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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第二章
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反逆者と逃亡生活4

 落ちる。天空の黒い穴から流れ星が落ちる。

 燃える。地上に落ちた流星が火柱を上げて燃える。

 浮かぶ。誰かがユイナを後ろから抱いて空中に舞い上がる。

 その手を放さないで! 放されたらわたしは……私は落ちてしまう!


 そう思った瞬間、ハッと目を覚ました。ユイナは柔らかな草むらの上に寝かされていた。太陽はまだ高い位置にあり、森の天井からキラキラと木漏れ日が射し込んでいる。ふと、色白の男の子がユイナの顔を覗き込んだ。ペントだ。


「よかったユイ姉さん。なかなか目を覚まさないから、このまま眠り続けてしまうかと思った」


 心底ホッとしたような顔をして言う。

 ユイナは上半身を起こし、傷む側頭部を右手で押さえた。そこには大きなたんこぶができている。それに、肩やお尻も打ちつけたのか、じんじんしている。しかし、崖から落ちて助かったのだから、不幸中の幸いだった。


「あ、そう言えば追手は!?」


 ユイナは思い出して辺りを見回す。


「追手? 追手ならあの人が追い払ってくれたよ」


 ペントはそう言い、木陰で休んでいる男を指差す。ユイナは瞬きして「ど、どうして貴方が……?」とアレスを凝視する。アレスはちらりと視線をよこすと、「たまたま倒れていたお前を拾った。それだけだ」と、どこか遠くに目を向けて答え、ペントが「すごかったんだよこの人!」と、はしゃぎだす。


「ユイ姉さんが崖下に落ちた後さ、みんなに追いつかれちゃって危なかったんだ。そんな時にこの人が駆け付けて助けてくれたんだ。あっという間だったよ。追ってきた人を、こんな風に首の後ろを叩いて気絶させてしまったんだ。僕一人じゃ絶対にやられてた」


 自分が見た事を身振り手振りで説明してくれる。


「そうだったの……。あ、ありがとう……」


 ユイナはぽつりとお礼を言う。アレスを売り渡そうとした後ろめたさがあった。しかし、彼のせいで追われているのだから礼を言うのもおかしい。


「直にここにも追手が来る。急ぐぞ」

「ちょっと待ってください。貴方はいったいどこに行くつもりなんですか」


 ユイナはフードに隠れたアレスの横顔に問い詰める。行き場もわからないのに連れ回されるのは嫌だった。アレスは渋々といった感じで、


「ここから少し離れているが、しばらく行った所に天女の泉がある。そこまで歩く」


 天女のいずみ? とペントが聞く。

 アレスは答える気がないようで水筒の水を飲み、代わりにユイナが答える。


「天女の泉っていうのはね。天女が地上に降りてきた時に、休息する場所とされているの。世界各地に点在していて、踊りのうまい女性が本物の舞姫になる場所とも言われているんだよ」

「そんな泉があるの!? 初めて聞いた。どんな所なの?」期待顔のペント。

「見た目はただの泉で、中心に小島があるの。伝説ではその小島に天女が舞い降りてくるから天女の踊り場とも言われているね。それと、天女の泉には治癒力を高めてくれる効果もあるらしいよ。泉の水を浴びていると、傷の治りが早いんだって」

「傷の治りが早いのか……」

 呟いたペントは、あっ、と声を上げて手をたたいた。

「ひょっとしてあの人、ユイ姉さんが怪我をしているからそこに行くんじゃない?」


 ペントの言葉を聞いてユイナが後ろを振り返ると、ゴホッ、と水を飲んでいたアレスがむせ返り、フードの下から物凄い形相をのぞかせた。


「勘違いするな。俺が天女の泉に行くと言ったのは、飲み水の補充と体を拭くためだ。あそこには綺麗な水がある。それで行くだけだ。他に意味はない」

「心配しなくても、それぐらいわかっています。貴方は何もしていない人にも牙を向けるような人ですから」


 ユイナは突き放すように言い、アレスは黙り、ペントは意味が分からずに首を傾げた。




 しばらく行った場所に天女の泉はある、とアレスは言ったが、実際に天女の泉についたのは、日が沈んで夜も深まった頃だった。まばらな木々がなくなり視界が開けたかと思うと、鏡のような泉がひっそりと存在していた。月明かりに照らされた天女の泉は蒼白く、水面に月の影を揺らしている。泉のほとりだけ芝原が広がり、暗い森の中でそこだけうっすらとしたブルーに包まれた世界は、見る者の心を吸い寄せるほどに神秘的だった。


「これが天女の泉……こんなに綺麗な景色、初めて見た」


 ペントが泉に駆け寄り、天女が舞い降りるとされる小島を見詰めたり、水を手ですくったりした。ユイナも天女の泉を見るのは久しぶりだった。


 こことは違う天女の泉へ、ユイナは毎日のように水を()みに行かされていた。泉には鳥だけでなく鹿や山羊も集まってきており、それを狙った野犬も現れるので危険だった。ユイナは幼い頃から危険への嗅覚が鋭く、野犬に見つかる事はなかった。だからだろうか、実の両親はユイナに水を汲みに行かせた。幼い体では一度に少量の水しか運べず、桶の半分まで水を入れて何度も往復していた。それが五歳の記憶だ。怖い記憶しかないからか、天女の泉を見るまで、死別した両親の事を思い返すことはなかった。


『どうして突っ立ってるの? 水、おいしいよ』


 振り返ったペントが『早く来て』と手招きしている。

 ユイナ達は泉の水でのどをうるおし、ぬらした布で顔を拭くと、遅めの夕食をとる事にした。夜が深まってきていた事もあり、食事中にアレスの変身は始まった。その変身を初めて見るペントは、ビックリして腰のナイフを構えた。が、銀狼になったアレスが何気ない顔で食事に戻ると、ペントは顔を輝かせてアレスに質問を浴びせていく。


「どうして狼に変身するの? 痛くないの?」


 銀狼ははじめこそ質問にたいして「分からない」だとか「痛くはない」だとか答えていたが、それがあまりに長く続くので「黙って食べろ」と言って食事に戻った。


 食後に、ユイナは二人から離れて包帯を解いた。まだ腕の傷は残っていたが、快方に向かっており、数カ月もすればかなり薄れるのではないかと思った。

 そこに周囲の探索をしていたペントがやって来る。


「ねぇ、ユイ姉さん。僕に踊りを教えてよ。約束してたでしょ?」

「そうだったね。どこで教えようか。なるべく平坦で広い場所がいいんだけど」

「いい場所があるよ。ほら、あそこ」そう言ってペントが指差したのは、泉の真ん中に浮かぶ小島だった。天女の舞い降りる小島だ。

「あそこは無理だよ。渡るのに体が濡れてしまうよ」


 濡れたままだと夜の冷え込みで風邪をひくと思った。


「大丈夫。島の反対側に丸太が架かってるんだ」


 ペントはそう言い、ユイナの手を引く。


「え、あ、ちょっと……」


 ペントに連れられて泉の反対側に行ってみると、水辺から大きな丸太が倒れており、それが丸木橋となって泉の小島へと続いていた。


「ホントだ、これで小島に行ける」

「おっとっと」


 ペントはすでに丸太に足を乗せており、両腕でバランスをとりながら丸木橋を渡っていく。ユイナもそれにならってトントンと丸太の上を渡り、天女が舞い降りる場所に足を踏み入れた。

 直径にして数十歩しかない小島にはやわらかな芝生が生えており、歩くと高級絨毯の上を歩いているような気分になった。大自然の神秘が集まる天女の泉……ここに天女が舞い降りてくるのは、本当なのかもしれない。


「ユイ姉さん、まずは何からするの?」

「そうだね……まずは準備体操からしようか。  私と同じようにやって」


 ユイナは両手の指を組み合わせると、それを上に向けて星空に向かって背伸びした。ペントがそれを見ながらマネをする。


「そうそう、そんな感じ。体が硬いと踊りも硬くなってしまうの。怪我もするしね」


 そうか、とペントは言い、ユイナが見せる準備体操を全てこなした。


「それじゃ、次は練習用の踊りを教えるね。まずは簡単なものがいいかな?」

「ねぇ待って。僕、ユイ姉さんの踊りを見てみたい」

「だ、ダメよ。最近踊ってないから、うまく踊れるかどうか分からないし……」

「やってよ」とペントは催促する。期待の込められた目を向けられると心が揺れた。


 久しぶりの踊りに自信をもてなかったが、覚悟を決めた。上着と靴を脱いで、裸足に舞姫学校の制服だけの姿になると、胸もとに手をあて、制服の上からペンダントを感じる。

 そして、気持ちが落ち着くのを待ってから、静かに踊りはじめた。


 透き通った夜風が静かに流れ、芝生が生き生きと揺れる。その中でユイナは舞う。そこは天女の舞い降りる場所。不思議と生命に力を与えてくれる場所。このような場所で踊れる喜び、そして、もっと踊りたいという気持ちが強くなり、今まで胸につかえていたものから少しずつ解放されていく。舞姫になるという使命感とか、貴族のルールとか、追われているという事も忘れて、踊りが心を満たしてくれる。

 指の間を流れる風は、熱く燃え上がった体を冷やしてくれる夜気の流れ。

 爪先をくすぐる芝生は、自然の恵みを受けて、生き生きとする生命の息吹。

 かすかに聞こえる水の音が、ユイナの踊りに合わせて流れている。踊りを通じて自然を感じ取り、自然と一体になっていく。


 ペントは瞬きさえも忘れて、白い踊り子に魅入っていた。

 純白のスカートがひらりと舞って月光の中で煌く。黒髪がさざなみのようにさらさらと波打ち、黒瞳が無限の星空を吸い込んで輝く。天女の泉で優雅に舞うユイナの姿は、まさしく天女そのものだった。


 ユイナはかつてないほど幸せな気持ちだった。反逆者の濡れ衣を着せられ、捕まった時は殺されると思っていたが、今もこうして生きていられる。生きている事に感謝したい。それは倉庫から救い出してくれたペントのおかげであり、追手から手を引いて助けてくれたアレスの--。

 ふと、視界の片隅に銀狼がいた。彼は泉のほとりに立ち、月明かりの下で踊るユイナを見詰めていた。何もせず、何も言わず、ただじっと見つめている。ただじっと見つめるその瞳が、ひどく悲しい色に濡れている。


 な、なぜ……? なぜあんな悲しい目をしているの……?


 気をとられたユイナは、地面の(くぼ)みに足を踏み入れてしまった。

 あっ、と思った時にはつまずいて芝生の上に両手をつき、左腕の傷に激痛が走った。


「痛っ……」


 腕を押さえてうずくまる。


「ユイ姉さん!」


 駆け寄ろうとしたペントは、後方から現れた影に驚いて立ち止まった。

 十メートルもある泉を跳び越えた銀狼が、小島の芝生に爪痕をつけてユイナの前に着地する。その突風が顔面に吹き付け、ユイナはギュッと目を閉じた。


「おいっ、腕を見せろ」


 険しい顔でユイナの腕を見た銀狼だったが、傷口が開いていないのを確認すると、ひとまず安堵の息をもらした。そしてユイナに鋭い眼光を向ける。


「けが人が何をしている。傷口を広げるつもりか」

「そんなつもりはありません。ちょっとつまずいただけです」


 銀狼から顔を逸らす。銀狼は眉根を寄せ、吐き捨てるように言う。


「舞姫をめざしている娘が舞の途中で倒れるな。怪我を悪化させるな」

「それは貴方が……」


 言いかけ、口を閉じた。確かによそ見をして転んだのは自分のミスで、踊りの途中で転ぶなんて恥ずかしかった。


「ユイ姉さんを責めないでよ。踊ってってお願いしたのは、僕なんだから」


 ペントが庇うようにアレスの前に立った。


「いいよ、転んだのは私が未熟だったからで、それに、アレスは間違った事は言ってないよ」


 立ち上がりながら言う。


「それよりごめんね。カッコ悪いところを見せちゃって……」

「そんな事ないよ。ユイ姉さんはカッコよかった。まるで天女が乗り移ったのかと思った。すごく綺麗で、ビックリっていうか……なんて言ったらいいのか分からないけど、とにかく綺麗だった」


 本心からの言葉だとわかり、それがうれしくて「ありがとう」とほほえんだ。久しぶりに笑ったような気がする。

 銀狼は居心地が悪くなったように背中を向け、小島から離れようとした。が、不意に顔を上げて森の一点に鋭い眼光を向けた。注意深くあたりを見回していく。

 その緊迫した横顔に、全身がぞわりと粟立った。


「完全に囲まれたようだな」


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