を……』

『無駄口はいい。お前は下で寝ているやつの口封じでもしておけ。皆殺しだ』


「ッ!」


 ヤバい人間がいる。常軌を逸した悪魔がすぐそこに!

 こんな依頼など引き受けなければ良かった。短期間の尾行の割には良い報酬だと思っていたんだ。

 だが、どうする。下手に動けば見つかるぞ。どうする、どうする!

 壁際でしゃがみこんで息をひそめていると、目前にあるガラス戸のノブが回される。息を呑んだ。蝶つがいにも手入れが行き届いているのか無音で扉が開いていく。だというのに、まったく身動きがとれなかった。ウッドテラスに出てきた金髪は、ゆっくりとこちらを見下ろす。逃げ場はないと思った。

 愛用のナイフを引き抜き、相手の首めがけてナイフを突き出す。だが、金髪の手刀に、ナイフを持つ手首を正確に打ち抜かれた。


「ぐぁっ!」


 手首の激痛で横によろめく。金髪は距離を詰めてくる。

 ヤバい。殺される。

 瞬時にそれを察した彼は、額から魔力を解き放ち、超至近距離で空間に穴を開ける。空間をねじ切って急速に開き始めた黒穴は、しかし、金髪の手中に閉じ込められ、握り潰される。崩れた魔力の残響が男の手中からこぼれ落ちる。


 バカな……


 魔力の毒にまみれた魔口を素手で触るなど、自殺行為に等しい。それも、握り潰してしまうなど人間業ではない。


 これは夢だ……! 魔口を素手で握り潰せる人間など存在するわけがない。


 気圧されるように尻餅をつき、後ろに両手をつく。刹那、相手の女と見紛うばかりの秀麗な手が闇に白い流線を描き、口を鷲掴みにしてきた。慌てて払い除けようとするも、相手の五指に驚異的な力がこめられ、顎がゴキゴキと鳴り始めた。圧搾に耐えられなくなった顎骨が今にも砕けようとしているのだ。頬の肉が自身の歯に食い込み、口内に血の味が広がりだす。

 必死に首を振ろうとする。

 悪夢だ。これは悪夢だ!

 彼は眼前のものを否定しようとした。それ以外、現実に抵抗する手段を持たなかった。しかし、現実は残酷だ。相手の右手がローブの中へ消え、隠し持っていたナイフを掴む。その行為に明確な殺意が見えた。


 何で俺なんだ……何でッ……


 次の瞬間、相手の右手がナイフを抜き放つ。

 銀色の閃光が走り、自分の首を通り抜けていくのを感じた。

 それが、彼の見た最後の光景となった。


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