舞姫見習いと銀色の狼4
久しぶりにティニーと会えてホッとした。舞姫学校で唯一気の許せる親友だからだ。
「ひさしぶり。元気にしてた?」
「まあまあ、かな……ユイナは元気そうだね。さっきの踊り、とてもよかったよ」
ありがとう、と答え、
「ねぇ、ティニーも今日の選考会を受けるんでしょ?」
「うん。お母様に『出てみたら?』って言われて……でも、自信ないよ。私って何をしてもダメだから」
「な、何かあった?」
否定的な言葉が出てきたので心配になった。
「休みの間にいっぱい失敗をしただけ。しかも同じ失敗を何度も何度も………お父様は『気にする必要はない』って言ってくださったけど、後でため息をついているのを見てしまって……、考え過ぎは良くないと思うんだけど、いろいろ考えてしまったの」
父親にため息をつかれた事を思い出したのか、すっかり気落ちしてしまっている。ユイナだってガモルド男爵にため息をつかれたら、胸の中をぐちゃぐちゃにされたような気分になる。
「私って役立たずなのかな」
「何を言っているの!? そんな事ないよ! 役立たずなんかじゃない」
弱気になるティニーを励まそうと力強く言う。
「ティニーがいてくれて本当に良かった。だって、私はファーレン家の娘でみんなからはのけ者にされているのに、ティニーは私の味方になってくれたんだから」
「味方になるなら、私より他の人が良かったんじゃないの?」
悲しくなるような言葉に首を振る。
「あり得ないよ。ティニーのように手を差し伸べてくれる人はいなかった。私にダンスを教えてくれた先生も学校を辞めさせられて、私は本当に独りだった。誰も相手にしてくれなかった。それでも、差別の輪に加わらずに私の味方になってくれたのは、ティニーだけなのよ。他の人にはできなかった。ティニーにしかできなかったのよ。
私ね、どんなに酷い嫌がらせを受けても、ティニーがいてくれたおかげで平気な顔でいられたの。それがどれだけすごい事か分かるでしょ? だから私にはティニーが必要なの」
ティニーは目をうるませ、「そう言ってくれるのはユイナだけよ~」と、子犬のように抱き付いてきた。びっくりしたが、そっと抱き締め返して背中をなでた。
ティニー・ウェスト。彼女の生まれたウェスト家は由緒ある貴族らしく、王家に嫁いだ舞姫を輩出したこともある名門中の名門だそうだ。現在でも彼女の父親は侯爵の位を与えられている。
侯爵の称号を与えられるのは非常に名誉だ。シルバート王国では四人しか侯爵を名乗れない。そして、侯爵にはそれぞれ連隊が与えられ、国境の守備に就く。ティニーの父親は第二連隊の指揮を任され、他の連隊や国王軍とともに国を護っていた。
そんな高貴な家に生まれてきたティニーだが、舞姫になるにはあまりにも背が低くて物覚えが悪いことから、親族からも諦められ、肩身の狭い思いをしている。そして肩身の狭さではユイナも似たようなもので、ふたりはどちらからともなく身を寄せ合い、仲良くなっていた。放課後になると高台で一緒に練習している。
「何で新しい侯爵様は舞姫学校に来ようと思ったのかしら。第一連隊の指揮でお忙しいはずなのに」
高台の石に腰掛けたティニーはぼやいた。そこからは学校を一望する事が出来た。校内に見える小さな人影は、選考会のために登校してきた生徒達だろう。
「あ~あ、前の侯爵様が生きていれば、新しい侯爵様も決まらずに、今日の選考会だってなかったのに」
聞き捨てならない言葉に柳眉をひそめる。
「生きていれば……? 引退したんじゃないの?」
「違うよ、少なくとも引退じゃない。どうも殺されたらしいの」
「こ、殺された……?」
穏やかではない言葉に驚いて聞き返すと、ティニーはうなずく。
「暗殺よ。お父様がそんな話をしているのを聞いたんだから」
ティニーの父親は国軍の第二連隊を指揮する人間だ。そのため、彼のもとには国の重要機密も集まる。ティニーはそれを盗み聞きしたようだ。別に軍事機密を知りたかったわけではないだろう。親が自分の事をどう思っているのか気になり、たまたま軍事機密を聞いてしまったに違いない。
しかし、殺されたとはどういうことなのだろうか。
「ねぇ、暗殺ってどういう事? 告知書には歳になったから引退するって……」
「それは偉い人が事実を隠しているだけなの。前の侯爵様が殺された事をね。前の侯爵様って第一連隊を指揮するトップの人で、その人が殺された事がみんなに知られたら混乱するかもしれないって、だから隠し通すしかないってお父様は言ってたよ」
「たしかに第一連隊の指揮官が殺されたことが広まったら、混乱するかもしれないね……。それで、犯人は捕まったの?」
気になって聞いてみるとティニーは眉根を寄せる。
「たぶん、まだ捕まってないんじゃないかな。あ、ほら、学校の掲示板にも指名手配の紙が貼られていたでしょ。アレス・なんとかっていう人。みんなからは『銀狼のアレス』って呼ばれていた人」
ユイナは、連休前から学校の掲示板に貼られていた指名手配犯を思い出す。確かその名前は、
「アレス・ディベンジャー?」
「そうそう、その人」とティニーが思い出して何度も頷く。
銀狼のアレス……最強の魔術師とまでうたわれていた人物で、数ヶ月前までシルバート国の英雄だった。その彼が反旗を翻し、指名手配犯となった。
「前の侯爵様はその人に殺されたの。いろいろと証拠はあるらしくて、まず間違いないって話よ。……戦争でいっぱい人が死んだのに……また同じことを繰り返したりしないよね?」
「そんな事にはならないよ。今の国王様はおやさしいと言うじゃない」
言ってみたものの、その国王ですら先王を殺して王座についた。
戦争になったらどうしようと不安な気持ちになってくる。
その雰囲気に耐えられなくなったのか、ティニーがパンと手をたたいた。
「こういう暗い話は終わり」
「ティニーが始めたのに?」
「そ、それよりね、選考会で私はどんな踊りをすればいいと思う?」
「どんな踊りをすればいいかって……? もしかして、まだ決めてなかったの!? お昼から選考会の受付が始まるのに?」
「だって、本当は出るつもりなかったんだから」
ティニーは口をとがらす。
「それでも、馬車に乗りながら考える事もできたでしょうに……」
「そ、そうだね……」
「ぶっつけ本番で不安にならないの?」
「不安よ。すごく不安。だから――」
ぐぅぅ~、と、お腹の音が聞こえてきた。ティニーは自分の弁当を持ち上げて「お昼にしながら何を踊ったらいいか一緒に考えてくれない?」と照れ笑いする。
気が抜けてしまい、この子はまったく……と思った。
「分かった。お昼にしながら私も考えるよ」
「ありがとう」
満面の笑顔で喜んでくれるので、つられてユイナも笑顔になる。
「それに、早めに食べておかないとダンスの時に体が重くなりそうだものね」
学校に目を向けると、礼拝堂前の広場に先生達らしき人影が集まっていた。どうやら今から選考会の会場準備をするようだった。
「お腹いっぱい」
満足そうにお腹をさするティニーに、ユイナは白い目をする。
「ねぇ、踊る気ゼロでしょ」
ティニーは慌てて両手を横に振った。
「ゼロじゃないよ。せっかく何を踊るか決めたんだから、精一杯やってみようと思う」
「その意気ならよろしい。あとは自信を持てるように練習しなさい」
ユイナは偉そうな先生のマネをして言い、仰向けに寝転んだ。選考会のためにも体を休めておこうと思った。ティニーもそれに習って仰向けに寝転がる。
「え、練習しないの?」と、体を起こす。
「食べたばかりだからちょっとだけ休ませて」
それもそうか、と呟いて再び横になる。寝転んでいると青草のにおいがより感じられた。視線の先では高く昇った太陽がさんさんと輝いている。そよ風が吹き、青空の中を白い雲がゆっくりと流れていく。どこまでも続く青い空。抜けるような空……不意に悪夢を思い出した。空に魔口が現れて、流れ星が地上を火の海に変えてしまう悪夢だ。
暗殺という不穏な話を聞いたからか、嫌な想像をしてしまった。
今は選考会に集中するべきだ。
しばらく休んだ後、踊りの確認をした。
確認が一通り終わったのは昼下がり。学校の広場には舞姫をめざす少女達がぞくぞくと集まっていた。
舞姫学校には五歳から二十歳までの貴族令嬢が在籍している。参加者の数は分からないが、上級生のほとんどが参加するようで、参加人数は五百を超えているかもしれない。ユイナとティニーも稽古場の高台を下りて舞姫学校に向かった。
校門に立つ巨大な舞姫像の横を通り過ぎ、真っ白な石灰岩の校内に足を踏み入れる。中央の大通りには貴族令嬢が続々と集まってきており、選考会への緊張と熱気に包まれていた。途切れる事のない人の波は礼拝堂まで続いているようだ。
「うわぁ、やっぱり多いなぁ」
「予想はしていたけどね……」
そう言ったユイナの前を小さな女の子が通り過ぎた。女の子はユイナの肘ぐらいの高さしかなく、思わずティニーと顔を見せ合う。
「今の子、何歳?」
「さぁ? あの子も選考会に出るみたいだね」
その時だった。よそ見をしていたティニーは横から足を引っ掛けられ、「あっ」と前のめりになった。そのまま「うわわっ!」と声を出しながら前に突っ込み、その先にいた先輩へとぶつかり、相手をぐらつかせた。周りにいた少女たちが目を大きく見開き、その中の一人がかすれた声を出す。
「あなた、バチルダ様にむかって……!」
「す、すみません」
ティニーは慌てて先輩に謝った。しかし、相手は許すつもりはないのか、端整な顔立ちの奥でモスグリーンの瞳をぎらりと光らせた。ユイナはギクリとして、その先輩を見上げた。
彼女はユイナより顔一つ分は背が高く、珍しいモスグリーンの瞳を持っていた。そしてなにより、ウエーブのかかった金髪には王家の紋章を刺繍したリボンを結んでいた。それは、彼女が王族の血を受け継いだ娘である事を意味し、名前をバチルダ・エミス・シルバートといった。この国の第二王女だ。
よりにもよって王家の娘にぶつかったせいで、辺りには緊迫した空気が漂った。振り返ってティニーの足をひっかけた人を探すが、怖くなって逃げたのか、その姿は見当たらない。
周囲を取り囲む令嬢達が冷やかな眼をしている。ティニーはもう一度謝り、その場を去ろうとする。が、バチルダは許さなかった。
「待ちなさい。私にぶつかっておいてそれだけで済ませるつもり?」
王家の血をひくバチルダの端整な顔が冷ややかに、切れ長の眼が刃物のように鋭くなった。ティニーは獣に睨まれたうさぎのように縮こまった。当事者ではないユイナでさえ息を呑んだ。それ程、バチルダは恐ろしい女性として知られていた。
何ヶ月か前、バチルダに注意をした舞姫候補生がいたのだが、彼女は次の日から学校に姿を現さなくなった。表向きには転校したという話だったが、バチルダに舞姫への道を絶たれ、自殺したという噂もあった。何があったのかは分からない。分からないからこそ恐ろしかった。
「跪いて土下座しなさい」
バチルダは冷ややかに言った。
ティニーはおろおろとしていたが、周りの視線に押されるようにゆっくりと中央通りの石畳にひざをついた。
「ティニー……」
ユイナは突っ立ったまま見守る事しかできない。
親友を助けたかった。しかしバチルダに歯向かえば、何をされるか分からない。それが怖くて何もできなかった。
「ひょっとしてあなた、ウェスト家のお荷物じゃない?」
見下した言葉に、土下座しようとしていたティニーがピクリと固まった。
「あら、当たっていたの。噂通り小さな人間なのね。あなたの事は聞いているわ。なんでもウェスト家始まって以来のダメ人間だって、それでウェスト家のお荷物だとか」
屈辱に堪えるティニーの指先が蒼白くなる。その悔しさが痛いほど伝わって来て、恐怖で震えていたはずのユイナの胸に、怒りの炎を焚きつけた。だが、それを今、表に出してはいけないと理性のフタで抑えつける。
ここでバチルダに歯向かえばどんな仕返しがあるか分からない。今までガモルド男爵のために積み上げてきた努力が、あっという間に壊れてしまうかもしれない。
けれど、大切な友達を傷つけられて黙っていて良いのだろうか?
今朝の悪夢が脳裏によみがえる。消えていくシェスを置き去りに逃げた。あれは現実にあった事だ。親友を救わなかった罪悪感にさいなまれる想いはもうしたくないのに……。
「何をしているの? 早く土下座をしなさい」
ティニーは震えながら地面に頭を近づける。顔を見なくても蒼白になっているのが分かった。バチルダは「ふん」と鼻で笑い、その後頭部を上から踏みつけた。ティニーの額が音をたてて石畳にたたきつけられた。その音がユイナの耳にも届いたほどだ。
「ゴツってさ」
「いい音がしたよ」
それを聞いた瞬間、怒りの炎が抑制のフタを突き破って爆発しそうになった。歯を食いしばって怒りを抑えつけるが、それでも抑えられない怒りが胸を焼く。
ティニーは顔を真っ赤にしている。
親友が苦しんでいるのに傍観していていいのか。
学校でたった一人の友達なのに。
今すぐ割って入り、もうやめろ、と言いたい。
王女だろうが、非道な人間に向かって「その汚い足をどけろ」と、言ってやりたい。いや、気付けば口が動いていた。
凍りつく人々。
バチルダの唇が怒りでひくついた。
「誰の足が汚いのかしら?」
猛獣を連想させる眼つきで睨まれた。踏み込んではいけない所に踏み込んでしまった。言ってしまったものは取り消せない。もう引き返す事はできないのだ。そして、引き返せないのなら、一歩踏み込もうが、百歩踏み込もうが同じことだ。
「その足をどけてください」
顔から血の気は引いていたが、強い意志を瞳に宿して言った。バチルダは切れ長の眼をさらに鋭くして口を動かす。何かをしゃべったようだが、極度の緊張で耳鳴りがして聞き取れない。
とつぜん後ろから背中を押されてバチルダの前に出た。近づいてきたバチルダは、ユイナの襟をつかんで男顔負けの力で引き寄せると、瞳の奥を覗き込んできた。負けてはいけないと思い、睨み返した。それはユイナにとって捨て身の覚悟だった。