魔神の骨と戦火の少女14
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夕日が完全に沈んでしまうと辺りは夜一色に染まった。海と空の境界線もわからなくなり、いつもは海原を照らす月も、分厚い黒雲の陰に隠れてしまっている。それが作戦前夜の不吉な暗示に思えてくるのは自分だけだろうか。
「嫌な空気ね」
カトレアは窓辺から黒い海原を眺めながらぽつりと呟いた。
昼にメリル王女の城を出立したカトレア達は、オルモーラの街で別の荷馬車に乗り換え、船に積み込む食料とともにカーマル家の城へとやってきた。それから食糧を貯蔵庫に移動させ、休息にはいった頃には夕刻になっていた。今は夕食を済ませ、子供達を眠りにつかせている。あまり掃除されていないためか部屋が埃っぽいので窓を開け放し、窓辺に置いた椅子に腰かけ、久しぶりに自分だけの時間を過ごしていた。
オーデル伯爵の城は港を監守するために港付近の高台に建造されている。港はオルモーラ地方唯一の入り江にあり、波がほとんど立たない。したがって岬に建造されたメリル王女の城で聞こえていたような打ち寄せる波音はなかった。
潮のにおいを含んだ夜風が哀愁を誘う。空気は少し湿気をおびていて、波の音以外は心細くなるほど何もなかった。
大地も、生き物も、寝静まっているというより息をひそめていた。
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岸壁に打ち寄せる波の音が、屋上にいても夜風に乗って聞こえてくる。そこはメリル王女の居城。その城の北塔屋上で、ザイは瓶の中に手を突っ込み、中にある乾物をボリボリと食っている。と、指の爪が瓶の底をたたく。たくさんあった乾物も底をつき、手探りで見つけた最後の一つを物足りなさとともに口へと放り込む。それから瓶の底に溜まっている欠片も残さず口に流し込んで咀嚼した後、空になった瓶を石畳の上に斜めにして置き、人差指と中指でくるくると器用に回した。
「華がない」
自分の行為自体に華がない事は差し置いてザイはぼやいた。欠伸もでる。
いつもは真面目に行っている見張りも、カトレアが傍にいないとなれば、やる気も半減というものだ。
もともとアレスに近付いたのも、荒野で出会い一目惚れしたカトレアに知り合いになる為だったのだが……。首を突っ込みすぎたせいか、抜けようにも抜け出せなくなって現在にいたる。今では魔神の骨を燃やすだの、魔術を封じる魔法を世界中に広めるだの、当初の目的とは関係のないことまでやる羽目になり、妙な雲行きのままこんな状況になっている。欠伸、ではなく、ため息の一つでもつきたくなる。
まあこれもいい女を手に入れるためには避けては通れない道だろう。例外はたくさんあるにせよ、基本的に外見や内面がいい女には数多の男が言い寄るものだ。いい女であればあるほど競争は熾烈を増す。しかもその先で待っているのが絶世の美女で思いやりのある才女となれば、険しい道だろうと勇猛果敢に挑まずにはいられない。とはいえ、一人の力で辿り着くのは困難なので、一応カトレアの兄であるアレスにも、そのあたりの配慮を頼んでいる。するとあいつはこう言う。
『妹の人生は妹が決める事だ。俺が口出しできる事じゃない』
あいつはちっとも協力する気がない。
まぁ、あいつに恋路の助力を頼んだ俺がバカだったのかもしれない。
あいつは戦場では悪魔のような強さを見せるが、恋に関してはからっきし駄目だ。少しませた子供の方が頼もしく見えるほどだ。
「しかしなぁ……そんなあいつがユイナのために薬を買ったのか……」
思い出せば思い出すほど笑いがこみ上げてくる。いい大人になって、初恋をした少年のように初心なのだ。
「そういえば、まだユイナの反応を聞いていなかったな」
「ザイ殿――」
面白い思い付きに胸を躍らせていると、階段を上ってきた王女の護衛兵に声をかけられた。ようやくつまらない見張りから解放されるようだ。
「交代だろ? あとはよろしく」
ザイは空き瓶を拾って立ち上がり、相手の返事を待たずして面倒な見張りを明け渡した。
空き瓶を弄びながらアレスとの相部屋に戻ると、銀狼がカーテンの隙間から外に視線を向けていた。
「外に何かあるのか?」
声をかけると、精悍でありながら理知的でもある顔が振り向く。さらりとした銀色の毛並みは触れたら気持ち良いことだろう。男にさわる趣味はないが。
「別に何かがあるわけじゃない。海を見張っていただけだ」
「ふーん」
疑いの目を向けると、銀狼は「本当だぞ」と強い眼光を送って来る。
この男(狼)は無駄に女心を惹きつけるものを持っている。甘くも力強い容姿に、魔術の腕前も百雷のラインハルトを抜き、魔術大国であるシルバートでも随一だ。アレスもラインハルトと同様、素性を明らかにしてから貴族女性からの誘いが絶えなかったと聞く。うらやましい限りだ。それから淑女の相手をいっさい断ったと知った時は驚き呆れもしたものだ。美人の妹を持っているから並の女では満足できないのかと勘繰ったりもした。
世間では女嫌いだとか、ラインハルトとの交友で男色の気もあると囁かれていたが、それは振られた女が腹癒せに流した噂だろう。美しい男が美しい男を好きになるなんて考えただけでも吐き気がする。個人的な見識だが、アレスは男色ではない。ないと思いたい。ただ、男色と勘違いされてもおかしくないほど硬派であるのは確かだ。
そんな男色嫌疑のかかる男はまた窓の外に目を向ける。
「緊張してんのか? 見張りなら他の連中に任せて仮眠をとっておけばいいだろ。明日、俺達は命をかけた逃走劇を演じるんだからな」
「あ、あぁ……」
歯切れが悪い。死線なら幾度もくぐってきたから緊張するわけがないはずだが……。
「ザイは先に寝ていてくれ。俺はもう少し外を見ている」
「待て待て、その前に報告するべきことがあるだろ」
「報告? 重要な話ならもう済ませているはずだが」
「違うって。ユイナの事だよ。薬を渡したら、何か反応があっただろ。勿体ぶらずに聞かせろよ」
にたにたして聞くと、ついと銀狼の視線がこちらの目を射抜いた。
「何か知っているのか? さては、彼女にあんな事を教えたのはザイだな?」
「あんな事ってどんな事だよ」
いろいろあり過ぎて見当がつかない。
「魔法だ。俺の勘に狂いがなければ、彼女は魔法を練習していた」
あぁ、と声を漏らす。
気付かれていたか。勘の鋭いやつ。
「まぁ、ユイナがどうしてもというから、確かに教えた」
そうか、とアレスはため息をつく。眉根を寄せ、沈痛な面持ちだ。
「今更だが、俺達は彼女に教えてはいけないことまで教えてしまったらしい。そのせいで、彼女の正義感に火をつけてしまったようだ」
銀狼は後悔をにじませて苦しげに言った。
「彼女が子供達の前で『みんなの味方でいる』と言った時は、それは『心の中で応援している』という意味だと思っていた。だが、違った……。彼女は魔法の存在を知り、魔術推進派との衝突も承知の上で、はっきりと俺の味方をすると言ったんだ。どうにかして禁めたかったが、彼女の瞳は本気だった」
「本気になっちゃいけないのかよ。献身的でいい娘じゃないか」
「それが怖いんだ」
からかい半分の言葉に銀狼は真剣に返した。
「彼女はシルバート貴族の娘だ。ただでさえ俺の手引きをした事で嫌疑の目を向けられている。だというのに、シルバートで俺達の手助けをしているのが見つかってみろ。彼女は本当に処刑されてしまうぞ。俺は一時の迷いで彼女の人生が消えてしまうのを見たくないんだ。彼女はまだ若い。幼いと言ってもいい。親のもとへ戻れば、もっと無限の人生が広がっている。ザイも彼女の踊りを見ただろ。彼女は陰で咲くような花ではない。もっと華やかな貴族の表舞台に立つべきだ」
「まぁ確かに。カトレアと肩を並べて踊れる娘はなかなかいない。彼女が本気になって貴族の舞台を渡っていけば、無限の可能性が広がっているかもしれない。だけどよ、彼女の気持ちはどうなる? アレスは彼女の気持ちを無視するのか」
何を真剣に話しているんだ、心の内で自分つっこみを入れながら聞く。
「ユイナはおそらくお前の事が好きだ。少なくとも好意を寄せている」
「おそらく、そうなのだろうな」
アレスの返答に、ザイは片眉を上げる。
なんだ、分かっていたのか? 鈍感じゃなかったんだな。
「告白はされていないが、あんなまっすぐで綺麗な瞳で見詰められたら、気付かずにはいられない」
アレスはそう言って苦笑した。
「へぇー、まっすぐで綺麗な瞳だったかぁ。うらやましいなぁ」
「な、なんだその顔は」
「気にすんなよ。それで、どうなんだ。彼女の事をどう思ってるんだ?」
「それは……一人の女性として美しいと思っている。だが、彼女の期待に応えることはできない。彼女は、俺から見れば娘みたいなものだ」
「うそつけ。アレスにあの年の娘がいたら、そうだな……」
頭の中で簡単な計算をする。
「八歳の時に子供が生まれるような行為をした事になる」
「くだらない計算をするな。単なる比喩だ。自分の子供にも見える女の子に恋愛感情は持てないと言っているだけだ」
「子供だと思ってるのはアレスだけだろ。彼女は大人だぞ。一応、結婚もできる。十四歳になったばかりだとよ。別に世間体を気にすることもないだろ。それに、将来もっといい女になって、彼女の心が他の男に移った時に後悔しても知らないぞ」
「………」
銀狼は雑念でも振り払うように首を振る。
「俺が気にしているのは彼女の年齢や容姿ではない。彼女の未来だ」
そう言って、窓へ視線を向ける。
俺が気にしているのは彼女の未来……芝居じゃなくて本気か?
それにしても先ほどから窓の外に視線を向けているのが気になる。外に何かあるのだろうか。いや、そういえば、ここの窓からだとユイナの部屋が少しだけ見えるんだよな……という事実に思い至る。しかも、この部屋を選んだのはアレスだ。
気にかけるにも程があるだろ。
思わず笑いたくなるのをグッと堪えた。いや、無理だ。あの銀狼のアレスがひとりの少女に振り回されてるんだからよ。わ、笑いが……。
「な、なんだ。何を笑っている」
「いやいや、気にしないでくれたまえ」
「その言い回しが怪しい」
「俺はもう寝る。また明日」
そう言ってベッドにもぐる。
アレスの気持ちが、親が子に抱くものと同じかは分からない。だが、どう言い繕ったとしてもユイナを気にしているのは間違いない。
ま、お互いに意識し合っているのなら、離れ離れになってもどこかで一緒になれるはずだ。未来の、俺とカトレアのように。




