反逆者と逃亡生活3
両腕を後ろ手に縛られたユイナは、小さな木造の倉庫に放り込まれた。
窓が一つもない倉庫だったが、古くなったドア板に割れ目があり、そこからさしこむ日差しのおかげで倉庫内はうっすらと明るかった。足許には乾ききって変色した草がまるで獣の抜け毛のように落ちている。
ユイナは両腕を後ろ手に縛られた姿で立ちあがり、ドアの裂け目に近づいて外の様子をうかがった。
捕まった時は絶望しかなかったが、一人になると、死への恐怖が大きくなっていた。まだ希望は捨てたくはない。助かる方法があると信じたい。そしてなにより、ガモルド男爵のもとに帰りたかった。
ユイナが閉じ込められた倉庫は民家の間にあり、裂け目からは村の中央広場を見通せた。ドアの前には二人の大男が見張っており、賞金首を逃がさないようにしている。周りの状況を知りたくても、限られた視界ではどうにもできない。
倉庫のドアから離れ、後ろ手に縛られたロープを解くことに専念する。が、硬く縛られて素手ではどうしようもなかった。何かロープを切る物はないだろうかと、一筋の陽光を頼りに倉庫内に目を凝らす。
「ここは食料庫……?」
建てられた場所から、そんな気がしてつぶやいた。
しかし、村の収穫物を納めておく食料庫にしては、保存されている穀物が一つも見当たらない。倉庫にはわずかばかりの干草が落ちているだけだ。村の貧困がうかがえた。農具や刃物は置いてないかと見て回ったが、どこにもなかった。
昼に差し掛かる頃、村の広場に役所の兵士がやって来た。ずっと腕のロープを解こうとしていたユイナは、もう来てしまったのかと思い、ドア板の裂け目から様子をうかがう。
広場で数人の兵士と村人達があれこれと話をしていた。ユイナが聞き耳を立てていると、反逆者を取り逃がしたという事だった。
反逆者とはアレスのことだろう。どうやら銀狼のアレスは捕まっていないようだった。姿は見かけたらしいが、ものすごいスピードで逃げられたという。寝込みでなければ彼を捕まえるのは容易ではないだろう。
「それで、捕らえた娘は」
「はい、そこの倉庫の中に」
「そうか。顔を確認しておこう」
ユイナはどきりとした。ドアから急いで離れると、ドアの裂け目から誰かが覗き込むのが見えた。ユイナの黒髪と舞姫学校の制服を確かめた後、ドアの前から影が遠退く。
「確かに例の娘で間違いなさそうだ」
「あの……その娘はどうなるのですか」
おじさんの心配する声が聞こえた。
兵士の返答が気になり、ドアに近付いて聞き耳を立てる。
「ここでは何とも言えない。なにしろ貴族の娘だからな。だが、第一級罪人を匿った罪は重い。真実を話すまで拷問は避けられないだろう。その内容によっては処刑もあり得る」
「そんな、まさか……」
おじさんは信じられないといった顔で倉庫を振り向き、亀裂から覗き込んでいたユイナと目を合わせ、口をまごつかせていたが、居たたまれなくなったように顔を逸らした。
ユイナは後ろによろめき、藁に足を取られて尻餅をついた。拷問だとか処刑だとか、物騒な言葉を平然と使われて、しかも、それが自分の事だと信じられなかった。
おかしいよ。反逆者に脅されて彼をかくまっただけなのに……。
でも、誰がそれをわかってくれるだろうか。
あるのは、ユイナが反逆者を匿った事実だけだ。
……逃げられない。
近付いてくる死の恐怖に、体が震えだした。震えが止まらない。
死にたくなかった。助けてほしかった。
ふと、ガモルド男爵の顔を思い浮かべた。男爵はきっと助けてくれる。メイドのアリエッタだって、親友のティニーだって無実を信じてくれるだろう。
だけど、他に助けてくれる人は……?
ここの村人は助けてくれないだろう。命令を受けた兵士もそうだ。それどころか手配書を見た人々がどれほどユイナを信じてくれるだろう。そして、バチルダ王女は、王族の権力を行使して刺客を差し向けてくるだろう。逃げても逃げても追いかけてくる。
絶望で涙があふれてきた。
私に助かる道はないの……?
一瞬、銀狼の横顔が脳裏に浮かんできて、首を振った。
信じられない。自分をこんな状況に追いやった人に救いを求めるなんて!
それに、裏切ろうとした人間を助けてくれるとは思えなかった。
打ちひしがれていると、広場のほうで異変があった。
『スノーマ所長! 侯爵から緊急の報告です!』
遠くの方から聞こえた大声。馬の蹄の音が近付いてきて倉庫前で止まり、下馬した騎手が駆け寄る足音が聞こえた。
「何事だ?」
スノーマと呼ばれた兵士が聞くと、王都からの使者が声をひそめる。
「ここでは……。少し込み入った話になりますのでどこか部屋を借りて話をしましょう」
「わかった。 おい、そこの家を借りるぞ。家主は誰だ」
「わ、私ですが……」
「部屋を使わせてもらう。人払いをしてもらおう」
「は、はい」
「それと、お前達は倉庫を見張っていろ」
スノーマと呼ばれた所長は、二人の兵士を見張りにつかせて倉庫の前から移動していく。それを見送っていた村人達は、思い出したように倉庫の前に集まり、「報奨金はいつくれるんだ」と残された兵士に詰め寄った。
「それは後で支払われるはずだ。事実確認を行った後で、王都から運ばれてくる」
「ちゃんと手配書に書かれていた金額を貰えるんだろうね」
ユイナを騙して懸賞金をひとり占めにしようとしていたおばさんが、強欲な顔もあらわに詰め寄り、相対する兵士はゴミでも見るような顔をした。
「国王を信じられないのか」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。もらえるならいいんだよ」
切り返されたおばさんは鼻にしわを寄せ、他の村人とともにすごすごと自分の家へと戻っていく。それを見届け、兵士の片方が言った。
「まったく、なんて奴らだ」
「何がだ」
「あいつらが心配しているのは報奨金がもらえるかどうかだ。国のことなんてこれっぽっちも心配していないんだ」
「おいおい正義面するなよ。お前だって反逆者を捕まえて金が欲しいんだろ?」
「金というよりも名誉だな。あの百雷が捕まえられなかった反逆者を捕まえてみろ。俺達は一躍有名人だぞ」
「まぁな。それも悪くない」
そんな私利私欲の話を聞かされ、ユイナは唇を噛み締めた。周りの人間は報奨金や名誉を心配している。彼らにとってそれが一番の問題なのだ。他人を利用して利益を得られるかどうか……彼らは根本的に奴隷商人と同じなのだ。
そんな汚い人間の餌食にされるのかと思うと、悔しさと怒りが湧いてきた。それと同時に、報奨金までかけられた自分がどんな扱いを受けるのかという恐怖にも襲われた。自分の感情をどう制御したらいいのか分からなくなって足が震え、その場から一歩も動けなくなってしまう。
その時、倉庫の前に子供がトコトコと歩いてきた。年は七つぐらいだろうか。肌は透き通るほどに白く、くったくのない顔は驚くほどかわいらしい。女の子にも見えたが、服装が男の子だった。
「なんだ、ガキ」
見張りの兵士が凄みながら言うと、男の子はたじろぐ。
「ご、ごめんなさい」
澄んだ声で謝り、続ける。
「スノーマさんに呼んで来いと言われたんです。反逆者を捕まえる作戦を立てるから二人を呼んでくるようにって……」
「なんだと!? それを早く言え!」
「おい、見張りはどうする」
兵士の一人が急いで移動しようとするのを、もう一人が呼び止めた。
「鍵もかけてるんだ。村の連中に任せとけばいいだろ。そこのガキ、親を呼んできてその娘が逃げないように見張らせろ。わかったな」
「う、うん」
兵士たちは男の子に見張りを押し付けると、さっさと行ってしまった。
残された男の子は兵士の背中が見えなくなると、親を呼びに行く様子もなく、顔を輝かせて倉庫のドアに駆け寄ってきた。そして、ドア板の裂け目から中をのぞいてユイナを見つけると、ニッと笑って声をかけてくる。
「ねぇねぇ、お姉さんは舞姫学校に通っていたんでしょ? 舞姫の卵なんでしょ?」
顔を輝かせて言う男の子に、ユイナは戸惑いつつも首を縦に動かす。
「すごい。それじゃあ踊りとかいっぱい教わって、綺麗に着飾ったりするんだよね?」
「踊りは、確かにいっぱい教わったかな。でも、別に着飾ってはいないような……」
「舞姫って、体に天女を宿しているすごい人なんだよね?」
「え? う、うん……伝説ではね。肉体をもたない天女がこの世界に舞い降りる時、舞姫の肉体に宿るって言われているよ」
やっぱり舞姫ってすごいなぁ、と男の子は感心すると「僕もなれるよね?」と聞いてきた。
「え?」
ユイナは声をもらして男の子をまじまじと見返した。舞姫になれるのは、女性と決まっている。男が舞姫になったという神話は聞いた事がない。それとも、ドア板の向こうにいる男の子は、実は男の子の服を着ている女の子なのだろうか。
「女の子ならなれるかもしれないけど、男の子、だよね……?」
自信なく聞いてみると、期待していた子供の顔が凍りつき、曇った。
「やっぱり、女の子じゃないと舞姫にはなれないの?」
望みがあると言ってほしいのか、切実に願う表情だった。そんな顔をされてしまうと良心が痛み、まごついた。
「え、あ、う………うんと頑張れば、なれるかも……?」
その言葉を聞いた男の子の顔がパッと明るくなった。ティニーの笑顔に似ている。
「じゃあ、うんと頑張る。だからお姉さん、僕にも踊りを教えてください」
ユイナは驚き、思いっきり首を振った。
「だ、ダメよ。私はこれから連れて行かれるの。教える事はできない……」
「倉庫の鍵ならここにあるよ。開けようか?」
古びた鍵を持ち上げて見せるので、目を見張って鍵を凝視した。
「それって、ここの鍵!?」
そうだよ、と男の子はうなずく。
「今からドアを開けるから、一緒に逃げようよ」
「ぁ……」
ありがとう、という言葉が出てこなかった。反逆者を助けて追われる身となった自分と、まったく同じ運命を彼にも背負わせてしまうと気付いたからだ。
「私を助けたらあなたは……」
反逆者にされてしまうからやめなさい……とは言えなかった。そう言えればどんなにカッコよかったか……でも、逃げられるなら、その希望にすがりたいと思ってしまった。
「僕は大丈夫。だって僕、舞姫になりたいんだもん。他には何もいらない。村から追い出されても平気だもん」
けな気に言ってくれるが、ユイナは迷っている。
こんな小さな男の子を巻き込んでもいいのだろうか。自分と同じような運命に巻き込んでもいいのだろうか。でも、心は助かりたいと叫んでいる。これを逃したら助かる道はない。
自分はなんて汚い人間だろうと思った。でも、我慢できなかった。
「お願いしてもいい?」
ユイナはそう言ってしまった。
そうこないと、と男の子がうれしそうに言い、ドアを開けにかかる。
「僕はペントって呼ばれてる。だから、お姉さんもペントって呼んで」
「ペント……? わかった、ペントだね。私はユイナ。ユイナ・ファーレン」
「じゃあ、ユイ姉さんって呼んでもいい?」
ドアの向こうからペントがそう聞く。
「うん」
力強くうなずいてみせると、倉庫のドアが開き、眩いばかりの光が射し込んだ。
ユイナは立ち上がろうとしたが、後ろ手に縛られているのでバランスがうまくとれずにふらっとする。
「じっとしていて、ナイフで縄を切るから」
ペントが腰に下げていた包みからナイフを引き抜き、ユイナの後ろに回る。
なんて準備のいい子なのだろう。感心しながら縄が切られるのを待ち、両腕を動かして縄を振り落とした。それから緊張した面持ちで戸口に近付き、外の様子をうかがう。ここで見つかったら元も子もない。
民家や広場に視線を向けるが、村人の姿は見当たらなかった。ユイナはペントの手を引き、注意深くあたりを見回しながら外に出た。足下で乾いた土がじゃりと鳴り、乾いた風が枯れ草を揺らし、空では茶色い鳥が円を描くように飛んで鳴いている。それ以外に聞こえてくるものはなかった。
二人は注意深く進み、周囲に誰もいないことを確認すると、しだいに駆け足になった。
進む先には山がある。今朝、寝ているアレスを置き去りにして駆け下りてきた岩山だ。その岩山に戻り、北東へ向かう。アレスは逃げ果せたという事だから、運が良ければどこかで再会するかもしれない。
そんな事を考えていると、村を振り返っていたペントが慌ててユイナの手を引いた。
「まずいよユイ姉さん。人が出てきた」
振り返ると、倉庫に近い家から男が出てくるのが見えた。男は倉庫のドアが開いている事に気付き、仲間を呼んでユイナを探し始めた。そして、村を出ようとしていたユイナとペントの姿を見つけてしまう。
「走るよ!」
ペントに声をかけ、全力で走りだした。足には自信のあるユイナは、幼いペントが遅れてしまうのではないかと思ったが、意外にもペントはピッタリとついてくる。ユイナが驚いていると、「逃げ足には自信があるんだ」と自慢げに言う。それなら心配する必要はないと思い、前を向いて走った。
山へとたどりついたユイナ達は岩肌の斜面をのぼっていき、その後方で村人や兵士が追いかけてくる。呼吸は苦しくなってきたが、捕まったらもう逃げられないと分かっているので、足を止めずに逃げ続けた。
しかし、岩山なのが不運だった。木々がまばらなので身を隠せる場所がない上に、足場がもろく、ところどころで急な斜面もあるので注意深く進路を選びながら登らなければならなかった。
そうして山の尾根を越えると、幅の広い大地の割れ目にぶち当たった。こちらの崖から反対側の崖まで優に二十メートルはあるだろうか。谷底までの深さは三メートルほどで、覚悟を決めれば飛び降りられない高さではなかったが、一度下りたら向こう側の断崖を登るのは厳しかった。
ユイナはペントを右手に、崖を左手にして走り、反対側に渡れる場所を探した。
『待ちやがれ!』
振り返ると、追いすがる大男が今にも倒れそうな顔で足もとの石をつかみ取り、渾身の力をこめて投げてきた。山なりに飛んだ石は、ユイナから逸れていたものの、ペントの首筋に吸い込まれるかのように迫る。ペントは違う方向に顔を向けていて気付いていない。
「あぶない! 伏せて!」
とっさにペントの肩を突き飛ばした。間一髪、ペントを投石から救う。しかし、ユイナの体はペントを押した反動で割れ目へと流れ、体が崖からはみ出していた。谷底に落ちると思ったユイナは、右足で踏ん張って崖の端に踏み止まった。だが、風化してもろくなっていたのだろう、足場が音を立てて崩れた。重力に引っ張られ、右足が崖下へと沈んでいく。
「ユイ姉さん!」
「っ!」
咄嗟に体をひねって岩壁を掴もうと左腕を伸ばした。が、銀狼に噛まれた傷口に痛みが走り、つかみきれなかった。岩肌で腕や足を擦りむきながら崖から落ちる。谷底には崩れた岩が散乱しており、その一つにどうにか着地するが、その岩がごろりと動き、バランスを崩して頭から落ちた。とっさに手をついて頭を守ろうとするが、岩山に額を強く打ちつけて岩場を転がり、他の岩にぶつかった。仰向けに止まったのか、青い空が見えたが、ぐるぐると回っており、真っ白な靄がかかったようになる。
「ユイ姉さん!」
崖の上から叫ぶペントの姿を、薄れる意識の中で見たような気がした。




