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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第三章
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戸惑いとスパイ疑惑8

 ユイナは海と星空を見渡せる露台に出て、ペントの無事を祈っていた。ペントの治療が始まり、どれ程の時間が過ぎたのか、ユイナ自身にも分からなかった。季節は春になっていたが、夜風はまだまだ肌寒く、半袖の制服では体が冷えた。しかし、今のユイナにはこうやって祈る事しかできない。


 カーマルから受け取った薬は、水に溶かしてペントに飲まされた。ペントが寝かされた客室は一時的に病室とされ、彼を看病するザイとカトレア以外の人間は部屋から追い出された。せめてドアの前で待っていようと思ったが、そこには子供達が陣取っていて、近付こうとするユイナに白い目を向けた。ペントに大量の魔力を浴びせた事をその目が責めているような気がして、罪悪感に耐えられなくなり、逃げ出してしまった。

 そうして誰もいない露台に来て、ペントの無事を祈っている。


 いつの間にか東の空が明るみ始めていた。夜が終わりを告げて朝がやってきたのだ。

 祈り続けていたユイナは顔を上げる。近くの手すりに小鳥がとまってさえずっていたが、不意に東塔から大きな歓声があがったので、びっくりして飛び立っていった。

 露台の手すりから身を乗り出して東塔を見ると、病室に子供達が集まっており、目を覚ましたペントの姿も見えた。会話をしているところを見ると窮地を脱したのだろう。


「よかった、助かったんだ……」


 安堵の息をもらし、露台の手すりに背中を預けて座った。安心すると同時に目蓋が重くなり、しばらくうつらうつらとしていたユイナは、すやすやと寝息を立て始める。

 そんなユイナが風邪をひかないように、誰かがそっと毛布をかけていった。




 閉じたまぶたの向こうからくすぐったいような春の陽射しを感じ、ユイナはハッと目を覚ました。顔を上げて空を見上げると、塔と塔の切れ間から朝日が姿を現し、露台に光りを与えていた。日はその姿を大地から現したばかりで、うたた寝してからあまり時間が経っていないのだとわかった。

 ペントの見舞いに行くつもりだったのに、いつの間にか眠ってしまった。

 眠たい目をこする。その拍子に、体にかけられていた毛布がさらりと落ち、朝の冷たい空気が音もなく首筋をなめた。


「さむい」


 突然の冷気に小さく身を縮め、体にかかる毛布に首をかしげた。肌に触れているのを感じさせない毛布だった。ふわふわとしていて心地好く、羽毛のように軽くて温かかい。でも、羽毛とは違うものでできている。毛布には咲き乱れる白百合が熟練した職人の手で染め抜かれており、ファーレン家で使っていた羽毛布団とは心地好さや高級感において雲泥の差があった。どんな素材でできているのかは分からない。だが、天女の羽衣に触れることができたらこんな感じかもしれないと、ユイナは夢見心地で毛布をさわってみた。すると、知っているにおいが毛先からふわりと広がっていくのを感じた。


「こんな高級な毛布、誰がかけてくれたんだろう?」


 疑問を口にすることでより意識され、露台の手すりに手をそえて立ち上がる。夜気を吸い込んだ石製の手すりはひんやりと冷たい。

 立ち上がったユイナは辺りを見回し、毛布をかけてくれた誰かを探そうとした。スパイではないかと疑われているのに、自分に毛布をかけてくれた人がいる……そう思うと“あなたはスパイではない”と元気付けられているようで救われた気がした。だから、毛布をかけてくれた人に一言でもお礼を言いたかった。


 でも、いったい誰が……?


 一瞬、片ひざを突いて毛布をかけるアレスの姿が目に浮かんだ。まるでそんな光景を見た気がした。ユイナは首を横に振る。どうかしている。そもそも彼はオーデル伯爵を護送するため、夜遅くに城から出て行ったはずだ。


「ひょっとしてザイが毛布をかけてくれたのかな。ああ見えて、意外と面倒見がよいところがあるものね」


 いつも面倒くさそうな顔をしながら子供達の相手をしている。彼なら毛布をかけてくれていてもおかしくない。

 ユイナはとりあえずザイを捜す事にした。毛布の端についた砂ぼこりを払い落とし、綺麗に四つ折りにして胸に抱えると、渡り廊へと足を進める。

 渡り廊は石の天井と壁に囲まれており、採光用のアーチ式窓が等間隔に造られているだけの薄暗い場所だった。自分の足音が驚くほど反響する。

 しばらく薄暗い廊下を歩いていると、足音に重なるようにして子供達の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。笑い声は朝陽のように胸の奥へと射し込んできてユイナの足を止めさせる。

 視線の先にアーチ型の窓があり、笑い声はそこから聞こえてくる。

 窓へと近付き、光に目を細めながら外へと顔を出す。見下ろした階下はちょうど中庭になっており、朝陽を受けて芝生がきらきらと輝いていた。その輝く中庭では子供達によって朝食の用意が行われている。

 綺麗に刈りそろえられたライトグリーンの芝生に木製の長テーブルが三つほど並べられ、子供達が白い皿をテーブルに並べている。子供達にとってお兄さんやお姉さんにあたる、ユイナにとっても一つか二つ上の少年少女が、スープを分けて朝食の支度を仕切っている。幼い子供達もロールパンを一つ一つと両手で運んでいる。


 昨夜はペントが魔力中毒による危険な容体に陥ってひどく心配して怯えていたというのに、ペントの容体が回復に向かっていると知らされたためか、すっかり安心している。

 それほどペントは好かれているんだ、と思い、寂しくなった。

 ペントはいつの間にか人気者になっている。子供達が輪になっている中心で、ナイフで見事なジャグリングを披露しているのを見かけたこともある。その時の子供達の顔といったら、ハラハラしながら目を輝かせてペントの芸に見入っていた。


 それに比べてユイナは……大事にしている制服を触られたぐらいで悪気のなかった女の子達を叱りつけ、怖がらせてしまった。今ではスパイ容疑までかけられ、仲間はずれだ。心のどこかでは子供達の輪に入っていきたいと思いつつ、それができないほど彼らとの間に深い溝を感じ、立ち尽くしてしまう。彼らの輪に近付くのもためらわれる。


 そう思うと、薄暗い廊下に立っている自分の姿がみじめに思えた。楽しそうな朝食の光景に胸が苦しくなり、毛布を抱き締める腕に力がこもった。あまりにきつく抱き過ぎて制服の中にしまっておいたペンダントが胸元にきつく当っている。リングの中央で踊る舞姫をイメージして作られたペンダント。思い出の詰まった、何よりも大切にしているユイナの宝物。そうやって、自分は過去をいつまでも抱えて生きている。

 ユイナは窓から離れた。その肩に、男の手が乗せられてユイナは抱きとめられる。


「えっ?」


 目を見開いて肩越しに振り向くと、カーマルが微笑んだ顔でユイナを見下ろしていた。彼が背後にいたことにまったく気付いていなかった。ユイナは数回ほど口をぱくぱくさせた後、「お、おはようございます」と挨拶をする。体は彼に背を向けたまま毛布を抱いている。

 カーマルが窓から中庭の光景を見下ろして口を開く。


「彼らと一緒に朝食をとらないのかい?」


 やさしい問いかけに、胸の奥が(えぐ)られたような気がした。


「は、はい……今は朝食をとりたい気分ではないので……」


 そんな言い訳を口にしてみたが、実際は謎の魔術師に襲われてから何も口にしていないので空腹だった。ユイナは腹の虫が鳴かないように毛布でおなかを押さえつける。


「約束のこと、覚えているね?」


 カーマルが耳のそばに口を近付けてささやいた。ユイナは形容しがたい悪寒を背筋に感じてびくりと肩を震わせる。


「わ、忘れていません……」


 声をひそめてそう答えた。

 ペントを助けるため、魔力中毒に効く薬を買う約束をした。その代金を明後日までに、いや、昨夜の約束だから明日までに用意しなければ、自分は彼と結婚しなければならない。そして、借金を返済するためには大切にしている舞姫学校の制服を売るしかない。ガモルド男爵が少ない資金をやりくりして買ってくれた大切な制服を。

 なんて軽率に約束してしまったのだろうと後悔する反面、カーマルから薬を買わなければペントは助からなかったと自分に言い聞かせる。

 舞姫学校の制服を売るのは心苦しい。だが、制服を失うよりも自分を慕ってくれる男の子を失うほうがどれほど辛い事か。制服は買いなおせるかもしれないが、彼の命は買いなおしなどできないのだ。

 ペントが死ななくて本当に良かった。改めて思うと、急に目頭が熱くなってきた。なぜか涙が出てきそうだった。それを見られたくなくて、カーマルから顔を逸らす。

 しかし、カーマルはユイナをじっと見詰めている。まるで少女のなめらかな肌を舐めるような目つきだった。ユイナが顔を逸らした後も、彼の舐めるような視線は力を増していく。細い首筋から肩、そして制服の衿からのぞく胸元へと流れていき、急に細くなった。


「まさか、それを売りに行くつもりじゃないよね」

「それ……?」


 ユイナは一瞬意味がつかめずに聞き返したが、『それ』の指している物に気付いて唖然とした。彼は毛布の事を言っているのだ。


「他人の所有物を売って返す金に換えるのは約束違反じゃないのかな?」

「違います。これは誰かが私にかけていったんです」

「誰かだと……?」と、カーマルは鼻で笑う。

「嘘ならもっとマシな嘘をつくんだな」

「う、嘘ではありません。本当のことです」

「信じられないな。その毛布はメリル王女の所有物だぞ? 彼女が貴女にその毛布をかけてくれたのか? メリル王女は貴女がスパイではないかと疑っているんだぞ」

「そ、そんなこと言われても……私には分かりません。気付いたら体にかけてあって」

「分からない、か。苦し紛れの言い訳だね。本当は盗んだんだろ? 盗んだのなら今のうちに吐いたほうが――」


 問い詰めようとしていたカーマルだが、とつぜん口をつぐんだ。

 驚くほど近くから足音が聞こえてきた。まるで第三者の存在を知らせるわざとらしい足音に、ユイナとカーマルは音のした方へと振り向く。

 渡り廊の真ん中、ちょうど窓から朝日が射し込む場所に魔術師姿のアレスがいた。彼は頭からフードを外して丁寧に朝の挨拶をする。


「戻っていたのか」


 カーマルが挨拶も返さずにぶっきらぼうに言った。


「はい、伯爵との打ち合わせを終えて急いで戻ってきたのです」


 そう答えたアレスの視線が、ユイナから抱き締めている毛布へと向けられ、ユイナは顔が冷たく強張るのを感じた。誤解されたくなかった。


「ち、違うんです! これは」

「もういいのか? その毛布」

「……え?」


 弁解しようとしていたユイナは、アレスの言葉に虚を突かれた。


 ――もういいのか? その毛布。


 アレスは確かにそう言った。まるでユイナが毛布を持っていることをあらかじめ知っていたかのような発言だった。ユイナは気付く。


「これ、アレスが……」


 私にかけてくれたの? という声は胸が締め付けられるような感覚にかすれてしまった。そしてハッとした。毛布を抱き締めたときに感じたなつかしいにおい、それはアレスと二人で逃げていた時、夜山の寒さに震えていたユイナを包み込んだ銀狼のにおいではなかったか。

 忘れていた。忘れていたのに、あの時の光景が鮮明に思い出され、恥ずかしさで顔を隠したくなった。きっと顔が赤くなっているに違いない。そんな顔を見られたくない。だというのに両腕は毛布でふさがれ、なぜか瞳は上目遣いにアレスを見てしまう。アレスの黒い瞳に、顔を赤く染めた自分の顔が映っている……。

 視線をアレスから引き剥がしたい。でも、激しい動悸と緊張のためか首が動かせない。

 アレスは怪訝な顔でやさしげに見詰めかえしている。

 それがいけないのだ。そのやさしさが混乱させる。

 アレスがやさしくしてくれるのは、反逆者の汚名を着せた罪滅ぼしのためだと思っていた。だが、本当に罪滅ぼしだけなのだろうか。彼のやさしい微笑を見ていると、それだけではないように感じてしまう。

 ユイナには、彼がやさしくしてくれる理由が分からなくなってきた。メリル王女という許嫁がいるのに、なぜそこまでやさしくしてくれるのかも分からない。


「どうして……?」


 咽から出てきた言葉は、そんな曖昧な問いだった。


「どうして? 外で寒そうにしていれば誰だって気になる。ユイナは風邪をひきたいのか?」

「ち、違います……」


 声を縛り出して言った。

 彼に聞きたいのはそういう事ではない。どうしてやさしくしてくれるのか、それを聞きたいのだ。だが、肝心な部分を聞き出そうとすると、彼の本音を知るのが怖くなり、のどが萎縮して声が出せなくなる。もし自分にとって最悪の返答だったらと思うと、怖くなってしまうのだ。


 いつもそうだ。肝心な時にかぎって一歩前に出る事を躊躇(ちゅうちょ)してしまう。

 それが自分にとって大きな事であればあるほど、体が縮み上がって動けなくなる。ラインハルト侯爵に酌を頼まれた時も、緊張のあまり石のように固まって場を白けさせてしまった。せっかく自分を売り込むチャンスだったのに、取り返しのつかない失態をおかしてしまった。もしあそこで堂々と酌をすることが出来たなら、もしあそこで侯爵と楽しく話をできたなら、自分にはもっと違う未来が訪れていたかもしれない。

 時々、自分の気の小ささを呪いたくなることがある。でも、どうしようもできないのだ。心の表面は取り繕う事はできても、心の奥に眠る臆病者の気質だけは、どうしても変える事ができないのだ。


「アレス、私は彼女と話があるんだ。用がないなら二人きりにしてもらえないか」


 不意にカーマルの声が割り込んできた。声にはトゲが混ざっている。


「それは気付きませんでした」


 アレスが頭を下げる。それからユイナへと体を向け、「毛布はまだ使うか?」と聞いた。ユイナは首を横に振る。


「それではもらっていこう」


 アレスが手を差し出し、ユイナは両手を伸ばして毛布を渡す。毛布を受け取ったアレスは、踵を返して渡り廊を歩いていった。ユイナはその背中が廊下の角に消えていくのを見送りつつ、ありがとうと言えなかった事に気付き、後悔に打たれた。


 その時、ギリ、と歯軋りが鳴った。

 驚いて振り向くと、カーマルが頭一つ高い場所からユイナを見下ろしていた。


「やっと二人きりになれた。さて、本題に入ろうか」


 そう言って彼は口元を引いて微笑む。窓からの射光を受けた顔は反対側に不気味な影を落としていた。


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