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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第三章
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戸惑いとスパイ疑惑11

 黒い稲妻はまるで、葉を失った巨木が無数の枝を広げたように空へと伸びた。

 カーマルは唖然とした顔で引き裂かれた空を見上げていたが、ふと我に返ると、青空はいつもの姿を取り戻していた。黒い稲妻は幻だったのか、どこにも見当たらない。

 しかし、あれが幻でないことははっきりしていた。稲妻の残響なのか、空気が震え続けているのだ。思わず身震いする。


「な、何が起こった……? ……あの娘は、ユイナはどうなった!?」


 石塀から身を乗り出してユイナの安否を気遣ったが、答えてくれる者はいない。

 舌打ちをして長い螺旋階段を駆け下りていく。とつぜんの雷鳴で動揺する人々を押し退けて石段を駆け下り、中庭へと走り出る。その時、大きな鳥の影が中庭を横切った。空を見上げると、メリル王女を乗せた怪鳥がその巨大な両翼を広げて大きく旋回する所だった。王女は空から状況を確認するらしい。


 急がなければ。カーマルはそう思って地上に視線を戻す。

 すると、城門の前に魔術師のローブを身にまとったアレスの姿があった。アレスは、中庭に集まっていた少年少女に指示を出している。それを終えると、フードを被って顔を隠し、ザイや召使いの格好をした少年達を数人ほど引き連れて城門横の扉から出て行く。

 カーマルは城門の前まで駆けて、そこで立ち止まった。視線の先、城門横の扉には孤児の少女達が集まって外を警戒していた。


「もし敵襲だったら……」

「そうよ。私達はもう大陸の端にまで来てしまったのよ。これ以上逃げられないわ」

「だから敵襲じゃないって言ってるでしょ。第一、警鐘が鳴ってないじゃない」

「でも、さっきの雷鳴は!?」

「大丈夫よ。アレス様も心配するなっておっしゃってたわ」


 不毛な議論を続ける彼女達は、扉の前をふさいだまま動こうとしない。どうやら誰もカーマルの存在に気付いていないようだ。カーマルは焦りと苛立ちを膨らませ、ずかずかと少女達に近付いた。


「邪魔だ!」


 痺れをきらしたカーマルは怒鳴り、少女達を突き飛ばすようにして城門から外に出る。後方から少女の痛がる声が聞こえてきたが知ったことではない。下民の分際で貴族の邪魔をするからだ。


 先行したアレス達は現場に到着しているようだった。召使いの格好をした少年たちが立ち尽くし、街道から少し離れた草むらを見下ろしている。カーマルはそちらに視線を向け、ハッとした。


 街道脇に負傷者が倒れている。その横で片ひざをついて負傷者に話しかけているのはザイ。その反対側で負傷者の容態を確かめているのはアレスだ。二人とも魔術師のフードを目深に被って正体が分からないように顔を隠している。


「何があったんだよ……」

「俺が知るか」


 カーマルは半ば茫然としながら現場に近付き、少年たちのささやき声を耳にした。そして、街道から現場を見下ろす。

 草むらに誰かが倒れている。

 最初はユイナが倒れているのだと思った。テンマに奇襲をかけられて深手を負わされたのだと思った。しかし、そこに倒れていたのはテンマだった。ユイナに奇襲をかけたテンマが、狐の顔を苦しげに歪めて草むらの中に横たわっている。ザイの呼びかけに返事をすることもできない。その体が、黒く変色していた。


「この症状は……」


 ザイが確認するように聞き、アレスは深刻な顔で頷く。


「間違いない、魔力中毒だ」


 思ってもみなかった言葉に虚を突かれて硬直した。


「(魔力中毒だと……?)」


 口中でつぶやいたカーマルの脳裏に、青空を引き裂いた黒い稲妻が思い出される。

 あれがユイナの力だというのだろうか。

 彼女が魔術を使える事は聞いていたが、テンマを麻痺させるほどの魔力があるとでも……?

 ザイが顔を上げてアレスと視線を合わせる。


「テンマは魔術師と戦った……それじゃ、さっきの雷鳴は魔口が砕ける音……」

「そう考えて間違いないだろう。しかもかなり歪んだ魔口だったようだ。空間の歪みがまだ残っている。使用者もただでは済まなかったはずだが……、林の中に逃げられたみたいだな」


 アレスが空を振り仰ぐ。その視線の先ではメリル王女が怪鳥に乗って上空を旋回し、逃亡者を捜しているようだった。


 ……逃亡者?


 カーマルは首が引き攣る勢いで辺りを見回した。

 周辺の草原、城の裏側に広がる海峡、オルモーラの街へと続く街道、そして、街道を包み隠すように生える林の木々。見渡せるかぎりの景色に目を凝らしてみるのだが、ユイナの姿はどこにも見当たらない。


 ユイナはどうなった? 私の舞姫は……!


 焦りとも苛立ちともつかない激情に突き動かされ、テンマの襟首に掴み掛かっていた。事件の一部始終は、当事者である彼とユイナしか知らないのだ。


「何があった!? 答えろテンマ!」


 中毒状態のテンマを起こそうと容赦なく揺さぶる。その手首を、アレスがつかんできた。


「邪魔をするな!」

「やめてください。彼は重症です」


 にらみ合っていると「うぅ……」という呻き声が聞こえた。

 視線を落とすと、テンマが苦しげに目を開けるところだった。その目が白目を剥いており、ギョッとする。テンマは意識を失いかけながらも気力を振り絞るように口を開いた。


「あのむすめに……ユイナににげられた……」


 気力とともに言葉を絞り出したのだろう、糸が切れたようにぐったりとする。


「おい、ユイナがなんだって!?」


 ザイが呼びかける。

 アレスが呼吸を確認する。


「大丈夫だ。息はある。急いで治療するぞ」

「待てアレス。テンマの言葉を聞いていたよな? ユイナに逃げられたと言っていなかったか?」

「ユイナって、あの女の名前じゃないか。スパイかもしれないっていう」


 少年の誰かがいった言葉に、周りにいた少年達がハッとした。


「そうだよ、そのはずだ」

「ま、まずいじゃないか。あいつが逃げたってことは、本当にスパイだったって事だろ!? 早くなんとかしないと敵に居場所がバレるぞ!」


 その言葉が、周りの少年達を怯えさせる。つい先日襲われただけに、敵の襲撃は現実味を帯びていた。緊張の糸が張り詰める。


「ど、どうするんですか……ここにいたら狙われてしまいます……!」


 少年たちの視線が救いを求めるようにアレスへと集まる。


「落ち着け、まだユイナがスパイだと決まったわけではない」

「そ、それはどういう意味ですか……?」

「彼女は無関係だったんだ。だが、俺が巻き込んでしまった……、彼女は自分の家に帰りたいだけだ。それで――」

「だからユイナを見逃せと?」


 ザイが語気を荒げる。


「俺はあまり誰かを信じる人間じゃないけどよ、それを抜きにしたってユイナの行動はおかしいだろ。疑いたくないが、なぜこんな時期に城を抜け出した? 計画まで一週間しかないこの大事な時期に……。どう考えたって怪しいだろ」

「ザイ……」


 アレスは黒瞳を揺らしてザイを見詰める。共に死線を潜り抜けてきた戦友から否定されるとは思ってもみなかったのかもしれない。

 ザイは辺りを警戒しながら言う。


「ユイナは知り過ぎた。俺達がメリル王女やウィンスター国の伯爵と手を組んでいることも、魔術研究所を狙っていることも知られている。その情報がシルバート国王の耳にでも届いてみろ。今までの計画が水の泡になる。それどころか全員が危険にさらされるんだぞ」

「わかっている……。この計画だけは完遂しなければならない」


 アレスは苦し気に言い、魔力中毒に苦しむテンマや、不安げな少年達に視線を向け、心を決めたようだ。


「テンマを病室に運んでくれ。治療はカトレアに任せて補佐をしろ。俺達はユイナを捜してくる。いいな?」


 アレスの指示は、茫然としていた少年たちを瞬く間に動けるようにした。少年たちはテンマを二人がかりで助け起こし、一番力のある少年がテンマを背中に負ぶって城へと戻っていく。


 その時、上空を旋回していた怪鳥が両翼を羽ばたいてカーマルの近くに下りてきた。全長三メートルもの巨大な鳥が下りてきたせいで風圧に押されてカーマルはよろめき、それから街道に着地した怪鳥を振り向く。怪鳥の背には少女がいた。

 かつて、カーマルに息を呑ませたほどの美少女だ。

 人形のような白い肌のくせに少し気の強そうなエメラルド色の瞳を持ち、なにより、風に流れるつややかなブロンドは、太陽が黄昏どきに見せる金色の光のようにまぶしい。ショートカットにしているのが惜しいぐらいだ。

 彼女はシルバート国の第四王女、メリル・ヒル・シルバート。

 今は乳白色のブラウスに赤いスカートという平服姿だ。怪鳥が腹ばいになるまで屈み、その背中から王女が慎重に下りて近付いてくる。


「林の中に逃げられたみたいね。それで、逃げたのはあのユイナとかいう女?」

「テンマはそう言っていた」


 答えないアレスの代わりにザイが答える。


「やっぱりあの女がスパイだったのね。しかも、とんでもなく歪んだ魔力を持っている……」


 形のいい唇を真一文字に引き結び、運ばれていくテンマを見やった。それからアレス達に向き直る。


「二人とも、封魔の帯は持っているわね」

「ああ、持ってる」


 ザイは、ローブの内ポケットから帯を取り出してみせる。帯には幾何学的な紋様が描かれていた。その紋様には魔力を遮断する効果があり、その帯を魔術師の頭に巻きつけるだけで、額から発せられる魔力を封じ込め、魔口を開けなくさせる。ゆえに、その紋様が織り込まれた特殊な帯を封魔の帯と呼び、魔術師を捕虜にする時に用いる。


「あの女を生け捕りにしなさい。なんとしても黒幕を吐かせるわよ」

「言われなくても逃がすかよ」


 ザイが林へと消えていく。だが、アレスは王女を凝視していた。


「ユイナは無実です。手荒な真似だけはしないでください」

「何を言っているの? 無実なら逃げる必要もないでしょう」

「逃げる理由ならはっきりしている。彼女は借金を踏み倒すつもりだ」


 思いもしない発言だったのだろう、アレスと王女が驚いている。カーマルは続ける。


「彼女は私から十万ギロの借金をしている」

「借金?」

「不思議ではないでしょう。逃亡時の費用よ」

「もし返済ができなければ、私の命令に従うと彼女は言った。それでも信用できなかった私に、彼女は借金のカタとしてペントという子供を人質に差し出すと言ったのだが……」


 猜疑心を(あお)るように少し脚色を入れた。すると、予想通りにアレスが反応した。


「彼女がペントを人質に……? そんな馬鹿な話が」


 本当だ、とカーマルは強く言う。


「疑うなら彼女と交わした誓約書を見せてもいい。しっかりと彼女のサインも入っている」

「な……に……?」


 アレスはまじまじとカーマルを見詰めた。そのため、カーマルからもフードに隠れたアレスの驚いた表情を垣間見ることができた。動揺を隠しきれていないその表情に、カーマルは心中でニヤリと笑う。


「彼女はテンマを傷付けてまで城から脱走した。彼女は最初から逃げるつもりだったに違いない。私のためにも彼女を捕まえてきてくれ」

「言われるまでもないわ」


 そう答えたのはメリル王女だ。王女は再びアレスへと向き直る。


「アレス、早くあのスパイを捕まえてきてちょうだい。相手はテンマを麻痺させるだけの魔力を持った女よ。ザイひとりでは手に負えないかもしれない。私も上空から捜索するわ」


 アレスはきつく唇を噛み締め、のどの奥から声を絞り出す。


「わかりました」


 アレスはそう返事をすると、ローブを(ひるがえ)して狼の如く草原を疾駆していく。

 その背中を見送りながらカーマルは心の中でつぶやく。


 アレス、私は一つだけ貴様を信用している事がある。貴様は狙った獲物を逃がしたりしない。貴様ならユイナを連れ戻せるだろう。そして、連れ戻されたユイナに逃げ場はなく、味方もいない。

 ザイも彼女を疑い始めた。ペントも人質にされた事を知って彼女を疑うに違いない。

 まだアレスは彼女を信じているようだが、それもいつまで持ち堪えられることか。


 ユイナは孤独という底無し沼に足を踏み入れたのだ。一度踏み込んだ孤独は自力では抜け出せない。カーマルの母親がそうだったように、ユイナもまた誰かに護られていないと生きてはいけない人間だ。独りになった彼女は、じわじわと孤独の闇に呑み込まれ、絶望する。


 ユイナの絶望する顔を見たい。

 その時こそ、手を差し伸べ、孤独な彼女の心を鷲掴みにするのだ。


 ああ、どれほど心地よい感触なのだろう。


 カーマルは右手で口許を隠す。手の奥では酷薄な笑みが刻まれていた。


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