戸惑いとスパイ疑惑7
城の西塔にある大広間には子供達が集まっており、ペントは彼らに話しかけてアレスの居場所を聞き出していた。ユイナは薄暗い廊下の角に隠れてそれを待っている。
スパイではないかと疑われている状況で、子供達の前に出る勇気をもてなかった。子供達に話しかけた所で拒否されるのが怖かった。何名かの子供がユイナの前を通り過ぎ、警戒の目を向けた。
そこにペントが戻ってくる。
「アレスは向こうの塔だって、そこの会議場で話し合いをしているみたい」
ペントはアーチ窓から見える中央塔を指差して言う。メリル王女の城は東西南北に建てられた四つの塔と、その中央にある中央塔を廊下や階段でつなぎ合わせたような建築構造になっている。
ユイナはペントと手をつないで、会議場へと向かう事にした。まずは二階に上がり、そこから中央塔につながる細長い階段を上っていく。外観は壮観で綺麗だが、遠回りさせられているようで不便だった。貴族には美観を求めて、機能美を捨てる人が多いが、メリル王女もその一人ではないかと思った。そんな事を考えていると、ペントがふらついて石段に躓きそうになった。
「だ、大丈夫?」
ペントの体を支えながら聞くと、
「おかしいな。ちょっと疲れているみたい」と返答がある。
ユイナは心配になり、ペントの前にしゃがんで背中を差し出す。
「ペント、私の背中に乗って、おぶっていくから」
言うと、ペントは素直に従った。
驚くほど軽い男の子を背負い、ゆっくりと中央塔への階段を上り、左右に分かれた廊下で立ち止まる。どちらに進もうかと迷っていると、廊下の右奥からかすかに声が聞こえてきた。そちらへと足を進めてみる。薄暗い廊下を進み、階段口から二番目の扉の前で立ち止まった。まだ会議中らしく、ドア下の隙間から部屋の明かりと聞き覚えのある老人の声ももれてくる。
『シルバートの特殊部隊か。まったく、情報が伝わる前に始末できたのが不幸中の幸いだったな』
そうですね……、と狼のようなアレスの声が同意する。
『しかし一つ問題があります。彼らは死んでしまったので、彼らがシルバートに戻らないとなると、怪しまれて新たな調査団を送り込んで来るはずです。彼らの行動を抑止するためにも国境や街の警備を増やしてください。不審者が出たから警備を強化していると報告すれば、シルバート側も表面上は了承してくれるでしょう。私がウィンスターに逃げ込まないように協力するため、という理由を添えてもいいかもしれません』
『なるほど』
『それと、伯爵とご子息は居城に戻って普段通りの生活をしてください。どこで見張られているか分かりませんから。オルモーラの研究所に行くのも避けるべきです。極力、城の中で研究所からの連絡を受け取る形にしましょう』
『そうだな。だとすれば今すぐ戻ろう。研究所に出していた命令を変更しておかないと敵に気付かれる可能性もある。アレス、君にも付いてきてもらうぞ。色々と打ち合わせしておきたい事がある』
『分かりました。――メリル王女、馬車はありますか?』
『ええ、二人乗りの馬車ならあるわよ。四人乗りの馬車はあいつらに壊されたけど』
『父さん、私はどうすれば……』
聞き覚えのない青年の声がした。
『お前は残っていろ。いつでも帰ってこられるだろう』
老人の突き放すような声が聞こえ、会議室のドアが開けられた。ペントを背負っていたユイナは、会議室を出ようとするオーデル伯爵や伯爵に似た顔の青年、そしてアレスと視線を合わせ、次いで部屋の奥にいたメリル王女と目を合わせた。するとメリル王女の顔色が険しくなる。
「アレス、どうしてその女を縛っていないのよ。そいつはスパイかもしれないのよ」
彼女の言葉にアレスは顔をしかめ、真顔に戻って部屋の奥にいる王女を振り返る。
「彼女はスパイではありません。少々訳アリで私が連れてきただけですから、みんなと同じように接してあげてください。――オーデル伯爵、いきましょう。馬車はこちらです」
「あ、アレス! 訳アリってどういう意味よ! 待ちなさい!」
アレスは苦々しい顔をして伯爵を階段へと連れて行き、メリル王女がそれを追いかけていく。
「あのじゃじゃ馬が許嫁だと思うとアレスも災難だな」
廊下に出てきたザイが、メリル王女の背中を見送りながらそんな言葉を漏らした。
「だけどあいつ、本当にメリル王女を妻にするつもりなのかな?」
半ば意見を求めるようなひとり言だったが、ユイナは唇を引き締めて沈黙を守り、背中のペントを背負いなおす。いつの間にかペントは眠ってしまったらしく、静かな寝息をたてていた。
「ユイナ、いつまでそこに突っ立っているんだ。一緒に下りようぜ」
「はい」
返事をしてザイの横に並び、先ほど上って来た階段を今度は降りていく。しばらく何もしゃべらずに長い石段を下りていると、ザイが振り向いて羨ましげな顔をする。
「俺もペントぐらいの年齢だったら、綺麗な姉さんに背負われても違和感がないんだが……まったくうらやましいやつだ」
そう言ってペントの頭をたたいたザイは、不意に表情を険しくした。
「ペント……? おい、しっかりしろ!」
「ど、どうしたんですか?」
ユイナは驚いて聞く。
「ペントの様子がおかしい。ユイナ、ゆっくりとペントをおろしてくれ」
そう言われてそっと背中のペントを下ろすと、彼はぐったりとして、寝息をたてていた。眠っているのとは違う。全身の肌が黒っぽく変色し、昏睡していた。
「魔力中毒だ……!」
ザイがのどから絞り出した言葉に、ユイナはドキリとした。
魔術には毒性がある。魔術師はその毒に耐性があるから心配はないが、普通の人がその毒を受けると、体が麻痺していき、手足を動かせなくなる。最悪の場合は眠気に襲われて昏睡状態に陥り、最後には死に至ってしまう。
ペントは紛れもなく魔術の毒にかかっていた。見た目にもかなり重度だ。
「私を助けるために魔口に飛びかかったせいだ。それで大量の魔力を浴びて……」
ハッとした。
魔口を開いたのは敵だけではない。ユイナも莫大な魔力を放ち、人を飲み込める程の巨大な魔口を開いた。ペントが魔力中毒にかかったのは自分の責任でもあるのだ。
罪悪感に襲われて胸を押さえる。その横でザイが唇を噛む。
「ペントのやつ、痺れはないって言ってやがったのに……。くそ、そんな事を言ってもしょうがない。急がないと手遅れになるぞ」
「て、手遅れなんて、そんな……!」
一瞬、ペントが死んでしまう光景を想像してしまい、心臓を鷲づかみにされたように苦しくなった。
「とにかくベッドに寝かせよう」
ザイは言うや否や、ペントを抱きかかえて階段を一気に駆け下りていく。そして子供達のいる大広間に出ると、近くの客室に入ってそこのベッドに寝かせる。
「解毒するには特殊な薬が必要なんだ。それをメリル王女が持っていればいいんだが……ああ、くそ、考えていても仕方ない!」
ザイはそう言って疾風のような速さで客室を飛び出していった。メリル王女を捜しにいったようだ。それを追いかけて客室を出ると、ザイの慌ただしさに気付いた子供達が、何事かと客室をのぞきこもうとしており、そこに鉢合わせしたユイナは立ち止まる。
子供達が恐れるように道を開けた。ユイナは胸が痛んだが、今はペントを助ける事が先だと思い、子供たちの目を避けるようにその場を走りぬける。
しばらく薄暗い廊下を走っていると、ザイが戻ってきた。
「ユイナ、カーマルを捜せ。そいつが魔力中毒の特効薬を持っているらしい」
「カーマル? ひょっとしてオーデル伯爵の息子ですか」
「そうだ。伯爵に似た顔で貴族の服を着ているからすぐに分かるはずだ」
「分かりました」
ユイナはうなずき、ザイと分かれて北塔へと続く廊下を走る。
オーデル伯爵の息子……どこにいるの…! お願いだから見つけやすい所にいて…!
ユイナは心の底から願った。天女の存在を信じた事はなかったが、もし本当にいるのならペントを助けて欲しいと願った。それほどユイナにとって、ペントを失う事は怖かった。
――ユイ姉さん、僕も舞姫になれるよね。
――やっぱり、女の子じゃないと舞姫にはなれないの?
――頑張ればなれる? じゃあ、うんと頑張る。だから僕にも踊りを教えて。
――僕はユイ姉さんが好きだもん。
脳裏にペントの声が湧きあがって来るので、首を振って声を振り払う。今は感傷にひたっている場合ではない。オーデル伯爵の息子を捜し出し、薬をもらわないといけない。
しばらく行くと、北塔の海を見渡せる露台に人影が出ているのが見えた。服装からして貴族だ。その人がカーマルであることを願い、疲れた足に鞭を打って走る。
「すいません、オーデル伯爵の御子息ですか」
人影の十メートル後方から呼びかけると、手すりに寄りかかっていた人影がぴくりと反応し、振り返った。
「な、何だ君は?」
そう言った男は、オーデル伯爵を二十歳まで若返らせたような青年だった。カーマルに間違いないと思ったユイナは、喜ぶのもそこそこにして薬を分けて欲しいと頼みこんだ。青年は気圧されたように身を引いたが、ランプをかざしてユイナの顔をじっと見詰める。ユイナはカーマルに訴えかける。
「男の子が危険な状態になっているんです。薬を分けてください、お願いします」
「無償で薬を渡せと言うのか?」
カーマルは言い、ユイナは返答に詰まった。
「まさか本気で高級な薬を無償で分けてもらえると思っていたのか? 欲しいものがあるなら、それに見合ったものを出すのが普通だろ」
青年は目を細め、ユイナのほんのりと隆起した胸を眺めながら言った。
ユイナはその視線に気付かず、ただ迷いを追い払うように胸の前で両手を握り合わせ、意を決して顔を上げる。
「わ、分かりました。貴方が持っている薬を買います」
「か、買うだと?」
カーマルはしばらく考え込んでいたようだが、薬とユイナを交互に見やった。
「この薬は十万ギロもするんだぞ、それだけの金を持っているのか?」
「十万ギロ?」
常識では考えられない値段に驚いた。町娘の服は三千ギロで買えたのに、それとは桁が二つも違う。
「払えないのなら薬草を譲るわけにはいかない。十万ギロを出しても買いたい奴は他にもいるんだ」
「待ってください」
呼び止めたもののお金がない。誰かに借りるのは無理だろう。アレスやカトレアはただでさえやりくりに困っている。メリル王女は聞くだけ無駄だろう。
「十万ギロ、払えるのか?」
「い、いえ……」
「お金がないんじゃ話にならない。だが、それに見合ったものを用意できるのなら、考えてやってもいいがな」
カーマルがユイナを見詰める。
ユイナはしばらく考え、胸元に手を当てる。服の下には舞姫のペンダントを隠している。とある女性から生活費にと譲り受けたまま大切に持ち歩いていた。
「わかりました。このペンダントと交換してもらえませんか? 舞姫が繊細に彫り込まれた素敵な――」
「私が女物のアクセサリーで喜ぶとでも?」
不快をあらわにされ、言葉に詰まる。
「いえ、そんなつもりは――」
カーマルが時間の無駄だと言いたげにため息をつく。
「金を用意できないなら他を当たるんだな」
「ま、待ってください! しばらく待ってもらえますか。ちゃんとお金は用意しますから」
「どうやって」
「このペンダントを売ってきます」
「それが十万ギロで売れると思っているのか?」
売れるかどうかわからない。行きずりの女性から譲り受けた物なので価値もわからない。
ユイナは悩みながらも身に着けた制服に視線を落とす。ガモルド男爵がさまざまな家具を売ってでも購入してくれた制服。五十万ギロするのだとアリエッタがこっそり教えてくれた。貴族からしても高価な服なのだと推測できた。すでに袖を通しているが、十万ギロの価値はあるはずだ。男爵に申し訳なかったが、ペントの命には代えられない。決意し、顔を上げる。
「ペンダントで足りないなら、舞姫学校の制服を売ります。そうすれば、薬代にはなると思います」
「その服を売るのか?」
カーマルはユイナが着ている舞姫学校の制服を指差す。
「そうです。この制服は高級な糸で織り込まれたもので、値打ちのあるものです」
「ほう。確かに高級品だ。売れば十分な金になるだろう」
彼の目から見ても高価なようだ。
カーマルはにやりと笑い、「いいだろう」と言って薬を差し出した。
「ありがとうございます!」
ユイナは頭を下げ、それを受け取ろうとした。しかし、カーマルが薬を引っ込め、「ただし」と付け加えた。
「明後日までに代金を揃える事。それができなければ私の舞姫になってもらう」
ユイナは驚き、カーマルをまじまじと見詰める。
「舞姫って……結婚しろという事ですか」
「それが出来ないと言うのなら、この話はなかった事にしてもらおう」
そう言って立ち去ろうとする。
「ま、待ってください!」
ユイナは泣きそうになりながら叫んだ。
一刻を争うのだ。
こんなやり取りを続けていたら本当にペントが死んでしまう!
「明後日、ですよね……分かりました、それまでには用意します」
ペントを助けたい一心で急いで承諾した。明後日までなら時間に余裕がある。オルモーラの町で制服を換金してくれば、往復で半日もかからないはずだ。約束は守れる。
「よし、それなら薬を分けてやろう……これだ」
カーマルが袖の中から薬を出す。
「ありがとうございます!」
薬を受け取ったユイナは頭を下げ、急いでペントの元へ走る。
これでペントが助かる。
今はそれ以外の事は考えられなかった。もちろん、カーマルが目を細めてぺろりと舌なめずりをした事にも気付くはずがなかった。




