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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第四章
42/87

孤独の闇と二人の剣舞13

 

 ***


 地下牢は息が詰まるほどの静寂に沈んでいた。闇に染まった空気が、牢獄の底を漂っている。ユイナは暗闇の中で静寂を守るように息を潜め、地上へとつながる石段に目をやった。扉の隙間なのか、一筋の光が申し訳程度に射し込み、常闇の中で埃をぼんやりと浮かび上がらせている。ふわりふわりと不規則に流れる埃は、無音の世界にあるかすかな循環だった。あまりの静けさに埃の舞う音まで聞こえてきそうだ。


 人質にされたペントは、病み上がりにも関わらず、この暗く冷たい地下牢に監禁された。

 どれほど辛かっただろう。恨まれたかもしれない。

 そう思うと罪悪感で目を伏せてしまうが、その瞳を再び石段へと戻し、誰かが罰を言い渡しに来るのを待った。今はペントを人質にした罰を誠実に受け止めようと思った。そのユイナの覚悟を決めた眼光が、漂う埃におぼろげな陽炎を映し出したように見えた。


「?」


 一瞬、見詰めるあまり魔術で空間が揺れたのかと思ったが、額には魔力封じの帯が巻かれていて魔術は使用できない。

 それではいったい何の影かと凝視していると、静寂を踏み荒らすように石段を駆け下りてくる靴音がした。ランプを灯しているのか、石段の上方から明るくなっていく。


 降りてきたのは二人だった。

 一人はカーマルで、その後ろには仮面の魔術師がランプを手に提げて控えていた。顔が隠れているので年齢は分からない。背は高いのだろうが、背中が曲がっているせいでカーマルと同じぐらいの背丈になっていた。


「ユイナ、いま出してやる」


 カーマルが鉄格子に駆け寄り、取り出した鍵で牢獄を開けようとする。なかなか鍵が回らないのか、ガチャガチャと音を鳴らしている。


「ランプを持ってこい。手許が見えない」


 仮面の魔術師がランプで(じょう)を照らす。

 照らされたカーマルの顔が焦っているように見え、柳眉を潜める。


「な、何かあったのですか?」

「まずい事になった」

「まずい事……?」

「今は時間がない」


 カーマルは牢獄に入って来ると、ユイナに駆け寄り、拘束具をはずしにかかった。まずは両手首を壁に縛り付けている手枷(てかせ)、それから額に巻かれた封魔帯へと手を伸ばしてくる。まるで蜘蛛のように迫ってくる指に、思わず身を引いた。


「な、何をされるのですか……!」

「君を城から出してやる」


 ユイナは息を呑む。


「そ、それは、私に逃げろという事ですか」

「そういう事だ。ここを脱出したら林に隠れていろ。私は君を逃がした後で城門から出る。そして林道で合流を――」

「嫌です。もう逃げたくないんです。罰があるなら受けますし、スパイという疑いも晴らしたいんです。それに、こんなところを見つかったら言い逃れはできません。今ならまだ間に合います、もとに戻してください」

「それは出来ない。ここにいたら君は自白剤を呑まされてしまう」

「じはくざい?」


 初めて耳にする言葉に眉をひそめる。


「思考を麻痺させ、ウソをつけないようにする劇薬だ」

「うそをつけないようにするなら、私がスパイではない事も白状できるんですね? それで私がスパイでないと分かるなら、私はその自白剤を呑んで潔白を証明します」

「無謀だ」


 カーマルは顔を顰めて首を振る。


「君は事態を甘く見ている。自白剤には人格を壊す作用があるのだぞ。しかも今回使われるのは《人形の粉》の異名を持つネプルスの白粉(おしろい)だ」

「――君はネプルス降臨祭を知っているな」


 カーマルの後ろで沈黙を守っていた猫背の魔術師が、のどを押し潰したようなしゃがれ声で訊いてきた。薬術でもしているのか、強い薬草のにおいがした。


「は、はい。多くの死傷者が出たために何十年も昔に禁止された降臨祭だと教わりました」

「そうだ。これは秘匿されている事だが、ネプルス降臨祭は儀式が危険なのではなく、そこで使用する白粉が危険だと分かっている。白粉が舞姫の人格を蝕み、言葉もしゃべられない生きた人形にしていたのだ。だからネプルスの白粉は裏社会で“人形の粉”と呼ばれている。

 それを呑まされた人間が無事でいられると思うか? 君がここに残り、スパイでないと証明できたとしても、それと引き換えに君は心や言葉を失うだろう。自分で歩く事も食事もできない人形に成り果てた人間がどんな扱いを受けるか、君は想像したことがあるか?」


 非人道的な話に衝撃を受けてめまいがした。


「どうしてそんな酷い事ができるんですか」

「君はメリル王女に憎まれているからだ」


 カーマルが会話の主導権を引き戻すように言った。


「少なくとも、君はメリル王女の使い魔を殺しかけた」

「使い魔? ……テンマ、ですか」


 慎重に問いかけるユイナに、カーマルは首を縦に動かす。


「自白剤を呑ませるのはメリル王女の決定だ。私は反対したのだが、誰も君の味方をする者はいなかった。もう逃げるしか道はない」


 ユイナはカーマルの言葉にハッと顔を上げる。


「誰も……? そ、そんな……ぅそです……だってアレスは」

「アレス? あの人間が君に何か言ったのか……だとしたらそれは忘れろ。あいつは口だけの男だ」

「…………」

「あの男は君を助けには来ない。それが分からないのか」


 責めるように言われ、ユイナは泣きそうになった。

 アレスはメリル王女を止めてくれなかったのだろうか。

 耳もとで囁いてくれたあの言葉は嘘だったのだろうか。

 もう何が何だか分からなくなって涙が零れそうになった。そんなユイナをカーマルが抱き寄せてきた。心を許していない男に抱きしめられるのは、奴隷商人に捕まるような恐怖だった。

 シェスの死に顔を思い出してしまい、


「やめて!」


 反射的に突き飛ばしていた。

 自分を抱き締めて震えを鎮めようとする。

 だが、尻餅をついたカーマルが眉間に縦皺を刻んでいるのに気付いて焦った。


「ご、ごめんなさい。抱き締められる事に慣れていないもので……」


 しかし彼の険しい視線は緩まなかった。きっと、貴族で生まれてきた彼は石畳に尻餅をつくなど初めての経験だったに違いない。


「あの……ごめんなさい」

「いい。今は脱出が先だ」


 カーマルは不機嫌を隠しもせずに手を差し伸べる。

 ユイナは、突き飛ばした後ろめたさからその手をとって立ち上がった。


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