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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第五章
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魔神の骨と戦火の少女2

 ユイナは息を殺して暗い空間に身体を丸めていた。そこは応接室の隣に造られた隠し部屋。ユイナとアレスは身を寄せ合ってその空間に収まっている。あまりにも狭いために身体を寄せていないと入れなかったのだ。そのため、ユイナの背中にアレスが抱き付くような格好になっている。


「(苦しくないか)」


 耳元でアレスが囁く。


「(いいえ……)」


 かすかに首を振って答える。しかし本当は別の意味で胸が一杯で苦しかった。

 背中に筋骨隆々の胸が密着し、彼の吐息まで感じられる。緊張でユイナの鼓動は早鐘を打っていたが、アレスの鼓動も早かった。彼も緊張しているらしかった。


 ユイナは首を動かして、石壁に作られた小さな穴を(のぞ)き込む。石壁の継ぎ目に小指も通らないほどの小穴が開いており、隣室の様子を確認できる。ユイナの場所からでは、メリル王女を後ろから見た左肩とその周辺部だけ見通せる。


 王女は息を深く吐き出して平常を保とうとしている。

 まだ訪問者は来ていない。緊張で咽が鳴る。

 この部屋に向かっているのはラインハルト・ハイガル。彼の名を知らない者がシルバート国にいるだろうか。アレスと共にシルバートを世界屈指の魔術大国にまで押し上げた英雄だ。八年前に始まった真王戦争でも、暴君となった先王をコルセオス現国王とともに弑逆して終戦に導いただけでなく、魔術師を他国に派遣する事で外貨を稼げるようにし、低迷していた経済を回復させたのも彼らのおかげだと世間は騒ぎ立てていた。

 舞姫学校でもラインハルトについての噂は広まっていた。人に伝え聞いた容姿しか知らない女生徒たちは、微笑の似合う金髪の美青年だとか、どこかの大貴族の子息で艦隊も持っているだとか想像をふくらませていた。

 だが、実際にラインハルトに会った多くの女生徒が言葉を失った。

 噂以上の美青年だったからだ。

 その彼がこの応接室に向かっている。

 待つ時間が途方もなく長く感じられた頃、ようやくノックがあった。


「誰?」


 メリル王女は誰が来たのか知らない口調で問いかけた。


「シルバートのラインハルト侯爵をお連れしました」


 ドアの向こうから案内人の男が答える。


「……お通ししなさい」


 王女は自分を落ち着かせるだけの間をとって入室の許可を与える。

 ドアの開く音がして来客が入ってくる。足音は三人分だった。おそらく、一つはラインハルトのものでもう二つはウィンスター魔術師の足音だろう。王女は半分人質のような立場なので、シルバートから訪問客があるとなると見張りと立会人の役割を兼ねてウィンスターの魔術師が同席する手はずになっていた。


「ご無沙汰しています。お元気そうですね」


 男とは思えない透き通る声はラインハルトのものだろう。


「ええ、ありがとう。そちらの席へどうぞ」


 王女が向かい側のソファーを勧める。穴から見える狭い視界に甲冑に身を包んだ青年が現れる。間違いない。ラインハルト侯爵だ。ユイナに酌をさせた美青年だ。

 侯爵は王女の言葉に従い、兜を脇に置いてソファーに座った。美しく長い金髪がソファーの背もたれを流れ落ちる。一瞬視界に入った侯爵の蒼い瞳は、やさしげな色を湛えていたが、どこか相手の心を見抜くような鋭さを併せ持っていた。今は侯爵の右耳までしか見えない。


「貴方が新しく第一連隊総司令官に着任したラインハルト侯爵?」

「はい。素顔を見せるのは初めてでしたね。仮面を被っていたので覚えてはおられないかもしれませんが、最後にお会いしたのは王女がこちらの地に移り住む日でした」

「ちゃんと覚えているわ。お父様の護衛をしてらした部隊の隊長さんでしょ? もう仮面はつけないの?」

「ええ、あれは特殊部隊のスタイルですから。仕事上、素性を隠すために付けておりました。そのおかげで私が新しい侯爵だと認識させるのに時間を要しました」


 それを聴いていたユイナは、ようやく合点した。舞姫学校で新侯爵の歓迎会が開かれた時、集まった多くの貴族は本物の彼を知らず、偽者の侯爵を祝っていた。それはラインハルトが仮面をつけて素顔を隠してきたからなのだ。


 そういえば、ラインハルト侯爵と並んで舞姫学校の女生徒を騒がせていた銀狼のアレスも同じだ。彼の正体についても知る者がおらず、銀色の狼という言葉から野蛮という意見と、知的で凛々しいという意見に分かれており、親友のティニーから噂を聞かされたユイナは、どちらかといえば後者だと想像していた。その時は、まさか銀狼に変身するから銀狼の二つ名が与えられたとは思いもしなかった。


「それにしても見ないうちに美しくなられましたね。若い頃のお(きさき)を生き写しにしたようです。いいえ、それ以上かもしれません」

「お世辞がうまいのね」

「いいえ、これはお世辞ではありません。そもそも、相手を持ち上げるような事は昔から苦手です。本心ですよ」

「そう、噂通りの男ね」

「噂通りとは……?」

「異性にもてるのでしょう? 相手には困らないのではなくて?」


 その事ですか、とラインハルトは苦笑したようだった。


「確かに素性を明かしてからというものの、誘いの手紙がひっきりなしに来ます。私に節操がなければ相手には困らないのでしょうが、あいにく私には心に決めた女性がいるので、お断りの手紙を送っています」

「あら、そうなの? 意外と一途なのね」

「ええ、実はそうなのです。断りの手紙は代筆させていますが、それでも人手が割かれてしまい苦労しています。そういう意味ではむしろ相手に困っていますね。そもそも任務の遂行で忙しくて色恋にうつつを抜かしている時間もありません」

「それで、そんなに忙しい貴方がオルモーラまで足を運んできたのには何か理由があるのでしょう?」


 王女はうまいぐあいに話を核心へと向けた。

 心なしか場の空気が重くなった。


「正直に話しますと、こそこそと逃げ回る反逆者を捕まえに来たのです」


 ユイナは心臓が縮まるほどドキリとして、呼吸が止まりそうになった。アレスが咄嗟に肩を掴んでくれなかったら、動転して魔力を放出していたかもしれない。

 重い沈黙が辺りを支配する。


「その反逆者は、アレスのこと?」

「正確にはアレスと、彼の協力者と思われる貴族の娘です」


 そこまで言ったラインハルトは急に「すみません」と謝った。


「元許嫁だったとはいえ、反逆者呼ばわりされるのは気分が悪いですね」

「いいのよ。侯爵殺しという大罪を犯したのだから当然でしょう」


 実際のところアレスは侯爵を殺してないらしいが、王女は話を合わせた。


「それで、その二人の行方について手がかりでもつかんだの? あなたがここまで出向いてきたという事は、おおよその見当はついているのでしょ?」

「はい。その両名はこのオルモーラの地に潜伏していると思われます」

「どうしてこの地方にいると? 私が手に入れた情報だとアレスは各地に出没していると聞いたわよ」

「出没しているのはアレスだけです。しかもそれらしい姿を見せるだけですぐに消えてしまう。各地を転々とするアレスは、捜査をかく乱するための偽者でしょう。本物はユイナという娘を連れてこの辺りに逃げ込んだと私は踏んでいます」

「まさか、私が疑われているということはないでしょうね?」

「なぜ、王女を疑わなければならないのですか?」

「なぜって、あなたもその可能性について考えたことがあるのではなくて? アレスの許嫁である私が、恋しさのあまり彼を(かくま)っていると……。噂話としては盛り上がる筋書きでしょうが、侮辱もいいとこだわ」

「侮辱、ですか」

「私はこんな所でくすぶっていたくはないの。いつかは王都に戻り、優雅な生活を送りたいわけ。アレスと仲良くしていたのも、彼がディベンジャー家の跡取りだったからよ。いつか人質の人生から解放されると思ってね。だけど、ディベンジャー家が潰れた今となってはオオカミの子に何の価値もないわ。私は泥をつかまされたの。あの男に泥を塗られて憤りを感じてるのよ」


 最後は語気を荒くして言う。演技なのだろうが、本心と思えるほどの演技だ。

 ラインハルトはほほ笑み、「ご安心ください」と、落ち着いた声で王女をなだめる。


「私は王女を疑っていませんよ。この地方に二人が逃げ込んだと思うのには別の理由があります。十日ほど前でしょうか。オルモーラとの国境に程近い辺境の村で、アレスの連れと思われる貴族娘が捕まりました。ですが部下の不手際で逃げられてしまい、アレスが彼女を助けに来たようです。さらに国境へと近付いた天女の泉で彼らとの戦闘もありました。その事実だけでもアレスの逃げた方角は予測できますが、決め手はオルモーラに派遣した部隊からの連絡が途絶えたことです。それで私は思ったのです。この地でアレスと遭遇し、殺されたのではないかと……」


 重い沈黙が辺りを支配した。その沈黙を破るように王女は声をあげた。


「ああ、連絡のない部隊ってひょっとしたらあの魔術師達のことかしら」

「知っているのですか?」

「ええ。ちょうど一週間ほど前だったかしら。怪しげな魔術師が周りをうろついていたからスパイだと思って殺させてしまったわ。所属不明のローブを着ていたから自業自得ね」


 メリル王女は昨日の天気でも思い出すようにさらりと言った。ラインハルトが苦笑する。


「戻ってこないと思っていたら、そんな事になっていましたか。私の魔術師団に入団したばかりで死ぬにはまだ若かったのですが、残念です」


 ラインハルトは抑揚のない声で言った。部下の死を悲しんでいるとは言い難い声音だ。


「何にせよ、アレスの足取りが不透明なのはこの地方だけです。オルモーラのオーデル伯爵にも協力を頼んではいますが、背格好の情報と似顔絵だけでは限界があるでしょう。それに、アレスを相手にしてこれ以上の死傷者を出さないためにも私が動く事にしました」

「一つ聞いてもいいかしら」

「どうぞ」

「どうしてオルモーラにこだわるの? ここには港があるのだから、他の大陸に逃げたとは思わないの?」

「彼は侯爵殺し以外にも何かを企んでいます。時期を見計らって計画を遂行するには、この大陸から離れるわけにはいかないはずです。そして彼が暗殺を企てているにせよ、別の計画を企てているにせよ、彼の現れる場所はほぼ間違いなく王都でしょう。権力、財力、人材……王都には全てが集まりますからね」

「それじゃあ貴方が最近になって魔術師団を呼び寄せたのは王都防備のため?」

「そうです。いま王都には手練(てだれ)の魔術師を配置し、王と政界の主要人物を守っています。しかし彼の狙いが分からない以上、彼から王都を守るには少ないぐらいです。そこで彼が計画を決行する前に彼を捕まえる事にしました。最悪の場合、彼を殺しても構わないとの王命もいただいております」


 ――王の命令でアレスを殺すつもりなの? 親友だったのではないの?


 ユイナは柳眉を潜めた。親友を見殺しにした悔いを抱いて生きているユイナにとって、親友の命を狙うラインハルトの言葉は信じがたかった。

 ラインハルトはふと窓の外に目をやったようだ。


「そろそろオーデル伯爵に会いにいかなければなりません」

「そう」

「突然の訪問で失礼しました。慌しくなりましたが、このあたりで失礼します」


 待って、と王女はラインハルトを呼びとめる。


「オーデル伯爵の所へ行くのなら私も行くわ。ちょうど用事があったの。外出の用意をするから城門の所で待っていて」

「わかりました」


 王女はラインハルトを廊下まで送り出し、ドアを閉じて部屋に戻ってきた。

 アレス、と王女は小声で呼ぶ。

 呼ばれて隠し部屋から出る。


「私がラインハルトを見張っておくわ。アレスは予定通りに」


 王女はアレスが首肯するのを確認すると、身支度をするために自室へと戻っていった。


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