孤独の闇と二人の剣舞8
道を進んでいくと、なだらかな丘の頂上に一軒の小屋が見えた。
「あれが私の家よ」
その言葉に、首をかしげた。
シェリセーラが舞姫学校に通っていたのなら貴族のはずだ。だからもっと大きな豪邸を想像したのに、夜に浮かぶ黒いシルエットは小さく、馬小屋と間違えてもおかしくない。
しかし、近付いてみると玄関の横に花壇があったり、屋根の庇から木製の看板が掛けられていたりとしゃれていて手入れも行き届いているのが夜目にも見て取れた。
シェリセーラは扉の鍵を開けて暗い室内へとユイナを呼ぶ。他人の家に抵抗のあるユイナが迷いつつ戸口に立っていると、暗い部屋の奥でマッチを擦る音がしてランプの明かりが灯った。ランプに照らされてこぢんまりとした部屋が浮かびあがる。
中央に木製の丸テーブルがあり、その奥と手前にイスが二つずつ、右にはオーブンを備えたキッチンがあり、左にはクローゼットや寝台がある。部屋の中央に視線を戻すと、シェリセーラがイスを引いて手招きしている。
「ここに座っていて。私はシチューを温めるから」
家に入って扉を閉めたユイナはテーブルに近付き、シェリセーラの鼻歌交りの背中を見やりながらイスに座る。しばらくするとシチューの香りが漂ってきて、ひどい空腹で腹と背中がくっつきそうになった。
よく考えてみれば朝から何も食べていないのだ。朝食会は疑いの目が怖くて参加していないし、昼食も借金を返済するために急いでいたので何もとっていない。
すべては薬の代金を手に入れるためだったのに、結局、十万ギロを手に入れる事はできなかった。期限は明日に迫っているが、十万ギロを用意する手立ても見込みもない。もしこのままユイナが城に帰らなければ人質にされたペントが危ない。それだけは何としても避けたかった。
金を用意できないのなら、人質にされたペントを助けるためには、カーマルの花嫁になるしか道はない。しかし、覚悟を決められずにいる。カーマルが一瞬のぞかせる笑みが不気味で、ずしりと重たいものが自分の未来に圧し掛かってくるような気がするのだ。
駄目だ。悪いように考え過ぎなのかも。
悪い未来を想像するのはカーマルのことを何も知らないからかもしれない。彼を知っていけば、アレスの時のように気持ちが変わってくるのかもしれない。
でも、こんな形で結婚なんて……。
貴族男性との結婚……それはガモルド男爵に誓った事でもある。その時期が想像していたよりも……いや、想像すらできていなかったけど、ずっと早く来てしまっただけだと思えば、少しは割り切れそうな気がした。ガモルド男爵に結婚を喜んでもらえるなら、それはそれで本望ではないだろうか。そう、これはきっと悪い選択ではないはずだ。
思い詰めていると、横からシチューが割り込んできた。香りのよい湯気を立てている。
「天女の泉の水を使っているの。だからおいしいし、身体にもいいわよ」
シェリセーラは向かい側の席に座って微笑む。
彼女はユイナの境遇を知らない。彼女がユイナを優勝させなかった事で、ユイナが借金を返すための賞金を逃してしまった事も知らない。
ユイナはシチューに視線を落して口を一文字に引き結んだ。やる瀬無さで唇が震え、その震える唇を動かし、ユイナは言葉を吐き出した。
「こんなに親切にしてくれるなら、どうして審査会で話しかけてきた時、私の踊りの悪い所を教えてくれなかったのですか。あの時、祭りにふさわしい踊りがどんなものか分かっていたら、結果は違っていたかもしれないのに……」
「私は審査員だったのよ。贔屓はできなかったのよ」
「そんなの分かってます……! でも……!」
ユイナは唇を噛み締めて次の言葉を塞き止めた。咽の奥ではぶちまけたいほどの不安が渦巻いている。
「そんなに気を落とさないで。今回は残念だったけど、次の審査会で頑張れば――」
「次なんて……! 私には無いんです……!」
ユイナは押し殺した声を出した。彼女に怒りをぶつけてはいけないという気持ちと、それでもぶつけられずにはいられない気持ちがせめぎ合い、かすれた声になった。
咽の痛みか、それとも心の痛みか、あふれた涙がシチューに落ちて消えた。
***
「くそっ」
カーマルは自室の中を行ったり来たりする。硬い靴底がフロアを擦り、耳障りな音を立てている。
「アレスとザイはまだ帰ってこないのか。娘を一人見つけるだけだぞ」
歩きまわりながらぶつくさと声をもらす。
考え事をしている時に独り言を漏らすのは彼の癖だった。
「いや待てよ。すでにユイナを見つけているとは考えられないか? アレス達は彼女を泳がせてスパイかどうかを確かめているのだ……そうか、そういう事も有り得るな。だが、ユイナがスパイでない事は分かりきっている。子供ひとりを魔力中毒から助けるために大金を払おうとしているのだ。彼女がスパイであるはずがない。アレス達も彼女がスパイではないと分かり、彼女を連れて帰ってくる。彼女はきっと金を用意できてはいないだろう。あとは予定通り、彼女を私の舞姫に迎えてやれば良い……」
カーマルは夜に染まる窓へと額を押し付ける。窓ガラスは夜気ですっかり冷えていたが、興奮で熱くなった頭を冷やすには弱過ぎた。カーマルは窓に自分の酷薄な笑みを映す。夜はまだ長い。
「気長に待ってやるよユイナ」
夜闇のどこかで途方に暮れているはずの少女へと笑いかけた。




