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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第三章
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戸惑いとスパイ疑惑3

 服屋はすぐに見つかったが、そこから時間がかかった。なにしろ自分で服を買うのは生まれて初めてで、似合う服を選ぼうとすると、何を買えばいいのか分からなくなり、無駄に時間が過ぎてしまったのだ。結局、値段は三千ギロという一般的な街娘の服を買った。店員の勧めだったが、ロングスカートで輪郭がセフィルの制服に近いのが決め手だった。鏡を前に身体に当ててみると細身のユイナに似合っていた。


「どうして新しい服に着替えなかったの?」


 服屋を出るなりペントが聞いてきた。


「新しいから、身体を拭いてからにしたいの」


 村人に捕まったり、追手の襲撃を受けたりと息つく暇もなかったので仕方ないが、におわないか気になり始めていた。


「そうだね。僕も身体を拭きたい」


 ユイナは、ペントと一緒に中央広場へと急いだ。広場にある日時計の前が集合場所だったからだ。すでに買い物を終えたザイとカトレアがベンチに座っていて、美女の隣でザイはそわそわしていた。カトレアは近づくユイナ達に気付き、その端整な顔を上げて後ろにある日時計を見る。


「そろそろ集合時間ね……。あなた達、アレスを見かけてない?」


 せせらぎのような澄んだ声で聞かれ、


「路地裏でおじいさんと話しているのを見かけましたけど、今はどこにいるか知りません」


 そう、とカトレアは言い、不意に琥珀色の目を横に動かす。その視線の先には、


「すまない。遅くなった」


 集合時間ぎりぎりに現れたアレスが謝った。

 両手と両脇に大きな袋を抱え、袋一杯にパンや水などの食料を詰め込んでいる。それはアジトで待つ子供達の一週間分の食料だった。かなりの量にも見えたが、アジトのみんなで分けるには少ないぐらいだった。アレスは荷物を石畳の上に置くと、その中からビラを引き抜き、ユイナに差し出した。

 ビラには『踊り子を大募集!』と書かれている。


「今度行われる祭典で踊り子を募集しているらしい。明後日まで応募できる。もし良かったら、オーディションに参加してみたらどうだ」


 ビラを受け取り、


「どうしてこれを……?」


 驚いてアレスを見上げる。


「気分転換のためだ」

「気分転換?」


 そう言ったのはザイだった。にやけた顔でアレスを小突く。


「おい、お前がこんな事をするなんて珍しいじゃないか。さては二人きりの時に口では言えないような事でもあったか? そう言えばユイナの着ているローブって、アレスが着ていたやつだろ? まさか、だぼだぼのローブを着させて、歩きにくそうにちょこちょこ歩いている姿が可愛いとか思っていないよな」


 ユイナはドキリとして固まった。

 アレスのローブに包まれている自分の姿が、急に恥ずかしくなって赤面する。顔が燃えているのではないかと思えるほどに熱くなり、周りの雑踏がやけに遠く聞こえた。

 羞恥で俯いたが、耳では答えを待っている。

 制服を隠すためにローブを貸してくれたのだと思う反面、ザイの指摘する通り、何か他の意図があるような気もしないでもなかった。アレスは普段と変わらない声で答える。


「ローブを貸したのは、制服を隠すのに必要だったからだ。深い意味はない」


 予想していた答えだったが、実際に言われてみると、胸の奥に何かがつかえたようなわだかまりが残った。アレスは食料を抱え、妹に顔を向ける。


「カトレア、すまないがユイナとペントを連れて先に帰っていてくれないか。俺とザイは用事を済ませてから帰る」


 そう言ってアレスは広場の入り口に振り返る。そこには老人がいた。路地裏でアレスと密会していた老人だ。

 ユイナは柳眉をひそめた。アレスはまた、自分の(あずか)り知らない所で話を進めようとしている。その不審が胸のわだかまりを大きくしていく。


「それじゃ、子供達のことを頼む」


 踵を返して老人の方に足を向けようとした。


「待ってよ」


 ユイナはのどから声を絞り出すようにしてそれを呼び止め、振り返った彼を睨みつける。


「また、私に何も教えないつもり?」

「関わらない方がいい」


 苛立ちが増した。


「貴方はいつもそう。何も教えず、私を巻き込んでいく。そして私が気付いた時には、もうどうしようもない事態になっている。知らないうちに私は反逆者で、ウィンスターの国に連れて来られたのも後になって知った。貴方の目的も私は知らない。何も私は知らない……!」


 キッと睨みつけて言うと、アレスは視線を逸らして首を振る。


「知らない方がいい事だってある。俺はユイナのためを思って――」

「それじゃ、貴方があの老人と話し合う事も、私は知らない方がいいわけね。そして、またトラブルに巻き込まれればいいわけね」

「それは違う」

「どこが違うの。いつもそうだったじゃない。私は何も知らされず、巻き込まれていくだけ………もう、うんざりよ、こんな事は」


 腹の煮える想いでまっすぐ睨みつける。


「もし何も教えないつもりなら、貴方が侯爵殺しの凶悪犯だってこの場で叫ぶから」


 黒い瞳に、凛とした輝きを宿す。それは強い意志の表れだった。下民だったユイナが過酷な練習に耐えて貴族の娘になれたのも、その強い意志があったからだ。こういう時のユイナはテコでも動かない。

 カトレアは何も言わずにじっと見守り、ザイは『さて、どうでるのかな?』とでも言いたげな顔でアレスを振り返る。アレスはしばらく考え込んでいたが、ため息一つ、心を決めたように言った。


「分かった。連れて行こう」

「お、おい、本気かよ」


 ザイが驚き半分、おもしろ半分でいう。カトレアは柳眉をひそめる。許可が出るとは思っていなかったようだ。


「ここで叫ばれても困るだろ。他国とはいえ、目立ち過ぎる行動は控えた方がいい」

「ユイ姉さんが行くなら、僕も行く」


 今まで黙っていたペントが声を上げる。


「静かにしているなら来てもいい。だがその前に彼の承諾をもらってからだ」


 アレスが老人に近づき説明する。振り返る彼らに対し、キリリと見つめるが、その時には老人は背を向けて歩き出していた。許可が下りたのかついて来いとアレスが手招きする。

 ユイナは肩透かしを食らった気がしてポカンとしたが、ペントの手を引いて彼らの後ろに従った。彼の目的や、老人が何者なのか突き止めてやろうと思った。

 老人は町人の格好をしているが、本当は貴族ではないかと思った。彼の威厳を誇示するような物腰が、見栄を張りたがる貴族と同じに見えたからだ。試しにザイに聞いてみると、彼はあっさりと首肯した。


「あいつはオーデル伯爵。オルモーラ地方を任された貴族で、俺達に資金を与えてくれる後援者でもある。だが、利益のほとんどがウィンスターの本土に持っていかれているせいか、本土で出世することしか考えていない。少しばかり野心と復讐心が強い困ったじいさんだ」


 その困ったじいさんことオーデル伯爵は、亡霊か何かのように音もなくオルモーラの商店街を抜けていく。そして一度も振り返らずに伯爵が向かった先は、町外れに建造された油花の研究所だった。一口に研究所と言っても、それはレンガ造りの大掛かりな建造物で、油花の栽培畑を合わせれば、普通の町と同程度の広さを有していた。


 伯爵はアレス達を建物の中へと招き入れ、廊下を右に折れていった。それに従って歩いていくユイナは、ガラス窓の向こうに油花の黄色い畑を見ながら奥へと進んだ。

 伯爵は『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた厳重なドアを開き、中に入っていく。ペントの手を引くユイナは、少し緊張した面持ちでそれに続いた。


 奥行きのある部屋は、二階まで吹き抜けになっているために広く感じ、そして油のにおいが染み付いていた。部屋の真ん中でひとりの老人が油の研究に没頭している。よほど集中しているのか、来客にも気付いていない。

 この大きな部屋にいるのは彼だけかと思ったが、二階の壁から張り出した通路に助手らしき少年がいた。その少年がこちらに気付く。


「博士、伯爵が来ていますよ。博士」


 少年が二階の手すりから身を乗り出して言うが、博士は耳が遠いのか気付かない。少年はため息をつく。その顔はこんな研究所で助手をしているのが不思議なくらいに美しかった。ユイナが驚いていると、ユイナの手をペントがギュッと握った。


「どうしたの?」


 気になって聞いてみると、ペントは顔を上げ、首を振る。


「何でもない。ちょっと油のにおいが強いなって思って……」


 確かに、息もしたくないほど油臭かった。この場にいたら、胸やけがしてきそうだ。

 助手は一階に降りてきて、研究に没頭している博士の肩をたたいて言う。


「博士、伯爵が来ていますよ」


 助手の言葉に、博士は慌てて立ち上がり、伯爵と向き合う。


「ああ、これは伯爵。ようこそおいでくださいました」


 博士が言う。


「挨拶はいい。アレスに例の物を見せるから、用意をしろ」

「わかりました。サント、例の物を用意するんじゃ。くれぐれも慎重にな」


 サントと呼ばれた助手は頷き、ちらりとこちらを一瞥した。何か言うのかと思ったが、何も言わずに部屋の奥から液体の入ったビンを持ってきた。博士はそれを受け取り、振り返る。


「それは、もしや……?」


 心なしか声をひそめて聞くアレスに、博士は口元を釣り上げる。


「想像の通り。これは悪魔の油、デルボじゃ」

「完成したのですか?」

「完成した。これはすごいぞ。燃えた瞬間の爆発力は魔術に匹敵する、いや、場合によってはそれ以上の威力を秘めた油なのじゃよ。我が同士が偶然にも作り出し、研究も半ばに爆発に巻き込まれて死んだ。この油は破壊的な猛火を生み出す悪魔なのじゃ。

 生成は極めて困難じゃが、それに見合うだけの威力を秘めておる。さらに魔力のように誰かに感知されることもなく、暗殺には――」

「御託はよい。デルボの威力をさっさと見せろ」


 伯爵に言われ、博士は実験の準備をするためにテーブルの上を片付け始める。

 ユイナは暗殺という言葉に反応して隣にいるアレスを見上げた。ティニーの話では、彼は侯爵殺しの反逆者にされていたが、やはり、それは真実なのだろうか。


「伯爵、あの油を使って私に何をさせるつもりですか」


 アレスが眉をひそめて聞く。


「なに、大した仕事ではない。シルバートの研究所に向かう燈火用の油を、あの油とすり替えてくればいいだけだ。あとは、油に火がついた瞬間に片がつく」

「それは、研究所にいる人間を巻き込んでしまいませんか?」

「大儀のためには多少の犠牲は必要だ。ウィンスターのためにも、世界のためにも、あれを蘇らせてはいけない。お前もそれを理解しているからこちら側についているのだろう?」


 伯爵の言葉に、アレスはフードの下で顔を曇らせた。その表情には計り知れない苦しみが含まれているような気がして、ユイナは疑問に思う。侯爵を殺した人間には似つかわしくない反応だったからだ。むしろ嫌がっているように見えた。

 眉間にしわを寄せ、顔を曇らせたままのアレスの横顔。ユイナはその横顔を探るように見詰めていた。だから、テーブルの上を片付けた博士が細糸の先に油をつけ、それに火を近づけて「耳をふさぐんじゃ」という言葉も聞いていなかった。

 ザイが「大げさだな」ともらす。しかし糸についた油に火が近づき、パッと閃光を放った刹那、ズドンと腹に響く爆音を上げて糸が炎上した。


「きゃっ!?」


 突然の爆発にユイナは思わず耳をふさいで縮こまった。

 二階の天井まで燃え上がった炎は、ゆっくりとしぼんでいき、焦げた臭いを残して消える。

 ユイナが恐る恐る顔を上げると、そこにはユイナ達を庇うように両手を広げたアレスの姿があった。彼は自分の身を盾にすることで爆風からみんなを護っていた。ふと、アレスの黒い瞳が、見上げていたユイナの瞳と真っ直ぐに向かい合った。


 ユイナは動けなくなった。呼吸さえも忘れて、向き合う視線をどうすればいいのかわからず、戸惑ってしまった。それと同じように、アレスも戸惑っていた。

 最初に動いたのはアレスだった。引き合う視線を振り払うように体を前に戻す。ユイナも慌てて視線を逸らし、服についたほこりを払いながら立ち上がる。みんなに恥ずかしい姿を見られてしまったという後悔だろうか、顔が真っ赤になった。


「どうじゃ、すごいもんじゃろ」


 博士は満足げに笑う。集まっていたみんなの視線が博士へと向けられる。


「たった一滴でこれだけの炎じゃ。それがコップ一杯ともなれば、想像を絶する威力になるじゃろう。どんなに強固な魔口を盾にしようと、この炎を防ぎきるのは不可能じゃ。例え防いだとしても爆風で全身の骨が砕けるはずじゃ」

「しかも普通の油と変わらないにおいで、魔術のように感知されないとなれば、最高の暗殺兵器になる」


 博士の言葉を継いだオーデル伯爵が、見る者をぞっとさせるような笑みを浮かべる。


「して、デルボの大量生産はいつ頃に出来るのだ?」

「大量生産は無理ですじゃ。なにしろ、何千本の花からようやく小瓶ぐらいしか集まらんし、他の土地で栽培しようにもオルモーラの特殊な土といくつかの条件がいりますので……。それと今年の抽出時期は、早くても一週間後になろうかと」


 そうじゃったな? と振り返って言う博士に、助手のサントは首を縦に動かし、


「油花の見極めが得意なので、抽出時期の決定を博士から任されているのです」


 サントの説明に伯爵は頷き、振り返って言う。


「そういうわけだ。作戦は油を生成してからだ。いいな? アレス」

「ああ……」


 重たげな返事をした。いつもは敵襲に備えて光っている目も、今は力がない。彼の(あら)探しをしていたユイナは、知らず知らずのうちにその横顔を見詰めていた。


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