2章 1話 初仕事
銀色の針のような雨の中、通学路を進む。
梅雨は生真面目に今年もやって来て、景色を灰色にけぶらせる。
あれから俺は、現代と異世界を行き来し、放課後と休みの日に、便利屋の手伝いをしている。
〈シェヘラザード〉に手記を綴れば、二つの世界を移動できる。
持ち物も一緒に持ち運べるらしいが、スマホは圏外で使えなかった。
今から思えば、二回目に異世界へ行ったことは、結構な博打だった。
必ず、アイサのいるところへ行ける保証などなかったからだ。
何かが俺を突き動かしたのだ。
アイサとの再会を果たした日、夜中に王城に帰る予定だったアダムを介して、アイサの両親と連絡を取った。
レイジさんとの会話を思い出す。
「〈シェヘラザード〉のことは、できるだけ誰にも言わない方がいいね。とても貴重で、珍しい魔道具だから、流布すれば、大変な騒動になる可能性がある。特に魔術結社に知られれば、接触してくるだろう。組織によって、手段を選ばずにね」
「魔術結社ってなんですか?」
「簡単に言えば、ある理念と思想を信仰して、魔術の研究をする集団のことだよ。それが帝国内に、いくつも存在しているんだ。善性のものも、悪性のものも、ね」
レイジさんは続けて、
「それから、君が別の世界から来たということも、秘密にした方が良い。同じ理由でね」
「気をつけます」
アダムは、アイサの家に残ることになった。
〈シェヘラザード〉のことで俺に何かあったときに、すぐレイジさんたちと連絡を取れるようにと、配慮してくれたのだ。
高校の少し手前にあるコンビニの駐車場に、しゃがんでいる愛砂がいるのが見えた。
ビニール傘を差し、野良猫に手を伸ばしている。
猫は愛砂の手から逃れるように、走っていった。
小さい頃、愛砂が猫を飼いたいと言ったことがあった。
杏さんに「責任が持てるなら飼っていい」と言われ、悩んだ挙げ句、結局諦めた。
愛砂と目が合った。
言葉が喉まで上ってきているが、そこで止まってしまう。
時間の流れが遅く感じる。
愛砂は俺から視線を外すと、背を向けて、歩き始めた。
便利屋の事務所のソファに腰掛けること数時間。
目の前で、アダムが本を読んでいる。
「便利屋」と書かれた看板の頭に、「二代目」と付け加えられた。
しかし、一向に客は来ない。
閑古鳥が、群れを成して滞在しているのかも知れない。
鳥は、アダムだけで充分だ。
アイサが紅茶を持ってきてくれた。
アイサはカップをテーブルに置き、アダムを抱えてソファに腰を沈めた。
アダムが「あの、本を……」と小さく抗議の声を上げたが、アイサは意に介さず、モフモフタイムに入ってしまった。
「レン、ごめんね。せっかく手伝いに来てくれてるのに、お客さん来なくて」
「仕方ないよ。ビラでも配ってみないか」
「良いと思うんだけど、生活費以外のお金はあんまりないの」
そうか、紙の価値が違うか。
印刷技術もないだろうし、個人のレベルだと一枚ずつ手書きということになるだろう。
そっちは時間を使えば何とかなるが、資金的な問題はそんな簡単じゃない。
そのとき、ドアのベルが鳴った。
見ると、年端のいかない女の子が立っている。
ふわふわのボブカットに、可愛らしい顔立ちで、制服のようなものを着ている。
女の子は俺と目が合うと、あたふたとした。
「アイサの知り合い?」
アイサが首を振ったので、女の子に尋ねる。
「もしかして、便利屋のお客さんってこと?」
女の子は少しの間を置いて、こくんと頷いた。
「アイサ、待望のお客様だぞ」
女の子にソファを勧めると、遠慮がちに腰掛けた。
アイサが紅茶を淹れ、俺たちが自己紹介すると、女の子が口を開いた。
「私はエマといいます。あの、何でもお願いを聞いてもらえるって本当ですか?」
「何でもってわけじゃ」
俺が言い終わる前に、アイサが、
「何でも言ってください! 二代目便利屋にできないことはありません!」
相当意気込んでいるようだ。
エマは切実な面持ちで、
「レーちゃんの怪我を治してほしいんです」
「レーちゃん? 友達?」
「違います」
「じゃあ、ペット?」
「少し違います。町外れのお花畑に行こうしたら、レーちゃんが倒れてたんです。ぐったりしてて、よく見たら、翼を怪我してて」
翼を怪我ってことは、鳥だよな。
「俺たちが言うことじゃないけど、両親に頼めば良いんじゃないのか」
「両親は動物嫌いなんです。私は動物が好きで、学校でも飼育係をしてるんですけど」
「そうか」
アイサが身を乗り出し、自信満々に言う。
「任せておいて!」
「そんな安請け合いして大丈夫か?」
「できる限りのことはやってみたいの。だって、エマみたいな人のために、便利屋をやってるんだから」
その言葉は、俺を納得させるのに充分だった。
エマが行儀よく、頭を下げた。
「ありがとうございます」
まぁ、鳥の怪我を治すくらいなら、俺たちでもできるか。
「でも、私、お金とかあんまり持ってないんですけど」
「大丈夫! 只今、二代目便利屋開業キャンペーンで、初めてご利用のお客様は無料でご案内してるから」
初耳だぜ。
だが俺も、こんないたいけな子供から、金を巻き上げるのは反対だ。
エマは律儀に紅茶を飲みきると、静かに立ち上がった。
「じゃあ、レーちゃんのところに案内しますね」
俺とアイサとアダムは、エマに連れられて、事務所を出た。
最初は大通りを進んでいたのだが、途中で路地に入った。
エマによれば、レーちゃんは町外れにいるそうだ。
土地勘がないため具体的な方角は分からないが、郊外に差し掛かり、建物とひとけが少なくなる。
やがて、遠くに花畑が見えた。
エマの言った町外れのお花畑とはあれのことだろう。
「見えました」
エマはその花畑ではなく、脇にある小屋へ進んでいく。
小屋は荒廃していて、とても使われているようには見えない。
「ここです」
この中に、レーちゃんがいるらしい。
小屋の中へ入るが、かなり薄暗い。
開けたドアから差し込む光で、部分的に照らされるだけだ。
視線を巡らせ、レーちゃんの姿を探す。
俺はぴたっと足を止めた――奥に何かがいる。
徐々に目が慣れていき、その姿が見えてくる。
大きな口、鋭い爪、それと大きな翼と太い尻尾、爬虫類のような皮膚は赤い。
おいおいおいおいおい。
俺は後ずさった。
エマが淡々とした口調で言う。
「レッドドラゴンのレーちゃんです」
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
また、お会いできることを祈っています。