孤独の闇と二人の剣舞3
シェリセーラに連れられて畑に挟まれた道を歩いていると、オルモーラの入り口が見えてきた。両脇に高く伸びた樹木に支えられた巨大な門扉が全開にされている。
「荷車が通るわ。道を開けましょ」
シェリセーラに言われて立ち止まると、横の車道から油花を山なりに積んだ荷車が牛の歩く速さでやって来た。荷車を押すのはオルモーラの女性たちで、笑い声まじりでにぎやかに唄っている。他にも荷車を押して帰ってくる人々の合唱が聞こえてくる。まだ街中に入っていないのに、人々の活気に包まれるのを感じた。
ユイナとシェリセーラは荷車の後ろについてのんびりと歩くことにした。すると、荷台から零れ出た油花が風に乗ってひらりと舞い、シェリセーラは流れてきたそれをすくい上げる。
「知ってる? ランプの油はこの花から搾りとるのよ。オルモーラで作られる油は質が良くて最高級品として貴族たちに売られているわ。あなたが使っているランプの油もここから輸出されたものかもしれないわね」
「いいえ、私が使っているランプはこんなにいい香りはしません。でも、学校で使われているランプと同じ香りがするから、ひょっとするとオルモーラの油を輸入しているのかもしれ……」
ふと、門前で行き交う人々をくまなく見張っている男達に気付いて口をつぐんだ。午後の陽射しと仕事で汗をかきながら腕まくりをする人々の中で、全身を覆い隠す黒いローブはひどく目立つ。
「魔術師……」
ごくりと唾をのんだユイナは気付かれないように顔を逸らす。そのまま荷車に続いてオルモーラの門をくぐった。シェリセーラがちらりと門前の魔術師を振り返る。
「最近、所属不明の魔術師が現れたせいで警備が強化されているのよ。それに、昼間の黒い稲妻でピリピリしているみたいね。もうすぐ収穫祭だというのに、せめて格好ぐらいはどうにかならなかったのかしら」
シェリセーラがため息混じりに言う。
――私を捜しているわけではないんだ……。
安堵するとともに、どうしてシェリセーラは平然としていられるのかと思った。彼女はユイナが黒い稲妻に撃たれて毒に犯されていたことに気付いている。それなのに問い掛けてこないのは、気にしていないからか、それともあえて触れないでくれているのか。
ちらりとシェリセーラの顔を盗み見てみるが、彼女の心は読み取れない。
街の大通りは平民の人々でごった返していた。子供達は母親の手伝いをしているのか邪魔しているのかわからないほどはしゃぎまわり、会場造りで資材を担ぐ男達は、どの娘が踊り子に選ばれるかで盛り上がっている。
街の中央広場に辿り着いた辺りで、シェリセーラが振り返る。
「私はこれから審査会に用事があるのだけど、ユイナはどうする?」
「私は、お店に用事があります」
「そう。それじゃあここでお別れかしらね」
「ここまで送ってくださってありがとうございました。あの、帽子は……」
「いいのよ。持っていなさい。役に立つことがあるかもしれないでしょ」
「ありがとうございます」
ユイナは頭を下げる。彼女には魔力中毒の治療だけでなく、オルモーラまでの道案内までしてもらった。何か恩返しがしたかったが、今のユイナにはお礼を言う事しかできなかった。
「さようなら。またね」
ほがらかに微笑んで手を振るシェリセーラに、手を振り返してこたえた。
彼女の後ろ姿が人ごみで見えなくなるまで見送ったユイナは、ペンダントを買ってくれる店を探して歩き始めた。
「すごい人」
周囲を大人達に囲まれて視界が狭い。見えるものといったら、青い空と二階建ての集合住宅ばかりだ。そして、集合住宅の窓には大小様々なランプが吊り下げられている。そのランプは、式典のフィナーレを飾るのだと道中でシェリセーラから教わっていた。収穫祭の夜に街中のランプが一斉に灯され、街全体が星空よりもきらきら輝くのだという。
こんな時でなければ見てみたい。
ペンダントを買い取ってくれる装飾品店を探しながらそう思った。
重たい扉を押して店内に入ると、色とりどりの宝石がガラスケースに飾ってあり、窓から射しこむ陽光できらきらと輝いていた。落ち着いた店内の奥にいた灰色髭の店主らしき男性がちらりとこちらを見たが、相手が少女だとみると興味をなくしたように商品を磨く作業に戻った。
「こんにちは……」
初めて踏み入れる装飾品店に、身体を小さくして恐る恐る進む。
「なんでしょうか?」
奥の男性が顔を上げる。
「買っていただきたいペンダントがあるのです」
「ペンダントですか?」
意外そうな顔をした。街娘が売れるような装飾品を持っていると考えていなかった顔だ。
「わかりました。見てみましょう」
作業を中断し、近付いてくる。知らない男が近付いてくるだけで緊張する。
ユイナは勇気を出して、舞姫のペンダントを差し出した。大切にしてきた品だ。
店主の顔色が変わる。
「これは……っ」
市場で見かけた硬貨よりも小さな輪の中で、一人の舞姫が踊っている。躍動するしなやかな身体、風にたなびく衣服、そして何より、舞姫の微笑みすら繊細に彫り込まれている。
「ど、どうでしょう?」
「まぁ、なかなかの細工です。素材も珍しいものを使っているようです。このような品をどこで手に入れたのですか?」
「え? 手に入れたと言いますか……もらいました」
「もらった?」
急に険しい顔になる。そんな顔をされるとびっくりしてしまう。
こ、怖い。
もしかして、盗んだと思われている?
「本当です。困った時は生活費にしなさいと……。あの、いくらで買ってもらえますか? 十万ギロが必要なのです」
「じゅ、十万?」
「そうです。買ってもらえませんか?」
店主は首を振る。
「どこの細工師によるものか分からない品にそのような大金は出せません。出せて、一万、いや、五千ギロが良いところでしょう」
「五千……そうですか……」
ショックだった。勇気を振り絞って大切なペンダントを売りに来たのに、目標の金額にまったく届かない。
このままではガモルド男爵に買ってもらった制服を売らないといけない……。
気落ちしてペンダントを袋に戻そうとすると、店主が慌てた。
「まぁ、お困りのようですから、一万なら払っても構いませんよ」
「それでは足りないのです。ありがとうございます」
「あ、ちょっと」
追いかけてきそうだったので足早に店を出て、人ごみに紛れる。
その後、宝石店も見つけてペンダントを見てもらったが、同じような金額を提示されてしまった。いよいよ覚悟を決めなければいけなかった。
「こんにちはー……」
制服を胸に抱き締め、服の飾られた店内にユイナは足を踏み入れた。収穫祭の準備でどの店も閉まっていたが、街の端にたたずむその店だけはどうにか開いていた。しかし、衣服の並べられた店内に人影は見当たらない。
「こんにちはー」
声を大きくしてもう一度呼びかける。すると、店の左奥にある階段からメガネをかけた青年が下りてきた。どうやら彼が店主らしく、笑顔で「いらっしゃい」と声をかけてきた。
「どのような服をお探しですか?」
店主にしては若い青年が言った。
「違うんです。服を買い取ってもらいたくて来たんです」
「服を売りに来た?」
「そうです。どうしてもお金が欲しいんです」
ユイナは切実に言った。
「そりゃあ、まあ、うちは古着も扱ってはいますが、あまり高い額は払えませんよ」
「……いくらですか」
「まぁ、待ってください。先にモノを見せてもらいましょう」
「そ、そうですね……」
ユイナは胸に抱き締めた荷袋から制服をそっと店主に差し出す。店主は制服を受け取るなり目を丸くした。
「こ、これは凄いですね。どこで手に入れたんですか。ビッツリー産の生地ですね。 縫い目も丁寧だ。それに、どうやったらこれほど気品のある赤を出せるのだろう」
青年店主はメガネをかけ直し、興奮気味に制服を見定めていく。
「すごい、これはすごい……っ」
称賛されると、ユイナにとって誇りも愛着もある制服だ。素直にうれしかった。だけど、その制服を手放さなければならない。勇気を出して聞いてみる。
「あの、いくらで買ってもらえますか。今すぐ十万ギロ欲しいんです」
ユイナの言葉に、服に魅入っていた店主は驚いて顔を上げる。
「じゅ、十万ギロ? 何をおっしゃるんですか。そんな大金は払えませんよ。多く見積もっても一万ギロがいいところです」
「い、一万……? たったそれだけですか!?」
「『たった』とは何ですか。これでもギリギリの値段を提示したつもりですよ」
店主は気分を害したのか制服を突き返してきた。ユイナはそれを受け取り、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。それも当然だ。制服を売れば薬代の十万ギロが手に入ると思っていたのに、実際には十分の一にしかならないのだ。そして、借金を返済できなければカーマルの所に嫁ぎに行かなければならなくなる。
「ま、待ってください! 先ほど『これはすごい』とおっしゃっていたじゃないですか。どうして一万ギロなのですか。これは五十万ギロもする物なんですよ。一万ギロは安すぎます」
「安い?」
そう問い返した店主の眉がぴくりと動いた。
「うちは何万ギロもする服を扱う店じゃないんです。手頃な値段で、手軽に服を楽しんでもらうことが祖父の代から続くこの店のモットーなんです。酷い事を言うようですが、こちらも商売をしているのです。売値を考えてみても、その制服に十万ギロも支払う価値はないです」
ぶっきらぼうに言われ、腹が立ってしまった。今まで大事にしてきた制服が『価値はない』と言われたのが悔しかった。
「こ、これは舞姫学校の制服ですよ。とても価値のあるものなんです」
「あなたもしつこいですね。そんなに高く買い取ってほしいなら貴族の所に行けばいいじゃないですか。ここは平民相手の店なのに、一着の服に何万ギロも払えるわけがないんです。私の三ヶ月分の生活費だ。あなたは何を望んでここに来たんですか。ひやかしなら帰ってください」
「だってこれを十万ギロで買ってもらえないと……」
その続きの言葉は、背中を向ける店主に当たって足許に落ちた。
よく考えてみれば、今ユイナが着用している服は三千ギロで購入した。平民ではそれが普通なのではないか。それなのに十万ギロで買ってくれなんて、図々し過ぎて店主が怒るのも無理はないのかもしれない。
先日、生まれて初めて買い物を経験したユイナには、物価の感覚や、平民の生活水準に対する知識が絶望的なまでになかった。五十万の制服だから十万ぐらいにはなるだろうと。少し足りなくても、ペンダントも売れば間に合うと思っていた。カーマルが高級品だと認めてくれたから尚更自信を持ってしまった……。
十万ギロが三か月の生活費だなんて……。
ユイナは自分の浅はかさに唇を噛み締めた。
「ごめんなさい……他をあたってみます」
そう言って出口に体を向けようとした時だ。
「待ってください」
呼ばれて立ち止まったユイナに、青年店主はメガネをかけ直してため息をつく。
「女性が苦しそうに謝るものではありませんよ」
「私は別に苦しそうになんか――」
「していますよ。そんな声をされたら、こちらも気分が晴れません。……聞いてみたいのですが、君はどこで十万ギロを手に入れるつもりですか」
「貴族の服屋で制服を売って」
「この近辺に貴族の服屋はありませんよ。海峡を渡って国都に向かえば星の数ほどあると聞きますが……」
「近くに貴族は住んでいませんか?」
貴族の家庭に自分と同じぐらいの娘がいれば、買ってもらえると思った。
「この辺りで貴族と言えばオーデル伯爵ですね。しかし、あそこにご令嬢はいませんし、買い取ってもらえるとは思えません。あとはこっちに人質として住んでいるシルバートのメリル王女が――」
「絶対に無理です!」
ユイナは間髪をいれさせずに店主の言葉を否定した。
「む、無理ですか……だとしたら船で海峡を渡って本土に行くのはどうですか」
「船……、明日には戻ってこられますか。こっちの大陸に」
「それはできませんね。なにしろ定期便が来るのは明後日ですから」
「そ、そんな……それではダメなんです……」
明日までに誓約を果たさなければ、人質のペントが酷い目に遭うかもしれないのだ。
ユイナは茫然と立ち尽くし、店主も頭が痛くなったのか額に手をあてる。
「この近辺で制服を高く買ってくれる所はありませんよ。可能性があるとすれば隣国のシルバートでしょうか……ですが、もともと敵対している国ですからね。国境の警備は厳しいでしょう」
「国境を越えるのは無理です……」
シルバートでは国家反逆者として追われているのだから。
「そうでしょうね……」
店主はユイナとは違うところで納得し、
「しかし、それ以外に方法は――」
ありません、と言いかけた彼の口が店内に貼られたポスターに気付いてはたと止まる。
「いや、十万ギロを手に入れる方法がなくもない……何でこれに気付かなかったんでしょうか。服を売る事にこだわり過ぎていました」
店主は苦笑し、ユイナを振り返る。
「君、踊りはできますか?」
あまりに話が飛んだのでユイナはキョトンとした。
「踊り、ですか? 一応、できるつもりです」
「それならあれに参加してみてはどうですか」
メガネの青年店主はそう言って壁に貼ってあるポスターを指差した。
それに目を向けると『踊り子大募集!』と書かれた文字が目についた。どこかで見覚えのあるポスターだと思ったら、何日か前にアレスから渡されたビラを大きくした物だった。たしか、収穫祭での踊り子を募集しているものだ。
「もし踊り子に選ばれれば賞金がもらえます。ほら、下に大きく書いてあるでしょう」
店主はそう言ってポスターの下に太字で書かれた優勝賞金の欄を指差す。
「十万ギロ!?」
ユイナは大声を出した。その賞金は偶然にも薬代と同じ金額だった。
「ただし、実技テストで選ばれて、しかも祭りで踊りきったらの話ですよ? 踊りに自信がありますか?」
「少しはあります」
言葉とは裏腹に、自信はたっぷりとあった。なにしろ自分は舞姫になるために舞姫学校で厳しい踊りのレッスンを受けてきたのだ。少なくとも、踊りを教わっていない平民の娘よりはうまく踊れるはずだ。
しかし、審査会の開催場所を確認したユイナは柳眉をひそめた。
会場は街の中央広場になっている。そんな場所で踊れば、大衆の目にさらされ、メリル王女達に見つかる可能性も高い。見つかれば魔術を使った戦闘になる。
……戦闘になる? 審査会に集まった大衆の前で?
それはないのではないか、とユイナは思い直した。もし魔術を使った戦闘になれば、魔力耐性のない人々に多くの死傷者が出るのは目に見えている。その蛮行をシルバートの第四王女が起こしたとなれば、今までの停戦を続けてきたシルバートとウィンスターが再び争うことにもなりかねない。そもそも、メリル王女は国家反逆者のアレスを匿っている。彼女自身、目立つことは避けたいはずだった。だとしたら、審査会の最中は襲われないような気がした。
「どうかしましたか」
黙り込んでいたユイナを心配して店主が聞く。
「あ、いえ、何でもありません」
とにかく今は審査会に出場し、優勝する事だけを考えよう。優勝賞金を手に入れる以外に借金を返す方法はなさそうだ。このチャンスを前にして迷っている場合ではない。
「あの、この審査会の受付は何時までですか?」
ユイナは気になって聞いてみる。
「開始の十五分前という事ですから……いけない、もう締め切られているかもしれません」
店主が広場の方へ振り返って言い、ユイナは焦った。
「教えてくれてありがとうございました。私、その審査会に出てみようと思います」
ユイナは店主にお礼を言い、街の中心部にある広場へと急いだ。広場には数え切れない程の人が集まっており、今か今かと審査会が始まるのを待っていた。まだ審査会は始まっていないのだ。ユイナは人ごみを掻き分け、受付を探した。そして、広場の西側に参加受付場を発見した。駆け寄ったが、そこに係員の姿がない。
ユイナはどうすればいいのか分からずにおどおどしていたが、これでは何も進展しないと思い、手近にいた三つ編みの若い女性に声をかけた。
「あの、すみません。踊り子の審査会に出たいのですが、受付の人はどこに行ったのでしょう?」
「受付? それならさっき終わったわよ」
「――間に合わなかったか」
後ろから聞き知った声がしたので振り返ると、そこには先程の店主がいた。
「ハーネル」
三つ編みの女性は店主に近付く。どうやら二人は知り合いのようだった。
「ビアンカ。この娘も参加させてやってくれないか」
「どういう事?」
「彼女、どうしても優勝賞金の十万ギロが必要らしいんだ。それで優勝できるかどうかは分からないけど、参加だけでもさせてやってくれないか」
「いくら貴方の頼みでもダメよ。もう受付用紙は提出しちゃったんだから」
「それなら出し忘れがあったと言えばいい」
「ハーネル、いくら何でもそれは……」
「参加者は多いほうが盛り上がるだろ?」
そう言って青年店主は三つ編みの女性を見詰める。女性はしばらく葛藤しているようだったが、最後には断りきれずに承諾してくれた。
「ありがとうビアンカ」
店主はそう言い、まるで挨拶を交わすような気軽さで彼女の唇に唇を重ねた。それを受け入れる彼女は瞳を閉じて抱き合った。
それに気付いた人が、ピュー、とひやかしの口笛を吹く。
ユイナは赤面して二人の熱い抱擁と口づけを見つめた。
恥ずかしい事をしているのは眼前の二人なのに、なぜかユイナの方が恥ずかしくて真っ赤になった。




