被害者は行方不明
迷子になりそうなくらい巨大な駅の階段やエスカレーターの高い場所から、下を覗くとめまいがするような気がするのは私だけだろうか。
足がすくむって、この事だろう。
狭い場所を有効利用するように急な長い坂が足元にあって、危険きわまりない場所としか思えない。
そっと周りを見ると誰もが「何ともない」といった顔をして通り過ぎている。
田舎の駅とは違う心持ち早く感じるエスカレーターのスピード、階段を落ちていくような人の群れ……クラクラするのは気のせいと自分に言い聞かせて、「落ちる人なんか居やしない」と思っていた。
(ここになんかめったに来ないんだから。下の階に降りて、あとは乗り換えれば終わり)
昼間の空いたエスカレーターは遠い終点がしっかりと見えた。
左手をベルトにかけ、前を向き、かかとの低い靴をはいた足を段差にしっかりと置いていく。
……はずだった。
――バンッ
何か大きな力が私の背中を打った。
「えっ」
つんのめるようにして、私の体は空中に放り出された。
背中が痛い。
思わず肩に掛けていたカバンをギュッと抱え直して、体を丸める。気休めだ。
自分より先に赤いスーツケースがバンバンと落ちていく。
遠くに見えた終点に向かって一気に自分も落ちていく。
(これ以上痛い目にあうのは嫌だな)
冷静な自分がいた。そんな余裕なんかないはずなのに。
「ごめんなさい!」
「キャあぁ」
「おばちゃん!」
――フッ
――ストン
――フッ
空中に黒い穴が空いて、私の体はそこに落ちた。
体を飲み込むと穴は消え、エスカレーターは誰かによって緊急停止となった。
声を失い目を見開く数人の人と、何事かと駆けつけ騒ぐ駅員を残して。
「おばちゃんが一人落ちて、穴に消えたんだ」
右耳にピアスを3つつけた金髪の青年が一人主張したが、それを事実と証明できることはなかった。
赤いスーツケースの持ち主の少女は加害者とならなかった。
何処の誰とも分からない被害者は存在しない。
私はその世界で行方不明者の一人とされたのだった。
落ちたら怖いなとは思っても、現実ではこんなこと起こりません。フィクションですよ!