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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第四章
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孤独の闇と二人の剣舞2

 遠ざかるおばあさんの気配を感じながら、ユイナは木陰から出られなかった。膝をかがめて幹に体を押し付け、身を隠すことに集中する。

 いくらユイナが小柄だとしても、木の幹から肩や足がはみ出していたら見つかってしまう。なので、息を殺してアレスの気配を探りながら立ち位置を微妙にずらしていく。

 だが、病み上がりで感覚が戻っていないのか、おばあさんの足音は聞き取れるものの、アレスの気配までは感じられない。野犬などの動物だったら息遣いを感じられるというのに。おばあさんが向かう方向にアレスはいるはずなので、予測で動くしかない。


 もし彼に見つかれば、ただでは済まないと思う。

 仲間を大切にするアレスは、テンマを傷付けたユイナを許しはしないだろう。容赦なく攻撃してくるかもしれない。その光景を想像すると、不安で胸が押し潰されそうになる。

 アレスは幾つもの戦場を生き抜き、国の英雄とまで(うた)われた魔術師だ。まともに戦って勝てる相手ではないし、戦いたくもない。見つかった場合は魔術で牽制して脇目も振らずに逃げるしかない。しかも全力で。ためらう事は許されない。だから、いつでも魔口を開けるように心の準備だけはしておいた。

 暑くもないのにべとついた汗が滲み出てわき腹を伝っていく。


 大丈夫だ。心配することはない。私の魔術は他の魔術師に負けてはいない。

 もしもの場合は自分の魔口を信じるだけだ。魔口は何度も助けてくれた。魔術師に襲われた時もテンマに襲われた時も、いつも魔口が護ってくれた。魔口は私を裏切らずに護ってくれる。だから何も怖いものはないはずだ。

 ユイナはぎゅっと拳をつくり、極度の緊張からごくりと咽を鳴らす。それさえもアレスの耳に届いてしまいそうで怖い。


「――どうかされましたか?」


 おばあさんの声が木の反対側から聞こえてきた。アレスに声をかけたようだ。耳を澄ましてみると、近付いてくる足音が聞こえる。


「お伺いしたいのですが、女の子を見かけませんでしたか」


 オオカミを連想させる声がユイナの耳に飛び込んできた。アレスの声だ。


「女の子ですか?」


 おばあさんが聞き返す。自然な声で、演技は得意そうだ。


「はい、この位の背丈で髪は黒く、肩にかかる位の長さです。年齢は十三か十四ぐらいです」


 アレスは少しだけ身振りを入れて説明しているようだった。


「残念ながら、そういう娘には会っていませんわね。その娘がどうかしたのですか?」

「ひょっとすると魔力中毒に(かか)っているかもしれません」

「魔力中毒……もしや、先程の黒い(いかずち)に?」

「ええ、おそらく……」


 アレスの声が下がった。


「それはいけませんね。あれだけの魔術ですと毒も強いでしょう」

「はい。……魔術に詳しいのですね」

「ええ、主人が魔術師でしたから」

「そうですか。あの、もし彼女を見かけるような事があったら、戻ってくるように伝えてもらえませんか。治療の準備もしておくから心配するな、と」

「そう言えばその娘さんは戻るのですか?」

「……分かりません。ですが、魔力の毒を残しておくわけにはいきません」

「その娘のことが心配なのですね」


 おばあさんの問いかけに、辺りはしん、と静まり返った。


「おっしゃる通りです」


 その言葉がユイナの耳だけでなく胸にまで響いた。


「分かりましたわ。それらしい女の子を見かけたら、声をかけてみましょう」

「助かります」


 短い謝礼があり、足音が遠ざかっていく。

 ユイナはそろりと木陰から顔を出す。アレスの背中が木々の間を駆け抜けて行くのが見えた。彼の背中が遠ざかって行くにつれ、胸の中に大きな喪失感が残される。


「礼儀正しい御仁だったわね。本当にあの方に付いて行かなくて良かったの?」


 アレスが見えなくなるのを見計らって立ち上がったユイナに、おばあさんが話しかけてきた。ユイナは胸の喪失感を払拭するように首を振る。


「いいんです……」


 獣のように素早い足をもつアレスはとっくに目の届かないところへと消えている。

 これで良かったんだ、と自分を納得させる。それに、今はやらなければいけない事がある。カーマルに薬代を払って人質にされたペントを解放するためにも、舞姫学校の制服を売らなければならない。

 改めて気を引き締め、目の前のおばあさんに問いかける。


「あの、オルモーラの街はどの方角でしょうか」


 この近辺でユイナが知っている街はそこしかなかった。食料や服を買いにいったこともある油花の街だ。あそこなら制服を買い取ってもらえるはずだ。


「オルモーラならそんなに遠くないわ。一緒に行きましょうか」

「いえ、そこまでしてもらわなくても……」


 方角さえ教えてもらえれば後は自力で目的地に着ける。


「遠慮しないで。私もその街に用事があるのよ。だけど、その姿のままだと先程の彼に見つかりやすいわね。これを被るといいわ」


 おばあさんはそう言って被っていた帽子を差し出してきた。


「あ、ありがとうございます……」


 ユイナは戸惑いながらも帽子を受け取る。慣れない帽子が手の中でむずがゆい。


「貴女はそれを被って私の孫のフリをする。それで遠目には分からないと思うわ」

「そうかもしれませんね」


 ユイナは帽子を目深に被ってみる。帽子のツバが木漏れ日を遮る。視界は悪くなるが、確かに、これなら遠目には気付かれないと思った。


「私はシェリセーラ。シェリー婆さんってみんなには呼ばれているわ。貴女は?」

「ユイナです。……あ」


 本名で答えてしまったと口を閉じた。

 シェリセーラは微笑む。


「ユイナね。もしかして、あまり本名を知られたくないのかしら?」

「ええ、まぁ、そうですね」

「わかったわ。人がいる時は偽名で呼びましょう」

「そうですね……お願いします」

「それじゃあ、行きましょうか」


 シェリセーラはそう言ってバスケットを持って歩き始める。ユイナは彼女に従うことにしたが、近付きすぎないように離れすぎないように微妙な距離を保った。胸には荷袋を抱き締めている。その様子を見ていたシェリセーラが振り返り、何だか嬉しそうに微笑んだ。


「貴女、舞姫学校の生徒でしょ?」


 ユイナは思わず立ち止まり、心の中でそれとなく身構えた。


「どうしてそれを……」

「だって貴女、舞姫学校セフィルの制服を持っているじゃない」

「え?」

「先ほど荷袋の口からセフィルの紋章が見えたのよ」


 シェリセーラの目が荷袋へと向けられ、ユイナの警戒心に火がついた。制服が狙われているのではと勘繰った。おばあさんはやさしい人間を装った盗賊の一味かもしれない。第一、ここはウィンスター国の領土だ。それなのにシルバートにある舞姫学校の制服を知っているのはおかしい。

 シェリセーラは首をかしげる。


「あまり聞かれたくなかったかしら? だとしたらごめんなさい。悪い事をしてしまったわね」

「いえ、そんなことはありません……」

「そう、それならいいのだけれど。実はね、その制服を見て懐かしくなったのよ」

「なつかしい?」

「ええ、私もその制服を着ていたものだから。もう大昔の話よ。貴女が生まれるよりもずっと前の話」


 シェリセーラはそう言って苦笑した。


「立ち話するのもあれだから、歩きながらおしゃべりしましょうか」


 ユイナはそれに従った。

 この辺りの地理を知らない上に方角まで見失っている以上、オルモーラの街へたどり着くためには彼女の助力が必要だった。彼女が善良な人間を装った盗賊だとしても心配はいらない。私には魔術という強い味方があるのだから。


「ねぇユイナ。セフィルの校舎は十年前に建て替えられたそうね」

「はい。石灰岩で造られていて豪華です。シルバートでは最大の舞姫学校だと聞いています」

「私がいたころとはまったく違いそうね。――ああ、そうだ。お仕置き小屋は残っているの?」

「あります」

「そう。お仕置き小屋も改築されたのかしら」


 お仕置き小屋と聞いて思い出すのは、バチルダ王女に捕らえられて危うく火傷を負わされそうになった事だ。あの光景は今でもはっきりと覚えている。

 燃える剣を片手に近付いてくるバチルダ王女。必死に逃げようとしても両手両足を押さえ付けられて身動きがとれなかった。肌に醜い火傷を刻み込もうと紅蓮の刃が迫ってきた時は舞姫としての生命を絶たれると覚悟もした。もし小屋が炎上していなければ確実に舞姫への道は閉ざされていたにちがいない。

 今思い返してみれば、あの時に助かったのは魔術のおかげだったのかもしれない。目の前が真っ白になったので覚えていないが、額から何かが放出される感覚は、魔口を開く感覚と同じだった。絶体絶命の危機に追い込まれたことで体の奥に眠っていた力が目覚め、小屋を炎上させたのではないか……。

 だが、あそこは十年前に造られたものだから、シェリセーラが言っているお仕置き小屋とは違うはずだ。彼女が若い頃の建物だとすると、かなり古くなっているはずだ。そんな古いお仕置き小屋ならとっくに壊されたのではないかと思いかけたが、一棟(むね)だけ心当たりがあった。


「その小屋は、木造の山小屋ですか?」

「そうよ。学校から離れた西の山奥にポツンと建てられていて、小屋の中には洗面所と硬い二段ベッドしかなかったわね。近くに小川が流れていて、そこから水だけは飲めるようになっているの」


 間違いない。バチルダ王女の刺客が襲い掛かってきた山小屋だ。二段ベッドがあったおかげで刺客の刃から逃れることができた。そしてそこは、銀狼のアレスと初めて出会った場所でもある。ずっと使われておらず、ホコリとコケにまみれていた。


「シェリセーラさんは本当に舞姫学校の生徒だったんですか?」

「あら、まさか疑われているのかしら。古いお仕置き小屋のベッドわきに、消されてなければ私のサインも残っているはずよ。見た事ない?」

「いえ、それは気付きませんでした」

「よく閉じ込められていたから、昨日のように思い出す事ができるわ。若い頃は踊りにばっかり夢中で他の教科は何もしていなかったの。特に天女学は人間が勝手に神様を作っているようで嫌だったわね。授業中に居眠りばかりしてよく先生に怒られたわ」


 それはお仕置き小屋に閉じ込められるはずだと思った。


「ユイナはどうなの? 嫌いな教科とかあるの?」


 ユイナは先程の思考を打ち消して考えてみたが、これといって嫌いな科目を思いつかなかった。


「嫌いな科目はないです……」

「珍しいわね。普通は嫌いな教科が一つや二つはあるものよ。薬草学なんか手が臭くなるからって嫌がっている生徒が多いでしょ」

「そうですね。確かに薬草学が嫌いな人は多かったと思います。でも私は、舞姫になるためには必要なことだから嫌いになれないんです」


 舞姫ね……、とシェリセーラは含みのある言葉を漏らした。その視線の先には林の終わりが見えていた。


「確かに、貴族と結婚するのも幸せの一つでしょうね」


 シェリセーラは話を区切ってユイナを林の外へと導いた。

 開けた視界にはなだらかでのどかな花畑が広がっていた。ちょうど刈入れ時期なのか遠くの畑で豆粒のような人影が花を摘み取っている。周囲の畑はすでに裸にされており、何とも言えない油花の香りが残っていた。高級感の漂う香り、舞姫学校のランプと同じ香りがした。


「あれがオルモーラの街よ」


 シェリセーラは畑の向こうを指差す。

 白灰色のレンガで造られた街は青空の下でキラキラと輝いて見えた。その出入り口には街と畑の間を行き来する人々でごった返している。


「明日は収穫祭だから今日中に花を摘み取ろうと頑張っているのでしょうね」


 シェリセーラの解説に、ふーん、とユイナは心の中で思う。オルモーラの街には舞姫学校のような華やかさはないが、平民の持つ独特の活気にあふれている。今までユイナが触れた事のない暖か味だ。


「ユイナは踊り子になろうと思ってオルモーラに来たの? それとも腕試しかしら」

「………?」


 質問の意味がつかめずに首を傾げる。


「今日は収穫祭の踊り子を決める審査会があるのよ。貴女は参加するの?」

「いいえ、しません……」

「あら、私の勘違いだったのね。学校のある時期に貴女がこんな所にいるから、てっきり審査会に来たのかと思ったわ」


 ユイナは沈黙した。遠く離れてしまった母校を思い、しかし、そこから追われて逃げてきたのかと思うと重く陰鬱な気分になった。

 うな垂れていると、シェリセーラのあたたかな手が肩に置かれた。


「貴女みたいな若い娘が暗い顔をしていたらいけないわ。さっきから気を張り詰めすぎよ。嫌なことは忘れて、もう少し明るくなってみなさい。せっかくオルモーラの街まで来たのだから収穫祭を楽しんでいくといいわ」


 元気付けられて、ひどく気を張り詰めていた事に気付いた。しかしそれも仕方の無いことだ。今ごろペントは人質にされているのだから。

 ユイナは荷袋を胸に抱き締めたまま歩き続ける。ペンダントが十万ギロになってくれたらいいが、それでも足りなければ制服を売らないといけない。

 制服を手放すのは辛いが、十万ギロを手にするのが最優先だった。カーマルには解毒薬を分けてもらった恩があるが、何でも強引に進めていく彼と結婚することを考えただけでゾッとした。約束の金額を用意してペントを解放し、彼の呪縛から逃れたかった。


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