2章 2話 終わらない依頼
「ドラゴン……」
俺は完全に、面食らってしまった。
ドラゴンと言えば、空想上の動物だ。
いつだったか、未古神と会話したことを思い出す。
現代に生存するあらゆる生物は、環境と生態系の影響を受け、それぞれが独自の進化を遂げていった。
その環境なり、生態系なりがわずかでも異なっていたら、まったく違った生物が出現していただろう、みたいな話だ。
この異世界では、現代では空想上の生物が、当たり前に存在しているのだ。
アダムが現代にドラゴンがいないことを察し、
「レッドドラゴンは、ドラゴンの亜種で、炎属性の強い種類です。この個体はオスで、まだ子供のようですね。人間で言えば、ちょうどエマ様と同い年くらいでしょうか」
薄暗いため確認しづらいが、おそらく体長は一メートルくらい。
ドラゴンの平均的なサイズは知らないが、このサイズでもかなり迫力がある。
現代で言えば、ライオンや虎と遭遇したようなものだ。
しかも、檻も柵もない状況で。
眠っているようだが、怖いものは怖い。
アイサを見ると、平然とドラゴンを眺めている。
こっちの世界では、ありふれた存在だからだろうか。
現代でいうところの犬や猫のようなものってこと?
「怖くないのか?」
「竜枷を付けてるから大丈夫だよ。ほら、あの首輪」
アイサは、ドラゴンの首の辺りを指さした。
ドラゴンの太い首に、金属製のしっかりとした首輪が巻かれている。
「いや、首輪してたって危ないだろ。犬じゃねーんだから」
「竜枷はね、抑竜石っていうドラゴンの力を封じ込める石が入ってるの。ハンターの人たちはドラゴン退治の後、竜枷を使ってドラゴンを捕まえるんだよ」
それを聞いて、俺は少し安心した。
アイサもこの調子だし、ある程度の安全は保証されていると考えていいだろう。
「お花畑の前でレーちゃんが倒れていて、他の人に見つかったらダメだと思って、近くにあったこの小屋に連れてきたんです。そのときはレーちゃん、まだ少し動けたから」
エマがドラゴンに近づいていくと、閉じていた目が開いた。
鋭い眼光が、俺とアイサを貫き、俺は一瞬たじろぐ。
「どこかへ行け、人間」
少年のような声がした。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
この小屋には俺とアイサ、そしてアダムとエマ以外に誰もいない。
一体、誰の声だったんだ?
「てめぇに言ってんだよ」
また聞こえた。
まさかと思い、ドラゴンを見ると目が合った。
「やっと気づいたか」
さっきから聞こえている少年の声は、このドラゴンから聞こえている。
にわかには信じられない。
「アイサ、お前ドラゴンの声が聞こえてるか?」
「え? ドラゴンの声? ぐるる、っていう鳴き声のこと?」
「エマは?」
「鳴き声ならたまにしますよ。弱っていて、元気がないですけど」
ドラゴンの声は、俺にしか聞こえていないらしい。
「嘘じゃないんだが、ドラゴンが人間の言葉で何を言っているか分かるんだ」
驚く二人を他所に、アダムが言う。
「それはおそらく、レン様の〈順応〉の能力のおかげでしょう」
そう言えば、レイジさんがそんなこと言ってたな。
俺が異世界の言葉を扱えたり、味覚に違和感を覚えたりしないのは、その〈順応〉の影響だそうだ。
エマが俺に言う。
「レーちゃんに、大丈夫って聞いてみてくれませんか?」
「分かった。ドラゴン、体の調子はどうなんだ?」
「これが調子良さそうに見えるのか? てめぇの目は飾りかよ」
口の悪いドラゴンだ。
「なんて言ったんですか?」
エマが聞くので、
「大丈夫に見えるのかって、さ」
ドラゴンが俺を睨みつける。
「いいから、さっさとここから消えろ」
「俺とアイサは、エマに頼まれてここに来たんだ。お前の怪我を治してほしいって」
「必要ない」
ドラゴンは、短く言い放った。
エマがドラゴンの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を伏せる。
エマには心を開いているようだ。
ドラゴンの左翼に、エマが施したであろう包帯が巻かれている。
現代なら、警察に頼んだほうが良い。
アイサから聞いたところによると、この世界には警察は存在せず、その代わり帝国軍と自警団というのがあるらしい。
「帝国軍か自警団に頼んだ方がいいんじゃないか」
「それはダメです。どちらかに見つかれば、レーちゃんは連れて行かれてします」
エマが答えると、アダムが補足するように、
「ドラゴンは危険生物ですので、最終的には帝国軍に保護されます。そして、ドラゴン専用のファームに送られ、特殊な訓練を受け、人間に従順にされるのです。その後、帝国軍の竜騎士隊や、竜車屋などで活躍します」
「それはダメなことなのか?」
俺の率直な発言を聞いて、エマが切実な表情になった。
「レーちゃんまだ子供なのに、家族から離れてきっと寂しいと思います。ですから、怪我を治して、お父さんとお母さんのところへ帰してあげたいんです」
「そうか。ごめん、エマの言う通りだな」
帝国軍と自警団に通報されないために、ドラゴンのことは誰にも知られてはいけないということだ。
危険生物であるドラゴンを匿っていたとなれば、俺たちも只では済まないだろう。
「翼の怪我だけど、具体的にはどういう状態なんだ?」
「大きな傷があって、そこから血が出ていました。もう一週間も経つのに、全然良くならないですし、ご飯を用意しても、ほとんど食べません」
アダムが冷静な語調で、
「竜枷の影響でしょう」
「どういうことだ?」
「竜枷はドラゴンの力を封じるものです。それは単純に肉体的な力を制御するというだけでなく、回復力も奪ってしまうのです」
なるほど。それなら合点がいく。
「これって、エマが付けたのか?」
「いえ、最初から付いていました」
エマが付けたのでなければ、他の誰かが付けたんだ。
ドラゴンとエマが出会う前に。
ドラゴンは、竜枷を付けられ、この辺りで倒れていた。
誰かに捕獲され、枷を付けられたのは間違いないはずだ。
おそらく、ギルドのドラゴン討伐のクエストだろう。
ドラゴンは、人間に危害を加える危険生物だから。
せっかく枷を付けたのに、捨てるとは考えにくい。
従って、ドラゴンが逃げ出したのだろう。
「とにかく、この枷を取らなきゃいけないんだよな」
金属の首輪をじっと見た。
これを外せば、レッドドラゴンは自然治癒力を取り戻す。
しかしその反面、力を抑圧するものがなくなる。
セーフティが解除された状態のピストルだ。
アイサがドラゴンに近づき、
「私が外すよ」
「危なくないか?」
「でも、そうしないと良くならないし」
弱っているらしいし、エマの前で乱暴な真似はしないだろう。
竜枷が外された瞬間、ドラゴンが俺とアイサに向かって炎を吐いた。
「熱っ!」
咄嗟に躱したが、それでもドラゴンの火炎が高温だということが分かった。
近くにいたアイサは、わずかに反応が遅れたため、避けきれない。
「きゃっ!」
俺はドラゴンを睨み、怒鳴った。
「何するんだよ!」
「……ふんっ」
アイサは上半身の衣服が焼け、下着までも失った。
その結果、白い肌と魅惑的な膨らみがあられもなく露出する。
初めて異世界に飛ばされたときに見た、アイサの裸がフラッシュバックする。
アイサが慌てて胸元を両手で覆い隠し、上目遣いで、
「……見た?」
「イヤ、ミエナカッタヨ?」
「なんで、片言で視線を逸してるの?」
「…………」
アイサが頬を紅潮させ、肩を落とし、
「もう……レンには恥ずかしいところばかり見られてるよ」
俺は羽織っていた上着を脱ぎ、アイサの方を見ずに手渡した。
「ありがとう」
アイサは上着を受け取ると、小屋の隅で素早く着た。
「炎を浴びてたけど、体は大丈夫なのか?」
「私は火の精霊の加護があるから、耐性があるの」
エマが突然、泣き出した。
「……ひっく、ひっく、どうして、こんなことするの?」
俺たちは狼狽えるが、最も動揺したのは、ドラゴンのようだった。
「わ、悪い、エマ。……許してくれ」
しばらくして、ようやくエマが泣き止んだ。
「二人とも、ごめんなさい。なんて謝ったらいいか……」
「エマのせいじゃない。それに、ドラゴンも反省してるようだしな」
ドラゴンは相当堪えたらしく、端の方で丸くなっている。
「アイサって魔術使えるよな。傷とか治せるのか?」
自信満だったし、それを見越して引き受けたのかも知れない。
アイサはかぶりを振った。
「ううん。治癒魔術は高等魔術で、私には使えないよ」
「ドラゴン用の塗り薬とかあるのか? 少なくとも普通の薬局にはないよな。どこで売ってるんだろ」
アダムがくちばしを動かす。
「ファームの方が利用する専門店があります。そこに行けば、一式揃うでしょう」
「傷以外にどこか問題あるか?」
打撲や骨折のように、他の外傷も併発しているのかも知れない。
俺の質問に、ドラゴンが「ない」と答えた。
翌日、塗り薬と包帯を買い、エマとともに小屋へ向かった。
ドラゴンの傷に薬を塗布し、包帯を丁寧に巻きつける。
そして、それから一週間、安静に過ごさせた。
「傷はすっかり塞がったみたい」
アイサが包帯を取り、翼を眺めながら言うと、エマは嬉しそうに、
「これでレーちゃんは、お父さんとお母さんの元に帰れます」
ぞろぞろと小屋から出る。
ずっと小屋で過ごしていたドラゴンは、眩しそうに目を眇めた。
エマがドラゴンをじっと見る。
「悪い人に付いて行っちゃダメだよ。お腹が減っても拾い食いしないでね。水分はこまめに取って」
まるで母親のように声を掛けるエマ。
「レーちゃん、元気でね」
そして、ドラゴンの頭を撫で、別れの言葉を告げた。
これでこの依頼も終わりだ。
ドラゴンは翼をはためかせた。
四本の足が地上から離れかけたが、飛び立つ前に翼が止まった。
「何してるんだよ」
声をかけるが、何も言わない。
エマが心配そうに、眉をひそめた。
「レーちゃん?」
ドラゴンがぽつりと呟く。
「飛べねぇんだよ」
「まだ完全に治ってないってことか?」
アダムが冷静な目で、
「いえ、翼の傷は完治していると思われます。他にも身体的な異常はありません」
それじゃ、どうして?
怪我は完治し、体調は万全で、竜枷も付けていない。
だが、飛べなくなってしまった。
その理由が分からない。
分かることと言えば、この依頼が、まだ終わらないということだけだった。
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
また、お会いできることを祈っています。