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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第四章
46/87

孤独の闇と二人の剣舞17

 

 ***


 ユイナは星空の下にいた。誰もいない塔の屋上で膝を抱えて座り、ひっそりと涙をこぼしていた。スパイ容疑が晴れ、明るい未来が開けたと思った。だけど、それはユイナの期待が産み出した幻だった。ひと時の幻は、『帰れ』と責め立てる子供達を前に儚く消え去った。

 帰れるなら帰っている。それができないからここにいるのだ。何故こんな身の置き場もない思いをしないといけないのだろうか。


 吹きつける海風が涙を夜の闇へと(さら)っていく。星の輝きも今夜は弱々しく、闇に包まれているのを感じる。鼻水をすすり、舞姫のペンダントを胸元で握り締める。手に馴染んだペンダントはいつも勇気の源だった。でも今は何も湧いてこなかった。


 今まで必死に頑張ってきた。自分に出せる限りの力を振り絞ってきた。でも、空回りというか、経験不足というか、何もかもがうまくいかない。前に進んだと思っても、その先には新たな闇が待ち構えていて、その闇の前では、自分の行為が全て徒労に思えてしまう。まるで出口のない暗闇のなかを虚しくさまよっているようだ。これ以上どうしろというのだろう。子供達はユイナを許してくれない。

 城を出る事も許されず、たとえ出られたとしても行くあてもない。


「私は何のためにがんばっているんだろう」


 もう立ち上がるだけの元気も出てこない。生きている気もしない。

 いっその事、このまま何も考えられずに人形になってしまいたい。メリル王女が持っているというネプルスの白粉を呑めば心を失って苦しむこともないだろう。でも、生きた人形になるというのはどういう事なのだろうか。痛みも苦しみもないのだろうか。二度と戻れない未知の世界に足を踏み入れるのはやはり怖い。

 それなら、この屋上から飛び降りるのはどうだろうか。四階の高さがある。暗くて地面も見えないはずだし、痛いのも一瞬だろうし……、いや、それでも怖いものは怖い。

 それに、自分にはやり残している事がある。ガモルド男爵への恩返しはどうするのか。このまま逆賊の汚名を着せたままでいいのか。ペントにもまだ人質にした事を謝れていないし、踊りを教えるという約束も果たしていない。

 そんな事を考えていると空想との距離が途方もなく遠く感じられ、立ち尽くしてしまい、色んな感情が涙となって溢れてくる。どれだけ涙を拭いても、溢れる感情を抑える事ができず、次から次へと涙が落ちてくる。止めどない涙と吹き付ける風で顔はぐしゃぐしゃになっていた。



 どれほど泣き続けていただろう、視界の隅がぼんやりとオレンジ色ににじんでいた。暗闇に沈んだ内陸の中にポツンと明かりが灯っている。距離はかなり遠く、弱々しい光だったので気にも留めなかった。しかし明かりが大きくなり、夜の闇を払いのけ始めると、本能がそうさせるのか、闇に囚われていた心が少しだけ顔を上げさせた。

 林を抜けた漆黒の大地に、一箇所だけ人工の明かりが灯り、遠い星の輝きさえも霞ませようとしていた。


「街の明かり……?」


 ユイナは涙を拭いて、ようやくそれが街灯だと気付いた。

 星空を退かせるほどの街灯と言えば、この近辺ではオルモーラの街だけだ。しかも、あれはきっと収穫祭のフィナーレに違いない。祭典の最後は街中のランプを灯してご馳走を食べながら踊り明かすのだとシェリセーラに教えてもらった。今ごろは審査会で優勝した娘が眩しいほどの灯火の中で踊っているのだろう。


「収穫祭の踊り子、か……」


 天女と人々を繋げる踊り子は、あの光の中で観客と楽しく踊っているのだろう。

 屋上を吹き抜ける夜風が体に染みて、意識したくなくても境遇の違いを感じずにはいられない。もし審査会で優勝していれば、あそこで踊っているのは自分だったのだから。そう、最後の最後でシェリセーラが五点という低い点を出さなければ……、いや、もしも収穫祭にふさわしい踊りをユイナが理解していたなら……結果は違っていたかもしれない。


 もしも。そういう言葉はこの世界に数え切れないほど転がっている。それは今という時間とともに絶え間なく流れていて、過ぎ去ってしまうと二度と戻ってこない。そして望むものを掴み損ね、別の“もしも”を手にしてしまっただけなのだと思う。

 もしもカーマルとあんな誓約を交わさなければペントを人質にすることもなかったし、もしも舞姫学校のお仕置き小屋でアレスを助けなければ反逆者として追われる事もなかった。

 今の私がここにいるのはそういった“もしも”を自分の力で、あるいは偶然、時代の流れ、誰かの力、そういったもので手にした結果かもしれない。

 山の奥で生まれ育ち、事件に巻き込まれて両親を殺され、代わりに舞姫のペンダントを握らされた。気品とやさしさに満ちた舞姫が踊るペンダント。そのペンダントがあったおかげでユイナはガモルド男爵の目に留まり、貴族の養子になることができた。一歩違えば違う未来があった。まるで綱渡りをするような人生を歩んできた。

 舞姫のペンダントを星空に掲げてみる。風の強い夜は星が瞬く。その瞬きを背にして舞姫がくるりと回っていた。


「まるでお星さまの間を踊っているみたい、か……」


 遠い昔の記憶が脳裏をよぎった。

 赤の他人から(たく)されたペンダントには、抱えきれないほどの想い出が詰まっている。

 楽しい事も、嬉しい事も、許せない事も、そして辛い事も。舞姫のペンダントは迷った時の灯火(ともしび)になっていた。くじけそうになった時はペンダントを握り締めて楽しい事を思い出して自分を元気づけ、足が(すく)みそうになった時は乗り越えてきた苦難を思い出して自分を勇気づけてきた。


「!?」


 流れる夜風に他人の息遣いを感じ、ユイナは咄嗟に振り返った。

 ユイナの視線を受けて男の子は立ち止まる。ペントだった。

 彼はしばらく逡巡した後、思い切ったように澄んだ声で言った。


「綺麗なペンダントだね」

「!」


 何の変哲もない言葉に呼吸が止まりそうになった。

 かつて、同じ言葉で話しかけてきた女の子がいた。一つ年上の子で、初めての友達でもあった。

 月明かりに照らされるペントは、白くて、つぶらな目と小さな鼻がかわいくて、手足は子供特有の細さで、初めて友達になったシェスとよく似ていた。まるで生き返ったのではないかと肝を冷やしたほどだ。


「ユイ姉さん」


 天使のように澄んだペントの声がシェスの亡霊を吹き飛ばした。

 ユイナはペンダントを胸に抱き寄せて謝った。


「ごめんなさい」


 合わせる顔がなくて顔を逸らしてしまう。


「どうして僕を避けるの? 僕、嫌われることでもした?」

「ち、違うの。逆よ。私がペントに酷い事をしたから」

「牢獄に閉じ込められた事……? 僕はぜんぜん気にしてないよ」

「気にしないなんておかしいよ。私はペントを人質にしたんだよ。裏切ったんだよ。どうして平気でいられるの」


 暗く冷たい岩盤の牢獄。あんな所に閉じ込められて平気でいられるとは思えなかった。いつ出してもらえるか分からない状況で、普通の人間なら発狂していてもおかしくないのだ。ましてや無垢な年頃の子にとって牢獄がどれほど辛く怖かったことか。彼が泣いていなかったのが不思議なほどだ。


「アレスから聞いたよ。ユイ姉さんは僕を人質から解放するために戻ってきたんだって。僕、ぜんぜん裏切られてないよ」


 この男の子は、どうしてここまで純粋でやさしいのだろう。憎いとか、嫌いとか、そういう感情はないのだろうか。


「ユイ姉さんは僕が嫌いになったの?」

「嫌いなわけないじゃない。好きだよ。好きだから、人質にしてしまった後悔で胸が苦しくてしょうがないの」


 抑えきれなくなった感情が理性の蓋を外し、心からの言葉が次から次へとあふれ出していた。歯止めが利かなかった。それと同時に、曇っていたペントの顔がみるみる晴れていく。


「ユイ姉さんは僕のこと嫌いじゃないんだね。良かった。僕、体調が悪いのを黙っていたから嫌われたのかと思ってた」

「そんな事で嫌うわけないじゃない。私は、自分を許せないの。ペントを人質にした事もそうだけど、ペントを魔力中毒にさせた事や、こんな危険な旅に連れてきてしまった事も……ごめんなさい。私は、自分の命かわいさにあなたを巻き込んでしまった。あなたは私を助けずにあの村に残っているべきだったのよ」


 違うよ、とペントは首を横に振る。


「僕はユイ姉さんと一緒に行きたかったんだ。ユイ姉さんが謝ることなんてないよ。そんな事よりさ、前みたいに踊りを教えてよ。僕が舞姫になれるように手伝って」


 無邪気な顔で笑った。

 まるで闇を追い払う真昼の太陽のような笑顔だった。


「ペント、あなたって子は……!」


 込み上げてくる嬉しさで言葉を詰まらせた。

 暗く冷え切っていた瞳に涙があふれてくる。今までこぼしてきた涙とは違う、温もりのある涙だ。


「泣かないで」


 涙を(すく)おうと、ペントが小さな手をさしのべてくる。

 ユイナは、自分を慕ってくれる男の子が愛しくて抱き締めた。


「ユイ姉さん…?」


 ペントは驚いたが、すぐに身を任せた。

 ユイナはやさしく、しかし、二度と離したくないと掻き抱く。子供特有のやわらかな肌と、幼さを残した匂いと、早めの鼓動が伝わってくる。それを全身で受け止めている。

 誰かを抱き締めることで、ユイナは自分の重みを感じた。なんて軽くて、頼りなくて、風に吹き飛ばされてしまいそうなのかと思った。


 未来は見えず、まだ暗く荒れている。

 だけど、今の私にはペントがいる。

 信じてくれる人がいる限り、どんな荒波にも負けない。いや、負けられないと思った。


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