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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第一章
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舞姫見習いと銀色の狼6

 新しい第一侯爵の名はラインハルト・ハイガル。シルバート王国では珍しい金髪の青年で、稀代の魔術師だという噂がささやかれている。


 数日後、噂の侯爵が二百名の中隊とともに舞姫学校へとやって来た。正門で待っていたバチルダ王女や選りすぐりの踊り子達が、一行を礼拝堂前の広場へと案内する。


 広場には歓迎の席が設けられ、新しい侯爵に取り入ろうとする貴族達が数々の手土産を用意していた。

 歓迎会は盛大に始まった。豪勢な料理や酒がふるまわれ、礼拝堂の中から天女の衣装を身につけた少女達が現れ、百段の石段をゆっくりと踊りながら下りてくる。

 練習する時間はほとんどなかったはずだが、総勢三十名のダンスは統率され、一糸乱れぬ動きは見事としか言いようがなかった。望遠鏡をのぞき込むユイナは、彼女たちの踊りに真剣な眼差しを注いでいた。


 ユイナとティニーは選考会で不合格だった。しかし、くよくよしてもしょうがない。歓迎会に選ばれた踊り子の演舞を見学し、練習しようと思った。好きな踊りのためだったら前向きになれた。

 歓迎の踊りが一段落して、踊り子達が新しい侯爵に挨拶する。


 先ほどの演舞を踊りたくなったユイナは、首にかけたペンダントに触れて心を落ち着かせ、瞳を閉じる。目蓋の裏に先ほどの振り付けを思い描き、それを自分の姿に重ね合わせていく。それから瞳を開いてしずかに踊りだす。


 それはそよ風のようにゆるやかで、流れるような舞だ。時おり姿勢が低くなり、つむじ風のように旋回しながら伸び上がる。ふわりと宙に浮いた身体は、音もなく着地すると、くるくると独楽(こま)のように回る。そして、最後はゆるやかに静まって消える風をイメージして胎児のように丸くなった。


 パン、パン、パン。

 近くの茂みから拍手が聞こえてきた。

 ティニーかと思い、振り返ると、手を叩いているのは若い優男(やさおとこ)だった。


「男!?」


 思わず立ち上がって身を引いた。

 優男は二人の剣士を従えており、真紅のマントを身につけていて高貴な人だと分かった。腰元まである長いブロンドは、金色の小麦畑よりも鮮やかに輝き、その顔立ちはまるで礼拝堂の天女を連想させるほど白く整っている。彼は青い海を結晶にしたような蒼瞳を細め、右の口元に微笑をたたえていた。男性恐怖症のユイナでさえ、一瞬、男女の区別がつかず、目が釘付けになったほどだ。だが、すぐに視線を逸らす。


「驚かせたかな?」


 彼は透き通るような声でそう言った。が、男に慣れていないユイナは緊張した。あまりに緊張するので、金髪の男は怪訝そうな顔をすると、足音もたてずに近づいてきた。


「ここの生徒か? 荒削りだがなかなか良い舞だった」

「あ、ありがとうございます」


 お辞儀するので精いっぱいだ。

 頭を下げた拍子に垂れた前髪が風で乱れ、目にかかってしまうが、緊張で直せない。


「踊っている時は感じなかったが、思ったより小さいのだな。それに珍しい髪の色をしている」


 美しい指先が前髪に触れてくると、ユイナの耳をなでるように後ろへと流した。

 身の危険を感じたユイナは飛び退いて距離を開けた。


「な、何をするんですかっ」

「美しい舞を披露した少女と話がしたいだけだ。それとも貴女は私が嫌いか?」

「嫌いとかそういうのでは……。ただ、男の人が苦手なもので……」


 緊張で目を伏せていると、男の指がついとあごを持ち上げてきて思わず爪先立ちになった。するりと間合いを詰められた事に驚愕した。予想もしていなかった事態に目を見張ることしかできない。そんな身動きのとれないユイナの黒い瞳を、男の蒼い瞳がじっと見詰めている。


「これほど澄んだ瞳を見るのは久しぶりだ……」


 瞳をのぞきこんだまま、遠い過去に思いを馳せるように男がつぶやいた。

 瞳の奥へ奥へと入り込んでくるような視線に、まるで過去を見られているような気がして目を逸らした。


「は、離してください」


 男は夢から覚めたように瞬きをし、微笑んだ。


「貴女に興味がわいた。どこの貴族だ?」

「ファ、ファーレン家です」


 緊張でかすれた声をしぼり出す。一刻も早く離れてほしかった。しかし、男は気付いていないのか、それとも、緊張する様子を楽しんでいるのか、ユイナのあごに指を添えたまま考える。


「ファーレンと言ったな。あの成り上がりの貴族か?」


 ユイナは顔をしかめた。この男もファーレン家を差別するのかと思った。


「しかし、あそこの娘は事故で死んだと聞いたが?」


 再び男の目がユイナを覗き込む。


「わ、私は……拾われたのです。人売……いえ、町で彷徨っていた時、助けてもらったのです。それで養子として育てられて……」

「なるほど、それでは貴族の生活に慣れるまで大変な苦労をしたことだろう」


 優しい言葉をかけられるとは思ってもみなかったので驚いた。


「温室で育てられた娘とは雰囲気が違うわけだ。気に入ったぞ。初々しいところが特にな」

「な、何を言われるのですか」


 とつぜん気に入られても戸惑うばかりだ。得体のしれない震えを感じて男から離れた。彼が何を考えているのか理解できない。


「あの、すみません。あなた様は誰ですか。身分の高い人だということは分かるのですが、ここは舞姫学校の敷地です。無断で校内に入るのはいけません」

「許可は得ている。どうやら貴女は私を知らないようだな」

「は、はい。すみません」

「謝らなくてもいい。私が知られていなかったというだけだ。……そうだな、では、私が何をしている人間か、当ててみてもらおうか」

「え?」


 突然の問いかけに戸惑ってしまう。


「思うままでいい、率直に答えてみろ」

「そ、そうですね……」


 ユイナは素直に考え込む。


「服装や剣士を従えていることを考えると、身分の高い方だという事は分かります。高貴な人の補佐官のような気も……いいえ、そうではなく……」


 そこまで呟いて顔を上げる。


「武芸が得意な方だと思います。だから、近衛兵のリーダーだと、お見受けします」

「なぜ近衛兵のリーダーだと思った?」

「近づいていらっしゃった時、足の運び方が鋭いというか、無駄がなかったので……」


 男は感心したように笑った。


「なかなか良い目を持っている。………だが、その答えは間違っている。近衛兵長では、せいぜい数十人の兵士しか指揮することはできない。私なら十万を超える兵士を指揮することもできる」

「う、嘘は言わないでください。侯爵が任される連隊でも二万人だと聞きます。……十万なんて不可能ですよ」

「不可能ではない。第一連隊の指揮官であり、国軍の総司令官でもある私なら」

「……え?」

「シルバートには傭兵として国外に出稼ぎに行っている連中も多い。彼らを呼び戻したうえで、第二連隊から第四連隊にいる兵士、そして国王の兵士をすべて預かれば、十万の兵になるだろう」


 虚言としか思えないが、男はそれを実現できるとでも言いたげな顔で続ける。


「まあ、貴女が私のことを知らなくても無理はない。侯爵になって日も浅いからな」

「ま、待ってください。第一連隊をまかされた侯爵様はあそこにおられるのですよ?」


 今も舞姫学校の広場で侯爵の歓迎会が行われている。


「どうして貴方が第一連隊の指揮官だなんて嘘をつくのですか。……それとも、私をからかっているのですか?」


 男は苦々しく笑う。


「アレが私だと思われるのも心外なものだな」


 ユイナは柳眉をひそめる。


「それは、どういう……?」

「あそこで宴会を楽しんでいるのは私の身代わりだ。前の侯爵と同じように命を狙われるかもしれないのでな……こうやって敵をおびき出している。だが、見回ってみても敵が隠れている様子はない」


 金髪の男は肩越しに後ろの剣士へと振り返ると「そうだろ?」と聞く。すると、後ろにいた剣士が「はい、ラインハルト様」と頭を下げる。

 ユイナは顔から血の気が引くのを感じた。ラインハルトとは新しい侯爵の名前だった。


「で、では、本物の!? も、申し訳ありませんっ! まさか、新任の侯爵様とは知らず、ご無礼を……」


 身を縮ませたユイナは、かすれた声をのどから絞り出した。


「そんなに強張らなくてもよい。それより私はまだ歓迎会を受けていない。酌をお願いしたいが、どうかな?」

「え? 私が?」


 思いがけない誘いに聞き返す。思考が追いつかない。


「不服か?」


 ユイナはガチガチに固まった体で首を振る。


「い、いえっ! あ、あまりに唐突だったので……あ、ありがたいお言葉です」


 そうか、と新任の侯爵は納得し、「ついて来い」と言って歩き出す。

 ユイナは慌てて追いかけ、二人の剣士がその後ろに続いた。

 経験した事のない緊張で鼓動が早くなっている。お酒はどうやって注げばいいのだろう、失礼だけはないようにしよう、とか、そんな事ばかり考えている。

 これが社交界に慣れた貴族令嬢なら、侯爵と親密な関係になるための計算もできるのかもしれないが、ユイナにはその発想も余裕もなかった。


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