孤独の闇と二人の剣舞10
明け方、ユイナはいつもより早く目覚めた。シェリセーラはすでに起きており、朝食を作っていた。そのおいしそうな湯気に鼻をくすぐられたのだ。
外に出て泉の新鮮な水で顔を洗い、それから二人で朝食をとった。薬草を浮かべた泉水は、すっきりとした味がしておいしかった。
「ユイナ。お別れの前に、もう一度だけ踊りましょう」
朝食後、シェリセーラに天女の踊り場へと誘われた。白くあたたかな陽光とまだまだ冷たい空気が同居する朝だった。
ユイナとシェリセーラは小橋を渡り、天女の踊り場で向かい合う。挨拶を交わしてお互いの手をつなぎ、踊り始めた。
伴奏なんてない。あるのは風の音、草を踏む音、シェリセーラの手から伝わってくるダンスのリズム。朝日がお互いを照らしてくれるためか二人の呼吸はピタリと合っていた。互いのパートを踊るために離れた手が、空中で再び繋がった時、寸分の違いもない。
自分の手がこれほどまでに他人の手を握れる事を知らなかった。握り合った手はがっしりとお互いを繋ぎ合わせている。
踊り終わり、二人はお辞儀を交わした。
ユイナは顔を上げてシェリセーラと見詰め合い、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございました。なんだか元気が出ました」
「こちらこそ楽しかったわ」
そう言って微笑むシェリセーラがまぶしかった。別れるのが惜しかったが、それを振り切るように彼女からもらった帽子を頭に被り、舞姫学校の制服をたたみ入れた袋を持ち上げる。
「私、そろそろ行きますね」
「ええ、行ってらっしゃい」
シェリセーラはそれだけ言った。そしてユイナが丘を越えて見えなくなるまで天女の泉から見送ってくれた。それだけで充分だった。
オルモーラの街を眺めながら歩いていると、左方向にレンガ造りの建造物が見えた。何日か前にアレスやオーデル伯爵に連れられて訪れた研究所だ。それが随分昔のことのように思える。
オルモーラの研究所を追い越して林道へと入る。木々でメリル王女の城は隠れてしまうが、道は城へと続いているので迷わないはずだ。それより問題なのはメリル王女の城にたどり着いた後だ。どんな言い訳をしても、テンマを魔術で攻撃した事実は変えられない。最悪の場合、テンマが魔力中毒で死んでいる可能性もあった。
「もし死んでいたら……、でも、城から助けに出てきた人もいたし、解毒薬だって残っているはずだから……」
恐ろしい想像から目を逸らすために、希望的観測にすがり付いた。その時、不意に後ろで小枝の折れる音がした。
「覚悟はできているんだろうな」
男の声にユイナは振り返る。そして林の陰から出てくる人を見た。ザイだ。彼は鋭い視線で睨みつけている。ユイナはドキッとして危うく魔口を開きそうになった。それを必死で抑え込む。
ザイは無手だった。武器の類は何も持っていない。だが、その瞳には刃を突き付けるような危うさがあった。彼の体から零れ出る魔力が、威圧してくる。
ユイナはごくりと咽を鳴らし、恐る恐る口を開ける。
「あ、あの……テンマは……無事ですか」
ザイは質問に答えず、口の中でぶつぶつと何かを呟き始めた。それが呪文の類だと気付いたユイナは背筋に寒気を感じた。ザイは魔術を使おうとしている。彼から溢れてくる魔力がそれを語っていた。
ザイは両方の手を叩き合わせ、それから合わさった両手を再び引き離した。その瞬間、莫大な魔力が放出され、両手の間に魔口が開かれた。しかし、それは普通の魔口とは違う。本来なら黒いだけの穴に、幾何学的な紋様が浮かんでいた。ザイはその特殊な魔口に片手をねじ込むと、自身の背丈ほどもある棍棒を引っ張り出した。
凶器の出現に足がすくむ。
「や、やめてくださいっ!」
危険が迫り、防衛本能が目覚める。体内に潜んでいた魔力が恐怖を吸って空間に放出され、巨大な魔口を生み出す。魔口に収まりきらない力が黒い稲妻となって放電されている。シェリセーラにもらった帽子が風を受けて落ちる。
ザイは、「そうか」と呟く。
「その暴走した魔術がテンマに重傷を負わせたんだな。そして今度は俺か」
「こ、これは違います……! ザイがそんな武器を出すから」
防衛本能が魔口を開かせたのだ。だが、そんな言い訳が通用するわけがない。
ザイは棍棒を構えて攻撃の体勢をとり、冷たく宣告する。
「お前は危険だ」
林道の中央で、ユイナとザイはにらみ合った。ザイは棍棒を構えたまま隙をうかがい、ユイナは魔口を空中に浮かせて牽制し、この場を切り抜ける最善の方法はないかと考える。
「!」
ザイがすり足で間合いを詰めてきた。ユイナは後ずさりする。
「わ、私は争うつもりなんてありません。本当はテンマを傷付けるつもりもありませんでした。だけど、とつぜん空から襲われて……殺されてしまうと思ったら、魔口を開いていたんです。……テンマには酷い事をしたと思っています」
「瀕死の重傷を負わせて逃げておきながら今さら謝って許されると思うなよ」
「いえ、私は……」
「お前はテンマを殺そうとした。暴走した魔力がその証拠だ。殺意がなければあれほど腐りきった魔力は生まれない。テンマを看病したカトレアが魔力の毒に当てられることもなかった」
そう言ったザイの身体が音もなく横に動き、林の中へと消えた。
次の瞬間、真横で枝の折れる音がした。振り向くと、樹木を足場にして横っ飛びしたザイが棍棒を突き出してくるところだった。
「!」
咄嗟の反応で魔口を動かし、凶器を受け止める。いや、受け止めきれずに吹っ飛ばされた。だが、次の攻撃にそなえてザイに魔口を向けている。
ザイが魔口の射線から身を隠すように反対側の林へと消える。
次の攻撃が来る!
そう思った瞬間、ユイナの目は冴えた。窮地に追い込まれたことで迷いという曇りがなくなり、木々の間を駆け抜けるザイの姿を瞳の中に捉えた。
獣のように地を這うザイが何かを拾い上げ、予備動作もなく腕をしならせてそれを投擲する。極限まで引き絞られた矢のように鋭く飛んできたのは、拳大の石だった。それがユイナの太ももへと吸い寄せられるように迫り、ユイナは本能に突き動かされるまま横へと転がった。標的に躱された石は、枝を圧し折って破砕する。
チッ、とザイの舌打ちがした。
転がったユイナは地面を突き放すようにして跳ね起きると、手の平を横に動かして魔口を移動させ、眼前に迫っていたザイの棍棒を再び受け流す。
逸れたザイの攻撃が魔口を歪ませ、さらに道端の樹木を粉砕する。
「やめてください! 私は戦いたくないんです! どうして戦わないといけないんですか!」
ユイナは手の平を、そして魔口をザイへと向けて叫んだ。魔口という武器を向けたままでは説得力に欠けるのは分かっている。だが、明確な殺意を剥き出しにしてくる相手を前にして魔口を消せる余裕はなかった。
ザイはふらりと立ち上がる。その目は憎しみをにじませている。
「カトレアはお前のせいで毒に犯された。俺にはお前を倒す理由がある」
不意にザイが動いた。そのまま魔口の陰に飛び込んでくる。まさか魔術の射線に突っ込んでくるとは思っていなかったユイナは完全に虚をつかれる。その一瞬の隙が間合いへの侵入を許してしまった。魔口の右上から跳躍したザイが顔を出す。その時には彼の手に握られた凶器が唸りを上げて眼前に迫っていた。
あまりに突然のことで魔口が移動しない。いや、魔口を動かせた所で今さら間に合う距離でもない!
腕をクロスさせたユイナは、迫り来る凶器から顔を逸らし、ギュッと瞳を閉じた。
激痛が来る! それを覚悟した瞬間、「やめろッ!」と狼の声が上った。
薄目を開けた視界に魔術師のローブが広がる。ザイの手から投げ出された棍棒がユイナの前髪を切り裂き、道端の樹木へと突き刺さる。だが、ユイナは違うものを目で追っていた。
二人の男がもつれ合うようにして路上を転がっていく。すさまじい砂ぼこりと、骨が折れるのではないかと思えるような掴み合い。そして、何メートルも転がった二人の男は木に激突して止まった。
ユイナはぺたりと尻餅をつき、道端に転がる二人の男を見詰める。
最初に起き上がったのはアレスだった。次いでザイ。ザイは起き上がるなりアレスを睨み付けた。
「止めるな、アレス」
「ユイナを傷つけるつもりか」
「そうだ。そうでもしなければ気が済まない」
「……本気で、言っているのか」
アレスはザイの本心を探るように聞いた。しかしその声音は不穏な空気をにおわせている。返答しだいでは再び血を呼ぶ争いになりそうな緊張に張り詰めていた。
その時、ミシ、ミシミシッと軋む音がした。
「!?」
振り向いたアレスは、ユイナの方へ顔を向けて黒瞳を見開く。
「ユイナ! 後ろだ!」
「……え?」
恐る恐る振り返り、視線を持ち上げた。
背後にある樹木が傾いている。幹にはザイの棍棒が突き刺さり、破砕された樹木が重力に耐えられなくなって傾いていた。
バキバキ!
壊滅的な音とともに樹木が折れ、倒れてくる。
その場から逃げようとしたが、尻もちをついたまま動けない。腰が抜けたのか、それとも足の関節が外れたのか、自分の足がまるで言う事を聞かない。地面に釘付けにされていた。ユイナは迫りくる樹木を睨みつけ、心の中で叫んだ。
開いて魔口!
体から全力の魔力を解放した。一瞬で樹木を木っ端微塵にできるほどの魔力が空間を引き千切り、巨大な魔口を開こうとする。
「やめろ! 魔術は使うな!」
アレスが制止して駆け出す。だが、一足遅い。解き放たれた魔力は空間をねじ切り、魔口の卵とでもいうべき黒点を生み出した。その黒点を中心にして魔口は急激に成長しようとする。そこに手が伸びてきた。
「!?」
アレスが左手で魔口を握り、右腕で樹木を受け止める。
ユイナは驚愕し、魔力の放出を止めた。しかし、開き始めた魔口は空間ごとアレスの手をえぐっていく。
「ガアアアアアアァァァァァ!」
苦痛の叫びが、胸に突き刺さってくる。
バリバリバリバリ!
アレスの手中で魔口が暴れ、指の隙間から黒い稲妻が迸っている。今にも爆発して指を千切ってしまいそうだ。
アレスは絶叫を噛み殺すように歯を食い縛ると、すさまじい握力で指の隙間を狭くしていった。そして、最後には強引に魔口を握り潰した。
アレスが右腕で受け止めていた樹木を押し退ける。
巨木が地面に落ちる衝撃で大地が揺れた。
「くっ……!」
アレスは左腕を押さえてその場に蹲った。
呼吸が荒く、全身から脂汗をしたたらせていた。
ユイナが全力で解放した魔力だ。それを受け止めて無事であるはずがない。
魔口を握り潰した左手は、指先が黒く変色していた。魔力中毒だった。
ユイナはどうすればいいのか分からず、苦しげなアレスを前に喘いだ。
「ぁ……ぁ……ぁ……手が……」
「大した事は、ない……これなら、治せる……」
アレスは左手首を押さえて毒が腕へと流れないようにして立ち上がると、気合とともに左腕を鋭く横薙ぎにした。アレスの指先から毒が放出され、空間に黒い稲妻が走る。
アレスはがくりと膝をつく。その左手は色を取り戻し、毒が抜けているようだった。彼は薬草も無しに自力で毒を払い除けたのだ。シルバートで最強と謳われた魔術師の力が、今になって分かった。だが、その魔術師でも疲労困憊だ。ぐったりとした顔でユイナを見詰める。
「身体の痺れはないか?」
「え?」
「ユイナの魔術は危険だ。魔力の毒で身体が壊れるぞ。大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫です……今はなんともありません」
そうか、とアレスは安堵したものの、険しい顔をした。
「魔力の毒が危険だと学校でも教わっているはずだ。俺の黒くなった手を見ただろ。ユイナの魔術は暴走している。そして、魔術はこの世にとっても毒なんだ。だから、もう魔術は使わないでくれ」
アレスは悲痛な面持ちで言った。
しかしユイナの放心した顔、涙さえにじむ瞳に気付き、唇を噛む。
「すまない。苦しめてばかりだな……ユイナを傷付け、巻き込んで……。俺が憎くて憎くてしょうがないだろう。だが、どうして何も言ってくれない。どうして一人で抱え込もうとする。俺は少しでも罪を償いたい。それすらもさせてくれないのか」
ユイナは返答できずに、ただただ首を振る。
彼のせいで反逆者の罪を着せられたのは事実だ。しかし、彼が必死に罪を償おうとしていることも知っている。大切に思ってくれる彼を、どうして責められるだろうか。
「カトレアの心配もそれくらいしてやったらどうなんだ」
立ち上がったザイが横槍を入れた。アレスは振り向く。
「俺はカトレアも心配している」
「いいや、実の妹よりその女を気にかけている。そいつは内通者かもしれないんだぞ。か弱い女のふりをしながら、裏では虎視耽々と俺達の首を狙っているかもしれない」
「数日間だけだが、俺はユイナと寝食をともにしてきた。とてもじゃないが内通者という柄ではない。それに自分なりの正義を持っていて、少なくとも悪い人間とは思えない。だから俺はユイナを信じている」
「甘い。そうやって信じて、ラインハルトに裏切られたんだろ。今では侯爵殺しの濡れ衣まで着せられて、反逆者に祭り上げられている」
え? とユイナはアレスを見上げる。アレスはバツの悪い顔をしていた。
「否定はしない。確かに俺はラインに裏切られた。正直、信じることの難しさを突き付けられたと思っている。だが、ラインはラインだ、ユイナとは違う」
「…………」
「ザイ、俺達まで疑い合ってどうする。俺達はこれから世界中の人々を信じて、魔術をやめるように説得しなければならないんだ。それがたった一人を信じられなくてどうする」
「綺麗事だ」
「そうだ。綺麗事だ。俺達が選んだ道はそういう道だ。……いや、実際は綺麗事だけでは済まなくなってきているか」
アレスは自嘲するように言い、それからユイナとザイに顔を向けた。
「魔術にはとてつもない破壊力がある。歴史で習ったかもしれないが、ひとりの魔術師によって滅ぼされた国もあるほどだ。今や魔術師の脅威は知れ渡り、世界中の国が魔術師を召し抱えるようになった。だが、魔術には害がある。魔毒で人々を侵すだけでなく、自然を穢し、世界すらも滅ぼしてしまう。信じられないかもしれないが、このまま魔術が使われ続けたら、大地は崩壊し、海に沈むだろう。俺達はそれを止めるために活動している」
――大地が、海に沈む?
「もちろん、魔術さえ使わなければ問題はない。ところが、ラインハルト侯爵が最悪の力に手を出してしまった。魔神骨を蘇生させ、世界に宣戦布告しようとしている」
「また、戦争になるのですか?」
先の戦争で多くの人が死んだというのに……。
アレスはうなずく。
「俺達はそれを止めたい。デルボとかいう油の準備さえできれば、魔神骨を消滅させるために打って出る予定だ」
ザイがアレスをにらむ。
「それを内通者の前で言うなよ」
「本当に内通者ならどうして戻ってきた?」
「…………」
「とにかく今は、ユイナを連れて帰るのが先だ」
「!」
尻餅をついたままのユイナの前に、アレスが片膝をついた。
「頼む。今は大人しく捕まってくれ。絶対悪いようにはさせない」
ユイナは小さく頷いた。
アレスは頷き返し、ローブの中から紋様の描かれた包帯を取り出す。
「これを額に巻かせてくれ。心配ない。これは封魔の帯と言って、魔力を遮断するためのものだ」
もう一度、首を縦に動かす。
「わかりました」
許可を得たアレスは、ユイナの額へと指を伸ばし、そよ風に揺れる前髪をかき上げると、帯を額に当てた。
頭に帯を巻かれる感触があたたかく、目を合わせられずに瞳を伏せた。




