孤独の闇と二人の剣舞18
翌朝、シルバートの地平線と水平線の接点から朝日が姿を現した。朝日から放たれる光が夜の色を残していた暁の空を一気に押し上げてオルモーラの大地に日脚を伸ばす。途端に色づき始める大地。そして朝の陽射しはオルモーラの岬に建てられたメリル王女の居城を浮かび上がらせ、城の屋上にある塀を越え、そこですやすやと眠っていたユイナの顔を照らし出す。
「ぅ……ん……」
陽射しの眩しさにユイナは柳眉をしかめてうっすらと、そして鈍重に目を開けた。朝日がまぶしかったのもあるが、泣き腫らした目蓋がぎくしゃくしていた。
隣に視線を向けると、左腕に寄りかかるようにしてペントが眠っている。その穏やかな寝顔に心があたたかくなる。朝風はまだまだ冷たかったが、今のユイナにはちょうど良かった。
右手を伸ばしてペントの服の乱れを直し、ふと、足許に落ちている白い封筒に目を止めた。昨夜まではなかった物だ。それを拾い上げてクルリと裏側の差出人を見る。その瞬間、体中に得体の知れない震えが走った。力強く品の良い筆記体が流麗に書いてある。
「アレスからだ」
彼の名を口にすると、妙な胸の高鳴りが津波のように押し寄せてきた。その波に足を掬われそうになる。本物かどうか手紙を食い入るように見て、思わずペントが寄り掛かっている左腕を動かしてしまった。ペントの頭が脇の間に挟まり、もぞもぞと動いて寝ぼけ眼を開いた。
「あ、ごめん。ペント」
「おはよう」
眠たげな屈託の無い笑顔でペントは言った。
「おはよう」
ユイナも笑顔で返す。
ペントはしばらく目を擦っていたが、不意にその手を止めてユイナの手許を見詰めた。
「ユイ姉さん、それは?」
「こ、これ?」
別にやましい物ではないのに慌ててアレスの手紙を隠した。
「何でもないの。ただの手紙よ。それより朝ごはんを食べにいかない? 私、昨日からほとんど何も食べてないからお腹がすいてるの」
「賛成―。僕もお腹ペコペコなんだ。日が出てるし、朝食の支度が始まっているかもね」
「あ、でも私、朝食会はやめとこうかな。子供達に嫌われてるから……」
朝食会に行くということは子供たちと顔を合わせるという事だ。どんな目で見られるのか不安だった。しかしペントは「大丈夫だって、早く行こうよ」とユイナの手を引いた。
「ちょ、ちょっと」
踏み止まろうとするが、ペントは「僕が頼んでみるから」と手を引いていく。
ペントは子供達に好かれている。彼が頼めばあるいは……。
そんな淡い期待もあった。
朝食会の行われる中庭へと向かうため、屋上から三階、三階から二階へと螺旋階段を下りていくと、一階へと通じる階段口で廊下の角を曲がってきた三人の子供と出会った。子供達はペントを見つけて「あっ」と声を上げたが、次いで階段を下りてくるユイナを見つけて口を閉じた。その目は一瞬にして警戒の色に染まる。
「あら、おはよう」
子供たちの後ろから現れた女性が落ち着いた声で言った。視線をそちらに向けると、思わぬ人物がそこに立っていた。
「か、カトレアさん」
ユイナは驚いて銀髪の麗人を見詰める。昨日はまだ魔力中毒で寝ていたはずだ。
「もう出歩いてもいいんですか」
「ええ、もともと大した事ではなかったの。この通り回復したわ」
その言葉に嘘はないのだろう。窓から朝風が流れ込んできてカトレアの長くしなやかな銀髪を揺らした。その様子はたしかに元の体力を取り戻しているようだ。
「それに、体を動かして外の空気を吸っているほうが元気になるわ」
カトレアは額にかかる前髪を耳の後ろに流しながら言った。
「カトレアさん、あの……ごめんなさい!」
ユイナは頭を下げて謝った。
ところが、
「どうして私に謝るの?」
カトレアは不思議そうな顔をしている。
「え、いや、だからその……私が魔術を使ったせいでカトレアさんを魔力中毒にしてしまったからです」
「ああ、それね。私が中毒になったのはユイナのせいではないわ。ペントとテンマに付きっ切りで看病していたから寝不足で弱っていただけよ。それと、謝るなら私でなくこの子達に謝るべきでしょ」
「……え?」
「シルバートの特殊部隊がオルモーラに現れて、厳戒態勢を敷いている時に貴女は外に出歩いた。今回は国境の警備を強化してシルバートを牽制していたからよかったものの、一歩間違えれば指名手配された貴女の面から私達の居場所がばれていたかもしれない。何があったのかは知らないけれど、この城に集まったこの子達の命を危険に晒したのは事実よ」
身の縮まる想いだった。その危険性をまったく考えなかったわけではない。アレスと共に国家反逆者にされ、シルバートを逃亡してきた自覚もある。もし城を出る所を見つかっていればアレス達の潜伏場所が割れていただろうし、捕まれば処刑される可能性がある事も分かっていた。
ただ、城から出る時は町娘の服を着ていたので遠目には気付かれないと思ったし、そもそも手配書の似顔絵だってあまり正確には描けないはずだと高を括っていた。そう思わなければ、借金を返すための城外もできなかった。危険だと分かってはいたが、その危険を冒してでも借金返済のお金を手に入れたかったのだ。しかし、それはこの城に身を潜めている子供達には関係ない。
「謝る勇気があるなら朝食会に来なさい」
カトレアはまっすぐユイナを見詰めていた。彼女は厳しい言葉を投げかけはするが、それは優しさからくる厳しさなのではないか。
「――カトレアさんは寛大過ぎます」
廊下の奥から少年が現れた。
「俺達は何があってもその女を許しません」
頭にはハンチング帽を被っており、カトレアの病室で罵声を浴びせた少年だとすぐに分かった。彼は帽子の下から悪意のこもった目を覗かせて言う。
「何度謝られたって許せない事だってある。お前のした事はそういう事だ。……行きましょうカトレアさん。みんなが待ってます」
少年はそう言ってカトレアを階段へと促すと、最後に悪意の篭った目でユイナを一瞥して自身も階段を下りていった。
落ち込んでしまう。階下には自分に敵意を持つ子供達が数十人もいるのかと思うと、下へと向かう階段が淀んだ水で満たされたような気がした。
「ユイ姉さん。僕たちも行こうよ」
ペントが手を引いて階段を下りようとするが、ユイナはその手を引いて踏み止まった。とてもではないが朝食会に参加する気分にはなれなかった。
「ユイ姉さん?」
「ごめん、やっぱり他の人と一緒に食べられそうにないよ」
「そ、そう……」
ペントは悲しそうな顔をした。しかし、持ち前の明るさで笑い、「それじゃあどこかで一緒に食べよ? 僕が食事を持ってくるよ」と言ってくれた。
ユイナはペントに感謝し、食事をとる部屋を探して歩き始めた。




