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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第三章
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戸惑いとスパイ疑惑4

「カトレアさんが私を呼んでるの?」


 岩陰で半裸になっていたユイナは素肌を隠しながら、伝言してくれたペントに聞き返す。ペントは大岩の反対側に立ち、「うん、海の見える祭壇で待ってるって」と答える。まだ幼いせいか、声には女性の体を見たという恥ずかしさは感じられなかった。それで良かった。裸を見られて恥ずかしがられたら、こちらまで恥ずかしくなってしまう。

 お湯にぬらしたタオルで体を綺麗にしたユイナは、ちょうど大岩の陰で買ってきた服に着替えている所だった。そこに伝言を受けたペントがやって来たのだ。


「わかった。着替えたらすぐに行くから、少し待っていて下さいと伝えて」


 ユイナがそう言うと、「うん」という返事があり、小さな足音が遠ざかっていった。ホッと息をつくと急いで着替える。少しだけ心がうきうきしていた。なにしろ憧れの踊り子であり、理想の女性でもあるカトレアと話ができるのだ。気分が高揚してくるのを抑えられるはずがない。


「着付けは出来てるよね。よし、行こう」


 ユイナは町娘の服に着替えた格好を確かめると、学校の制服をたたんだ。アレスから渡された『踊り子大募集!』のビラを風で飛ばされないよう制服に挟みこんで胸に抱え、岩山の頂上にある祭壇へと急いだ。ペントの言っていた通り、祭壇には白銀の髪をなびかせるカトレアの後ろ姿があった。彼女は黄昏前の海に浮かぶ夕日を前にして美しく気高かった。


「お、お待たせしました……」


 不安と期待の入り混じった表情でおずおずと声をかけた。すると、カトレアは夕陽を背にして振り返る。その目が厳しく見える。何事かと眉をひそめると、


「単刀直入に聞かせてもらうわ。あなた、アレスの事が好きでしょ」

「………え?」


 全く予期していなかった言葉を投げかけられ、表情が固まった。顔から血の気が引き、まるでのどに何かが詰まったように声が出てこない。

 カトレアは冷めた目で続ける。


「あいつの表面に騙されてはいけないわ。あいつはとんでもない偽善者なのよ」

「な、何を言い出すんですか……それに、私がアレスを好きだなんて……」


 否定しようとのどから言葉を搾り出した。しかし、出てきた声は老婆のようにしわがれていた。気まずくなり逃げようとするユイナの瞳を、カトレアの瞳は逃がさない。


「貴女はアレスの事が気になっている。気が付けばいつもアレスを見ているでしょ」

「そ、それは………自分の身を守るためですっ」


 誤解を解こうと躍起になって言い返した。


「彼のせいで変な事に巻き込まれてきたから、これ以上巻き込まれないように彼の行動を見張っているんです。それをたまたまカトレアさんが見ていただけだと思います……わたしは――」


 わかったわ、とカトレアは手を上げてユイナの言葉を制する。


「貴女がアレスに対して危機意識を持っているのは分かった」


 その言葉に、心の底から胸を撫で下ろす。反逆の罪を着せられた原因の男に好意を持つなど、あってはならないことだ。彼のせいでガモルド男爵やアリエッタと離れ、彼らの安否さえわからないのだ。


「でも、どうして貴女はまっすぐな瞳でいられるのかしら? まるで貴女の瞳は恋に浮かされた乙女のようだわ。アレスを捜さずにはいられなくなっているのよ」

「な、何を言い出すんですか。私はこれ以上彼に振り回されたくないから、彼を見張っているだけです。それ以外のことはありません……」

「本当にそうかしら? 貴女の瞳はアレスの行動を見ているというより、アレス自身を見詰めているように見えるわ。飽きもせずにね。いえ、見惚れていると言った方がいいかしら?」

「見惚れている……?」


 ユイナは顔が灼熱するのを感じ、それを振り払うように首を振る。


「違います……そんなこと違います! 私は事件に巻き込まれたくないから彼の行動を見張っているんです!」

「それならどうして、悪魔の油について説明されている時、博士の話を聞かずにアレスの顔をじっと見詰めていたの? あいつの行動を警戒しているのなら、あいつが何をするつもりなのか聴いておくべきじゃないの? どうしてあいつの顔をじっと見詰めていたの」

「わ、私はそんな事しません」


 ユイナは言い張るが、カトレアは静かな声で「もう自分に嘘をつくのはやめなさい」と言った。


「貴女はずっとアレスの事を見ていた。博士が『耳をふさげ』と言っても耳をふさがず、とつぜんの爆音に一人だけ驚いていたじゃない。博士が火をつける時の注意点と、デルボの扱いについて説明していたけど、何を言ったか覚えてる?」


 それは……、と何か言おうとした。しかし、博士の言葉を一つも思い出せず愕然とした。注意点って? あの時、自分は何をしていたのだろうか。

 カトレアはため息をつき「貴女はアレスに恋をしているのよ」と言った。

 ユイナは慌てて首を振る。


「私は恋なんてしません。そんな病気にはかかりません」

「病気?」

「だってそうですよ。恋の病って言うじゃないですか。同じ男性を好きになったからって、それまで仲のよかった友達が喧嘩して、絶交して、友達だった相手を落とし入れようとしますか? 中には相手の体を傷付けて自分が上に立とうとする人までいるんですよ……それが病気じゃなかったら何ですか」


 病気になった少女を何人も見てきた。友達だった女の子達が同じ男性を好きになったからと、水面下で相手を蹴落とそうとして、巣を張る蜘蛛のように策略を巡らせるのだ。それは人の醜い部分をむき出しにしていて鳥肌がたつほど大嫌いだった。

 恋をめぐる争いは、舞姫学校ではそれ程珍しくない。むしろ、よくある話だ。だからこそユイナは、『恋』という得体の知れない激情を病気だと思い、恐れていた。それに、男性恐怖症で男に近付くのも嫌だから、恋に落ちるはずがないと思っている。


「貴女、本気で言ってるの?」

「本気です。それに私、男の人には怖い経験しかなくて、男の人が苦手なんです。だから恋なんてするわけがないし、これからもずっとしないと思います」

「男が苦手だから恋はしないと言い切れるの? 恋がどんなものか説明もできない人が何を根拠に自分とは関係ないと言えるの?」


 ユイナは言葉に詰まる。


「それに、貴女はアレスを否定しないのね。彼を否定して、彼から距離をとればいいだけなのに、貴女はそれをしようとしない。そのもやもやした態度は何? 彼を否定できない気持ちが貴女の中にあるんじゃないの?――私には、恋を否定してきた貴女が初めての恋を経験して戸惑っているように見えるわ。自分の気持ちをどう処理すればいいか分からなくて、その分からない事から目が離せなくなっている」


 ユイナをハッとしてカトレアを見詰めた。


「貴女は恋をしないと言ったけど、それはそう思い込んでいるだけで、貴女は今、初めての恋を経験しているんじゃないかしら。それをただ、恋ではないと思い込んでいるだけだと思うの……でも、可哀想だとは思うけどこれだけは言わせて頂戴。貴女は報われない恋をしている。あいつには、結婚を約束された許嫁(いいなずけ)がいるのよ」

「………いい…なずけ?」


 一瞬、鈍器で殴られたようなショックに襲われた。


「貴女のためを思って忠告するわ。幸せになりたいならあいつから離れなさい。あんなやつを好きになると不幸になるわよ」

「な……、私があいつを好きになるわけがありません……! 私は、あいつのせいで反逆者の濡れ衣を着せられたんですよ! それに、それに……」

「そんなにムキにならなくていいのよ。貴女がアレスを嫌っているのならそれでいいの。少なくとも、あいつのせいで不幸になる事はないわ」


 カトレアはそう言い、ユイナの肩をポンとたたいて祭壇を下りていく。ユイナは、沈みゆく夕陽を前にして立ち尽くしていた。知らず知らずのうちに口元が震える。


 許嫁? なにそれ。そんなこと一言も教えてくれなかった。素振りもなかった。


 なぜだか気持ちが沈んでいくのを止められない。不意に目から涙があふれてきて頬を伝い、慌ててそれを拭う。祭壇の下にいた子供達がそれを見上げていた。ユイナは子供達から顔を逸らし、急いで祭壇を下りてその場を逃げる。涙を手で隠し、その涙でぼやけた視界を頼りにひと気のない場所を目指して岩山を下りていく。すると、「あ、新しい服だ。いいなぁ」と、小石を使ってママゴトをしていた女の子達が顔をあげ、駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、私にもその服を見せて……あれ? 泣いてるの?」

「大丈夫?」

「ち、違うのよ。これは目にゴミが入って」


 言い訳をしながら目に浮かんだ涙を拭い、ぼやけていた視界をすっきりさせる。そして、制服に触れた女の子の手が砂で汚れているのに気付いた。ガモルド男爵に買ってもらった大切な制服を汚い手で触られ、胸中穏やかではいられなかった。

 表情を険しくしたユイナは彼女達の手を振り払う。


「汚い手で触らないで! これは私にとって大切な服なのよ!」


 きつく叱ると、気圧された女の子達はみるみる涙目になっていく。

 しまったと後悔した時には遅かった。女の子達は泣き出して頂上へと駆け登っていき、その場に残されたユイナは立ち尽くす。黄昏を迎えた坂道は寂しく、胸にぽっかりと穴が開いたような気がして、制服を抱き締めてがっくりと地面にひざをついた。涙は枯れたように出てこない。


「子供にやつあたりなんて情けない……」


 弱々しい呟きは風に流された。制服の隙間からアレスに貰った『踊り子大募集!』のビラが落ちて岩陰の吹き溜まりに止まる。それを拾い上げ、思いっきり縦に破ろうとした。指に少しだけ力を入れて引き裂けばいい。一枚の安っぽい紙は簡単に引き裂けるはずだ。なのに、アレスからの贈り物だと思っただけで指から力が抜けていく。


 ――貴女は報われない恋をしている。あいつには結婚を約束された許嫁(いいなずけ)がいるのよ。


 不意にカトレアから突き付けられた言葉がユイナの心に割り込んできた。枯れたと思った涙が再びあふれだし、アレスから贈られたビラが涙にぼやけていく。


 違う…! これは贈り物なんかじゃない…!


 ユイナは口をぎゅっと引き締めて一気にビラを引き裂く。縦に横に何度も引き裂く。


「あいつは反逆者…! シルバートの裏切り者…! うらぎりもの……!」


 それは単なる(ひが)みだと思いながら、声を絞り出すようにして自分に言い聞かせる。アレスが裏切り者だと自分に言い聞かせてビラを破らなければ、自分がビラのように引き裂かれてしまいそうだった。


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