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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第三章
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戸惑いとスパイ疑惑2

 岩山のアジトから歩いて往復するだけでも半日かかる距離に、ランプの油で有名なオルモーラの街はある。三千もの人口を有するオルモーラの市場には、食材屋や服屋などが軒を連ね、そこに集まった買い物客でごった返していた。

 ユイナはペントの小さな手を握り、飲食店の看板横に立っている。


 この街を訪れたのは買い物をするためだった。舞姫学校の制服では目立つので、アレスからローブを借り、それを頭から被って全身を隠している。


 アレスやザイ、カトレアは、各々が調達する食料やランプの油を買いに向かっている。が、ユイナは買い物には向かわず、ザイが一人になるのを待っていた。

 彼は問いかけなくても色々な情報を分け与えてくれた。アレスにはカトレアという名の美しい妹がいるという事。シルバートの第四王女がアレスに加担しているという事。そして、ユイナに魔術師としての素質があるという事も……。にわかには信じられないことではあったが、メリル王女が魔術を使った現実を見れば、疑ってばかりもいられない。

 一人になったザイが果物屋の前で足を止めたので、ペントの手を引いてザイに近づく。


「ザイさん。ちょっと聞きたい事があるんですが……いいですか?」


 緊張で声が震えた。どうしても男に対する苦手意識が拭いきれないのだ。

 ザイはちらりと目をやる。


「ひょっとして、俺のことが気になるのか」

「ち、違います。――王女のことです」


 あまり聞かれたくない内容なので声をひそめた。


「シルバートの王女がどうして俺達を援助しているのか、だろ?」


 引き継がれた言葉にユイナは黙って頷く。シルバートの第四王女とアレスが手を組んでいる――そこにアレスの目的を知る手掛かりがあるような気がした。

 ザイはため息をつき、耳元に顔を寄せる。


「そういう事は聞くな。あまり首を突っ込んでいると、事が大きくなった時に首が抜けなくなるぞ。処刑で首を切られたくはないだろ?」


 ザイは陰のある笑みを見せ、「それより――」と言って、店先に並んでいた青い果実を手に取った。その果実は、食べごろになると赤く色付くのだが、今は青く硬そうだ。ザイがそれをかじると、やはり硬い音がした。


「今のユイナは、この果実と同じようなものさ」


 ぼりぼりと咀嚼しながら妙な事を言い出す。


「肩肘を張っていて、青い果実のように硬いんだ。肩の力を抜いて笑ってみるといい。もっとさわやかで甘みのある美人になるはずだ。ほら笑ってみな」


 そう言われて笑顔を提供できるほどお人好しではなかった。もう何を聞いても無駄だと思い、むすっとした顔でペントの手を引き、商店街に密集する買い物客の間を縫うようにして歩いていく。


「お、おいユイナ」

「待ちな。まさか食い逃げするつもりじゃないだろうね」


 店の中から恰幅のいいのおばさんが現れ、力仕事で鍛えたらしい太い指でザイの肩を握り締めている。


「イテテッ。食い逃げなんかするかよ。おい、ユイナ待て――うぐっ」


 呼び止めようとしたザイは、おばさんの太い腕に首を絞められた。


 ユイナはペントの手を引き、オルモーラの街をずんずんと歩いていく。

 人口三千人ほどの街は、油の産出地としても知られている。ユイナはしかし、果物や油を買いに来たのではない。追われる身なので変装用の普段着を買いに来たのだ。


 大天女セフィルの紋様が織り込まれた制服は目立つ。だからアレスのローブを被り、フードも目深まで下ろして魔術師に成りすまして買い物に来ている。が、ローブが大きすぎて歩きにくい上に、人が多くて目当ての店を探し出すのもひと苦労だ。


 普段はここまで混雑していないそうだが、大きな祭典が間近にひかえているらしく、それまでに食料や必需品を買っておこうという客であふれているのだ。これだけでも大騒ぎなのに、祭典はこれとは比べ物にならないほど盛り上がるらしい。ペントが聞いた話によると、町中の道路に特殊な布と油花を敷き詰め、その上を祭典の参加者全員が自由に踊り歩くという収穫祭らしい。踊りで体を動かす事が好きなユイナは、少し興味があった。そもそも、そのような行事に参加した事がない。こんな時でなければ祭りに参加してみたいと思ったほどだ。


「あ、カトレア姉さんだ」


 ペントの発した言葉に、目深まで被っていたフードを持ち上げる。視線の先に、白銀の髪をなびかせるカトレアの姿があった。兄とは違い少しカールした毛先がふわりとしている。星空の下でも綺麗だったが、昼間だと極上の絹糸よりもさらに輝いて見え、街行く男性の目を釘付けにしている。


「カトレア姉さんの周りって、おもしろい事になってるね」


 確かに、男達が口をあけて振り返る様は滑稽に見える。

 しかし、カトレアはその美貌を鼻にかける様子もなく、清々しいまでに颯爽としている。


「カトレアさん、かっこいいから」


 ユイナから見ても素敵な女性だった。

 毅然とした姿がさらに彼女を力強く美しくさせてしまうのかもしれない。

 それにしても、シルバートではお尋ね者のアレスやその一味は、ここ、ウィンスターでは普通の買い物客になれるようだ。近くにあった街の掲示板を見上げてみても、アレスやユイナの似顔絵は貼り出されていない。


「っ!」


 掲示板に気を取られ、足元がおろそかになっていた。ローブの裾を踏んでつんのめった。

 身動きもとれず転びそうになるユイナは、眼前に泥水を見つけた。水たまりの向こう側まで一メートルはあるだろうか、このまま倒れたら胸下まで泥にまみれてしまうだろう。

 それは嫌だ。アレスから借りたローブを汚すわけにはいかない。


「っ!」


 のめる姿勢もそのままに、つま先の力だけで前に向かって跳躍するユイナは、ちょうど水たまりを越えたあたりに両手をつくと、下に向いていた顔を胸もとに引き寄せ、泥水に落ちそうになるつま先を回転と腰の力で跳ね上げる。

 一度は泥水に落ちかけたつま先が、羽を広げた白鳥のように飛翔し、青天をなでる様に横切り、安全な路面に着地して、ユイナは豹のようにしなやかな前転を決めていた。


「ユイ姉さん、すごい」


 ペントが目を丸くする。

 通りかかった人々も、魔術師の柔軟な身のこなしに口をあんぐりと開けて固まっている。ある意味、カトレアよりも目立ってしまった。


「あ、アレスがこんな大きなローブを私に着させるから…!」


 恥ずかしさで赤面し、非難がましい言い訳をした。そしてフードをかぶり直し、踏んでずり落ちたローブをたくし上げ、ペントの手を引いてその場を離れる。が、視界の隅に銀髪の男を見つけて立ち止まる。路地裏に食料調達係りのアレスがいた。しかも、見知らぬ老人と言葉を交わしている。


 何をしているのだろうか?


 ぼんやりした目でアレスを眺め、焦れたペントに手を引かれる。


「早く行こうよ。服を買うんでしょ」

「ああ、そうだったね……」


 返事をしたユイナは裾をたくし上げ、服屋を探すことにした。


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