宝の持ち腐れ
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さて自分は、なぜこんな目に遭っているのだったか。
私はそう、独りじっくりと考え込んでいた。
色褪せてくすんだ、古い木造家屋の天井を、ぼんやりと見上げた状態で。
背後に迫る、火あぶりにでもされているかのような激しい熱気を、ひしひしと全身で感じながら。
その最中、自然と頭へ思い浮かんだのは、一人の女の子のこと。
私を『買って』くれた、恩人とも言うべき人の思い出だ。
歳の頃は、中学生くらいだったろうか。
彼女は制服を着たままの、いかにも学校帰りと言った雰囲気で、私が陳列されている小さな店を訪れた。
そして店頭に並ぶ仲間達を眺めつつ、難しい顔でしばし逡巡した後、そこから私を選び出した。
後ろに控えていた、彼女の母親と思われる女性に対し、楽しげに呼びかけながら。
「おじいちゃんのやつ、これがいいんじゃない?」
ゆえにすぐ、私は気づいた。
自分はおそらく、その『おじいちゃん』へのプレゼントなのだ、と。
そしてこの女の子にとって、『おじいちゃん』はとても大切な相手なのだ、と。
だってその時、こちらを指差す彼女の顔には、はっきりと喜びが浮かんでいたから。
これで『おじいちゃん』の生活がもっと便利になる、それがとても嬉しい、という気持ちがありありと伝わってきたから。
つまり私は、そういう心のこもった贈り物として、多くの仲間達の中から選ばれたのである。
当然それは、非常に幸福、かつ誇らしい事実だった。
そもそも誰かの役に立つために、この世へ産み落とされた『道具』としては、贈り物にしてもらうのは望むところだったからだ。
本懐中の本懐、と言ったっていいだろう。
そんな事情で、私は彼女に買われ、現在の居住地へやって来ることになった。
少々人里から離れた、うら寂しいと呼ぶに相応しいこの家へ。
そこで私を出迎えたのは、顔に刻まれた幾筋もの皺が、地図に描かれた複雑な等高線のようにも見える、厳めしい雰囲気の老人だった。
それが今の、私の主だ。
主は彼の孫らしい例の女の子から、無表情で私を受け取ると、軽く使用法についての手ほどきを受けた。
そしてそれが終わってから、女の子を家に返すと、一人で私と相対した。
ワサビの利きすぎた寿司を、一口で頬張った時のような、やたらと渋い表情で。
そうしてしばらく、その状態で硬直していた主だったが。
やがて決心したような顔つきになると、恐る恐ると言った雰囲気で、私をつつき回し始めた。
その細く骨ばった指で、私の体を何度も何度も叩いたり。
あるいは何か字でも書くかのように、ぐるぐると撫で回したり。
果ては顔の高さまで持ち上げて、裏面も含めてじっくりと観察したり。
私の説明書らしき、分厚い本を片手に、そんな行為を繰り返していたのだ。
全くわけがわからない、という感情を、顔にはっきりと浮かべながら。
それでも主は、辛抱強く私と向き合ってくれた。
困惑し苛立ちつつも、私という慣れぬ存在に挑み続けたのである。
それはきっと、大切な孫からのプレゼントを、無駄にしたくなかったからだろう。
加えて私が、自分の生活にとって重要な物である、と理解していたからかもしれない。
とにかくそういう事情で、我が主は、全身全霊をもって私に挑んでいた。
しかし残念ながら、その努力が身を結ぶことはなかった。
なぜなら時が経つにつれ、主の顔からはどんどん気力が消失していったから。
しかもその挙げ句、私を机の上へ置き去りにして、ぷいとどこかへ行ってしまった。
せっかくやり方を教えてもらったのに、うまく扱えなかった――そんな現実から、必死で目を背けるかのように。
結果その一件以降、主が私に接触してくることはなくなった。
せいぜい夜、何か不便があった際、ちょっとした明かり代わりにするくらいで。
後はもっぱら、こうして謎の火あぶりにされるのみなのだ。
無論こんなのは、私の本来の役目ではない。
自分で言うのも何だが、私はもっと優秀な存在なのだ。
もっと色々な事ができる、極めて便利なツールなのだ。
こういう使い方をされるのは、おそろしく心外である。
しかし無論、私自身が、主にそれを告げることは不可能だ。
私には自分の意志を、相手に伝える『機能』がついていないから。
最新モデルとは言え、さすがにそこまで万能でもなかった。
おまけにここのところずっと、頭がうまく働かない。
やたらと重い上に鈍く、まともにものが考えられないのだ。
もはや意識を保つことすら難しい、という状態になってきている。
おそらくは、稼働のための電力が欠乏した結果であろう。
要はますます役立たずになりつつある、というわけだ。
ただひたすらに空しい、という以外の感想は無い。
そうして自らの運命を嘆く私の前を、そこでふと、我が主が通り過ぎた。
彼はいつも通りの固い表情で、そのまま部屋の奥の方へと向かっていく。
そして続いて、そこにあった仏壇の前に座り、独り静かに黙祷を捧げ始めた。
私がここへ来る前に亡くなった、奥方殿の冥福を祈っているのだろう。
主が日々、欠かさず行う日課である。
そう、我が主は、現在とても孤独な境遇なのだ。
連れ合いに先立たれ、他には訪ねてくる者もいないせいで。
もちろん例の女の子は、たまにここへ遊びに来るのだが、当然ながら毎日ではない。
だから基本的にこの家は、いつも空き家のように侘しいまま……
その現実を実感すると、胸を締め付けられるような想いを抱かずにはいられない。
ただしそれと同時に、強い使命感も芽生えてきた。
主のために何かしなくては、その孤独を癒すために努力せねば――そういう情熱が、心の中で燃え盛り始めたのである。
だって自分になら、きっとそれが可能だから。
直接問題を解決はできずとも、その状況を変える一助にはなれるはずだから。
私を買ってくれた女の子が、私にそう期待をしたように。
その願いを叶えるためと、選んでくれた恩義に報いるため、私は全力で主に尽くさねばならないのだ。
しかし残念ながら、活力の失せたこの身では、できる事がほとんど無い。
ただ置物として放置されるだけか、あるいはちょっとした重りとして、こうやって熱さに耐えるのみなのである。
そんな無力感に苛まれつつ、私は内心で叫びを上げた。
現状への不満と、主の役に立ちたいという気持ちを、いっぱいに込めて。
ああ我が主よ、せめて、せめて――
(せめて充電くらいはしてくださいっ!)
するとその瞬間、その私の咆哮に応えたかのように――
「こんにちはー!」
場違いなほどに明るい声が、沈んだ空気を切り裂いて、家中に響き渡った。
私を選んでくれた、あの女の子だ。
きっと祖父の様子を見るため、学校帰りにこの家へ立ち寄ったのだろう。
それを聞いた我が主は、間を置かず立ち上がり、移動を開始した。
女の子を出迎えるため、再び私の前を通過し、玄関の方へと消えていったのだ。
結果しばらくして、主の向かった先から、賑やかな声が響いてくる。
どうも女の子が、挨拶もそこそこに、自らの近況報告を始めたらしい。
代わり映えのしない祖父の生活に、少しでも変化を、みたいな意図だろうか。
相変わらず、家族想いの良い子である。
まあ単に、自分の話を聞いて欲しかっただけ……という可能性もあるわけだが。
とは言え自分としては、やはりその状況に、大きな安堵を覚える。
何にせよ、主の孤独が紛れるのなら、それに越した事は無いと思えたから。
そんな風に私が、彼女のおかげで得られた安寧と共に、主の消えた部屋の入り口を眺めていると――
「どう? ちゃんと使えてる?」
入れ替わりにそこから、例の女の子が中に入ってくる。
何か期待しているという風に、目をキラキラと輝かせながら。
おそらく自分の贈り物がどうなったか、それで祖父の生活が改善したのかを、直接確かめるつもりだったのだろう。
だがそこで、彼女のつぶらな瞳に映ったのは、何とも無惨な現実だった。
当初の目的とは全く違う、情けない使い方をされる私の姿である。
当然その表情は、みるみる驚きで彩られていく。
そして素早く振り返り、彼女は声を大にして叫んだ。
自らの祖父に向けて、本来なら言うまでもないくらい、至極当たり前の注意事項を。
「おじいちゃん! スマホでカップ麺のフタ押さえたら駄目! 壊れちゃうよ!」
それを聞いて、ふと思い出す。
言われてみれば、自分はそういう名前だったな、と。
バッテリーが切れて久しいせいで、そこさえ曖昧になってしまっていたが。
私は今さらながらに、そんな事実を思い出し、独り懐かしい気分へ浸る。
ただそんなこちらをよそに、和気あいあいとしていたこの家の雰囲気は、一気に変質した。
なんと我が主、半世紀分は歳の離れた孫に、説教を開始されてしまったのだ。
いつもの厳格さが嘘のような、ひどく情けない顔で。
まあせっかくの贈り物を、こうも雑に扱っていたわけだし、仕方ない面はあるだろう。
もっともその光景には、どことなく微笑ましさもある。
やはり会話があるのはいい、独りよりはずっといい、と思ってしまうのだ。
それゆえに私は、なればこそ自分が頑張らねば、と決意を新たにすることとなった。
そんな私の、湧き上がる情熱に応えたわけではないのだろうが。
この一件をきっかけにして、私の生活は大きく変わった。
具体的には我が主が、進んで私を活用するようになったのだ。
例えば私を使って、私の贈り主たる女の子や、他の家族と会話をしたり。
私に付属した機能で、簡単な健康診断、及び体調管理を行ったり。
果ては趣味の将棋仲間と、オンラインで対局に興じさえしているのだ。
今までの不遇ぶりが嘘のような、極めて充実した毎日である。
それもこれも全ては、女の子が祖父に、私の使い方を指導してくれたから。
今度は直接、しかも念入りかつ綿密に。
おかげで私は、こうして主のため、存分に己の力を発揮できている。
もっとも彼女の教え方が、ずいぶんとスパルタだったせいか、我が主は相当に辟易していた。
さすがに少しばかり、同情を禁じ得ないという面もあったりするわけだ。
まあそんな二人のやり取りも、私にはやっぱり、微笑ましいと感じられてしまうのだが。
とにかくそういう事情で、現在私は、とても満足のいく生活ができている。
後はこのまま、自らの役目を誠実に続けていくのみだ。
この血の通わぬ無機質な体に、いつか寿命が到来し、壊れて動かなくなるその日まで。
使命を全うできる喜びに、機械仕掛けの魂を震わせながら。
それでもただひとつ、私が未だに――
(……暑い)
時折カップ麺のフタに載せられているのは、私と主だけの秘密である。