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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第三章
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戸惑いとスパイ疑惑10

 開け放した窓から昼下がりの風が吹き込んでくる。自室の机で古書を広げて眺めていたカーマルは、手許の字面から顔を上げ、窓から中庭を見下ろす。


 中庭の隅に物干しのヒモが張られ、そこに干された白いワンピースが風になびいていた。その傍では街娘の姿になったユイナが両ひざを抱えるようにして座り、洗濯物が乾くのをじっと待っている。

 偵察に出した少年の話だと、彼女はペントの見舞いに行けていないらしい。おそらくペントを人質に差し出したことで、彼と顔を合わせられなくなったのかもしれない。それとも、人質にした事を知られる前に、誓約を果たそうと急いでいるのだろうか。


 ユイナの手際には目を見張るものがあった。どこからか丈夫なヒモを探し出してきたかと思うと、中庭の木をよじ登り、ヒモの片端を木の幹にくくり付け、もう片方も離れた場所に生えている木にくくりつけた。そうして二本の木にヒモを渡したユイナは、洗濯物を持ってきて背伸びをしながら舞姫学校の制服を吊るした。干す場所も風通しのよい日陰を選んでいる。見ていて感心するほどに、貴族の娘とは思えないほどに手際がよかった。彼女のまめまめしい姿は、まるでてきぱきと家事をこなすメイドのようにも見えた。

 だが、彼女は紛れもなく貴族のはずだ。ドアの閉め方、歩き方、彼女が節々で見せる優雅な身のこなしは貴族特有のもので、確かな教育を受けていないと身につくものではない。平民にできるものではないはずだ。ただ、洗濯物を干す姿は妙に庶民的だ。


「まぁ、それはそれで悪くない。私のかいがいしい舞姫にするだけだ」


 カーマルは机の上に置いた誓約書に視線を向ける。ユイナがその誓約書にサインをした事で彼女は法的に縛られ、約束から逃げられなくなった。

 もうすぐ彼女は自分だけの舞姫になる。

 純白のドレスに包まれた少女を想像すると笑いが止まらなくなる。

 その時、部屋の扉がノックされ、扉の向こうから少年の声がした。


「カーマル様、例の少女が動き始めました」

「わかった」


 そう返事をして中庭へと視線を転じる。そこには洗濯物を取り込み、それを両ひざの上で丁寧にたたんでいくユイナの姿があった。制服を売りに行くのだろう。


「そろそろ私も動くとしよう」


 口元を釣り上げ、署名された誓約書を机の引き出しにしまうと、盗まれないように鍵をかける。ゆるみそうになる顔を引き締めて立ち上がり、部屋を出て北塔への渡り廊下を歩いていく。

 ユイナを自分の女に抱き入れるため、計画を実行するのだ。ほとんど諦めかけていた貴族の娘、しかも可憐な娘を手に入れるのだと思うと、心が急いた。最初は早歩きだったが、しだいに体の奥からわき上がってくる欲望に突き動かされ、最後には駆け出していた。奥歯の奥から笑いがこぼれてくる。顔の筋肉が笑みを形作ったまま戻らなくなってしまった。

 かわいい娘だ。他人の事を心配するあまり、判断を誤り、危機的状況に追い込まれている。不運な娘だ。もう少し世間を知っていれば、私の罠にかかることもなかっただろうに。貴族の娘として育ったことで物の価値を見誤ったのだ。


 魔力中毒の薬が一袋で十万ギロもするわけがないし、いかに高価な制服といえども十万ギロで売れるとも思えない。第一、平民がそれを買うだけの大金を持っているはずがない。最初から十万ギロの大金を用意するすべはない。彼女はすでに片足を底無し沼に踏み入れたも同然なのだ。

 しかし、彼女が泥沼にどっぷりとはまり、抜け出す力を失うまで油断はできない。念には念を入れて二重三重の罠をはっておくべきだ。


「君に金を用意させるわけにはいかないんだよ」


 誰にでもなく呟いた時、前方に西塔の階段が見えてきた。カーマルは迷わず上を目指して階段を駆け上がっていく。塔内部の階段は螺旋(らせん)になっており、運動不足のカーマルは遠心力にひっぱられて足をもつれさせながらも進む。そうやって幾つもの階段を上がっていくと急に視界が開けた。西塔の屋上に出たのだ。


 強い潮風が吹きつけ、カーマルはふらついて塀に手をつく。

 岬に建造された城だけあって白波の立つ海原を間近に見下ろすことができた。また、遠くに視線を転じると、水平線にうっすらとウィンスターの本土が見渡せる。いつかはあの本土に返り咲き、確固とした地位を築くつもりだ。


 カーマルは海原と自国本土を背にして、塔の屋上で見張りをしているはずの人物を探した。

 ちょうど十歩ほど進んだ石塀に六十を越えた年寄りが腰かけていた。その見た目からは想像もできないが、彼は魔口から呼び出された魔獣だ。恐ろしい力と身体能力をもっている。そして、振り向いた顔は老狐のものだった。顔は狐でありながら手足は人間のように動かせる奇妙な生物、メリル王女によって魔口から呼び出された“テンマ”と名乗る魔獣だ。メリル王女の魔術は、魔口から呼び出した魔獣を従わせることもできるらしく、テンマもメリル王女に忠誠を誓い、王女を護っている。


「テンマ……、ユイナを、見ていないか……」

「あの黒髪の娘か」

「先程から、姿が見当たらない。どこかへ逃げたのかもしれない」


 全力で駆けてきたために息切れが酷い。その様子が演技に真実味を与えたのか、狐耳をぴくりと動かしたテンマは中庭に視線を戻し、ユイナを捜すために全神経を集中させた。


「先ほどまで中庭にいたはずだが、いないな」

「くそ、どこに行った」


 カーマルは屋上の端から視線を中庭に向ける。城の脱出に手間取っているのか、ユイナの姿はどこにも見当たらない。せっかく門をくぐりやすいように門番を休息させているというのに、何を慎重になっているのか。内心で焦れつつ、だが、それを顔の裏に隠してユイナが中庭に出てくるのを待った。

 すると、屋上を移動していたテンマが塀の影に身をひそめて狐の口を開く。


「見つけたぞ」


 中庭を見下ろしていたカーマルは後ろからの声に度肝を抜かれる。

 テンマが顔を向けているのは西塔の外側だ。

 カーマルはテンマの横に駆け寄り、見下ろす。すると、外壁づたいに走り去る黒髪の少女が南塔の陰に消えていくところだった。


「馬鹿な」


 この城は外窓からの侵入を防ぐため、容易に侵入できる一階には外窓をつけていない。窓があるのは二階と三階だけだ。それも、一階の高さは優に四メートルを超えており、人が飛び降りられる高さではない。

 だが、真下の露台を見下ろした時、どうやってユイナが下におりたのかわかった。露台の手すりに、洗濯干しに使っていた細縄が巻きつけられ、下に垂れさがっている。強い潮風でもみくちゃにされている細縄は、成人の男なら千切れてもおかしくないが、小柄な少女を支えるには十分だったようだ。

 カーマルは自分の浅はかさを笑いたくなった。


 そうか、そうだよな。城の正門から出たら、戻ってきた時にこっそりと城に戻る方法がない。だから誰にも気付かれないような裏手から縄を使って脱出し、帰りはその縄をつたって城内に戻って来る。

 しかし残念だったな。逃走の現場を目撃してやったぞ。


「これで決まりだな。あいつはスパイだ」


 カーマルが言うと、石塀に立つテンマが跳躍の姿勢をとる。目もくらむような高さから飛び降りるつもりだ。日光で見えにくいが、テンマの右手に蒼く光る粒子が無数に集まっていく。集束する蒼い粒子は、テンマの狐手に触れると赤黒い光に転じ、長い槍を形成した。それは魔口を開かずに力を発揮するという、テンマ独特の魔術だ。その特異な魔術で何人ものスパイが闇から闇へ葬り去られてきた。だが、今回は殺させるわけにはいかない。なにしろ自分の舞姫にする少女なのだから。


「忘れるなよ、彼女は大切な情報源だ。傷つけないように捕獲しろ。それと、舌を噛み切って自殺しないようにさるぐつわも噛ませておくんだ」


 約束をべらべらとしゃべられるのも都合が悪いのだ、と内心で付け加え、テンマにさるぐつわを渡す。テンマは、どうしてそのような物を持っているのかと訝ったようだが、猿ぐつわを受け取り、空気中に生み出した槍を握り締め、グッと身をかがめると、西塔から物凄い勢いで跳躍した。


 テンマの体は矢のようなスピードで上空に飛び出すと、ゆるやかな弧を描いて南塔の屋上に着地し、その南塔をも軽く蹴ってさらに上空へと躍り出る。そして、城壁の向こうに消えたユイナを発見したのか、地上へと降下を始めながら槍を上段に振り上げる。テンマの周りに蒼い粒子が日の光りよりも強く集束していく。その魔力には殺気さえ感じられ、カーマルは驚愕に目を見開いた。


「こ、殺すつもりかテンマっ! そんな命令は下されていないはずだ!!」


 (つば)を撒き散らしながら怒鳴った。だが、テンマの耳に届いていないのか、槍を構えたままユイナを追いかけて落下していく。

 その姿が城壁の影へと消えていった直後、予期せぬ事態が起こった。テンマが落ちたあたりから無数の黒い亀裂が走り、上空へと伸びていった。

 いや、それは亀裂ではない。黒い稲妻だ。それが青空を紙のように引き裂いたのだ。


 バリバリバリバリ!


 青空が悲鳴をあげたかのような雷鳴が轟いた。


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