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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第一章
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舞姫見習いと銀色の狼5

 ゆるせない。そして、バチルダの仕返しが怖い。


 怒りと恐怖が胸の奥でぶつかって吹き荒れていた。そんな気持ちで平常心などたもてる訳がなかった。体はどこまでも正直で、迷いに満ちた気持ちを踊りに伝えてしまう。


 どうしてこんなに踊れないの?


 ユイナは手足を動かしながら焦る。

 審査員が見ているというのに、胸の奥でくすぶるバチルダへの怒りと、彼女に狙われるかもしれないという恐怖が、体の自由を奪っている。


 あんな事がなければ……。


 そう思えば思うほど、ダンスとは関係ないものを思い出してしまう。

 ティニーが足を引っ掛けられてバチルダにぶつかってしまった事、バチルダが土下座しろと言いティニーの頭を踏みつけた事、我慢の限界に達してバチルダを睨みつけた事。

 バチルダと睨み合いになった時、ユイナは一歩も動けなかった。その時間はやけに長く感じられたが、実際には短い時間だったのだろう。だが、その短い出来事が、どこまでも引き伸ばされていき、細くなり、最後にはプツリと途切れてしまうのではないか。舞姫への道が閉ざされてしまうのではないかと恐れた。緊迫した状況に水をさしたのは、選考会受付の開始を知らせる鐘の音だった。バチルダは白けたようにユイナを突き飛ばすと、背を向けて選考会会場へと向かったのだ。


 ユイナとティニーは鐘の音に救われたと言ってもいい。しかし、安心はできなかった。冷酷で名高いバチルダが、歯向かった人間を放っておくとは思えなかった。

 それを思うとダンスに集中しろという方が無理だった。ガモルド男爵には落ち着いていけば選ばれると言ってもらえたのに、実力を発揮することもなく選考会は終わってしまった。

 放心状態で図書館の柱廊に行くと、ティニーが柱の陰から出てきた。


「どうだった……?」


 その問いかけに首を横に振る。


「頑張ろうとしたんだけど、思うように踊れなくて……。ティニーは?」

「私も同じよ。ダンスどころの気分じゃなかったわ。でも、やるだけやったつもり」


 結果は礼拝堂に貼り出されるそうなので、それまで図書館で休むことにした。

 選考会の結果が出たのは青かった空に別の色が混ざりはじめた頃だった。広場で待っていた少女達が石段を上って行った。そして、しばらくして喜び顔や悲しみ顔で下りてくる。中には唇を噛み締めて涙をこぼしている上級生までいた。


 新しい侯爵の歓迎会には、爵位を持った多くの独身貴族が集まる。舞姫を目指す少女達にとって、結婚相手に出会える千載一遇のチャンスだと言ってもいい。それを分かっているからこそ、多くの舞姫を目指す少女達が一つの結果に喜び、泣いたりする。そんな光景を見ていると、気が重くなった。落ちていることが容易に想像できたし、それを養父に告げなければいけないと思うと辛かった。

 悩んでいる内に時が過ぎたのだろう。いつの間にか礼拝堂前の人がまばらになっていた。そろそろ行かなければ張り紙が下げられてしまうのではないか。

 ユイナはティニーを振り返って、


「私達も行こうか」

「うん」


 二人は並んで礼拝堂へと向かった。と、その時、「あっ」と声を出してティニーが立ち止まった。

 礼拝堂の百階段にはバチルダがいた。選考会で選ばれたのか、多くの少女達に祝福され、ゆっくりと石段を下りてくる。


「裏から行こう」


 ユイナはティニーの手を引いて裏通りへと向かった。遠回りになるが、バチルダと顔を合わせるよりマシだ。


「ユイナ、怒ってる?」


 知らず知らずのうちにティニーを引く手に力が籠っていたらしい。ハッとして手の力をゆるめる。


「ごめん。怒ってないよ。なんだか悔しいだけ」


 それ以上は言葉が出てこなかった。バチルダが選ばれているのが悔しかった。

 冷酷で傲慢な人間なのに、王族の血を受け継いでいるというだけで、どうして自分とはあんなに扱いが違うのだろうか。きっとバチルダの合格を祝っている少女達は、バチルダが王族の血を受け継いでいなければあんなに祝ってはいないと思う。あの少女達はバチルダが身分の高い人だから媚びているだけなのだ。


 ひょっとして、今回の選考会で合格したのも………


 ユイナは頭を振って邪念を振り払う。こんな醜い気持ちになるとは思わなかった。ひがむ自分に嫌気がさしそうだった。


「合格してるといいね」


 ティニーが、黙り込んでしまったユイナにそう声をかけた。心優しい友人に笑顔をつくって頷く。

 二人は礼拝堂の裏側にある折返し階段に足をかけた。足取りは重い。不合格だと予想できるのに結果を見に行くのは気が重かった。何より、養父の期待に応えられないのが辛かった。

 何かの間違いで合格になっていないだろうか。

 そんな淡い希望を抱きながら折返し階段を上っていくと校舎より高い位置にまでやってきた。

 校舎の白い屋根が夕陽を受けて赤みを帯びていた。それが列をつくって並んでいて、その向こうに円形状の踊り場や三角屋根の資料室が見渡せる。静かで、あたたかくて、美しい景色だった。


「綺麗な夕焼けだね。なんだか嫌な事を忘れてしまいそう」


 ため息でもつくような口調でティニーが言うので苦笑した。


「本当に忘れてしまえたらいいのにね……」


 そうつぶやいて、ふと、足を止めた。

 夕方の静かな景色から異音が聞こえてきた。

 足元から震えが上がってくる――


 ウォオオオオオォォォォ!


 まるで大気を揺らすような遠吠えだった。ユイナは身構え、ティニーはうずくまった。


「遠吠え……? どこから?」


 遠吠えはしばらく尾を引いたが、それが消えるとあたりは静まり返った。鳥も怯えて鳴くことをやめてしまったかのようだ。


「や、野犬かな……。なんだか怖い」


 ティニーがきょろきょろと辺りを見回しながら言った。


「野犬? いいや、これは狼だよ」


 山奥で暮らした幼少期の記憶が告げていた。

 ティニーが目をぱちくりさせる。


「わかるの?」

「う、うん」


 どこから聞こえてきたのかと思い、遠吠えがした方角へと目をやりながら階段を駆け上がった。もしも校内に入り込んでいたら危険だ。

 礼拝堂の裏に出てきて、手すりから校内を見渡す。建物が多くて死角も多いが、見える範囲では狼の姿はなかった。学校の西端には牧場があり、そこで飼育している乗用馬が周囲を警戒していたものの、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。狼が西から侵入してきたなら真っ先に馬が狙われるが、その様子はない。

 そもそも遠吠えは遠かったし、門には警備兵がいて校内に入って来るとは考えにくい。だとすれば、狼は校外にいるのかもしれない。


 学校の裏側にはなだらかな丘があり、丘の後ろには森が広がっていた。そして、森の手前、ちょうどユイナの前方にある丘に、ぽつりとたたずむ影があった。狼かと思ったが、違う。人影だ。遠くて豆粒ほどの大きさにしか見えなかったが、黒いローブを着ているのはわかった。


「魔術師……」


 つぶやくと、隣に来たティニーが驚く。


「え、魔術師? どこ?」

「ほら、あそこの丘に」


 指をさして教えると、ティニーも「あ、ほんとだ」と声を上げた。


「でも、あそこって部外者は立ち入り禁止だよね」


 二人の視線に気づいたかどうかは分からないが、人影は森の中へと消えた。

 不審者に見られていた不気味さにユイナは身震いした。


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