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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第五章
62/87

魔神の骨と戦火の少女6

 

 ***


 ユイナは制服を抱き締めてガモルド男爵やアリエッタとの思い出にひたっていた。それは懐かしく心の休まる時間だった。それと同時に逆賊にされた二人に思いを()せる。身勝手かもしれないが、できる事なら自分を信じて疑いが晴れるのを待っていてほしかった。


 しばらく休息をとり、制服を綺麗に畳み直して部屋を出る。

 お化けが出てきそうな暗い渡り廊下を一人で歩いていると、いつもより肌寒く感じた。今夜はやけに冷える。夜の闇に満たされた廊下は寒気がして、まるで魔術の黒穴を覗き込んでいるような気分になる。さっさと部屋に戻って密告の手紙を書き写し、ベッドにもぐろうと思った。

 階段を上がった一つめの扉、そこがユイナやペント達に割り当てられた部屋だ。そのドアを開けようとして、廊下の奥に誰かの息遣いを感じた。咄嗟に振り向くが誰もいない。暗闇の廊下が二部屋向こうで行き止まりになっているだけだ。


「気のせい……?」


 ユイナは首を傾げ、気味が悪くなって部屋に入る。

 部屋にはまだ誰も帰ってきておらず、ランプがぼんやりと火を灯していた。まずは大切な制服をベッドの上に置き、机の上のランプを動かしてスペースをつくると、そこに手紙を広げて真っ白な紙と羽ペンを用意し、椅子に座って文字を書き写す作業に入る。


 きちんとした姿勢で字面と向かい合い、インクに羽ペンの先を浸して文字を書こうとしていると、不意にドアがノックされた。ペントとヨセフが見張りから戻ってきたと思ったユイナは「どうぞ。開いてますよ」と手紙を書き写しながらいう。

 しかし扉の向こうにいる誰かは返事をしない。そして、無言のままドアがノックされる。ユイナはもう一度「開いてますよ」といった。しかしドアが開かれる気配はない。ひょっとして両手がふさがっていて入ってこられないのかと思い、ペンを置いて椅子から立ち上がる。それからドアに近づき、ドアを部屋の内側へ引いてあげる。

 訪問者は目の前に立っていた。視線を持ち上げて相手の顔に合わせると、相手はぎらつく眼でユイナを見下ろし、口元に奇妙な笑みを浮かべていた。


「カ、カーマル様……!」


 地下牢に幽閉されているはずの男に立ち尽くす。しかし、危機を感じてドアを閉めようとした。だが、それよりも早くカーマルがドアに体当たりした。その衝撃をドア越しに受けたユイナは部屋に突き飛ばされ、石畳に体を強く打ち付ける。

 咄嗟に起き上がろうとすると、カーマルがハンカチを持った手で上から襲いかかってきた。ユイナは横へと転がって避ける。そのまま流れるように手をついて立ち上がり、ベッドの向こう側へと逃げようとするも、後ろから抱き付かれてベッドに押し倒される。うつ伏せに倒れた体がマットの上で弾んで視界が激しく揺れ、筋肉痛の体が軋んだ。

 痛っ!

 激痛に顔をしかめながら助けを呼ぶために力の限り叫ぼうとする。が、その口をハンカチで塞がれた。


「むぐぐ」


 小さくくぐもった声しか出てこない。

 しかも、鼻と口をふさがれて息ができない。

 カーマルの手首を引っ張って、どうにか呼吸できる隙間をつくり、大声を出そうと息を吸った。その瞬間、痺れるような臭いが鼻を抜けて頭に突き刺さった。何が起こったのか理解できないうちに頭の痺れが広がり、腕から力が抜けていく。脱力した一瞬で腕を後ろにねじられ、うつ伏せのままベッドに押さえ込まれる。

 ユイナは痺れた頭で理解する。ハンカチに何らかの薬が染み込ませてあるのだ。しかも体を麻痺させる劇薬に違いない。それを吸い込んだために身体から力が抜けたのだ。

 頭の芯がピリピリする。これ以上気化した薬を吸い込むのは危険だ。ユイナは息を止めてカーマルを背中から押し退けようともがく。しかし相手は男である上に、不利な体勢をとらされている。力の差は歴然としていた。そして、暴れれば暴れるほど息止めの限界も近づいてくる。


「うっ……く……!」


 空気を求めて喘ぐ体に一瞬の呼吸を許してしまう。それと同時に気化した薬が体内に入り込んで全身を麻痺させた。暗闇へと落ちるように意識が遠退いていく。

 体が思うように動かない。もうカーマルを押しのける力も残っていないのだ。


「は……ぁ……」


 また呼吸を許してしまう。酷い酸欠で体が空気を求めている。だが、カーマルに容赦はない。空気を求めて喘ぐユイナの口と鼻をハンカチで覆い、薬の最後の一滴まで吸い込ませようとしている。そうやってユイナが弛緩して完全に動けなくなるのを待っているのだ。

 これから何をされるのか、それを思うと痺れ以上の恐怖と焦りに襲われた。だが、恐怖を感じる意識も薬の影響で混濁していく。痺れで呼吸さえも難しくなり、起こそうとする体から力が抜けてぐったりとベッドに沈む。そこでようやくカーマルはハンカチをおさめ、ユイナの額に包帯のような物を巻きつけていく。


「あとで額に封魔の印を彫り込んでやる。お前に魔術の力は必要ないんだ。お前は私の腕の中にいればいい」


 ぶつぶつと独り言を漏らす彼は、弛緩したユイナを抱き上げにかかる。

 ユイナは最後の力を振り絞ってシーツにしがみ付こうとして、かろうじてベッドに置いていた舞姫学校の制服を指にひっかけた。その制服はガモルド男爵と自分をつなげる希望の光だが、深い絶望の前では限りなく消えそうな希望だった。

 ぐったりとした身体をカーマルに抱き上げられて部屋から連れ出されてしまった。



 全身の痺れで呼吸もままならないまま、ユイナはひと気のない部屋に運び込まれた。

 城から出ていないのは分かる。だが、どの部屋なのか、意識が混濁して判断できない。

 ただ、自分の身に危険が迫っている事だけは理解できた。だが、

 濁流に呑み込まれたように呼吸さえも困難で、それだけで体力を削られてしまう。

 苦しむユイナを、カーマルがベッドの上に落とす。

 息が詰まって意識が遠退いた。そのまま眠るように眼を閉じていると、目の奥に火花が散った。薬以外の痺れが頭に上ってきて頬をぶたれたのだと気づく。


「こんな大事な時に眠る女がどこにいる。夫婦の蜜月はこれからなのだぞ」


 彼の変質した欲望は一方的だった。彼自身、薬を吸い込んで冷静な判断ができなくなっているのだ。

 仰向けにされたユイナの上にカーマルがまたがってくる。ユイナは必死になって抵抗を試みるが、手足をマットから浮かせるので精一杯だった。その左手首を掴まれ、どこからか引っぱり出してきた無骨なロープでベッドの柱と結び付けられる。同じように右手首も両足首もベッドの柱に固定された。

 彼の眼が飢えた獣の眼へと変貌していく。それに気づくと同時に、彼の与えてくる恐怖が見えない鎖となって体に巻き付き、締め上げてきた。男性恐怖症の原因になった幼少のトラウマが蘇ってくる。ユイナは首を振って言う。

 やめてください。これ以上乱暴するなら魔術を使いますよ。

 動かした唇は少しも動いた感覚がない。それでも彼は何を言ったのか理解したらしい。


「魔術を使いたいならやってみるがいい。そんな痺れた頭で魔力を集められるものか。たとえ集められたとしても、お前の額に付けた封魔の帯を破れはしまい」


 カーマルがユイナの額を指でなぞる。麻酔で感覚を失っているので額に巻かれた包帯の事を忘れていた。それは魔力を遮断するものに違いない。魔力を放出できなければ空間に穴を開ける事もできないので魔術も開けない。だからカーマルは平気でユイナの前にいられるのだ。

 優越に浸る眼が見下ろしてくる。ユイナはそれでも抵抗を試み、混濁した意識の中で魔口を開こうとした。しかし、あれほど自然に使えた力が、今はどうやって使っていたのかわからなくなっていた。魔力を練ることさえどうすればいいのかわからないのだ。

 抵抗できないユイナに、飢えた獣が手を伸ばしてくる。怖くて目を閉じると、胸元に伸びた手が剣舞用のドレスを乱暴に引き裂いた。胸が露わにされ、伸びてきた手が舞姫のペンダントを(むし)り取ると、部屋の隅に投げ捨てた。

 絶望に押し潰されそうだった。拘束された手足は動かない。唯一の武器だと思っていた魔術も使えない。無防備な姿で、野獣に押さえ込まれている。

 カーマルの手が胸のふくらみを鷲掴みにして伸しかかり、指を気味悪く蠢かせる。その荒々しさに体の芯まで揺さぶられる。


 誰か助けて!

 ユイナは嫌悪とともに叫んだ。しかし消え入りそうな掠れた声しか出てこない。

 お願いだから誰か気づいて……! ねぇ! アレス……!

 カーマルが動きを止める。そして憤怒に顔をゆがめる。


「私の前で違う男の名を呼ぶのか……どこまで憎たらしい女だ。あんな男のどこがいい。魔術を使えるだけの無能な男にどんな魅力を感じるというのだ」


 そうだ、とカーマルは続ける。


「あいつは無能だ。だから賢い奴に謀られて国家反逆者にされたんだ。そうに違いない。それにラインハルト侯爵を説得しようとして結局は逃げて、それどころか追手に居場所まで突き止められそうになっている。そんな男が無能でないわけがない。

 まてよ? そんなやつを選んだ天女も偽物ではないのか? そうだ。それが自然な考えだ。そして率先して悪の魔術を使っていた奴は本物の天女に選ばれたと勘違いして救世主気取りだ。実におもしろい。救世主に選ばれたことで悪の力を使ってきた罪が消えるとでも思っているのだ」


 彼の言葉は支離滅裂で意味を成していなかった。しかし、どの言葉にもアレスに対する憎しみがこめられている。そして彼はアレスの事を誤解していると思った。

 アレスは一度だって天女に選ばれた事を自慢していない。そして救世主を気取るどころか、魔神の骨を燃やすという目的のために関係のない人まで巻き添えにしてしまう自分は反逆者だと言った。アレスは自分の罪を一生背負い続けようとする責任感の強い人だ。そして力もある。彼こそ救世主にふさわしい。ユイナはそう信じている。

 カーマルは口許を釣り上げて笑う。


「無駄口が過ぎたな。奴のせいでせっかくの楽しみが冷めてしまいそうだ。温め直すとしようか」


 そう言って獣の眼でユイナを見下ろし、ほんのりとした乳房に乗せた手を動かし始める。彼は完全に倒錯している。

 ユイナは救いを求めて戸口に視線を向ける。

 誰かが異変に気づいて、助けに来ることを願っていた。


「安心しろ。お前のルームメイトが部屋に戻ってくるのは全てが終わった後だ。それまでお前が失踪したことに気付く者はいない。そういう風に見張りの順番を組み替えたのだからな。それよりも今を楽しめ。今夜を一生の思い出にしてやる」


 カーマルはユイナのにおいを嗅いで、やわ肌に舌を這わせ始めた。肌を舐められる気味の悪さに、痺れていた背筋がさらに粟立つ。恐怖がさらにユイナを束縛した。それでも容赦なくカーマルの舌が芋虫のように肌を舐めていく。


 ユイナは泣いていた。何もできない自分の非力さに泣いていた。

 それを見て嗜虐心をくすぐられた獣は、胸だけではなく、腰をなでまわし、弾力を楽しむように、へそのくぼみへと指をねじ込んでいく。

 ユイナの目じりから諦めの涙が一つまた一つとこぼれていく。同時に体から熱いものが抜け落ちていき、心が冷たく、堅く閉じていく。もう、何も感じたくなかった。

 獣の舌は胸元から首へと少しずつ這い上がり、のどから首筋へ、耳の周りから耳へと執拗(しつよう)に舐めあげた。そしてユイナの息遣いを十分に堪能してから顔を上げる。

 ようやく地獄のような時間が終わるのかと思ったらそうではなかった。両手でユイナの顔を挟んで逃げられないように固定し、悪魔のように歪んだ唇を、ユイナの唇へと近付け始めたのだ。

 閉じたはずの心が再び震える。

 カーマルが舌なめずりをしている。


 おぞましい……。

 怖い……。


 悪魔の舌がユイナの唇を舐めようとした。ところが、カーマルが残像になって消えた。いや、本当に消えたわけではない。真横から突進してきた何かに壁まで突き飛ばされたのだ。

 ユイナは首を動かし、助けに来てくれた人物を、いや、狼を見上げる。


「貴方に貴族としての誇りはないのか……!」


 銀狼が怒りに牙を剥きながら言った。それでも怒鳴らなかったのは、声が外に漏らさないようにするためだろう。


「アレス……!」


 痛みを堪えながら体を起こしたカーマルが憎々しげに言った。


「どうして気付いた……!」


 その問いには、息を切らせて戸口に現われたカトレアが答える。


「廊下に制服が落ちていたのよ。ユイナが大切にしているはずの舞姫学校の制服がね」


 ユイナはハッと思いだす。ベッドシーツにしがみ付こうとして指にひっかけた制服。それが廊下で落ち、それを見つけた人が異変に気付いてくれたのだ。


「薬のにおいを辿れば居場所を突き止めるのは簡単だった」


 アレスは言うや否や素早い跳躍でユイナを飛び越え、カーマルのみぞおちを踏みつける。カーマルはくぐもった声を出して気絶した。


「カトレア、ユイナを頼む」


 銀狼が背を、正確にはしっぽを向けたまま言い、「分かってるわ」とカトレアが動く。

 視界にカトレアの心配しつつもホッとした顔が見える。


「怖かったでしょ。もう大丈夫よ。すぐに縄を解いてあげるわ」


 そう言いながらユイナに毛布をかけて裸を隠してくれる。それから縄解きにかかるのだが……、「ん、硬いわね」カトレアの指が何度も縄の結び目から滑る。それほど乱暴に縛り付けられていたのだ。

 縄解きに苦戦するカトレアを銀狼が見かねる。


「俺が縄を解く。ユイナの体を何かで隠してやってくれ」

「もう隠してるわ」

「そ、そうか」


 銀狼は言って振り向く。


「ユイ姉さん!」

「ユイナさん!」


 ちょうどその時、ペントとヨセフが部屋の前に駆け付けた。それだけじゃない。


「大丈夫!?」

「ケガしてるの!?」


 他の子供たちもぞくぞくと駆けつけてくれた。


「ユイナは大丈夫だ。それより、カーマルを縛っておいてくれ」

「え、いいのですか?」


 貴族を縛ることに抵抗があるらしく躊躇(ちゅうちょ)している。


「罪人だ」


 吐き捨てた銀狼が近づいてきた。

 猛々しくも理知的な瞳が見詰めてくる。


「すまない。お前を危険な目にあわせてばかりで」


 短く謝り、縄に牙を突き立てる。拘束具を食い千切っていく銀狼の感触は、カーマルに襲われて閉じようとしていた心に響いてきた。

 閉じた心をもう一度開きたいと思える、そんなやさしいノックだった。


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