魔神の骨と戦火の少女4
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ラインハルトをともない、メリル王女はオーデル伯爵の城に訪れた。
伯爵は驚いた様子も見せず、シルバートとの友好を築くためにさらなる捜査の協力を申し出た。具体的には捜索の魔術師を増やし、捜査範囲も広げる旨を確約した。それは演技だ。表向きは協力的にしている伯爵も、その裏ではアレス達が見つからないように画策している。食えない人間。だが、シルバートに隣接するこの地で世渡りをしてきた役者の力は本物だろう。だからメリルはオーデル伯爵と手を組んだ。
会談を無事に終え、城の廊下を歩いていると、窓から見える海の景色にラインハルトが足を止めた。
「あの港を調べてみたいのですが、よろしいですか?」
ラインハルトが指さしたのは、オルモーラ最大の港だった。ウィンスターの本国へと油を輸送するために船が停泊している。
港と城は直結しているので、歩いて向かった。後ろにはウィンスターの魔術師が付き従い、ラインハルトを見張っている。
長い石段を下り、港へとやってきたメリル王女は、手をかざして海上からの陽射しを遮る。風に乗って流れてくるのは潮の香り。オルモーラに人質同然に移り住んできて嗅ぎ慣れた匂いだ。
チャプン……チャプン……と、波止場から波寄りの音がする。静かに聞こえるのはそこが入り江で波が小さいためだ。メリルの城に打ち寄せる荒波とは違う。
メリルはちらりと視線を上げ、隣を歩くラインハルト侯爵を見やる。彼は何を考えているのか、海原に瞳を向けていた。その瞳は、海原よりも青い。
今のところうまくやり過ごせているはずだ。
「どう? アレスは潜んでいそう?」
「さぁ、どうでしょう」
女と見紛うような美しい顔だが、表情までは読み取れない。良く言えば謎めいていて神秘的、悪く言えば美しい仮面をつけているようだ。
シルバートの双璧と言われた男でこれほど違うものだろうか。
狼のように精悍な顔なのに、感情の変化がわかりやすいアレスとは大違いだ。
「王女を付き合わせてしまいましたね」
「いいわよ」
「戻りましょう」
城へと戻る道すがら、メリルは問いかける。
「ラインハルト侯はいつまでオルモーラに滞在するの」
「アレスが見つかるまで、と言いたいところですが、他にする事があるので最長で三日でしょうか」
「本当にオルモーラの街で寝泊りするの?」
「ええ。王女を城までお送りしたらあそこを拠点にアレスを捜すつもりですから。話は変わりますが、メリル王女はオーデル伯爵の事をどう思われますか。彼が反逆者アレスを捕まえられると思いますか」
「あれだけ魔術師を割いて協力してくれるわけだから少しは可能性があるんじゃないの?」
伯爵をさりげなく擁護しつつ、ラインハルトの質問を不審に思い、腰帯に下げている巾着袋へと手を伸ばす。その中には水晶玉が入っている。メリルにとって水晶玉は天女の力を使用するための媒体だ。アレスやザイは呪文を媒体にして天女の力を行使する。
「ラインハルト侯はどう思うの?」
「私の考えは違います。あのぬるいやり方ではアレスを捕まえられないでしょう」
「親友だった貴方がそういうのなら、そうなのかもしれないわね。――わからないのだけど、貴方はアレスの親友だったのでしょ? それなのに国王の命令だからとアレスを捕まえたり殺したりできるの?」
「どうして今さらそのような事を?」
「貴方がひどくさっぱりしているから不思議に思ったのよ」
ラインハルトは少し間を置いて答える。
「悩んでいますよ。しかし非情にならないといけない時もあるのです」
声の調子だけでは本気なのかよくつかめなかった。
城に戻ったメリル王女は馬車に乗り込み、ラインハルトは黒馬へとまたがり、並走して城を出た。
馬車は草原を抜けていく。
「素晴らしい景色ですね」
ラインハルトが馬上からオルモーラの大地を見渡す。メリルもそれにつられて視線を動かした。油花の収穫を終えた畑が当たり一面に広がっている。収穫祭が終わってからは人通りも少ない。今ごろオルモーラの街では花から油が搾られ、樽詰めから出荷などで忙しいのだろう。
「オルモーラ地方は同じ大陸でありながらシルバートに比べて恵まれています。実際に目にしてみるとそれがよく分かります」
「そうね」
ここにはシルバート国王が望んでやまない肥沃な大地がある。飢饉からは程遠い恵まれた大地が。
「気になったのですが、あの建物は何でしょう」
ラインハルトの視線の先にはレンガ造りの建物があった。デルボを秘密裏に生成している研究所だ。
「油の研究所よ。明るく長持ちする油を作るための研究がされているわ」
「突き合わせて申し訳ないのですが、あそこへ立ち寄ってもよろしいですか」
メリルは内心冷やりとする。研究所では魔神の骨を爆破燃焼するためのデルボを開発しているからだ。極力、人を近付けたくない。
「あそこは関係者以外立ち入り禁止の場所よ」
「それなら尚更立ち寄ってみるべきです。侵入禁止の場所がアレスの隠れ家になっているとも限りませんから。確か、王女には立ち入り検査の特権を与えられていましたね」
ラインハルトの言うとおりだった。メリルは半分人質として敵国に移り住んでいるが、もう半分は敵国のオルモーラにおける不審な動向を牽制する大役も担っていた。そのため、無条件でオルモーラの施設に入れるという特権も与えられている。
オーデル伯爵が秘密裏に作らせていたデルボの情報もそれで入手したようなものだ。その前にシルバートの反逆者を城に匿っている弱みを握られてはいたが……。
ともかく、メリルが特権を行使した場合、護衛の人間も同行できるので、今回はラインハルトが横についてくる事になる。ラインハルトに付き添ったのが仇になったと思った。いや、付き添っていなくても後日頼まれたかもしれない。それに、ここで彼の申し出を断るのもおかしな話だ。
「わかったわ。行きましょう」
研究所に近付くと、外の畑に少年がいた。助手を務めるサントという名の少年だ。
その横を通り過ぎ、馬車が研究所の前に横付けされる。ラインハルトにエスコートされて玄関前に立つと、サントが駆け寄って来る。
「責任者は」
メリルは平生を装って聞いた。
「博士はいま外出しています。何か御用でしょうか」
「建物の中を調べさせてもらうわ。いいわね?」
「はい、油臭いところですが、どうぞ」
サントはそう言って研究所を案内する。
ラインハルトは周囲に目を配って反逆者を捜しているが、何の痕跡も見つからないだろう。床の掃除は毎日行われているし、デルボはまだ完成していないようだし、作戦の計画書など見られて困るものも全て処分させている。
最初こそ研究所の内部に目を配っていたラインハルトもアレスが潜んでいないと分かると「もういいでしょう」と首を振った。濃密な油のにおいに流石のラインハルトもうんざりしたのかもしれない。
研究所を出て、メリルは馬車に乗りこんだ。
助手のサントに見送られながら馬車は走り出す。
愛馬に乗って並走するラインハルトは、何も気付いていないだろう。あの研究所で何が作られているのか、そしてそれが魔神の骨を消滅させるのに使われようとしている事も。
街道を走る車上で、うまく隠し通せたとメリルは胸をなでおろした。
***
「まさか本当にいらっしゃるとは……」
遠ざかるメリル王女の一行を見送った助手はため息をついた。そして、ひらりと落ちてきた物へと目を向ける。それは四つ折りにされた紙だった。助手は風で飛びそうになる紙きれを拾い上げた。
***
密告書を握り締めたまま、ユイナは自分が何をするべきなのかを決められずにいた。
密告書をシルバートに届ければ無実の罪を晴らせるのだろう。そして罪が晴れれば、最愛の養父やメイドのアリエッタと一緒になれる。それは反逆者にされてから取り戻したいと願ってきた大切な日常だ。
だけど、そのためにアレスを危険に追い込むことが今のユイナにはできない。反逆者にされた時は彼を憎んでいたのに、密告書をシルバートに届けるだけの一歩が、どうしても踏み出せないのだ。
その時、部屋の扉が開かれてユイナをハッとさせた。流れるような白銀の髪がアレスを連想させた。しかし部屋に入ってきたのはアレスの腹違いの妹、カトレアだった。彼女は剣舞の衣装である街娘の服を着たままだった。カトレアもそうだが、ユイナも舞台ドレスを着たままだった。
「あ、ユイ姉さん」
カトレアの後ろからペントが顔をのぞかせて言う。
「ずっと捜してたんだよ」
そう言って部屋に入ってきた。
ユイナは妙な期待を抱いた自分に苦笑してうつむく。
「どうしたの? 何かあったの?」
ユイナは無理して笑顔を見せ、首を横に振る。
「何でもないよ。みんなはどうしているの?」
「各自の部屋に戻って荷物の点検をしているわ」
カトレアが答えた。
「この城を出るんですね」
「行く行くはね。本当はすぐにでも安全な場所に子供たちを連れて行きたいけど、ラインハルト侯爵が来ている今は動けないわ」
カトレアがちらりと手紙を見た。
「シルバートに帰るように言われたのね」
ユイナは驚いた。
「どうしてそれを?」
「アレスから大体の事情を聞いていたのよ。貴女が貴族の娘で、アレスのせいで反逆者にされ、家族まで逆賊の罪で囚われていると。だから、貴女をシルバートに帰すために危険な作戦を立てると説明を受けたわ」
「ね、ねぇ、いったいどういう事なの?」
話題に置いてきぼりにされたペントが説明を求めてくる。
彼は、ユイナが反逆者にされた経緯を知らない。
「話せば長くなるんだけど――」
今までの経緯をかいつまんで説明する。舞姫学校の山小屋でアレスを助け、そのせいで追われる身となったこと。アレスを役所に突き出そうとして逆に囚われてしまい、そこでペントに救われたこと。そして、家族が逆賊の罪に問われて捕まっていること。
全てを話し終えると、ペントは何かを考え込んで黙った。
沈黙の時間が訪れる。
シルバートに帰ることも、オルモーラに留まることも決められないユイナは、決心への糸口を掴むためにペントの気持ちを確かめてみることにした。
「ねぇ、私がシルバートに帰るといったらペントはどうする?」
「僕は絶対ユイ姉さんについていくよ。そうするって決めていたんだ。でも、みんなと別れてもいいの? せっかく仲良くなれたのに、別れちゃうなんて悲しいよ」
「まだ帰るかどうかは決めてないよ」
ユイナは困った顔をして言う。親元に帰るかどうかをずっと悩んでいるのだ。その煮え切らない態度に、カトレアの柳眉がぴくりと釣り上がる。
「何を迷う必要があるの。貴女は貴女の世界に戻りなさい。親がいるのなら、親のもとに帰るのが一番よ」
語気を強くして窘める。
「それは私も分かっています。反逆者にされて逃げ回ることになってからずっとそれを願っていました。でも、だからって、知り合って仲良くなったみんなを危険にさらしたくないんです」
「アレスは大丈夫だと言ったのでしょう。だとしたら問題はないわ。きっと何百、何千と作戦を立てて最良と思われる作戦を選んでいるはず。彼が子供たちを危険にさらすような事はしないわ。だから貴女は安心してシルバートにその手紙を持っていきなさい」
確かにそうだ。アレスのことを信じているのなら、安心して帰ればいい。だけど、素直に頷けない。首を縦に振れない何かが胸の中にあるのだ。それが何かはうまく表現できない。そんな心中を察してか、カトレアは説得を続ける。
「ここには両親や家族を失い、帰る家もなくした子供たちが集まっているわ。でも、貴女には親がいる。帰る家もある。貴女はここにいるべきじゃないのよ」
「………」
「貴女は帰りなさい。そうしないときっと後悔するわ」
「後悔……」
「恩を返したい時に、親はいないものよ」
そう言ったカトレアの声は震えていた。背筋を駆け上がる痺れにユイナは顔を上げる。白銀の女性が眉根の奥に深い悲しみをにじませていた。カトレアの親がこの世にいないのは、彼女の悲しく震えた声と訴えかける真摯な瞳が告げていた。いつもやさしく気丈で弱みなど見せないだけに、その悲しく儚げな顔は痛々しかった。
カトレアにとって両親は大きな存在だったに違いない。いや、それは彼女だけではなく、異母兄であるアレスにとっても同じだったのではないか。
――家族を逆賊の罪から救えるのはユイナだけだ。
そう言って手紙を渡したアレスも悲しげな顔をしていた。彼が手紙を押し付けるようにしてこの部屋を去ったのは、感情を見せたくなかったからかもしれない。
ただ、だとすると一つだけ気になる。カトレアとアレスの悲しみは、親を失った同じ悲しみであるはずなのに、どこか違うように感じられた。
カトレアの悲しみは奥に別の感情が隠れているようにも感じるのだ。それは穏やかなものではなく、怒りや悔恨にも似た感情に近い。言葉にはできないまでも、押し殺された激情の残り火を感じていた。
カトレアとは出会ってまだ十数日しか経っていない。しかし、彼女とともに苛烈な剣舞を踊りきったユイナには、何となく分かってしまったのだ。心を合わせたパートナーの気持ちが。




