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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第四章
53/87

孤独の闇と二人の剣舞24

 

 ***


「私は模範的な生徒だと言われていました」


 祝宴の前夜、つまり昨日の夜、カトレアの厳しい指導を乗り越えたユイナは、筋肉痛で軋む身体をゆっくりとほぐしながら告白していた。斜向いで身体を伸ばしていたカトレアは「そう」と相槌を打つ。そしてさらに斜向いにはペントもいて話に耳を傾けている。三人で円陣を組んで整理体操をしているのだ。


「多分、親や先生の言葉を素直に聞いていたからだと思います。私は親から言われた事にも先生から言われた事にも首を横に振った事はありませんでした。それは他の生徒に点数稼ぎだと思われた事もありましたが、本当は自分で何かを決める勇気を持てなかっただけなんです。自分で決めた事が間違っていて失敗してしまうのが怖かったんです。だから親の言う事や舞姫学校で教わってきた事をそのまま受け入れていました」


 そんな過去を思い出し、組み合わせた指を見詰める。たった二日だけで自分の手とは思えない程に肌が荒れていた。息つく間もない剣舞の修練で指のあちこちに血豆ができたのだ。長い歴史を持つ舞姫学校の生徒で、これ程までに手に豆を作ったのは自分が初めてかもしれない。


「私、舞姫学校から広い世界に飛び出してみて、自分で何かを決める責任から逃げてはダメだと気付いたんです。良い事も、悪い事も、正しい事も、間違ってる事も、自分で確かめて決めるものだと気付いたんです。いつまでも誰かに頼っていたら一人では何もできなくなってしまうから……」


 ユイナは顔を上げる。


「私は大人になりたい。結婚のできる成人とかそういう意味ではなくて、自分の事を自分で決めてやり遂げる、そんな自立した大人になりたいんです」

「そんな事を考えていたの」

「カトレアさんのおかげです。国家反逆者にされて、結婚が決まってからの私は否定的でした。今考えてみるとおかしな話なんですけど、自分の未来が何もかも決まったかのように思えたんです。でも、子供たちを説得するために舞踊劇に誘われて、まだまだできる事があると希望を持てました。たとえ運命というものがあったとしても、私は変わっていける。今の私には変わりたいと思う理想の自分があります」

「僕もユイ姉さんに負けないような舞姫になる」


 ペントが真剣に言うので、カトレアとユイナは笑う。


「私も応援するわ。自分の殻を突き破って新しい自分を見つけなさい」


 二人に励まされて力強く頷いた。

 そして今。

 ――ユイナは舞台に立っている。


 (くるぶし)まであるネイビーブルーの舞台ドレスが白く輝く剣に映えている。

 舞台に登場するタイミングは悪くなかった。むしろ今までで一番良かった。

 単なる英雄伝だと思っていた観客は怪物の母親が登場したことに度肝を抜かれている。


「やめろ」

「引っ込め」


 誰かが野次を入れた。心無い言葉が観客に波及し、辺りは険悪な雰囲気になった。舞踊劇の途中だというのに会場もざわつく。ザイが何事かを弾き語っているが、あまり耳に入ってこない。

 舞台を白けさせてしまった事で、ユイナの全身から冷や汗が噴き出す。

 だけど、舞台に逃げ場はないし、今度ばかりは逃げるわけにはいかない。

 カトレアが続行の合図を送り、ザイが慌ててナレーションを入れる。


『ミリトニーは怪物の母親とにらみ合ったまましばらく動けませんでした。相手は自身の十倍はあろうかという巨体の持ち主。その爪は船底を容易(たやす)く切り裂けるほど大きく鋭く、父親を乗せた船の甲板に残っていた傷痕と同じものでした。ミリトニーはその時、父親の仇が目の前にいる事を悟りました』


 ユイナは咽を引き攣らせたように息を呑み込む。

 指が思うように動かない。足が地を踏んでいる感覚もなく、舞台に立つ不安と孤独で胸が押し潰されてしまいそうだ。しかし舞踊劇の第二幕は上っている。舞台で怖気づいていては何も始まらない。

 ユイナは硬くなった指を動かし、両手に持った二振りの剣を握り直す。その握力で血豆が破れそうになり、手の平に針を刺すような痛みが走った。力を抜いても痛みは止まらず、手の平が焼けるように熱くなる。


 カトレアとの厳しい練習が終わった後もユイナは人知れず自分の剣舞を磨き続けた。全ては誰かの助けがないと前に進めなかった自分を変えるため、そして、子供たちの目が覚めるような最高の剣舞を披露するため。

 人は変われる。

 そのメッセージを乗せた舞踊劇をお披露目できるのは、これが最初で最後のチャンスだろう。


『ミリトニーは父親の仇を討つため、静かに剣を構えました』


 カトレアを見ると、彼女は会場のざわめきなど意に介した様子もなく、ただユイナだけを睨みつけ、右手の剣をこめかみのあたりで水平に、左手の剣を中段に構えている。殺し合いの緊迫感が、彼女の体には(みなぎ)っていた。その真剣な横顔に、孤児達の野次が静かに引いていった。本気になったカトレアの舞台に、野次を飛ばせるほど肝の据わった観客はいないようだ。


 ――最高の舞台を用意するわ。


 カトレアは今、その言葉を実現してみせた。

 負けてはいられない。


 ユイナも怪物の母親として観客を威圧するように左右対称の構えを取る。四本の剣が陽射しを浴びて白く輝く。それを合図にザイが弦楽器を弾き鳴らし、曲に合わせてユイナとカトレアは踏み込んだ。

 まずは剣舞の基本とも言える上段からの斬り下ろし。踏み出した足で大地を蹴って身体を伸び上がらせ、両の剣をそろえて天空へと斬り上げる。その回転を殺さず、身体をひねりながら剣先で大地を擦るほど深く振り回し、再び最初の構えでピタリと静止する。

 だが、観客がその静止を意識した時には右足を軸にくるりと回転し、振り向きざまに剣を横になぎ払う。カトレアはひねった体を戻す力で続けざまに斬り込んできた。


 カトレアの舞は剣の重さを少しも感じさせない、まるで鳥が羽を広げて舞っているように優雅だ。その切っ先が身体に触れる直前でユイナは剣を構えたまま素早く旋回して引き下がる。そして四歩下がった所で今度は前へ踏み込んで剣を振るう。上に、下に、そして斜めに、ユイナの剣が陽射しを弾き返して風のように走る。しなやかな身体を使った伸びやかな剣舞がユイナの身体を数倍にも大きく見せる。その洗練された身のこなしに観客達は目を丸くする。


 一つのメロディーが終わり、ユイナとカトレアは最初の構えでピタリと止まる。

 いつの間にか会場は息を呑むほどの静寂に包まれていた。孤児達は言葉を失い、その顔は戸惑いの色に染まっている。ユイナの剣舞がカトレアのそれと引けを取らない事に目を疑っているのかもしれない。

 しかしこれは準備運動だ。これから激しくなっていく剣舞の序章に過ぎない。

 ユイナは両の剣を手の中で回して逆手に持ち替え、スカートを右手の剣で一気に切り開く。ネイビーブルーのロングスカートがふわりと舞い上がり、空中で二つに割れてスリットとなる。これで少しは動きやすくなったはずだ。


 ユイナは全身から剣の先まで全神経を行き届かせて剣先が下がらないようにした。

 見世物のために作られた剣でも、油断すれば構えが崩れてしまうほどずしりと重い。そして何より、剣特有の鋭利な美しさを引き出すために磨いでいるので、衣服を切り裂くどころか指を斬り落とすほどの切れ味もある。

 そんな凶器を手に、これから二人で回転剣舞を披露する。それは戦場の殺し合いに見立てた死と隣り合わせの剣舞。一歩タイミングを間違えれば相手の刃にかかるし、逆にこちらが相手を斬りつけてしまう可能性もある。

 本来ならお互いの呼吸が一つに重なり合うまで長く厳しい訓練を積まなければいけないのだが、そんな時間はどこにも無かった。しかも剣などさわった事もないユイナにカトレアは剣を握らせ、相手を斬り殺しかねない剣の乱舞を祝宴で披露すると言い出したのだ。カトレアの勇気というか無謀さには驚かされた。

 そして今、ユイナを信じて刃の前に立つカトレアがいる。ここまで信頼されると胸も熱くなる。静かに深呼吸し、逆手に持った剣の角度を変える。


 ――行きます。


 ユイナは目で合図を送り、カトレアも目で応える。

 無音の舞台でユイナは滑るように動いた。少しでも自身を大きく見せるために踵を浮かせ、爪先で舞台を掴んで急加速する。

 カトレアが振り下ろす剣を逆手の剣で受け止め、舞台中央で(つば)迫り合いになる。ユイナは剣の角度を変えてカトレアの押す力を外に受け流し、左の剣で横薙ぎにする。カトレアはその鋭い斬撃を掻い潜り、地面すれすれにユイナの(すね)を狙って剣をなぎ払う。ユイナは身体を横にねじるように跳んで斬撃を(かわ)しながら側宙を決めると、今度はタイミングよく振り下ろされてきた剣を弾き返す。


 一糸乱れない息の合った剣舞。そこにフォークダンスの技術が活きていた。シェリセーラにフォークダンスを教わり、ペントと一緒に練習していたおかげで、カトレアとも息を合わせられるのだ。


 太陽が昇ってきたためか日陰の多かった舞台にも日向が広がり始める。城の上から中庭へと伸びてくる陽射しを、ユイナとカトレアは白刃で弾き返していく。縦の回転から横の回転、直線と円環、動と静。絶妙のタイミングで剣が舞う。

 ザイのリュートも加わる。ユイナとカトレアは加速し、二人の剣舞は風となる。四本の剣はさながら吹き荒れる風に舞う木の葉だろう。

 洗練された剣舞が空に軌跡を残し、人々を魅了する。息つく暇もない剣舞で、見ている観客の方が息を詰まらせてしまう。


 舞台中央で斬り結んでいたユイナとカトレアは相手の剣を弾き返して距離をとる。

 舞台の左右に分かれた両者はくるりと回って観客と向き合い、新しいメロディーが始まると同時にユイナが片膝を地面につき、カトレアがソロで踊り始めた。


『父親の仇を前にしたミリトニーは必死で剣を振るいました。腕が千切れてもいい、命を失ってもいい。母を失ってから男手一つで育ててくれた父。その父を奪っていった海の怪物を許せない』


 目にも留まらぬ軽やかな足捌(さば)きで鋭さと華麗さを兼ね備えた剣舞をカトレアは披露する。舞姫学校の教師でさえ、そんな足捌きをできる人はいない。いや、世界中を捜したって彼女ほど華麗に舞う踊り子を見つけられるかどうか。


 舞踊劇の途中だというのに鳥肌が立った。

 カトレアはシェリセーラとは毛色の違う最高の踊り子だ。彼女はひょっとすると……いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。

 一瞬浮かんだ考えを振り払い、ユイナは舞踊劇に集中する。火照った肌に玉のような汗が浮かんでいる。その水玉が他の水玉に触れて大きくなり、敏感になった肌を滑って地面に落ちていくのが分かった。

 カトレアの一人剣舞はもうすぐ終わる。次の小節で自分のソロが始まる。ユイナは剣を正しく持ち替えた。


 ……三、二、一……、カトレアが片膝をついて沈黙し、ユイナは風となって宙に舞い上がる。身体の周囲に生まれた上昇気流を二本の剣で十字に切り裂いて爪先で着地し、次の瞬間には身体を(ひるがえ)して剣を一閃する。

 そこからがユイナの真骨頂だった。右手の剣を上空に放り投げて片足でターンを決め、同時に左手の剣を投げて入れ替えで落ちてきた剣を右手にキャッチする。次の瞬間にはもう一度ターンを決め、落ちてきた剣を空いている左手でつかみ取り、直後、手首をしならせて二つの剣を思い切り投げ上げる。空中で回転する剣を追いかけてユイナは前転し、全力で青空に向かって跳ぶ。細くしなやかな身体が宙に弧を描き、そして、両方の肩口に落ちてきた剣をクロスさせた手で捕まえ、着地と同時に振り下ろす。風を斬る音が会場の奥まで突き抜ける。

 観客の肌が粟立った。寒くもないのに身体を抱き締める人もいた。ユイナの存在は怪物の母親として舞台を支配し始めていた。

 あっけに取られていたザイが思い出したように語りを入れる。


『怪物の母親はすさまじい腕力と鋭い爪でミリトニーを翻弄します』


 ユイナとカトレアは再び舞台中央で斬り結ぶ。巧みなカトレアの剣舞と荒削りでも勢いのあるユイナの剣舞がぶつかる。

 手が焼けるように痛かった。手の血豆がとうとう破れたらしかった。二日間の修練で身体も満身創痍(まんしんそうい)だ。しかし、目は冴えていた。カトレアの剣筋が見える。立ち止まれば膝から崩れそうなほど疲労しているのに、剣舞の切れは不思議と最高だ。


「(いい調子ね)」


 立ち位置を入れ替わり、三度斬り結んでカトレアと背中を合わせた時、カトレアがユイナにだけ聞こえる声で話しかけてきた。


「(まだまだこれからです。そうですよね)」


 ユイナは次行動のタイミングを計りながら挑戦的に聞き返す。カトレアは観客から見えない場所で微笑み、言った。


「(もちろんよ)」


 ユイナは背中を離して刃を交える。

 熱い血潮が身体中を駆け巡り、全身が燃えるように熱くなった。今まで胸でくすぶっていたものが燃焼され、身体を突き動かす原動力となり、ユイナに限界を超えた動きをさせる。今ならどんな踊りだってできそうな気がした。


 ユイナの細腕がしなり、怪物の爪のように剣を一閃する。陽射しを弾き返す諸刃の剣が風を切り裂く。額には玉の汗が浮き出ていた。その汗が止まらない。

 湧き上がる爽やかな汗が上気した肌を滑って外界へ解き放たれる。空中に飛び出した汗は一つの煌く玉となり、斜め下から切り上げられたカトレアの斬撃で水しぶきを上げて弾け飛ぶ。


 水しぶきの向こうからユイナは剣を振り下ろす。だが、カトレアは完璧なタイミングでその斬撃を弾き返した。高い金属音が鳴り、ユイナの左手から剣が離れていく。剣は石畳の舞台に落ちて二回ほど弾みながら横滑りし、端で待機していたペントの前で止まった。


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