孤独の闇と二人の剣舞9
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遅い夕食の後、ユイナは自分が置かれている境遇を打ち明けた。
弟みたいに大切な男の子を傷付けてしまった事、その治療薬をある人物から譲ってもらうために三日以内に十万ギロを支払うと約束した事、そして、借金が返せない場合は相手と結婚しなければならないという事。今まで誰にも打ち明けられなかった事をシェリセーラに打ち明けていた。
身の上話をしたのは、遣る瀬無い想いを誰かに受け止めてもらいたかったからだ。
シェリセーラはただじっとユイナの言葉に耳を傾け、最後に「ごめんなさい」と謝った。
「貴女がそんな境遇に置かされていたなんて……、酷い事をしてしまったのね」
「しょうがないです。優勝できなかったのは、私の力が足りなかっただけですから」
「出来ることなら十万ギロを立て替えてあげたいのだけど、そこまでの大金は持っていないの……大した事はしてあげられないけれど、せめて今日はゆっくり休んで」
「……はい」
ぽたぽたと涙が落ちた。優しくされると、今まで抑え付けてきた想いが涙となって溶け落ちた。そして疲れも溜まっていたのか、目蓋が重くなっていった。
ゴトン。
ユイナは額に硬いものが当たるのを感じて目を覚ました。
いつの間にかテーブルに突っ伏して寝入っていた。顔を上げると、暗い部屋をランプの弱々しい炎が照らしていた。シェリセーラにかけてもらったのか、薄い毛布が肩からずり落ちかけている。
「シェリセーラさん?」
目をこすって部屋を見回す。シェリセーラは向かい側の席に座っていたはずなのだが、今は空席になっていた。キッチンや寝室にも目を向けてみるが、誰もいない。暗さ以上に寂しさを覚えた。
出かけたのだろうか。いや、出かけると言っても、こんな夜更けにどこへ出かけるというのだろうか。夜に染まる窓の外は深深としている。
どうにも落ち着かない気持ちになり、イスから立ち上がって扉に近付いた。鍵はかけられておらず、扉は静かに開いた。それと同時に夜風が流れ込んできて頬をくすぐる。少し肌寒くも心地好く、澄んだ夜風だった。
月夜の下で世界は寝静まっていた。道の先にあるオルモーラの街も明かりを消し、今は大地とともに眠りに落ちている。
ユイナは何気なしに小屋の裏側へと向かった。なぜかは分からない。裏手にシェリセーラがいるような気がしたのだ。
小屋の壁に手をつきながら足許の花壇に注意して裏側へ回ると、そこには天女の泉があった。裏側に回るまでその存在に気付かなかったのだからあまり大きな泉ではない。
わき上がる泉水は夜の色を吸い込んだように黒く澄み渡り、夜空の弦月を水面に閉じ込めていた。水面の月影をふくよかな人影が跳び越えた。シェリセーラだ。彼女はロングスカートの舞踊ドレスに身を包み、天女の踊り場で何かを祈るように舞っていた。ユイナの知らない舞だった。舞姫学校で習う舞に、あんなものはない。
近くで見ようと泉のほとりへと歩みを進めた。
シェリセーラの舞は若々しく、一見すると彼女が年配であることを忘れさせた。
蒼い月に照らされる泉と、そこで静かに祈るように舞う女性が、穏やかで幻想的な空気を作り出している。
シェリセーラは神秘的だった。まるで夜風と戯れる天女のように舞っている。
吹き付ける夜風がリズミカルに水面の月を波打たせ、それに合わせてシェリセーラの体が軽やかに舞う。
違う、シェリセーラの舞に合わせて風が舞っている……?
天女の踊り場で舞うシェリセーラが、自然を操っているような気がした。
それはきっと目の錯覚なのだろう。こんこんと湧き出る水がたまたま彼女の舞と重なり合って水面を揺らし、幻想的な空気を作り上げているにすぎない。
でも、確かな事が一つだけあった。シェリセーラは只者ではないという事だ。彼女の動きはまるで清流のように流麗で、そこから生み出される舞はユイナの瞳を捕らえて離さない。すっかり魅了されてしまっていた。
シェリセーラはゆっくりと舞をやめて月と周りの自然に向かって深々と頭を下げる。天女の泉を満たしていた空気も薄れ、夜風がもとのリズムを取り戻したような気がした。それは彼女がまとう雰囲気から生み出された錯覚なのかもしれない。
「外に出歩いてもいいの?」
呼ばれて我に返ると、シェリセーラがこちらを見詰めていた。
ユイナは頷く。
「いいんです。戻る事にしましたから。もう、逃げるのは疲れました」
自暴自棄に聞こえたかもしれない。ユイナにも、覚悟を決めたセリフなのか、それとも自分を捨てた言葉なのか分からなかった。
「こちらにいらっしゃいユイナ。そちらに橋があるわ」
手の平を広げて示してくれる方向に小橋がかかっており、天女の踊り場へと続いていた。ユイナは橋に足を乗せ、泉の上をゆっくりと渡る。
橋から見下ろす水面は、湧き出る泉でゆらゆらと月影が揺れていた。
小橋を渡りきり、天女の踊り場へ、シェリセーラの舞台へと足を踏み入れた。足許の青々とした草がサラサラしている。
「天女の泉……こんな所にもあるんですね」
「そうよ。いい所でしょ。ここでオルモーラの子供達に踊りを教えているのよ」
シェリセーラは微笑みかけ、ユイナはごくりと咽を鳴らす。月光下のシェリセーラが、一瞬、ふっくらとした妙齢の女性に見えた。
「さっきの舞は何ですか? 私、あんな舞を見た事がありません」
シェリセーラはくすりと笑う。
「そうでしょうね。即興で出来上がった舞だから」
「即興で? そんな……とてもそんな風には見えませんでした。どうしてあんなに綺麗な舞を創れるんですか」
そうねぇ、とシェリセーラは少し考える。
「自然と一つになる事かしら。自然と一つになって流れを感じ取るのよ。私はそれを全身で表現しているだけ。だから創ると言うのは表現が違うかもしれないわね」
「流れを感じ取るって、どういう事ですか。風の流れを肌で感じるという事ですか」
「風だけじゃないわ。風も、水も、光も、影も、空も、大地も、天女が創り出した自然そのものを感じ取るの」
「それで踊りが浮かんでくるのですか?」
「浮かんでくることもあれば、こないこともあるわね。気紛れだわ」
シェリセーラはそう言って苦笑し、それから月を見上げる。
「私は自然と心を通わせたいと思っているの。人は自然から切り離されて生きてはいけない。オルモーラの街も油花という恵みのおかげであそこまで大きくなる事ができた。自然は私達が生きるために必要なものを分け与えてくれる。だけど、自然は私達の言葉で語りかけてくれない。私は、そんな自然と心を通わせたいの。そのために踊っているのよ。どう? 貴女も一緒に踊らない?」
突然の誘いに、ユイナはどぎまぎした。
「私には無理ですよ。即興で踊ったことないんです」
いつも既存の舞踊ばかり踊っていた。自分で創り出すなんて考えたこともない。
「それじゃあ、即興でないやつならいいのね?」
「え? まぁ、はい」
「それじゃあオルモーラに伝わる民族舞踊を教えてあげましょう。俗に言うフォークダンスというやつね。私が男役をやるから、ユイナは女役をやってね。とりあえず私が通しで手本を見せておきましょうか」
ユイナは頷く。それにシェリセーラも頷き返す。
「まずはパートナーと挨拶。女性の挨拶はこうよ。それから相手と手をつないで――」
シェリセーラは活き活きとフォークダンスを踊り始めた。かなり躍動感のある踊りのようで、何箇所かは男役のしっかりと掴んでくれる手がなければ転んでしまうものだった。相手がいなければ踊れない踊りなのだ。
「こんな踊りがあったんですね……」
社交場で男性と踊った事もないユイナは、フォークダンスに鮮烈な衝撃を受けていた。
「さぁ、一緒に踊ってみましょう。オルモーラのフォークダンスは激しい事で有名なの。呼吸が合わないとすぐに転んでしまうわよ」
その言葉通り、月明かりだけでは足許もよく見えず、ユイナはシェリセーラの足に躓いて何度も転んだ。
「むつかしいですね」
「月明りしかないのだから仕方ないわ。でも、貴女は呑み込みが早いわ。それに、こんなにウキウキするのは久しぶりよ」
「わたしもです」
自然と笑顔になる。
夜が更けるのも忘れて夢中で踊った。
くるりと回って手を伸ばすと彼女の手が待ってくれている。相手を信頼し、その信頼に応えてくれる相手がいる。それがどれ程心地好い事なのか、ユイナは初めて知った。
「心のこもった言葉に人々が感動するように、踊りにも人々の心を揺り動かす力があるのよ。魔術のように目に見える力ではないけれど、計り知れないほどの魅力を踊りは秘めているの。どう? 二人で踊るのも楽しいでしょ」
最後まで踊りきった時、シェリセーラは笑顔で言った。
そうですね、とユイナも笑顔で答えた。
気持ちが軽くなっていた。
火照った体に夜風が心地好い。その心地好さに涙がにじみ始めた。
「こんなに清々しい気持ちになれたのは久しぶりです。出来る事なら、ずっとこんな気持ちで踊っていたいです……」
心の緩みから零れ出た本音だった。しかし、その願いがかなえられないこともわかっている。
「ずっとここにいてもいいのよ?」
包み込むようにやさしく誘われ、ユイナは微笑みに涙を浮かべた。
誘われた嬉しさと、彼女の言葉に甘えていられない悲しみがない交ぜになっていた。
「ありがとうございます。でも、その誘いは遠慮させてください。私、いろんな所に大切な人を置き去りにしてきているんです。その人達にはたくさんの御恩があって……、私はその大切な人達に恩返しをすると心に決めているんです。だから、明日の朝には戻ろうと思います」
国家反逆者として捕まり、穀物倉庫に閉じ込められていたユイナを助けたペント。今度は、そのペントを人質から解放するためにカーマルの所へと嫁ぐ。
だが、彼の所に戻るという事はアレス達が待ち構えるメリルの城に戻るという事だ。これから先、どんな未来が待ち受けているのか、ユイナには想像できなかった。




