孤独の闇と二人の剣舞19
その廊下にはいくつかドアが並んでいた。その一つに耳を近づけたユイナは、中に人の気配がないかを探り、念には念を入れて三回ほどノックしてみた。しかし何の反応もない。
「この部屋には誰もいないみたい」
ドアノブを回して内側に押し開く。
床に絨毯は敷かれておらず、剥き出しの石畳が寒々としていた。空き部屋や物置という訳ではなく、家具はちゃんと置いてある。ただ、クローゼットに寝台、それに壁に立てかけてあるだけの細長い鏡という必要最低限の物しか置いてなかった。召使いの部屋なのだろう。しかし、部屋自体は小奇麗にされている。居候の身である子供たちが掃除をして回っているのだとペントが教えてくれた。
「机がないね」と、ペント。
ユイナは部屋をぐるりと見回し、クローゼットの影に小棚を見つけた。
「あの棚を食卓代わりにできないかな。ベッドの横に持ってきてベッドに座りながら食べたら丁度いい高さになると思うの。ちょっと小さいかもしれないけど」
「そんな事ないよ。いいと思う」
ペントはうんうん頷いて賛成してくれる。
「じゃあ、私は棚を動かしておくね」
「それじゃ僕は朝食を取りに行ってくる」
いってらっしゃい、と送ると、ペントは右手を上げて元気良く部屋を飛び出していった。ユイナは制服の半袖を腕捲りするようにたくしあげる。
銀狼に噛み付かれた左腕の傷は、まだ少し残っている。
小棚には中身がなかったので見た目より軽く、楽に運べた。左腕に力を入れても、噛み傷はあまり痛くなかった。本来なら喜ぶべきなのかもしれない。しかし、今のユイナは素直に喜べない。傷が癒えてしまえば彼とのつながりまで消えてしまうような気がした。
ユイナはベッドの端に腰掛け、隠し持っていた白い封筒を出す。朝、足許にそっと置いてあった、差出人に『アレス』と書かれた手紙だ。本物だろう。確信はないが、勢いのある筆記体は彼だと思った。
流麗な筆記体、それは家柄を表す一つのステータスでもある。伝統のある家系には独自の特徴を持った筆記体が受け継がれている。字を見ればだいたいの家柄が分かってしまうのだ。
だからこそ貴族の親は子供に美しい字を書かせようと躍起になる。お金に物を言わせて有名な講師を呼んで練習させる事もあるという。
ファーレン家もその御多分にもれなかった。貴族のマナーや礼儀を学ぶかたわら、筆記体の練習には相当の時間を当てられた。しかしファーレン家の歴史は浅く、しかも講師を呼ぶ金など用意できるはずもなく、少ない手本をもとに基本に忠実な字を身につけていった。だからユイナは特徴のある字を書けない。いや、逆に基本に忠実なところが特徴と言えた。
差出人の筆記体を見てみると伸びやかに走っていた。迷いのない字体には、力強さや意志の強さを感じさせた。
封筒はきっちりと閉じられている。窓の明かりに封筒をかざして中身を透かしてみると、手紙が一枚か二枚ほど折り畳まれて入っている。
しばらく封筒を見詰めたまま何もできずにいた。なぜか封を切る事をためらってしまうのだ。この手紙を読むことで何かしらの答えが出てしまう事が怖いのかもしれない。
でも、急ぎの手紙だったら? 返事のほしい手紙だったら?
やはり早く手紙を読んだ方が良いと思い、ユイナは封筒を破ろうとして、「朝食持ってきたよー」という元気な声に慌てて封筒を枕の下に隠した。
振り返ると、大きなお盆を器用に右手に乗せるペントが、左手でドアを閉めているところだった。彼は両手に持ち直したお盆を小棚の上に置き、ぴょんと跳んでユイナの隣に腰掛けた。背が低いために両足が宙でぶらぶらしている。
「今日はパンとコーンスープだよ」
言われて見てみると、ロールパンとコーンスープがそれぞれ二つずつ並んでいる。
「こっちがユイ姉さんの。ユイ姉さんは痩せてるからもっと食べないとね」
そう言ってスープがなみなみと注がれているコップをそっと差し出してくる。
「ありがとう」
それを受け取ると、スープの表面が揺れて今にもコップの縁から溢れそうになる。零さずに運んできたのが信じられないほどだった。
「「いただきます」」
大天女の恵みに感謝の言葉を述べ、それから肩を並べて二人だけの静かな朝食を始めた。
コーンスープで咽の渇きを潤したユイナは、もそもそとロールパンを口に運んだ。それから枕の下からはみ出しているアレスからの手紙をちらりと見やる。それを何回繰り返した時だろうか。
「おいしいね」
ペントが話しかけてきた。ぼんやりしていたユイナは「え? う、うん。そうだね……」と曖昧に頷いて見せた。
枕の下に隠した手紙の事が気になって味など分かっていなかったのだ。
「その手紙読まないの?」
不意打ちを食らい、思わずパンを咽に詰まらせそうになった。咳き込みそうになるのを堪え、詰まったものをスープで流し込み、呼吸が落ち着いてからペントに振り向く。
「ど、どうしてそんな事を急に言うの」
「だって、さっきから枕の下にある手紙をちらちらと見てるもん。何で開けないの?」
いつの間にか行動を観察されていたらしい。
恥ずかしさで頬が高潮し、体中を駆け巡る血潮が一気に沸騰した。
「そ、そうだよね。手紙は早く開けた方がいいよね」
動揺を強引に誤魔化し、隠しきれていなかった封筒を枕の下から引っ張り出す。ペントが興味津々の顔で封が切られるのを待っている。
ここで封筒を開けたらペントにも読まれてしまう。それは恥ずかしい。だが、よく考えてみれば手紙も筆記体で書かれているはずだから、平民育ちの彼には解読するのは困難なはずだった。
筆記体は、平民の使うブロック体を原形として貴族が改良した字体だ。平民達はその存在さえ知らないと言われている。だからペントが横から見ていても簡単には読めないはずだ。
それにペントは幼い。読み書きをするにはまだ理解力が足りないかもしれない。だとするとユイナが考えている事は無用の心配に違いなかった。
「ねぇペント、ナイフを貸して」
「いいよ」
二つ返事で差し出されたナイフを受け取り、封を切った。ほんのりと茶色の入った良質の便箋が三つ折りにされて中に収まっている。
「誰から? なんて書いてあるの? 僕にも見せて」
好奇心丸出しで詰め寄るペントを「待って待って」と押し止める。
「まずはゆっくり読ませてよ。それから書いてある事を教えてあげるから」
ペントを宥め、それから自分の昂る鼓動を宥め、手紙をゆっくりと開いた。
そこにはアレスの言葉が、便箋一杯に書き詰められていた。




