孤独の闇と二人の剣舞11
「動くな!」
林から飛び出してきたウィンスターの魔術師が魔口を開いた。
だが、相手がアレスだと知ると目を見開いた。
慌てて魔口を閉じ、敬礼する。
「こ、これは失礼しました」
声が震えている。協力関係とはいえ、銀狼のアレスは、ウィンスターの魔術師にとって畏怖を与える存在のようだ。
「何があったのですか?」
後ろ手に縛られたユイナに眉をひそめ、アレスはフードを被り直して言う。
「ちょっとしたいざこざだ。ここはいいから持ち場に戻ってくれ」
「わ、わかりました」
「いくぞ」
ちらちらと視線を送る魔術師を背にして、ユイナは両脇をアレスとザイの二人に固められて林道を歩いた。額には魔力封じの帯を巻きつけられ、後ろ手にされた両手首も縛られている。捕虜の格好だった。しかし、ユイナはまっすぐ前を向いて歩いた。せめて気持ちだけは、捕虜になりたくなかった。
私はこれから、貴族の舞姫になりに行くのだから。
ユイナはそう思うことで自分を励ました。
林道を抜けて草原に出る。ユイナは顔を上げて草原の向こうに聳える城を見詰める。岬の上に建造されたメリル王女の城が見下ろすように待ち構えている。ユイナも、アレスも、ザイも、それぞれの胸の内を沈黙で隠したまま城に向かって歩いていた。
「ユイナ、聞いてもいいか?」
草原も半ばまで過ぎた頃、アレスが沈黙を破った。ユイナは身構え、腹をくくってから首を縦に動かす。どんな質問にも正直に答えるつもりだった。しかし、アレスの質問はそんなユイナを動揺させるものだった。
「どうしてペントを借金の形にした」
彼の声は普通の男性よりも一回り野太く、それでいてどこまでも突き通る。狼の声に似ているのか、耳に響くというよりも体の芯を揺さぶってくる。その声で問い詰められると、どきりとして足が止まりそうになった。ザイはちらりと振り向いたが、あまり興味なさげに城へと視線を戻し、遅くなりかけた歩調を戻すようにユイナの腕を引く。
ユイナはつまずきそうになりながら歩調を戻し、「そ、それは……、そうしないと信用できないといわれたから……」と、どもった。
長い沈黙の後、アレスは確かめるように口を開いた。
「カーマルが持っている誓約書だが、本当にサインしたのか?」
「……はい」
自分でも驚くほど、消えてしまいそうな声だった。
「そうか」
失望にも聞こえる声が胸に突き刺さった。一番信じてほしい人に落胆されることが、辛い。アレスは味方でいてくれると思っていた。だって彼には、ユイナを事件に巻き込んだ負い目があるから。
「もう一つ聞かせてくれ」
「………」
無気力な瞳で見上げる。
「カーマルの花嫁になるために戻ってきたのか」
聞かれたくない質問だった。
ユイナはうつむき、瞳を伏せたまま首を縦に動かす。
「……そうか」
アレスは城門の前で立ち止まり、小さくため息をつく。それから城門の上にいる魔術師に開門の指示を出した。
城門は巨大で、そこに刻み込まれたシルバート王家の紋章が威圧するように立ちはだかっている。シルバートから逃げてきたユイナにとって、それは裁きの門にも見えた。
裁きの門、それは死者が通る門だと云われている。世界中の生きとし生ける物は命を失うと魂になり、天へと昇って行く。その途中に裁きの門は存在し、天を目指して昇る魂はそこで人生最大の選定をされる。清らかな魂は天界へと昇ることを許され、逆に汚れた魂は地獄へと落とされる。天国に辿り着いた魂には安寧が与えられるが、地獄に落とされた魂は悠久の時を落ち続ける。
ぎゅっと握った拳の中に、じわりと不安が生まれた。
ペントを人質から解放するために戻ってきた。貴族の舞姫になるために戻ってきた。しかし、その前向きに進もうとする決意は、巨大な城門を前にして立ち竦み始めている。
その時、城門横にある召使い用の扉が開かれた。
アレスとザイに連れられて扉をくぐり、中庭へと足を踏み入れる。そして、二階からの視線に気付いた。孤児の男の子が顔を窓から出し、二つの目でユイナを凝視していた。害虫でも見るような白い目。しかも、向けられた視線は一つだけではない。中庭に面した窓という窓から孤児たちがユイナを凝視しているのだ。窓の暗がりに無数の白目が浮き上がって見え、ユイナは自分の足が震えているのを感じた。
「とりあえず、地下牢だな?」
「ああ」
アレスとザイに連れられ、地下の牢獄へと向かう。長い石段を下りていくと、太陽の光さえ細くしぼられた薄暗く湿り気のある部屋に下り立った。
「ぁ……」
ユイナは思わず声を漏らす。
城に一つだけある堅牢な牢獄。そこにはすでに先客がいた。闇に包まれて顔は確認できないが、小さな体格からしてペントだというのは分かった。彼は人質として牢獄奥の壁に縛り付けられているようだった。
アレスは鍵を開けて牢獄へと入って行き、ペントの拘束具を外しにかかる。それを終えると、ペントを立ち上がらせ、牢獄から出るように言う。
ペントが牢獄の出口に近付いてくる。裸足なのかペタペタという足音が響いた。
ユイナはぎゅっと唇を噛み締め、顔を逸らしていた。
ペントは内心を打ち明けられる大切な人だ。そんな人は他にはティニーやアリエッタしかいない。
だから多額の借金を負ってまで彼を助けるための薬草を手に入れた。そんな大切な人だからこそ、彼を人質に差し出した罪に堪えられない。どんな白い目よりも、ペントの目を見るのが怖かった。彼の真っ直ぐで汚れのない瞳が、大きな針となって胸に刺さってくるのが怖かった。
「ユイ姉さん……」
ごめんなさい。
謝りたかったが、罪の意識で胸がつぶれて声にならなかった。
牢獄を出たペントと入れかわりに呼ばれ、身をかがめて牢獄の中へと進み出る。そして壁を背にして、アレスが手首に拘束具を縛りつけるのを待つ。重い施錠音がしてまずは右手が固定された。さきほどまでペントが付けていたにもかかわらず冷たい。病み上がりで体調も整っていないのに囚われていたのだ。大切な人を苦しめている時に踊っていたことがさらに胸を痛ませた。
「もう少し体を横に向けろ。縛りにくい」
言われて体を動かす。アレスも闇の中で体を動かして牢獄の入口に背を向けると、ユイナの耳元で囁いた。
「――――――――」
身構えていたユイナの心に、彼の囁きが一滴の雫となって落ちた。雫は心に波紋を広げる。
アレスは何事もなかったかのように牢獄を出て鍵を閉めると、ペントの手を引いてザイとともに石段を登っていく。ユイナは一人、牢獄の暗闇に取り残された。
胸の辺りが震えている。しかしそれは寒気や恐怖を訴える震えではなかった。
目を閉じてみると、心に落ちてきた雫の残響が聞こえる。
――かならず戻ってきてくれると信じていた。ペントを見捨てて逃げるユイナを、俺には想像できなかったから。
アレスは確かに、そう言ってくれた。
彼が信じてくれている。それだけで心が強くなった。




