孤独の闇と二人の剣舞20
『今は君に会うことも禁止されているので手紙で許してほしい』
手紙はそんな言葉で始まっていた。言葉を描き出す流線は力強く、それでいて奥床しい優しさを感じさせる。流石は王族を守護してきたディベンジャー家の末裔だった。
『まずは逆賊の罪で捕らえられてしまった君のご家族について触れたい。君のご家族は今も無事だそうだ。厳しい監視のもと、麦の生産を行っている』
ユイナは驚きのあまり瞬きし、もう一度読み返す。
生きている? ガモルド様も、アリエッタも?
それが事実ならこれほどうれしい知らせはない。悩みの一つに答えが出されて安堵した。しかし、どうやってその情報を得たのだろうか。とにかく、先を読めばわかるかもしれないと思い、紙面に顔を戻す。
『君の罪が確定するまでは、ご家族の罪も決まらないのだとシルバート国に残った仲間が手紙で知らせてくれた。彼は上級管理職に就いているので、君のご家族を丁重に扱うように命じてくれているだろう。
そして今度は君の事だ。今まで散々君を連れ回してきたが、それもあと少しの辛抱だと思ってくれ。シルバート国にいる仲間が、君の無罪を証明するために動いている。そして無罪を実現するためにも、君には俺達の計画をシルバートに持ち帰ってもらう事になる。計画の実行はおそらく五日後だ。詳細はまだ話せないが、心の準備だけはしておいてほしい。それと、ペントを連れていくかどうかも決めておいてくれ』
そこで筆が止まったのか、字の最後がインクで滲んでいた。そして数段下がり、ユイナの身上を心配する言葉が続いた。
『もしもカーマルとの結婚が君の望むものでないとするなら、婚約を破棄させるように助力しよう。もともと借金のカタが君だった。ならば、相手が望む金を用意できれば交渉の余地はあるかもしれない。貴族を追放され、国家反逆者にされたとはいえ、俺にも多少の金品を用意する事はできる。俺は君の意志に従う。
結婚するのかしないのか、その返事を待っている』
手紙を持つ手が震えた。
アレスの書いた『結婚』という文字が、ずしりと腹の奥に落ちていた。どんな手を使っても、婚約を破棄させる望みは無いに等しい。カーマルの目を見ていれば分かる。彼は結婚するために危険を冒してまでユイナのスパイ疑惑を晴らした。その執念を思うと、金銭で逃がしてくれるような相手とは思えなかった。
国家反逆の罪が消えれば、カーマルとの結婚が待っている。
ユイナは手紙を持つ手をスカートの上に乗せてしばらくぼんやりと字面を眺めていた。すると、ペントが細い眉をひそめて聞いてきた。
「結婚するって本当なの?」
「……うん……」
ユイナは視線を手許に落としたまま力なく頷いた。が、ハッとしてペントを見た。アワアワと口を動かすのに精いっぱいで声が出てこない。
「ど、どうしたの?」
「ま、まさか……筆記体、読めるの……?」
ペントはバツが悪そうな顔をした。
「う、う~ん、だいたいなら」
「でも、ペントは平民だから筆記体は使えないんじゃ……」
ペントと出会ったのは穀物もほとんど育たない貧困な辺境の地だ。
「そ、それは……こっそり教えてもらったからだよ」
「こっそりと言っても、平民が筆記体を使ったり、教えたりするのは重罪になるんだよ?」
「そっか。そうだよね。変な人だったからあまり気にしてなかったんじゃないかな。それに、筆記体は形さえ覚えれば、あとは簡単だから」
「そ、そうだね。筆記体を読めたら、あとはその言葉を知っているか知っていないかだけだものね。でも、筆記体を教えてもらったことをみだりに言ったらダメだよ。そういう行為はさっきも言ったけど、重罪になるんだから」
「う、うん。気を付けるよ。それよりユイ姉さんだよ。どうしてあんな人と結婚しないといけないの。絶対にやめたほうがいいよ」
「……私は、そんなに悪い事だとは思っていないよ」
「うそだ」
「本当よ……」
半分はやせ我慢だった。しかし、もう半分は本心でもあった。財力のある貴族と結ばれる事は、養父の願いでもあったからだ。
「それでいいの? 結婚って好きな人とするんでしょ?」
「そうとは限らないよ」
慕う、慕わないに関わらず結婚は成立する。親が決めた相手と結婚するという事も少なからずあるのは聞き知っている。
しかし、ペントは納得していないようだった。それが顔にありありと出ている。
彼は慕い合っている人が結婚するものだと思い込んでいるのだ。
ユイナは困り果て、最後はカーマルの弁護に回った。
「カーマル様はいい人よ。ペントが魔力中毒になった時、解毒薬をくれたのはカーマル様なんだから。彼が薬を持っていなければペントはどうなっていたのか……。ちょっと怖い時もあるけど、あの人は私の味方でいてくれるのよ? 私のスパイ容疑も彼が晴らしてくれたの。だから私は、カーマル様を信じていたいと思う」
「スパイ容疑は全然晴れてないよ。子供達はみんなユイ姉さんを疑ったままだよ。あの人はそれをほったらかしにしてる。ユイ姉さん、絶対に結婚しないほうがいいよ」
ペントの温かな手が手に重ねられる。しかし、ユイナの手は石のように固いままだった。
「今さらどうしようもないの。借金を返済できない場合は結婚すると誓約書で同意してしまっているの。私から婚約を取り消させることは認められない。カーマル様が婚約を破棄するまで永遠に。だからどうしようもない事なの。それにね、私はこの結婚、悪い事ではないと思ってるの」
ペントは自分の耳を疑うようにユイナを見詰めた。その瞳から目を逸らしてはいけないような気がして、じっと見詰め返す。
「私ね、昔は貴族じゃなかったの。下民って言うのかな、人権とかそんなものなくて、虐げられる立場の人間だった。だから山奥で家族三人ひっそりと暮らしていたの。だけどある事件に巻き込まれて孤児になった。酷い幼少時代だった。住む家もなくて、食べ物かもわからない物を口にしていた。奴隷商人に捕まり、どこかに売り飛ばされそうになった事もあった。そんな私を、ガモルド男爵が娘にしてくれた。今まで養ってもらった恩がある。私は貴族と結婚して、いつか必ず恩返しをすると心に誓ったの。それがガモルド男爵の望みだったから。
そしてそのチャンスが来たの。カーマル様はオルモーラという肥沃な大地がある。ファーレン家と手を取り合えば麦の栽培だってできる。貿易港もあるみたいだし、ウィンスターに自治権も与えられている。それ程の財力や権力を持つ貴族との縁談にガモルド男爵は喜んでくれるはずよ。男爵に恩返しができるなら、迷うわけにはいかない。どっちにしても、いつかはすると決めていた結婚がちょっと早まっただけだよ」
そう、それだけの事、と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
ペントは両膝の上に小さな握り拳を作って黙っている。その沈黙が重たい。
ユイナは無理に笑ってみせた。
「せっかくの朝食が冷めちゃうね。早く食べよう。そうだ、今日は天気も良さそうだし、屋上でのんびりしようか」
しかし、窓から見える空はいつの間にやら雲行きが怪しくなっていた。
「あ、えぇと、それよりも踊りの練習をしたいね? 約束してたもんね」
「はぐらかさないでよ。嫌だよ僕は、ユイ姉さんが結婚するなんて」
直向なまでの眼差しに、顔に浮かべた笑顔が引き攣りそうになる。
「ペント、お願いだからこの話はもうしないで」
「でも…!」
「お願いだから…! 結婚するまでの短い時間を楽しませて」
息が詰まって、搾り出すような声しか出なかった。
ペントは眉をゆがませていたが、ユイナが唇を噛み締めている事に気付いたのか、きゅっと拳をつくって頷いた。




