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死神と呼ばれた猫(前)

更新履歴 21/12/11 文章のレイアウト変更・表現の修正


『猫の姿をした死神』



 現在の住処である、この『ビョウイン』という場所において、私はそういう不名誉な称号を押し付けられている。

 私の周りのニンゲン達は、みんな私のことをそう呼ぶのだ。


 私が突然、そんな訳のわからない呼ばれ方をされ始めた理由――それはなんと、私にニンゲンの死を予知する力がある、と彼らが考えたから。


 何でもこの『ビョウイン』で、私の訪問を受けた者は、必ずそれから数日以内に息を引き取るらしい。

 その話に様々な尾ひれが付き、『寿命を予知する死神のような猫』という噂が、真実として広まってしまったのである。


 言うまでもないことだが、全て濡れ衣だ。

 だって私は、今までに一度だって、ニンゲンの死期を見抜いたことなんて無いから。

 あれはあくまで連中の勘違い、被害妄想も甚だしい認識、というわけである。

 いやはやまったく、実に、実に馬鹿馬鹿しい。


 まあ一応、『私の訪問を受けた者が息を引き取る』という話は……事実だったりもする。

 確かに今まで、ちょっとした理由で訪ねたニンゲンが、間もなく姿を消したケースは幾度かあるのだ。

 それなりに裏付けのある話、と言えなくもないのだろう。


 ただしそれは、別に死期を見極めたわけではない。

 私としては単に、『変な臭い』を追いかけていただけなのだ。


 そう、『変な臭い』である。

 この『ビョウイン』を歩いていると、ふとした瞬間に漂ってくる、謎めいた臭い。


 それは他で感じることのない、不思議な香ばしさを含んだ臭気。

 突如どこからともなく現れ、そしてどこへともなく去っていく漂流物。

 それに興味を持ち、自慢の鼻で辿っていったら、たまたまその先に死期の迫る患者がいた――真相としては、本当にそれだけなのである。


 つまりは全て偶然の産物であり、死神呼ばわりなんてのは、くだらぬこじつけでしかない。

 まったくニンゲンというのは、どうしてこう愚かしいのだろうか。

 こんな奴らが集まる場所、本来なら一刻も早く出て行きたい。


 しかし残念ながら、今の私にそういう自由は無い。

 なぜなら私は、この『ビョウイン』とかいう場所に、これから一生縛り付けられる定めだから。

 しかも命尽き果てるまでずっと、一歩も外へ出ることなしに。

 要するに私は、ここの虜囚に近い立場なのだ。


 私がそういう扱いを受ける、そもそもの原因は、私自身の生い立ちにある。

 私はいわゆる孤児であり、ここには引き取られる形でやってきた。

 労働力として連れて来られた、と言い換えてもいいだろう。


 何でもニンゲン達は、私にここで『せらぴい』なることをさせるつもりらしい。

 その詳細は不明だが、きっとろくでもない仕事だろう。

 たぶん私のことを、ボロボロになるまで酷使するつもりに違いない。


 それでも立場上、その非道な扱いに逆らうのは難しい。

 他に行くところも無ければ、面倒を見てくれる相手の当ても皆無だから。

 飛び切り不幸な境遇、と表現するより他はない。

 その事実を認識するたび、深く長いため息が漏れるばかりである。


(はあ……)


 そんな鬱々とした思索を巡らしつつ、私は独り、自身の住処たる『ビョウイン』の廊下をさまよっていたのだが。

 そこへふと、再び例の『変な臭い』が漂ってくる。


(ん? またか……)

 

 するとなぜか急に、無性に居ても立ってもいられない気分になった。

 その臭いが内包する、奇妙とも言える香ばしさに、鼻孔を強く刺激されて。


 そう、実はこの臭いを嗅いでいると、不思議と気が逸ってくるのだ。

 心が引き寄せられてしまう、と言ったっていいかもしれない。

 ゆえに私はすぐ、誘われるようにそれを追いかけていく。


 結果として、私の目の前に現れたのは――


(……また、死にかけのニンゲンか)


 青痣と見紛うほどに、濃く刻まれた目の隈。

 骨に張り付いているような質感の、くすんだ色をした全身の皮膚。

 聞き耳を立てねば捉えられぬくらい、か細く頼りない呼吸……


 そんないかにも瀕死、という有り様の、ひどくみすぼらしいニンゲンの男だった。

 彼は真っ白な病室のベッドで、目を閉じたまま、仰向けの体勢で眠りこけている。

 どうやらこの臭いは、こいつが発生源らしい。


 それがわかった瞬間、私は臭いへの興味をすっかり失った……のだが。

 それでもその香ばしさに、やはり惹かれるものがあったので、もう少し近くで嗅いでみることにした。


(まあ、ちょっとくらいなら)


 そこでそのベッドに歩み寄ると、軽くジャンプして上へ飛び乗り、男の痩せた頬に自らの鼻を寄せていく。

 『こんな事をしてたら、また死神扱いされるかも』という憂いを、心の隅に抱えた状態で。

 同時に『それなのになんで、自分はこんな臭いを嗅ぎたがるんだろうな』と、己の行動に疑問を感じながら。


 だが、なんとその直後――


「お……お前は!」


 眠っていたはずのその男が、不意に目を開け、私を見るなり驚きの声を上げた。

 『死神』が側にいるのを知って、恐怖を感じたからだろう。


 となれば当然、すぐにでも動き出し、力任せに私を追い払おうとするはずだ。

 そう予測した私は、即座に体を引き、素早く後方へと飛び退く。


 しかし意外にも、そんな私の考えとは裏腹に――


「うっ……ぐっ……あ……」


 男はなぜか、ほとんど動きを見せなかった。

 ベッドの上で苦しげに呻きつつ、ほんのわずかに体をよじるだけだったのだ。


 どうやらこの病人と思われる男、動かないのではなく動けないらしい。

 おそらくはそれだけ、病気で体が弱っているのだろう。

 私としては無論、やれやれ脅かすなよ、と胸を撫で下ろすばかりである。


 そうして独り安堵する私を横目に、男はしばし身じろぎを繰り返していたが――


「かっ……はあ……くそっ、駄目か……」


 やがて諦めた様子で動きを止めると、次いで小さな呟きを漏らす。

 何かを悟ったかのような、深い絶望を感じさせる口調で。


「そうか……俺……死ぬのか……」


 どうやら自らの衰弱ぶりを理解し、死期が迫っていることを自覚したようだ。

 まあ見るからにくたばりかけだし、おそらくその考えは間違ってない。


 するとそう認識した瞬間、ふと私の胸の内に、少しばかり邪な気持ちが芽生えてきた。


(少しからかってやるとするか)


 つまらぬ濡れ衣で、死神扱いされた恨みを、ここで晴らしてやろうと思いついたのだ。

 この状況を利用し、軽く相手をおちょくってやることで。

 趣味の悪い嫌がらせではあるが、しかしこれだけ理不尽な扱いを受けているのだ、その程度の仕返しなら許されるだろう。


 そんな悪だくみを胸に、私は再度男へ歩み寄り、そのすぐ側に近づいたところで――


(とーうっ!)


 軽やかに体を跳躍させ、男の胸の上に着地すると、そのままうつ伏せになって体を丸める。

 いかにも昼寝してますよ、という風を装いながら。


 要は相手が動けないのをいいことに、その目前で好き勝手に振る舞っているわけだ。

 どうだ悔しかろう、追い払えるものならやってみろ、と挑発するかのように。


 もちろんそうされたところで、今のこいつには抵抗など不可能だから、私の暴虐に翻弄されるしかない。

 意趣返しとして十分な、ほど良い迷惑行為と言えるだろう。

 いやはや実に、いい気分である。


 なんて満足感に浸りつつ、私は男にばれぬようそちらを注視し、歯噛みして悔しがるところを楽しみに待っていたのだが。

 しかしなんと、ベッドの男は――


(……んん?)


 私の行動に驚いて、顔を強張らせた後、続けて全く予想外の反応をした。

 『信じられない』という表情で、確かめるように問いかけてきたのだ。


「お前……俺の側にいてくれるのか……?」


 どうやらこいつ、私が死にゆく男に同情し、その旅立ちに寄り添うつもりだと勘違いしたらしい。

 そんな事あるはずないだろうに、まったくおそろしいほどに馬鹿な男である。


 その思い違いが腹立たしかったので、私は早速行動を開始する。

 男の認識を正すため、その呆けた顔を、自慢の爪で引っ掻いてやろうとしたのだ。


 しかしその瞬間、なぜだか急に、猛烈な睡魔が襲ってくる。


(あれ……? なんか……眠いな)


 同時にまぶたが重くなり、体の動きも急速に鈍っていった。

 そのせいで今はもう、相手を引っ搔くどころか、少し指を動かすのさえ億劫な状態である。

 睡眠はきちんととっているはずだが、どうして突然、こんな事になったのだろうか。


 もっとも別に、それで困るようなこともない。

 相手が満足に動けぬ以上、自らの安全は確保されているのだから。

 いっそこのまま、本当に寝てしまったっていいだろう。


 その判断に従い、私は早速目を閉じ、力を抜いて睡魔に身を任せる。

 ひょっとしたら危険かもしれないが、まあ相手は死にかけだしどうにかなるだろう、と完全に事態を楽観して。


 そしてその状態のまま、下敷きにしたニンゲンの温もりに、不思議なほどの安らぎを感じながら――


(……温かいな)



 独り、静かな眠りに落ちていった……








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