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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第二章
13/87

反逆者と逃亡生活1

 ガモルド男爵は自室の窓から手塩にかけた麦畑を見下ろしていた。畑を切り開く前は、草一つない荒れ果てた土地だった。それを耕し、天女の泉から水を引き、様々な技術を駆使し、シルバートの荒れた大地では不可能とされた小麦の大量生産を成功させた。そうして手に入れたのは麦畑だけでなく、男爵という爵位だ。発芽したばかりの若々しい麦は、ガモルドにとって地位の象徴でもある。


 今年は小麦の発育が遅めで通常なら穂が出てきても良い頃なのだが、まだ時間がかかりそうだった。栽培計画の修正を思案していると、舞姫学校へと通じる道から武装した馬車がやって来るのが見えた。一、二、三……合計で三台の馬車が一本道を走ってくる。道は邸宅の前を横切って隣町へと続いているので、その馬車も邸宅の前を通り過ぎていくだろう。


 隣町では盗みが横行しているらしく、近々、盗人の掃討作戦が行われるとは聞いていた。その作戦が本格的に動き出したのかもしれない。ところが、通過すると思っていた馬車はガモルド男爵の邸宅前に停車し、先頭と後尾の馬車から一個小隊の兵士が続けざまに降りてきた。門を開けて敷地内に入り込んでくる兵士の中に、書状を持った者がいる。


「いったい何が?」


 その時、ノックもなしに自室の扉が開かれる。メイドのアリエッタだった。


「ガモルド様! 兵士が無断で敷地内に入ってきました!」

「わかっておる」


 そう言ったものの、兵士が押し入る理由がわからなかった。内心でさまざまな可能性を思考してみるのだが、心当たりがない。そこへ無数の足音が近付いてきた。扉を押し開けてなだれ込んできた兵士が出口に立ちはだかり、真ん中の兵士が書状を広げて口を開く。


「ガモルド・ファーレン。貴方を逆賊の疑いありとみて拘束する」

「私が逆賊? 理由は」

「貴方の娘が反逆者の手引きをした。よって、貴方と使用人を参考人として拘束する」

「待て、娘が反逆者を手引きしただと?」


 銀狼に腕を噛まれた事は聞き知っているが、手引きしていたという話は寝耳に水だった。


「何かの間違いではないのか。娘がそのような事をするはずがない」

「それをこれから調べる。――おい、早く手枷をつけろ」


 命令されて近づいて来た兵士に両手首を乱暴に固定される。これだけ手荒だとしたら、娘に暴力を振るわれていてもおかしくない。


「まさか、娘に危害をくわえていないだろうな」

「危害をくわえるもなにも、今、あなたの娘は逃亡中だ」


 予期せぬ言葉に声を失った。


「家中を捜索しろ。少しの手がかりも見逃すな!」

「勝手な。誰の指示で」

「早く連れて行け」


 まさに犯人のような扱いに、ガモルド男爵は眉をひそめる。

 ユイナ、お前はいったい何をしたのだ。



 ***



 昼に頂点まで昇った太陽は、急ぎ足で西の空へと傾いていった。

 ユイナは足もとが見えなくなるまで懸命に走り続けた。疲れや痛みで足の感覚がなくなろうとも、荒い呼吸でのどがずたずたに焼けつこうとも、命を落とすかもしれない拷問がおそろしくて、アレスに手を引かれるまま逃げた。たとえ、自分を逆賊にした反逆者であろうとも、追手から逃げ延びるには彼の指示に従うしかなかった。


 だが、見知らぬ山中をただ逃げていたわけではない。酸欠で薄れそうな頭で夕陽の位置だけは確認していた。そして、現在の景色を、舞姫学校での夕暮れ時の景色と比べることで進んでいる方角だけでもつかもうとしていた。おかげでおおよそ北東の方角へ進んでいることは予測できた。しかし、北東という方向が分かっただけで、彼の目的地までは分からず、ただひたすら見知らぬ土地を走り続けた。


 反逆者として追われている現実を思い返すと気が重い。それに、ずっと走り続けてきた疲れで足が石のように重くなっていた。

 途中、アレスは「急ぐから背中に乗れ」と何度も言った。しかしユイナはそれを恐れと恨みの目で突っぱねた。相手は国を裏切った反逆者だし、何を企んでいるか分からない男だし、しかも自分を傷付けた男に背負われるのは、いろんな意味で嫌悪感を誘うのだ。


「これだけ離れれば大丈夫だろう」


 そう言ってアレスが立ち止まったのは、舞姫学校からずっと離れた高山の中腹だった。たとえ今から引き返したとしても、今日中に戻れない距離に来てしまっている。

 立ち止まると一歩も動けなくなり、崩れるようにその場にへたりこんだ。

 お仕置き小屋に閉じ込められた昨夜は考えもしなかった事態だ。


 まさか王女に命を狙われ、それどころか反逆者にまで落ちてしまうなんて……。それに、私が逃げたせいで、ガモルド様やアリエッタにも疑いがかけられていなければいいのだけれど……。


 数日前まで男が怖くて侯爵の歓迎会には出たくないと悩んでいたのに、そんなものが塵の一つに思えるほどの反逆者という現実。

 反逆者として追われている以上、捕まればどんな処罰が待ちかまえているかわからない。だからと言って、このまま逃げ続けられるとも思えなかった。バチルダ王女は堂々と刺客を差し向けてくるだろう。そんな追われ続ける人生に希望なんてあるわけがない。奴隷承認から逃げ続けた経験が身に染みている。この悪夢のような現実から抜け出すには、疑いを晴らすしかなかった。


 でも、どうやって?

 どれだけ頑張って考えてみても、疲れ切った頭では何も浮かんでこなかった。先の見えない未来に胸が押しつぶされそうになるだけだった。


 日が暮れてきたせいか少し肌寒くなってきた。それもそのはずで、ユイナは学校の夏服しか着ていない。冬服は銀狼だったアレスに噛み千切られて血まみれになってしまったので、肌寒さを我慢しながら夏服に着替えて登校していたのだ。そして、そのままアレスに手を引かれてここまで来た。それを思い出し、ユイナは唇を引き結んだ。


 反逆者にされたのも、舞姫学校から逃げてきたのも、全てはこの男のせい……。


 そこまで考えたユイナはハッとして、目の前にいるアレスの背中を凝視した。

 本物の反逆者はここにいる。彼を役所に突き出せば全ての問題は解決し、ガモルド男爵の所に戻れるのではないだろうか。それどころか、指名手配犯を捕まえた手柄で表彰されてもおかしくはない。


 単純かつ有効な作戦だ。だけど現実的に考えて、自力でアレスを捕まえるのは難しい。まず、体格が違いすぎた。手をつないでいる時に思ったが、彼の手のひらにユイナの手がすっぽりとおさまるのだ。大人と子供ぐらいに違っていた。それに、彼は魔術国家シルバートでも名の知れた魔術師だ。軍隊が動くぐらいでなければ彼を取り押さえることはできないだろう。それも、彼が寝ている間に軍隊を呼ぶことができたら……。それができたら作戦は成功したようなものだと思ったが、どうやって軍隊を連れてくるのかという問題にぶつかると頭を抱えるしかなかった。


 ただ、彼が寝ている間に誰かを呼びに行くのは良策だと思った。できれば、近くに町がある時に逃げ出したい。近ければそれだけ早く人を呼んで来られる。そう考えると今は最悪だった。周囲を見渡しても山しか見えない。人目につかないように逃げているので当然と言えば当然だ。ただでさえ土地勘がないのに、山々のど真ん中で逃げようとしたら遭難するに違いなかった。


「今日はここで野宿をするが、いいな?」


 不意にアレスが話しかけてきた。

 ユイナは返事をせず、両腕で体を抱くようにして近くにあった岩の上に座る。

 彼の仲間ではないのだ。仲良くすることはできない。

 アレスは苦々しい顔をして、「そこにいろ。ちょっと出かけてくる」と背中を向ける。

 あっ、と無意識のうちに立ち上がった。アレスは振り返る。


「食料をわけてもらいに行くだけだ。あまり時間はかからない。一人で待っていられるな?」


 子ども扱いされているような気がして口を閉ざした。しかし、食べ物の話をされたのがいけなかったのか、それとも力を込めて沈黙したのがいけなかったのか、『ぐぅ』とおなかが鳴った。

 顔から火が出るとはこの事だ。アレスはうなずく。


「わかった。すぐに戻ってくる」

「いや、これはちがっ」


 反論しようとしたが言葉が続かない。アレスは身をかがめて精神集中すると、ぐっと足に力を入れ、一陣の風になった。魔術師のローブがはためき、銀色の髪が夕陽になびき、そして、人間とは思えないスピードで山を駆け下りる。あっという間に木々の向こうに消えてしまった。

 魔術師というのは魔術を使えるだけでなく、身体能力まで高いのだろうか。しかし、アレスを見送っている自分に気付き、嫌な気分になった。反逆者に感心してどうするのか。第一、アレスは食料を分けてもらうと言ったが、反逆者に食べ物を分け与える人などいないのではないだろうか。


 ……食料を分けてもらう……?


「まさか、盗んでくるつもりじゃ……」


 そう思った瞬間、あの男はやはり悪い男だと思った。そう言えば、前の侯爵様を殺したのも彼だと聞いている。

 あの男が国の英雄だったなんて信じられない。英雄だったら泥棒なんてしないし、ましてや人殺しは……いや、戦争で多くの敵を殺すのが英雄と言われるのなら、彼は戦場で多くの人を殺してきたのだろう。いったい、あの男はどれだけの人を殺してきたのだろうか。ユイナはそう思い、そのおぞましい想像に体を震わせた。歯向かえば自分も殺されるような気がしたのだ。

 やっぱり、あいつは悪魔だ、死神だ。国のため、そして、自分のためにあいつを役所に突き出し、反逆者の汚名を返上するしかない。そして、奪われた日常を取り戻すのだ。ユイナは正義感に燃え、それが心の支えになった。



 アレスが食料を抱えて戻ってきたのは日が沈みきる前だった。食糧といっても調理されていない生野菜としなびたパンだった。夕暮れの冷気で体が冷え始めていたので、あたたかいスープが欲しかったが、そんな贅沢はできそうもなかった。


 アレスはナイフを取り出して二人分に切り分けると、さっさと自分の分を平らげてしまった。ユイナは、盗んだ食料に手を付けるべきか悩んだが、ここで食べなければ逃げる時に力が出ないと思い、パンを口にした。しなびたパンはなんとか食べられたが、生野菜は青臭かった。下民だった頃、栽培された野菜はごちそうだったはずなのに、貴族の料理を食べ慣れてしまったせいか体が受け付けなくなっていた。


「食べないのか」

「……っ!」


 とつぜん声をかけられたのでビクリとしたが、それを隠すようにうなずいた。

 アレスは、ユイナがかじった生野菜をおいしそうに平らげてしまった。そういう野性的な食べっぷりは昨夜の銀狼を思い出させ、やはり同一人物なのかも、と思った。

 夕食からどれほど無言の時間が過ぎただろうか、不意にアレスの身体が蒼白く光りだした。


「な、なに?」ユイナは思わず身構える。

「気にするな。狼になる時はいつもこうだ」


 アレスはあまり見られたくないのか、顔を逸らして言った。

 アレスを包む光は最初はほんのりとしていたが、その輝きは次第に強くなって魔術師のローブまでも包み込み、アレスの体をゆっくりと狼へと変貌させた。口元が裂けたかと思うと、鼻と一緒に前へと伸びていく。そして消えた人間の耳の代わりに頭の上に狼の耳が現れ、それと同時に腕と足が獣のものとなり、魔術師のローブが全身を包む銀色の毛になって美しい尾を作り出した。


 全てが終わると、さっきまで人間だったアレスは、完全な銀色の狼と化していた。異様でもあり、美しくもある変身に、ユイナは相手が反逆者だという事も忘れて見入っていた。アレスは何事もなかったかのような顔をしている。体が変形するから変身には痛みがともなうと思っていたのだが、どうやらそういう痛みはないらしい。


 ふと気付くと、銀狼がこちらに振り向いていた。ユイナは顔を背け、山の寒さに耐えるため、ぎゅっと体を抱き締めた。

 学校指定の夏服は、セフィルの紋様が織り込まれた半袖のワンピースだけなので、冷たい夜風が露出した肌から絶え間なく体温を奪っていた。これからもっと冷え込むことを思うと、かなり辛いものがあった。だが、堪えるしかない。


「さっきから震えている。寒いんだろ」


 夜が深まり、空気が更に冷え込んだ頃、銀狼が聞いた。銀狼の言うとおり、ユイナは寒さで歯をガチガチとならしていたが、聞こえないふりをして自分の体を抱く。


「これからどんどん冷えるぞ。その様子だと満足に眠れないだろう。気付かなかった俺も俺だが、どうして着る物がほしいと言わなかった。もし言ってくれれば俺が  」

「人から、盗んでくるのでしょう……!」


 寒さに堪えながら睨みつけると、銀狼はグッと息を詰まらせた。そしてユイナの視線に堪えられなくなったように顔を逸らす。

 気まずい沈黙が流れた。銀狼はユイナに顔を向ける事ができず、ユイナは体を丸く縮めて寒さに耐えている。春になったのに、こんなに冷え込むとは思っていなかった。山の気候を侮っていた。


「寒くて我慢できないなら、俺の所に来い。少しはあたたかいだろう」


 銀狼が顔を背けたままポツリと言う。


「嫌です……私は、あなたのせいで……反逆者に、されたんだから……」

「そ、それはすまなかったと思っている………許される事ではないと思うが……」

「あんな事が、なければ……私は今頃、舞姫学校で……」

「今はそんな事を言ってもしょうがない。いいから俺の腹の所に来い。さっきから凍えきっているじゃないか」

「凍えてなんか、いないわ……!」

「いいかげんにしろ! 噛み殺すぞ!」


 銀狼が怒声を上げて立ち上がり、度肝を抜かれたユイナは転げるように身を引いた。恐怖のためか、それとも寒さのためか、体がガクガクと震えていた。

 銀狼はその威厳のある巨躯でユイナに歩み寄り、鋭い牙をむき出しにして言う。


「お前が凍えているのを見るのはイライラする。だから俺にくっついて寝ろ。もし嫌だと言うのなら、今ここでお前を噛み殺し、二度と舞姫学校には戻れないようにする」

「い……や………」


 恐怖で声が詰まり、涙を流しながら銀狼の牙から目をはなせなくなる。


「ここで噛み殺されるのと、生きて学校に戻るのは、どっちがいい!? 苦しみながら死ぬのと学校に戻る、どっちだ!?」

「生きて、がっこうに……もどる……」


 堪えられなくなって嗚咽をもらしながら言った。銀狼は深いため息をつき、ユイナの横に寝そべると、冷え切った体を包み込むようにふさふさの尻尾を巻いた。


 こんな危険な奴、捕まればいい……捕まって処刑されれば……でも、あったかい……。

 ユイナは銀狼に身を預けた。銀毛が溜め込んだぬくもりが夜風から守ってくれる。反逆者から施しを受けていることが悔しくて唇を噛み締め、銀色の毛に涙をこぼした。そして身も心も疲れ果てていたせいか、ゆっくりと深い眠りに落ちてしまう。この時はすっかり忘れていたのだが、舞姫になることを許される十四歳の誕生日を、銀狼に抱かれるようにして迎えた。

 ユイナはその夜を境に、舞姫見習いから舞姫候補生と呼ばれる少女になったのだ。


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