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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
序章
1/87

流星

 

 冷えた黒髪に花びらのような綿雪が落ちてきた。

 ユイナは、頭をなでる感触に細い首を縮めた。空を見上げると、どんよりとした空から大粒の雪が降ってきて、冬枯れの雪山を白く染めていく。


「降ってきたね」


 灰色髪のシェスが言い、「そうだね」とユイナが返す。

 幼い二人はお互いを励ますように小さな手をつないでいた。


「どこかで休めるといいんだけど……」

「うん……」


 寒さで手足の感覚がなくなっていた。一息つきたかったが、足を止めたくなかった。振り返ると、自分達の足跡が雪面に点々と残っている。

 つないだ手が強く握り返してきた。


「大丈夫。きっと逃げられるよ。この雪が足跡も消してくれるはず。だから前を向こう。良い人には良い事が起こる、だよ」


 良い事がどんな事なのか想像もできなかったが、戦争に荒れる世界でシェスに出会えた事が幸せだった。年上の彼女と出会ってまだ数日だが、その短い日々でどれほど励まされてきただろう。感謝してもしきれない。友達、いや、親友なのだと彼女は教えてくれた。

 その時、シェスが遠くを指さした。


「ユイナ見て! あそこに家があるよ!」


 顔を上げると木々の向こうに古びた山小屋が見えた。


「ほんとだ」


 二人は枯れ木に身を隠しながら、慎重に小屋へと近付いた。警戒していた。大人を。身寄りのない子供が奴隷商人の標的にされるのだと身をもって知っていた。そして、命懸けで逃げて来た今、恐ろしい男達が血眼になって探しているに違いなかった。

 山小屋に近づいた二人は、外壁に身を寄せて聞き耳を立てた。

 半開きになった出入口の扉が風に揺れ、キィ、キィと耳障りな音がしている。人の気配は感じられなかった。


「(中、見るね)」


 シェスの小声に固唾を呑んでうなずく。

 シェスは半開きの扉から中の様子をうかがうと、ゆっくりと振り返り、満面の笑みを浮かべた。


「誰もいないよ」

「ほんと?」

「うん。それに空き家だよ。人が住んでいるように見えないもの」


 錆びついてギィ、ギィと音を立てる扉を押し開き、誰もいないのを確かめて足を踏み入れた。

 薄暗くてほこりっぽかったが、椅子やベッド、それに暖炉まであった。ユイナとシェスはお互いに顔を見合わせる。


「言ったでしょ。良い人には良い事が起こるって」

「でも、部屋はちょっと汚いね」

「それは仕方ないよ。すべてがうまくいくわけないもの。今日はここで休んで、明日、村を探しに行こう」

「そうだね」


 どちらにせよ限界だった。疲れと寒さで足の感覚がなくなりかけていた。


「パンはあるよね?」

「あるよ」

「水は……雪をとかして飲めばいいね。火打ち石はどこだろ。薪もないね」

「きっと外だよ」ユイナは言った。「わたし、取ってくる」

「そう? じゃあ、お願いね。私は石を探しとくから」

「うん」


 ユイナは外に出ると、きょろきょろとあたりを見回し、裏手へと向かった。休める場所を見つけたからか、それとも、初めてできた親友との新しい生活に胸が高鳴っているのか、さっきまでの疲れはどこかに消えていた。


 薪小屋は裏手にあった。膝下まである雪をかき分け、積み上げられた薪へと近付き、その一つを両手で持ち上げる。軽い。しっかりと乾いていてよく燃えそうだ。あたたかな暖炉の火を想像して心まであたたかくなった。


「良い人には良い事が起こるって、こういう事かな」


 両腕いっぱいに薪を抱きかかえ、表に戻ろうとする。


「――――――ッ」


 それは、毛糸を引きちぎるような音だった。

 その音にびくりとし、身を隠すようにしゃがみこんだ。それから周囲の林を見回す。視界の中に動く気配はない。


「今の、なに? ……叫び声?」


 それが少女の悲鳴だと気付いた時、顔が蒼ざめた。薪を抱えたまま雪上を走り、小屋の陰から恐る恐る顔を出す。

 真っ白な雪面に親友が倒れていた。うつ伏せで雪に埋もれているのに、手足を投げ出したまま動こうとしない。


 そんな……シェス……っ


 親友のもとへ駆け寄ろうとした。が、親友に近付く二つの人影に気付き、あわてて顔を引っ込めた。


「ようやく見つけたぜ。手間かけさせやがって」


 聞こえてくる男の濁声に、奥歯がかみ合わなくなるほど震えた。奴隷商人だ。ユイナとシェスを連れ戻しに来たのだ。恐怖のあまり動けなかった。

 二つの大きな人影が、ユイナの倍以上はある人影が、倒れたシェスを覗き込む。


「まさか殺したんじゃないだろうな。こいつは売り物だぞ」

(むち)で軽く打ってやっただけだ。あのくらいで死ぬかよ。くそ、寝てないで早く起きろ。こっちはお前らのせいで時間がねぇんだよ」


 男がシェスの肩を蹴って仰向けにさせた。シェスの顔がぐるりとこちらに向き、呼吸が止まりそうになった。さっきまでユイナを妹のようにかわいがり、笑顔で元気づけてくれたシェスに生気がなかった。親友の指先から光の粒が溶け始めた。命が、天空へ(かえ)ろうとしている。

 シェスから離れていく光の粒は指先だけではなく、腕や背中、そして頭からも数を増やし、まるで舞い降りてくる粉雪とすれ違うようにして空へと還っていく。

 親友は助からない。もう会えなくなるのだと知り、声を押し殺して泣いた。


 いやだよ……置いていかないで……。


 男が目を見開き「死んでるじゃないか!」と怒鳴った。


「どうしてくれるんだ! こいつは俺達の半月分の飯だぞ!」

「痛ぇな、離せよ。もとはと言えば、お前がちゃんと見張っていなかったのがいけないんだろ。それより逃げたのは二人だ。もう一人も近くにいるんじゃないか?」


 男の言葉が死の宣告に聞こえ、ハッと身を引いた。その拍子に薪の一つが両腕から滑り落ち、ぱさりと雪面を叩いた。

 音に鼓動が跳ね上がった。気付かれていない事を祈った。しかし、


「おい、何か聞こえなかったか?」

「見ろよ。足跡が裏に向かってるぜ」


 気付かれた……どうしよう……。

 シェス……ごめん、ごめんね……。

 親友にお別れする事もできずに近くの林へと逃げ込んだ。


「こっちだ! ガキの足跡があるぞ!」


 その濁声が恐ろしくて、抱えた薪を投げ捨て、歯を食いしばって細い手足を動かした。深く積もった雪に足が呑まれてうまく走れない。その上、周囲の木々は(まば)らで身を隠す場所がなく、足跡をたどる男達を振り切れるわけがない。


「いたぞ! あそこだ!」


 後方から怒声があがった。近い。振り返ると、男の姿が木々の向こうで見え隠れしていた。必死に逃げているのに、ユイナが二歩三歩と走った距離を、男達は大股の一歩で詰めてくる。


 息が苦しい。吸い込む寒気がのどを切り裂くようだ。その痛みに耐え、ふらふらになりながらも林を抜けた。そして、そこで足が止まった。


 大地が途切れ、断崖絶壁となっていた。

 地表が遠く霞んで見える。川は細く、森は枯れた芝生のようで、点在する貴族の屋敷や平民街の屋根が色つき小石を散りばめているように見えた。


「俺達から逃げられると思ったか」


 振り返ると林から男達が姿を現すところだった。男は二人。一人は手ぶらだが、片割れは鞭を握っている。追い詰めた余裕からか、恐怖を与えるようにゆっくりと近付いてきた。人身売買で他人を食い物にしてきた口が不気味に歪んでいた。

 怖い。捕まった後の苦しみを想像すると、崖から身投げして人生を終わらせた方がどれほど楽だろうか。でも、死ぬのも怖くて、脚を震わせながら絶望の淵に立っている。

 シェスとの生活が待っているはずだった。命懸けで逃げてきたのは二人で新しい人生を歩むためだった。それなのにシェスを失ってしまった……。

 希望を持ったのがいけなかったのだろうか。希望を持ったからシェスが死んでしまったのだろうか。後悔の涙で視界が歪んでいく。何も出来ずに立ち尽くしていると、男達が立ち止まった。いや、それどころか腰を引いた。


「お、おい、何だよあれは!?」


 怯えたようにユイナの後方を指さしている。


 えっ、なに……?


 眉をひそめた時、ぬるりとした風が首筋を舐めた。飢えた獣のような吐息に身をすくませ、振り返る。視線の先、遠く離れた上空にぽっかりと黒い穴が開いていた。灰色の空がそこだけ黒く塗りつぶされ、奥で何かがうごめいている。


「ま、まさか、魔口(まこう)!?」


 男が叫んだ。


「馬鹿な。あんなでかい魔口があるかよ……」


 それは魔術師だけが使うことを許された神秘の穴だった。本来なら真円だが、見上げる角度のせいか楕円に見えた。しかし、大きさが異常だった。一流の魔術師でも両腕を広げたぐらいだというのに、それは雲を呑み込んでいた。

 魔口(まこう)が紅い塊を吐き出した。炎に包まれたそれは流星だった。流星は紅蓮(ぐれん)の尾を引いて空を滑り、遠くの地表に落ちた。次の瞬間、巨大な炎と粉塵が立ち昇り、駆け抜ける衝撃波が地表に広がった。しばらくして突風と地鳴りに襲われる。雪面にしがみ付いたユイナは、視界の隅に赤い筋が伸びるのを見た。


「!?」


 黒穴を見上げると、新たな流星が吐き出されるところだった。その数は十や二十どころではない。百や二百でも足りない。空を覆い隠すほどの流星群が紅蓮の雨となって地表に降りそそいでいた。その衝突で地表は灼熱し、真っ赤に溶けた大地がまるで石を投げこまれた湖面のように炎の柱を上げた。伸びあがった炎の柱は空から降りそそぐ流星を受け止めて肥大化し、四方に割れていく。その光景はまるで、地上から生まれた炎のつぼみが紅蓮の花を咲かせているようにも見えた。


 魔術師の軍勢が攻めて来たのだろうか。だが、姿はどこにもない。

 足元が揺れ、地鳴りが激しく重くなってくる。死をもたらす紅い雨が大地を蹂躙しながら近付いてきた。すでに崖から見下ろす下界の半分は炎に呑み込まれ、こちらへと魔の手を伸ばしている。()()()()()()()()が、すべてを滅ぼそうとしていた。


「やばいぞ! こっちに来る!」


 男達が我先にと逃げ出した。

 ユイナも逃げようとしたが、腰が抜けていた。

 紅い雨が残された地表を()めていく。紅く塗りつぶされていく世界に、逃げ場などあるはずがない。近づいてくる轟音、地鳴り、そして、焼けるような熱がそれを実感させる。


 ダメだ、殺される……っ


 目を閉じた次の瞬間だった。


『諦めるな!』


 後ろから抱き締められ、崖から宙に舞い上がった。飛翔する感覚に息が詰まったが、間一髪ですれ違った流星が崖に落ちた。

 すさまじい閃光が視界を真っ白にした。巻き起こる爆風にもみくちゃにされ、高速で飛び散る破片が矢のように襲い掛かった。ユイナを抱える誰かがかばうように身を盾にする。その身体越しにいくつもの衝撃が伝わり、抱き締める腕から力が抜けた。直後、大きな衝撃に襲われてユイナは虚空へと投げ出された。

 まばゆい光の中で誰かが手を伸ばしてきた。ユイナも手を伸ばす。

 だが、あまりにも遠い。

 ユイナの身体は落下を始める。彼との間を引き裂くように大地へと引っ張られ、空気がうなりを上げる。


「いやああぁぁぁ!」


 炎に包まれる大地が、大きな口を開けてユイナを待っていた―――


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