孤独の闇と二人の剣舞22
雨上がりの翌朝、二階の廊下を歩いていたユイナは、中庭の人だかりに気付いた。
濡れた窓辺に気を付けて外に視線を向けると、ちょうど馬小屋の前に二十名ほどの孤児が集まっていた。彼らが見守る中、ウィンスターの魔術師に扮装したアレスが馬に車を括りつけるところだった。それが終わると子供達に道を開けるように指示を出すと、運転席に座って馬車を進めた。子供達が後ろについていく。
馬車は、中央塔の前で待っていたメリル王女の前で一旦止まった。彼女が後部座席に着くのを確認したアレスは、フードを被って顔を隠してから再び発車させた。
離れていてもピリピリした空気が伝わってくる。
「(ひょっとして大事な作戦でもあるのかな……)」
城門から出て行く馬車を見送りながら、ユイナは声をひそめた。
「そうかもしれないね」とペントが答える。
「船で別の国に避難するらしいんだ。ひょっとしたらその準備かもね」
「そう……」
城門の向こうに消えていくアレスの背を眺めながら、手紙に書かれていた言葉を思い返していた。
――もしもカーマルとの結婚が君の望むものでないとするなら、婚約を破棄させるように助力しよう。
彼は手紙の中でそう言ってくれた。しかしユイナの心は揺らいでいた。
貴族との結婚は養父の願いだ。その願いを叶える事が自分の恩返しでもあり、助けてもらった時からの決意でもあった。そして、一度はカーマルの花嫁になると決めていた。
だけど、アレスが背負ったモノを知ってしまい、心が揺らいでいた。
結婚への勇気が出ないのとは違う。養父への想いが消えたわけでもない。ユイナはただ、信じるべき道を見失って踏み出せずにいた。
舞姫学校に通っていた頃はガモルド男爵が選んだ人と結婚できるように持てる力を出し尽くせば良かった。他の事を考えず、ただ一心に舞姫を目指す事が美徳だと思っていた。しかし、アレスとともに祖国を追われ、新しい世界へと踏み込んでいくにつれ、今まで信じて行動してきたものに疑問を持ち始めていた。そして、国家反逆者として指名手配されているアレスが、実は大天女に選ばれた救世主なのだと聞かされ、何を信じればいいのか分からなくなったのだ。
ため息をつき、視線を転じて中央塔を見上げる。中央塔の屋上に居座るテンマが、メリル王女の命令なのだろうか、ユイナをそれとなく監視していた。
「ペント、早く部屋に戻ろう」
「こんな所にいたのか」
監視の目から遠ざかりたくてペントの手を引いた時、ちょうど廊下の向こうから灰色がかった髪の青年がやって来た。切れ長の目がユイナを見据えている。
「お、おはようございます、カーマル様」
ユイナは婚約者を前にして純白のスカートをつまんで上品に挨拶をする。しかし目を合わせられなかった。ペントも警戒している。
「どうした、あまり元気がないようだが」
「もうすぐ結婚なので、緊張しているのかもしれません……」
「なるほど、初めての経験に戸惑うのは当然のことだ。私だって同じだ。平然としているように見えるかもしれないが、内心は緊張しているのだ」
「そうなのですか?」
「それはそうと、孤児から毛嫌いされているようだな」
「……嫌われてもしかたない事をしてしまいましたから」
「気にする事ではない。ああいう人間は私達のような高貴な人間に妬みや憎しみを持っているものだ。君まで彼らと同じように憎しみを持つべきではない。どうせ彼らは流民として海の向こうに渡る。もともと私達とは住む世界が違う人種なのだ。忘れてしまうのが良い。そうすれば君はもっと美しく高貴になれる。私が選んだ舞姫なのだからな。それと、結婚式は全ての計画が片付いた後、私の城で執り行うつもりだ。綺麗な夕陽と港が見える最高の場所だ。準備は着々と進んでいる。楽しみにしていると良い」
「はい……、あ……」
ぎこちない笑顔で応えたユイナは、廊下の奥からやって来る銀髪の麗人に目を止めた。いつもは腰元まで流している長い髪を今は結い上げている。
「立ち聞きするつもりではなかったのだけど、二人は結婚するのね」
カトレアは近付いてくるなり言った。
「カトレア嬢」
「結婚するなら早く教えてほしかったわ。もし良ければ二人のために祝宴を開きたいのだけど、どうかしら?」
「ほう。それはありがたい。前祝ということか」
「ユイナもいいかしら?」
「は、はい」
「それなら渾身の剣舞を披露させてもらうわ。いろいろと準備もあると思うから祝宴は二日後でよろしいかしら。作戦の前で皆もピリピリしているでしょうし、肩の力を抜くためにも良い機会だと思うわ」
「ふむ。食事はどうするのだ? いや、こちらで用意させよう。酒も飲みたい」
「それは助かるわ。食事はお任せして私は踊りに専念しましょう。――花嫁と打合せをしたいのだけど、いいかしら?」
「わかった」
カーマルはユイナの横を通り過ぎて客室へと向かった。
カトレアはそれを見送り、ユイナを振り返った。
「貴女達がフォークダンスの練習をしているって聞いたのだけど、見学させてもらってもいいかしら」
ユイナは逡巡したが、「どうぞ」と言い、ペントの手を引いて歩き出す。
しばらく歩いて空室となった使用人の部屋に着いたユイナは、ペントと一緒に大きく伸びをしたりして準備体操を始めた。昨日と同じようにフォークダンスの練習をする約束だった。カトレアは壁際のベッドに腰掛けてその様子を静かに見守っている。
準備体操を終えたユイナは、ペントと手を取り合い、軽快にステップを踏んでフォークダンスを踊ってみせた。憂鬱な気持ちは晴れなかったが、動かしている身体のほうはすっかり温まって、そのうちにほんのりと汗をかいてきた。
しばらくして休憩をとる。
「ペント、悪いのだけど水をもらってきてくれないかしら」
「うん、いいよ」
カトレアの依頼に、ペントは元気よく返事した。
「行ってきます」
彼が出ていくと、カトレアと二人きりになり、気まずい気持ちになる。
「悩みを抱えているようね」
カトレアは言った。
「どうしてそう思うのですか」
「貴女の踊りを見ていれば分かるわ。悩んでいるってね。ペントには気付かれなかったみたいだけど、あのくらいで私は騙せないわ。貴女、本当は結婚したくはないのでしょう」
ユイナはまじまじとカトレアを見詰め、俯くように頷く。
「でも、結婚を絶対にしたくないというわけではないんです。迷っているんです。これで本当にいいのだろうかって……、何も考えずに決められた事をするのではなくて、もう少し自分の事を自分で決めていきたいんです。……これは我儘でしょうか」
「いいえ、それは人として普通だと思うわ」
カトレアはそう言って少し考え込む。
「それにしても、貴女とカーマルが婚約していたなんておかしな話ね。私がテンマから聞いたカーマルとは別人なのかしら?」
「? どういう意味ですか」
「カーマルの行動に不審な点があるのよ。彼は貴女のことをスパイだと疑う人間だと思っていた。でも、実際は貴女と婚約していた」
「?」
意味が分からず、怪訝な顔をする。
「一昨日の事だったかしら、貴女が城から出ていった事があったわね」
「は、はい」
舞姫学校の制服を売るために城を抜け出した事を言われているようだ。
「その時、屋上で見張りをしていたテンマに、カーマルは貴女を捕まえるように命令したそうよ。そしてテンマは貴女に襲いかかって返り討ちにあった」
ユイナは目をパチクリさせてカトレアの言葉を疑った。
「ちょっと待ってください。カトレアさんが言っている事は辻褄が合いません。私が城から出やすいように門番まで追い払ってくれたのはカーマル様ですよ?」
「彼が門番を追い払った?」
カトレアが柳眉をひそめて聞き返す。
「そうです。私が城から出やすいようにわざわざ門番まで追い払ってくれたんです。結局、門は人目が多いので使いませんでしたが……。しかし、私が城から出やすいように手助けした人がどうしてテンマを使って私を捕まえようとするんですか。おかしくないですか? 城から出させておきながら次の瞬間には手の平を返したように城に連れ戻すなんて」
「だけど、彼がテンマの所に行ったのは事実なのよ。彼がテンマの見張る屋上に走っていく姿を数人が目撃しているの。それに、テンマが虚偽の発言をしているとは思えないわ」
「それは……そうですね」
カトレアは意味深な顔をして柔らかな唇を引き締める。
「彼の行動には何らかの意味があったのでしょう。それが何かは見当もつかないけれど……。それともう一つ分からないのは、貴女が城を抜け出した理由よ。どうして厳戒態勢が敷かれている時に城を抜け出したの」
「それは……十万ギロの借金を返すためのお金が欲しかったんです。それで舞姫学校の制服を換金してもらおうと思ってオルモーラの街に向かいました。……結局、返済金を手に入れる事はできませんでしたけど……」
「待って、貴女はどこで十万ギロもの高額な借金を背負ったの」
「もう四日前になるかと思います。カーマル様から薬をもらうためには仕方がなかったんです」
カトレアの瞳が見開かれる。
「まさか、貴女がペントのために持ってきた薬は、カーマルから十万ギロで買った物なの!?」
「そ、そうです」
「なんて馬鹿な事をしたの。あの薬は高いけれど、十万ギロもするような代物ではないわ」
「そ、そんなっ。それじゃあ、私は騙されていたのですか」
「そういう事になるわね。だけど、過ぎてしまった事を責めてもしょうがないわ。貴女が薬を持ってきてくれたおかげでペントは命を取り留めたのだから……」
カトレアは美貌を険しくしていた。
「あの……解毒薬はどのくらいするのですか?」
「どこで買うのか、薬の流通にもよるけれど、五千ギロもしないはずよ」
「そんな、まさか……」
驚きで立ち尽くしてしまう。
「とにかく、ユイナが城を抜け出したのはお金を手に入れる為だったのね。そしてお金を手に入れたいカーマルが、門番を追い払ってまでユイナの手助けをしたのも頷ける。分からないのはその後よ。城外に逃がしておきながらテンマに貴女を捕まえさせようとした……。この矛盾した行動にはいったいどんな意図があったのかしら。――ユイナ、何か心当たりはない?」
「心当たり……? わかりません。私を城から出しておいて捕まえる事に何の意味が……、まさか」
とんでもない可能性に気付き、でも、まさかと自分の思考を疑う。
でも、それ以外に考えられない。
「何かわかったの?」
「意味ならあります……! 期日に間に合わせないためです……」
「期日?」
「はい。借金返済の期日です。それまでにお金を返さなければ、私はカーマル様の舞姫になる誓約をしていたのです。もしテンマに捕まっていれば、借金返済の期限が過ぎるまで牢獄に閉じ込められ、結婚する事になっていたのではないでしょうか。カーマル様に狙いがあったとすれば、それ以外に考えられません」
一瞬にして不明瞭だったカーマルの行動が繋がった。
吸い寄せられるようにカトレアと目を合わせる。
「つまり、彼の狙いは薬の代金ではなく、最初からユイナだったというわけね」
カトレアの双眸に怒りの色が浮かんだ。
「あの男はユイナを騙し、自分の舞姫にしようとした。どこまで卑劣な男なのかしら。祝宴を開くなんて言うべきではなかったわ」
悔しそうに唇を噛んだ。たおやかな女性がそのような顔をするのを見たことがなかった。それほど腹に据えかねているらしい。
「ただいまー」
水をもらってきたペントが戻ってきた。
「(この話は後でしましょう)」
カトレアが耳元で囁き、ユイナは頷く。その様子を見ていたペントが「なになに? 何の話をしていたの?」と水の入ったコップを机に置きながら興味深そうに聞いてきた。
「ペントはかわいいよねって話をしてたの」
カトレアはさらりと誤魔化す。
「僕がかわいい? どうして?」
「さぁ、どうしてでしょう。自分で考えてみなさい」
「えー、いじわるだなぁ」
「さ、水をいただこうかしら。ありがとうねペント」
うまい具合にはぐらかし、ユイナも「ありがとう」とペントに礼を言う。
「いえいえ、どういたしまして」
ペントは嬉しそうに笑ってゴクゴクと水を飲む。ユイナも水を半分まで飲んで咽を潤した。カトレアは唇を濡らす程度に水を飲んだだけでコップを机に置き、改まった顔でユイナに話しかける。
「ユイナに頼みがあるのだけど、聞いてもらえるかしら」
「何でしょうか。私にできる事なら力になります」
「実は、貴女に子供たちの手本になってほしいの」
カトレアの言葉に、ユイナは柳眉をひそめる。
「それはどういう意味ですか」
「言葉のままの意味よ。貴女が手本になって子供達を導いてほしいの。あの子達には辛い過去があるの。戦争で親を殺された子もいれば、困窮から奴隷商人に売られてしまった子もいる。だから、自分達に害を与える存在に過剰な反応をしてしまうし、中には人を信じられなくて苦しんでいる子もいるの。貴女がスパイ容疑をかけられた時、子供たちが一斉に貴女を警戒したのもそれが原因だと思うの。そうやって不安の正体を貴女に押し付けることで、貴女さえ捕まえておけば安心だと思いたかったのでしょう。敵は敵のままで、分かり合う事もない。それは人として進歩の無い行為だと思うの。私は子供たちに変わってもらいたい。人が歩み寄れる姿をあの子たちにも信じてほしいの」
「でも、それはカトレアさんが言った方が説得力あるんじゃないですか? 子供達はカトレアさんを信頼しています」
「いいえ、私には言う資格がないわ」
自嘲するカトレア。ユイナは首を横に振る。
「カトレアさんに限ってそんなことは……」
「私はアレスを許せないでいる」
ぎくしゃくした兄妹の関係を思い出した。
「口だけで実の伴わない言葉は、どれだけ並べてみても説得力がないと思うの。でも、子供達に同じ想いはしてほしくない。だからユイナにお願いしたいの。敵だと思われている貴女が子供たちと真っ直ぐ向き合って説得してくれれば、あの子達も変われると思うの。力を貸してくれないかしら」
「で、でも」
ユイナは苦しくなって首を横に振る。
「カトレアさんは肝心な事を忘れています。私は嫌われているんです。誰が私の説得に耳を傾けてくれるんですか。カトレアさんも病室で聞いたでしょう。私がいくら話しかけても『帰れ帰れ』と言われていたのを。子供たちに信頼されているカトレアさんにできないのなら、私にだってできません」
「貴女はそれでいいのかしら?」
カトレアは切り替えしてきた。
「このまま嫌われているより、仲良くなったほうがいいと思うわ」
「それは話のすり替えだと思――」
「僕もカトレア姉さんに賛成―。ユイ姉さんも仲良くなれるならなりたいって言っていたよね?」
「ペントまで」
「二対一で私達の勝ちね」
「ちょっとそれは……」
反論しようとしたが、期待のこもった眼差しを正面からまともに受け止められない。
「ああ」
額に手をあててため息をつく。
「分かりました。やれるだけやってみます」
「そうこなくてはね」
カトレアが微笑む。
「あとはどうやってユイナの説得に耳を傾けてもらうかよね。話をしようとすれば、必ず野次が飛んでくると思うの。特に、エビンは貴女を敵だと信じている節があるし、野次の合唱になってしまったら誰の耳にもユイナの言葉は届かないでしょうね」
「そうですね。静かに話を聞いてもらうにはどうすればいいのでしょう……」
ユイナもカトレアも真剣に考え込む。しかし、考えれば考えるほど泥沼にはまるというか、思うように案が浮かんでこないもので、そんなもどかしい時間がしばらく過ぎた時、ペントがぽつりと独り言をもらした。
「僕だったらユイ姉さんとカトレア姉さんの踊りを見ているだけで声が出なくなってしまうのにな」
ユイナは顔を上げてペントに目を向ける。
「私達の踊りで?」
「だってふたりとも踊りがすごく上手だもん。見入っちゃうよね。僕もそんな風に踊れたらいいのにな」
ユイナは思わずカトレアと目を合わせる。カトレアも同じ事を思いついたらしく、力強く頷いてくれた。ユイナは感激のあまりにペントを抱き締める。
「ペント、あなたは天才よ!」
「ど、どうして?」
目を白黒させて驚き、カトレアが微笑みながら答える。
「人は本当に素晴らしいものを目にした時、感動して言葉を失うもの。その時なら子供達も野次を飛ばすことを忘れて、私達の説得に耳を傾けてくれるかもしれない。それをペントが気付かせてくれたのよ。――問題は、ユイナの踊りで子供達の目を釘付けにできるか否かね。これは非常に難しい事だわ。顔を見ただけで過剰に反応されてしまうというのに」
「全ては私にかかっているのですね……」
ユイナはペントから離れ、浮かれた気分を引き締め直す。
「なんだか緊張しますね。それに、あの子達は私の踊りを見てくれるでしょうか。もし、見向きもされなかったら……」
「自信を持ちなさい。貴女の踊りには華がある。それが才能なのか、努力の賜物なのかはわからないけれど、貴女には人を惹きつける力がある。きっとうまくいくはずよ。私も全力で助力するわ」
「きっと大丈夫だよ。絶対に目が離せなくなるよ。僕だってそうだし」
ペントが小さな手で握り拳をつくって言った。
「ありがとう。やってみるよ」
二人に感謝し、もう一度頑張ってみようと思った。
「でも、どのような踊りにしますか? みんながあっと驚いて声が出せなくなるような踊りができたらいいのですけど」
カトレアは頷く。
「そうね。みんなが度肝を抜かれるような踊りを披露したいわね。踊りについては後で創作するとして、ユイナが“いつ”“どこで”踊るかだけど、それについてはいい考えがあるの。私に任せてもらえないかしら」
ユイナは怪訝に思い、カトレアを見つめ返す。
「私は全然構いませんけど、いったい何をするのですか?」
「まぁ見ていなさい。貴女に最高の舞台を用意するわ」
そう言ってカトレアは妖艶に微笑んだ。




