魔神の骨と戦火の少女3
アレスは応接室の窓際に立って外の様子を窺っていた。ユイナも固唾を呑み、カーテンにつくった隙間をのぞきこむ。
そこから見える景色はオルモーラの恵まれた大地だ。メリル王女の居城を囲む鬱蒼とした草原、春になり新芽を伸ばし始めた森林の木々、その向こうには油花の収穫を終えた肥沃な畑がしばしの休息に入っている。
城からなだらかに下っていく草原には一本の街道が造られており、街道の一端はシルバートに向かい、もう一方はオーデル伯爵の城や港、そしてオルモーラの街へと直結している。
王女を乗せた馬車と、愛馬で随行するラインハルトは、オーデル伯爵の城へと向かう道をたどっていき、林の中へと消えていくところだった。
馬車が見えなくなり、何も起こらない事を確認してからアレスが窓を離れる。
「ユイナ、ついて来てくれ」
「どこに行くのですか」
「子供達を呼びに行く。それとユイナに渡しておきたいものもある」
アレスはそう言って応接室を出て行く。その斜め後ろに早足で従った。胸中には不安と疑問が混在し、しこりになっている。石段を下りながら思い切って問いかけてみる。
「どうしてアレスは、親友から隠れないといけないのですか。どうして本当のことを話さないのですか。天女に選ばれた救世主なら真実を人々に伝えて協力してもらうべきです」
彼の背が反応したように思えたが返答はない。石段に二人の足音が響くだけだ。
「侯爵殺しも濡れ衣なのに、どうして『違う』と声をあげないのですか」
「これから反逆者になるんだ」
その声音は重く痛ましかった。いったい、どれほど大きな苦しみを抱えているのだろう。
でも、引き下がりたくはない。
「あのデルボとかいう油で暗殺をするからですか?」
確認するため、オルモーラの研究所で開発された爆薬の名を口にしてみた。前に一度聞かされた話では、デルボを普通の灯用油に紛れ込ませてシルバートの研究所を爆破させる計画になっていたからだ。
「俺達の狙いは暗殺ではない。人を殺すのが目的ではないんだ」
苦渋に満ちた横顔がため息をつき、「だが、」と静かに言う。
「結果的にはデルボによって多くの死傷者が出るだろう。それは避けられない」
思い詰めた横顔がユイナを切なくさせた。彼を罪の意識で追い詰めるつもりはなかった。でも、何気ない質問で責めてしまった。
話題を変えようと考えを巡らせてみたものの、緊迫した状況で気持ちを和らげるような話題を思いつかない。考えれば考えるほど思考が空回りしてしまい、
「苦しい想いまでして何をするつもりですか」
結局、沈黙に耐えられずに質問してしまった。
だが、ユイナの細い声は隠し部屋のドアをノックする音に掻き消えてしまう。
そこは見覚えのある部屋だった。ユイナがカトレアやペントと一緒に舞踊劇の練習をした召使いの部屋だ。鏡の後ろにある壁がちょうど隠し部屋への入口になっていたようで、アレスがノックした壁がそろりそろりと開き、中から顔を出した少年がアレスを見て、それから驚いたようにユイナに目を止める。彼はサッとドアから抜け出て後続の子供達を急かした。
「もう大丈夫なんですか」
少年は聞いた。
「今は大丈夫だ。だが、油断はできない。俺達の動向がラインハルトに嗅ぎつけられた。オルモーラに身をひそめている事も予測されている」
「本当なのですか」
少年は心配げに聞き返す。
「ああ、だからいつでも出立できるように子供達に身支度だけはさせておいてくれ。ヨセフは、カトレアとエビンの班にも警戒と準備を急ぐように伝えてくれ」
「分かりました」
うなずく少年にアレスはうなずき返し、ユイナを連れて召使いの部屋を出ると、さらに別の場所へと向かった。
「先程の質問だが……」
「?」
「俺の目的が何かという質問だ」
「ああ……」
重い沈黙から思わずこぼれ出た言葉だったので意識していなかった。聞こえていないと思っていた質問は聞こえていたのだ。
「質問に答える前にこちらからも質問をさせてほしい」
「? 何ですか」
「舞姫学校に通っていたなら聖職者から神話も教わっているな?」
「教わっています。四柱天女や天魔大戦などですね」
四柱天女とは人間の住む大地が四人の天女によって支えられているという思想で、天魔大戦は天女と魔神が起こした戦争のことだ。
「そうだ。天女の伝説やその敵である魔神の伝説、他にも天女を助けたという舞姫や魔術師の伝説も神話として教会が語り継いでいる。ユイナだったら天女や魔神の存在をどこまで信じられる?」
「ど、どこまでって……」
どうしてそんな事を?と思ったが、訊いてくるからには何か意味があるのだろう。ユイナは正直に答えることにした。
「昔は信じていませんでした。この世には天女なんていなくて、神話も王族を神聖化するために作り上げられた話だと思っていました。でも、今では半信半疑です。だってアレスは舞姫に乗り移った天女の啓示を受けたから、シルバートの敵になるような事をしているのですね?」
「ペントに聞いたのか」
「そうです」
「俺が嘘をついたとは思わなかったのか? 自分の行動を正当化するために天女の名を利用したと。舞姫になりたいというペントを安心させるために舞姫に出会ったと」
ユイナはまじまじとアレスを見る。
「そうなのですか?」
「いや、そんなに真に受けられても困るんだが」
本当に困った声に、ユイナは顔を上げる。
「それじゃあ舞姫に、いえ、天女に出会ったのは事実なのですね?」
「事実だ。しかし、どうしてそれを真に受ける? 昔は信じていなかったのだろ?」
「そうですけど……」
確かにアレスの言うとおりだ。ユイナは天女を信じていなかった。いや、今でも信じているとは言い難い。天女が完全無欠の存在なら、その天女が創り出した世界も完全で、誰もが等しく幸せなはずなのだ。ところが今の世界は不平等の階級で人の価値が決められている。下民に生まれただけで虐げられ、貴族に拾われてからも差別はあった。そんな不平等な世界を創った天女は完全無欠ではありえないし、もし本当に実在するのなら拝むどころか憎んでいるかもしれない。
それでも、天女の存在を信じてみようと思ったのは、アレスを信じているからだ。天女に会ったというアレスを信じているから、少しだけ天女を信じることにしたのだ。それが天女を半分信じた理由だと言ったら苦笑いされるに違いない。だから返答に困った。
「答えにくいなら質問を変えよう。ユイナが天女を疑っているのはどうしてだ? 会った事も、声を聞いた事もないからか?」
「そういうのもあります。でも一番疑っているのは天女が完璧な存在ではないからです。聖職者や舞姫学校の先生が言っているように天女が完璧なら、その天女が創った世界だって完璧になるはずです。それなのに実際は違います。貧富の差があったり、差別があったり、人身売買だって……」
殺されたシェスの顔を思い出してしまい、胸が締め付けられた。
「それに、殺し合いの戦争だってあります。天女には世界を創るだけの力があるのに、世界がこんなになってもほったらかしにして、いったい何がしたいのでしょう。世界を創れる力があるのなら、その力でたくさんの命を守れるはずなのに、それをしていません。だから信じられないんです」
「なるほど、そういう考え方もあるな」
アレスは感心したようだった。
「これはカトレアに宿った天女が言っていたのだが、天女も全知全能ではないのだそうだ。宿るための舞姫がいなければこの世界に降りてくることもできない。天女だけでは魔神を倒す事はできなかった。だから人間と力を合わせ、魔神と戦った。その関係は今でも変わらない」
「……?」
アレスの口振りは、今でも魔神との戦いが続いているかのように聞こえた。
「俺が天女から頂戴した使命は二つある。その一つが魔神の骨を焼き払う事だ」
「魔神の骨……?」
「神話の時代に燃やしきれなかった魔神アボカリトスの骨だ」
何かずしりとしたモノが胸に落ちてきて、その場に立ち尽くしそうになった。
魔神には唯一無二の能力がある。それは死んでも肉体が消えないという能力。
神話において魔神との戦いに勝利した天女と人間の連合軍は、魔神の肉体を消滅させるために死骸を聖なる炎で燃やし続けたという。そして完全に燃やし尽くすのに三百六十もの昼夜が過ぎ、それが一年という概念になった。
しかしそれは神話での話だった。天女も魔神も権力者が自分にとって都合のよいように創り上げた空想の住人で、深く知らなくてもいいことだと思っていた。なのに、アレスから天女や魔神は実在すると聞かされ、戸惑った。
空想が空想だったから笑い飛ばすのも受け入れるのも簡単だった。ところが空想が現実ならどう受け止めればいいのだろう。交わるはずのない空想と現実がユイナの中でごちゃまぜになり、あやふやになる現実を前に立ち尽くしてしまうのだ。
「神話では、魔神は天女に破れた。魔神は肉体を残し、生命活動を一時的に失う仮死状態になった。天女の命を受けた人々は、二度と魔神が蘇らないようにその肉体を燃やし続けた。そして魔神の肉体は完全に消滅したはずだった」
だが、と続ける。
「完全に消滅させたはずの肉体がシルバートのある場所で保管されていた。見つかった魔神の骨は仮死状態だが、シルバート国王はそれを蘇らせようとしている」
「ま、待ってください」
ユイナは混乱していた。
「この時代に魔神の骨が残っているかどうか私には分かりません。ですが、国王が蘇らせようとしているのは本当に魔神の骨ですか?」
「おそらく間違いない。骨を管理していた者の話と、王城の地下に眠っていた古文書と照らし合わせてみたが、間違いなさそうだ。人差し指の先端ではないかと言われている」
「も、もしそれが本当だとして、魔神の骨を蘇らせる事に何の意味があるんですか」
「戦争に利用するんだ。魔神の骨が蘇生すれば、莫大な魔力を呼び出す最悪の術具となる。一般人でも上級魔術師と同程度の力を使えるといわれている。それが戦争で使われたら、今度こそ世界は崩壊の未来へと転がり落ちてしまう」
背筋を冷たいものが下りていった。冷や汗だった。魔神の骨がどれほどの力を秘めているかも知らないのに、身体が寒気を訴えていた。鳥肌まで立っている。昆虫や動物が天敵から身を守る術を先祖から受け継いできたように、ユイナの身体にも魔神に対する恐怖心が備わっているのかもしれない。感覚的に魔術を使えたのと同じように、知らないはずの魔神の恐ろしさが分かってしまうのだ。
そもそも戦争を起こすなんて……。
戦争が始まればお互いの領土を侵し合うことになる。そこに容赦はない。次の瞬間には友を失い、自分の命さえも失っているかもしれないのだ。正義を振りかざして人殺しをする戦争は、神話の遺物に比べて現実味があり恐ろしい。
舞姫学校『セフィル』も、ユイナが帰るべきガモルド男爵の家も、国境から街道を通れば歩いて三日の距離だ。戦争が始まれば、ユイナの帰る場所も会いたい人も失ってしまうかもしれないのだ。
「俺は国王の暴挙を止める」
北塔最上階にある部屋の扉を開けながら言った。
そこはアレスの部屋だった。
「国王を説得できるならそうしたいが、シルバートには戦争をするだけの理由もある。説得しても止められない場合は、残念だがデルボを使った強攻策に出るしかない」
アレスはそこで息をつき、背中越しに続ける。
「デルボ完成の目処が立たずに遅くなってしまったが、ようやく作戦の予定が決まった。ユイナにはその作戦内容をシルバート側に密告してほしい」
「……え?」
どういう意味か理解できなかった。
アレスは机の引き出しから一枚の封筒を取り出すと、それを差し出してきた。
「俺達の計画をこれに書いた。それを自分の字で書き写してシルバートの役人に届けてほしい」
ユイナは怪訝な顔をする。
「どうしてですか? 相手に手の内を知られたら窮地に立たされるのは目に見えているじゃないですか」
「君をシルバートに帰すためだ。なるべく俺達が窮地に陥らないと、密告した君は信じてもらえないだろ?」
相手との間に溝のある言葉。対岸の人間にかけるような言葉に、まさか、と思った。いや、まさかなんて仮定はありえない。『君をシルバートに帰す』と言ったアレスは本気なのだ。
それってつまり、アレスとの関係が完全に断たれるということ……?
「君は一度、俺を役所に突き出そうとして失敗した」
「あの時は、貴方が本物の反逆者だと思っていたからで……」
「それが良かった。今度は証拠をつかんで無罪を証明したいという気持ちを見せるんだ。信じてもらうために俺のふところに入り込んで情報を盗んだ、と。そもそも山小屋で俺を匿ったのも俺に脅されたからだと言えばいい。……あの夜、噛みついて悪かった」
アレスの視線がユイナの左腕へと向けられる。
「だが、左腕の噛み傷が証拠になるだろう。俺は他の兵士にも噛み付いた。その噛み傷と照らし合わせれば証拠になる」
アレスは封筒を持って近付いてくる。
「長い間連れ回して悪かった。受け取ってくれ」
差し出される封筒に、ユイナは怯えた顔で離れて首を振る。
「受け取れません」
今度はアレスが怪訝な顔をする。
「なぜだ?」
なぜ? なぜって……。
自分を反逆者にした憎むべきはずの相手を前に、ユイナは自分の相反する感情をさらけ出すことができるわけもなく、それでも内心の緊張を隠すために考えを巡らせる。
「こ、これはアレスの計画の一部を伝えるものです……。これがシルバートの手に渡ればアレス達が窮地に陥って……、それでアレスが窮地に陥るという事は、最終的に相手から逃げる事になるんですよね」
「……そうなるな」
「その時にもしもこっそりと後を付けられていて、それに気付かないまま子供達の所に戻ってしまったら……子供達まで危険な目にあうかもしれません」
「そうならないために細心の注意はするし、策も練ってある。ユイナが心配するような事にはならない」
「でも絶対ではないはずです。天女だって絶対ではないんですから。私、子供達まで危険に晒すようなことはできません」
「身も蓋もないな」
苦笑したアレスは真剣な顔に戻ってユイナを見詰める。
「子供達を危険にさらすようなことだけは命にかえても俺がさせない。それだけは信じて欲しい。それに、ユイナは一番大切な事を忘れていないか?」
「大切な事?」
「国に残してきた家族がいるのだろ」
「…………」
言葉に詰まった。言い返す事ができない。囚われているであろうガモルド男爵やアリエッタの顔を思い出すと胸が苦しくなってきた。
「家族を逆賊の罪から救えるのはユイナだけだ。こちらの事で迷っている場合ではない」
そう言ってユイナに封筒を握らせると、寂しげな横顔を見せて部屋を去って行く。
部屋に取り残されたユイナは、封筒を手にしたまま立ち尽くしてしまう。
「アレス……待ってよアレス」
閉ざされた扉にかすれた声を投げかける。しかし、アレスは遠くに行ってしまったのか、扉の開く気配はない。
手紙を持つ手に力が入り、白い指先がさらに蒼白くなる。
――嫌です……。こんな別れ方……ないです……。
心の中で叫んでいた。
独りぼっちの時間が流れていく。
ひどく冷たい時間だった。




