反逆者と逃亡生活2
「な、なにこれ……!?」
翌朝、目を覚ましたユイナは、男姿のアレスに抱かれていた。たくましい腕に背中から抱き寄せられ、筋骨隆々の胸に顔をうずめる格好になっている。その事態に飛び上がるほど驚き、引き締まった男の腕から抜け出そうとするが、ぎゅっと抱き戻される。
「え、え? いや、離して」
恐ろしくなってじたばたもがくと、腕の力が緩む。その隙になんとか抜け出した。
まさか寝ている間に何かされたのだろうかと思い、制服ごしに体を触ってみたが、特に痛みはないし、乱れた所もない。そこでようやく落ち着けた。
しかしアレスから離れると、学校の夏服が半袖なので、朝の冷気が肌に凍みて、
「さ、寒い……!」と体を抱いた。
その横ではアレスが目をこすりながらゆっくりと上半身を起こすところだった。頭からフードがずり落ち、美しい銀色の髪がのぞく。アレスはその銀髪を隠すようにフードを被りなおし、眠たげな目で「朝食にするか?」と聞いてきた。
侯爵を殺すような反逆者でも寝起きは病人のように動きがにぶいのかと思った。そして不意に、自分の計画を思い出した。アレスが寝ている間に彼を捕まえてもらうという計画。
ユイナは今さらながらに寝てしまった事を悔やんだが、逃げられたとしても助けを求められるような町はなかったのを思い出し、これで問題はなかったのだと自分を納得させた。そして、今夜こそは反逆者を役所に突き出してやろうと思いながら、体力を温存しながらふたり旅を続けた。
依然として北東に向かっている。舞姫学校『セフィル』がシルバート国の北に位置している事から考えると国境に近付いているのは間違いなさそうだった。どこに向かっているのか気になって聞くと、歩いて四日ぐらいかかる場所だと教えられた。そんなに歩くという事は国境を越えるのかと聞いたが、それには答えてくれなかった。
とにかく、その日も歩き続け、待ちに待った夜を迎えた。
盗まれてきた上着を身につけたユイナは、彼が眠りにつくのをじっと待った。彼が眠りについたら、すぐに逃げ出し、彼の居場所を教えて役所の人に捕まえてもらう。歩きっぱなしで疲れているから、すぐに眠るだろうと思った。ところが、銀狼になったアレスは夜行性だった。真夜中になるとさらに目が冴えるのか、それとも、ふわふわのあったかいしっぽがいけないのか、夜更かしの勝負にユイナはあっさりと負けた。
相手より先に眠るという失態を再演してしまったユイナは、発想の転換をした。アレスは朝に弱いので、早く寝て、早起きする事にしたのだ。そしてそれは見事に成功する。
翌日の早朝、ユイナはアレスを置き去りにして山を駆け下りた。一つ尾根を戻った山の麓に、小さな町がある事は昨日の旅路で確認済みだ。しばらく行くと、町が見えてきた。いや、町というよりも村と言った方がいいのかもしれない。村の中心には寒い地方では一般的なレンガ造りの民家が六軒、無秩序に建てられている。その周りには麦畑が広がっているが、穀物の育ちが悪いようで、土はほとんど丸見えの状態だった。貧困した大地が大半を占めるシルバートではよく見られる光景だ。
ユイナが村に駆け込むと、家畜小屋の前でヤギの乳を搾っている人がいた。その人が男だと気付いた時、一瞬、恐怖で体が強張った。辺りに視線を向け、自分よりも力の弱そうな子供とか女性とか老人を捜すが、彼以外に見当たらない。
しかし、こんな所で迷っている場合でもない。アレスが目を覚まして逃げてしまっては意味がないからだ。そして、アレスを捕まえられなければ、自分にかけられた容疑を晴らせなくなる。
彼に駆け寄り、ひざに手を置いて呼吸を整える。男はキョトンとした顔でユイナを見詰め、ヤギの乳から手を放して立ち上がる。ちょっと目尻にしわの寄った人のよさそうな男だった。少なくとも奴隷商人のように人相は悪くない。
「娘さん。こんな朝早くからどうした? 何か急ぎの用事か?」
「反逆者が、あの山にいるんです」と、後ろの山を指差して言う。
反逆者を捕まえるという正義の気持ちがユイナの声に力を与えた。
「なんだって……? 反逆者?」
男はユイナの指差す方を見て聞き返す。
「そうです。銀狼のアレスという指名手配犯を知りませんか」
そう言うと男は頭に手を当て「聞いた事あるような、ないような……」と煮え切らない顔をしていたが、何かに気付いて「あ」と声をもらすと、とつぜんヤギの乳搾りに戻る。どうしたのかと思って男の見ていた方に目を向けると、ヤギ小屋の角から恰幅のいいおばさんが出てきた。
「あんた、早くしてくれって言ったでしょ………あら? 誰だいあんた」
おばさんがユイナに気付いた。ユイナは丁寧に名乗って、ここに駆け込んだ経緯を彼女に教えた。最初は疑うような目をしていたが、反逆者のせいで無実の罪を着せられた経緯を説明すると、
「それは大変だったねぇ。酷い男もいるもんだ。それより、反逆者があの岩山にいるんだね?」
「はい。朝に弱いから、まだ寝ているはずです」
ユイナが言い、おばさんは頷く。
「よし、役所に連絡しよう。あんた、全力で走ってきな!」
「わ、わしが? 乳搾りはどうするんだ」
「そんなものはいい! さっさとお行き! 逃げちまったらどうすんだい!」
がなるおばさんに追い立てられ、おじさんは全力で逃げていった、いや、役所に向かって走っていった。
「あんた、お腹はすいてないかい?」
おばさんがやさしい声で聞いてきた。
「はい、すいています」
「ミルクをやるからついてきな」
そう言い、おばさんは搾りたてのミルクが入ったバケツを持って歩き出すので後ろについていった。そうして、レンガ造りの家に入るなり、山にはない家のにおいを感じ、どこかなつかしい気がした。一室へと案内され、搾りたてのあたたかいミルクを渡されると、そこでようやくホッと一息つく事ができた。
(あとはあの反逆者が捕まってくれれば……)
そこまで考え、ふと、捕まった反逆者がどうなるかという事に思い至った。
(死罪……なのかな)
そう思うと胸が苦しくなった。ふかふかのしっぽに包まれて眠ったぬくもりが、ミルクのぬくもりを押し退け、ユイナに罪の意識を植え付けようとしてくる。だが、首を横に振って罪悪感を振り払う。
ガモルド男爵との生活を守るためには、仕方のないことだ。ここでアレスに肩入れしたら日常に戻れなくなる。そう、これは奪われた日常を取り返すために仕方のないことなのだ。それに、相手は反逆者だ。肩入れする必要はない。
立ったままマグカップを握り締めていたのが気になったのか、おばさんが「座って休んでいな」と言い、部屋を出ていく。ユイナはイスに腰を落ち着け、ミルクを味わうことにした。
ようやく日常を取り戻せると思った。
しばらくして馬のひづめの音が聞こえてきた。窓に近づいて外に目をやると、多くの兵士が村の中を駆け抜けていくのが見えた。おじさんが役所に駆け込んで、兵士がアレスを捕まえに来たのだとすぐに分かった。ユイナと同じように窓から顔をのぞかせた村人が、何事かと馬上の兵士を目で追いかけている。屈強な兵士なので、彼らの前に出るのは抵抗があったが、道案内は必要だろうと思った時、家におじさんが帰ってきた。
「あんた、どうしてさっさと兵士を行かせてしまったんだい!?」と、隣の部屋からおばさんの怒声が聞こえた。どうしたのかと思い、ドアを開けようとして、ふと手を止めた。おばさんが声を落として何かをしゃべり始めたからだ。いろんな事があって警戒心が強くなっていたユイナは、息をひそめてドアに近付き、聞き耳を立てた。
「間違いない。昨日もらった手配書に載っていたユイナって娘だよ」とおばさんの声。
「手配書にあの娘が……? 人違いだろ」とおじさんの声。
「あんたはあいつがユイナって名乗ったのを聞いてなかったのかい。あの娘は手配書に載っていた娘だよ。特徴に書いてあったとおり髪は魔力中毒みたいに黒いし、服装も貴族の娘っぽいじゃないか。そんな娘がこんな所に、しかも銀狼のアレスの居場所を知っているんだ。銀狼のアレスを匿ったっていう指名手配の娘に違いないさ。自分の命が惜しくなって仲間を裏切ったんだ」
「お前、あんなかわいい、年端もいかない娘を突き出すのか……?」
「首をちょん切られる女のことなんか知るもんか。どうせ逃げ続けたって辛いだけさ、あっさり殺されることに感謝するべきだよ。ま、あたいにはどうでもいい事だね。報奨金がもらえればいいのさ」
それらの言葉を盗み聞きしていたユイナは、二、三歩後ろによろめいた。
部屋でゆっくりしてと声をかけ、あたたかいミルクまで出してくれたおばさんがまさか……。
信じられずに呆然と立ち尽くしていると、隣の部屋から足音が近づいてきてドアが開けられる。そこから顔を出したおばさんは、ドアの近くに立っているユイナに気付くと笑顔を向けてきた。その恰幅のいい体は出入り口をふさぐように立っている。ユイナは怯えた目で彼女を凝視して、それに気付いたおばさんの笑顔がゆっくりとくずれ、しまったという顔に変わる。
そうだったのかと思い知らされ、次の瞬間にはおばさんに全力で体当たりして、ドア枠とおばさんとの間に無理やり体を通した。おばさんがユイナの服をつかもうとするが、それをひらりと躱す。隣の部屋でうつむいていたおじさんが驚いて顔を上げる。その人の良さそうな顔を横目にレンガ造りの家を逃げ出した。後ろからおばさんが追ってきて大声を出す。
「その娘を捕まえておくれ!」
手配犯なんだよ! というおばさんの言葉に、投げやりに畑仕事に出ていた人々が急に活力を得たように振り返る。そして、村の外に逃げようとするユイナの姿を認めると、目の色を変えてユイナを捕まえにかかった。
手配犯を捕まえれば報奨金が出る。その報奨金がいくらかは知らない。だが、きっと、貴族にとっては大した金ではないかもしれないが、平民のしかも辺境の地で暮らす人々にとって数年は楽に暮らせる金額に違いなかった。手配犯だと知ったほとんどの人がわれ先にとユイナに迫る。
ユイナは、飢えた獣のように追いかけてくる二人を置き去りにし、横から手を伸ばしてきた男を躱した。しかし、壁のように立ちふさがった大男からは逃れられなかった。衣服をつかまれて体格の違いから前のめりに地面へと引き倒され、背中に大男が伸し掛かってきた。体が圧迫されて喘ぐような呼吸しかできない。
「捕まえたぞ! 報奨金は俺のもんだ!」
「違うわ! あたいが先に見つけたんだよ! あたいが叫ばなかったらあんたは捕まえる事ができなかった! だから山分けだよ!」
おばさんが大男に向かって啖呵を切る。
恐怖が全身を駆け抜けた。役所に突き出されたら、おしまいだ。反逆者として拷問され、殺されてしまうかもしれない。嫌だ、怖い、痛いのは嫌だ……!
じたばたと手足を動かしてみても、両腕が地面に押し付けられていてろくな抵抗ができない。顔を上げると、周りには村人が集まっており、その人垣の向こうで、顔を逸らすおじさんの姿が見えた。その口が「許してくれ」と言っていた。そして気付いてしまう。この場にいる誰もが、懸賞金をかけられたユイナに、救いの手を差し伸べる気持ちがないことを。
(こんなのないよ……、こんなのおかしいよ……、無実なのに、噛み殺すと脅されて言われるまま彼をかくまうしか助かる道がなかったのに……)
急激に心が冷えていくのを感じ、不意に、バチルダの言葉が身にしみてきた。
『この国では強い者が正義なのよ』
その言葉通り、体を傷付けられそうになったユイナが山小屋に閉じ込められ、バチルダ王女には何のお咎めもなかった。それどころか、刺客を使って秘密裏にユイナを殺そうとまでした。
この国は、力に支配されている。
この村もそうだ。国王の命令で辺境の村にまで手配書は届き、村人も国家権力の下で踊らされている。この国に逃げ場はない。一度目をつけられたら最後だ。相手はあまりにも大きかった。だからといって他国に逃げ込めば、不法入国の罪に問われてしまう。
反逆者に休める場所はないのかもしれなかった。




