1章 4話 リオとショウ
翌朝、ダイニングに行くと、アイサが明るい顔で挨拶をしてくれた。
「よく眠れた?」
「あぁ、おかげさまで」
昨晩は、アイサの親父さんが使っていたベッドを貸してもらった。
服も親父さんのを借りている。
簡素だが、着心地は悪くない。
アイサが朝食を用意してくれていた。
カットされたフランスパンに、スープとサラダ。
食事をしながら、アイサに聞く。
「今日は仕事入ってるのか?」
「ううん。そうだ。食べ終わったら、便利屋の事務所に案内するよ。すぐ隣なの」
どうやら事務所は、この居住スペースと隣接しているようだ。
食事の後、二人で移動する。
見た感じ、決して広くはないが、きちんと掃除と整頓が行われている。
奥に事務机があり、中央にテーブルを隔てて、ソファが向かい合っている。
部屋の隅には、何種類もの花が飾ってある。
「へー、居心地が良さそうだな」
「ずっとここにいるわけじゃないけどね。家事をするときは、奥に引っ込んでるし。お客さんが来たら、ここで話を聞くんだよ」
「一日どれくらい人が来るんだ?」
アイサは少し困ったように笑い、
「今は一人来るか来ないかかな。経営大丈夫なのかよ、って思ったでしょ?」
「そんな自嘲するようなこと言うなよ」
「そうだね、ごめん。お父さんたちがお城からお給料もらうようになったから、別に儲けなくちゃいけないわけじゃないの。お金の問題じゃなくて、私だけでもたくさんの人がまたここに来るようにしたいの」
そのとき、事務所のドアが開いた。
さっそく、お客さんか?
わずかに緊張しながら、じっと見ると、白と赤のエプロンドレスを着た理緒が現れた。
快活に揺れるショートカットと、気の強そうな眉、形の良い額。
しかし、一つだけ違うところがあった。
頭の上に、獣の耳がついているのだ。
茶色の猫の耳が、ピンと尖っている。
「理緒だよな? なんでここに? お前も異世界に飛ばされたのか?」
理緒は眉をひそめ、胡乱者を見る目で、俺を睨んだ。
「あんた誰? 私の名前知ってるみたいだけど、気安く呼ばないでもらえる?」
あー、そういうことか。
アイサと同じなのだ。
この少女も外見と名前が一緒だが、俺が知っている理緒とは別人というわけだ。
リオがアイサの傍に駆け寄り、
「アイサ、この男誰なの? お客さん? 誰でも彼でもすぐに信用しちゃダメよ。ある程度素性を調べなさいって、いつも言ってるでしょ」
「レンは大丈夫だよ。ちょっと事情があって、少しの間うちに居候することになったの」
「居候? 一人暮らしの家に、男を入れて大丈夫なわけ?」
「心配しすぎだよ。レンは悪い人じゃないよ」
「そりゃ悪人は悪ぶらないわよ。アイサは可愛いんだから、もっと警戒心を持ちなさい」
こっちのアイサとリオは、かなり仲が良いようだ。
リオがぐっと近寄ってきて、鼻が付きそうなほど顔を寄せてくる。
理緒ともこんな近づいたことはない。
理緒を意識したことはないが、そっくりなリオの顔を間近で見ると、理緒が人気者なのがよく分かる。
リオは何かを見定めるように、俺の顔を覗き込んでくる。
気恥ずかしくなり、視線を逸した。
「ほら、目を逸らした。やっぱり後ろめたいことがあるのね」
「いや、今のは違うって」
追い詰められる俺に、アイサが助け舟を出してくれる。
「誰だってそんな近くでじっと見られたら、嫌がるでしょ。レン、怒らないであげてね。リオは悪い子じゃないの。私のことを心配してくれてるだけなの」
「分かってるよ。リオ……さんは、アイサの友達なんだろ。友達が見ず知らずの男と同居するって知ったら、それは心配になるだろ」
リオは落ち着いてくれたようで、
「なかなか話は分かるようね」
「それより、私に用があるんじゃないの?」
アイサがリオに聞くと、
「朝ごはんまだだったら、一緒に食べようと思って」
「ごめん、今日はもう食べちゃった」
「そう。もっと早く来れば良かった。ごめんね」
リオを見ると、猫耳がぴくぴくと動いた。
どうしても気になってしまう。
視線に気づいたリオが、
「そんなに私の耳がおかしい?」
「いや、えっと……」
口ごもる俺を、アイサがまた助けてくれる。
「レンはすごく遠くの土地から来たの」
アイサは俺に向き直り、
「リオは人獣族なんだよ。耳は気になると思うけど、他は人間とほとんど変わらないの」
リオの獣耳が、俺の世界では普通でないことを察してくれたのだろう。
リオが納得したように言う。
「確かに、帝国の人間とはちょっと雰囲気が違う感じね」
本当はこの世界の人間じゃないからな。
こっちに都合の良い解釈をしてくれたようだ。
「そっか、外の国から来たのね。事情がある、って言ってたけど、いろいろ大変そうね。こうして出会ったのも何かの縁か。私の家、料理店やってるんだけど、今度来なさいよ。帝国料理をご馳走してあげるわ」
「ありがとう、リオ……さん」
「リオでいいわ。その代わり、私もレンって呼ぶから」
人好きのする笑顔も、理緒と瓜二つだ。
また事務所のドアが開いた。
今度こそお客さんか、と期待する。
長身で、金髪、そしてやんちゃそうな口元の少年――翔が入ってきた。
しかし、分かっている。
アイサやリオと一緒で、彼も俺が知っている白鷺 翔ではないのだろう。
獣耳は生えていないが、西洋甲冑に身を包んでいる。
「アイサ、リオ、おはよう」
「おはよう、ショウ」
「爽やかな朝が台無しだわ」
リオの軽口を笑い飛ばすと、ショウが俺に向かって、手を挙げた。
「おう、お前生きてたのか?」
俺は仰天し、
「え、俺のこと分かるのか?」
「当たり前だろ。いやー、あのときはマジでヤバかったな。けど、よく生き延びたな」
若干、話が噛み合ってない気もする。
「あのときって、いつのこと言ってるんだ?」
「オーク討伐のクエストのときだよ。ギルドの募集に、偶然同じタイミングで応募して、パーティ組んだじゃねーかよ。それで東の森の奥で、オークの大群に追いかけ回されて、洞窟に隠れたよな。結局、クエスト失敗。パーティは散り散りになって、仲間の安否は確認できなかったが、お互いあの死地から生還したみたいだな。良かった、良かった」
「…………」
そのパーティとやらの内の一人と俺を勘違いしているようだ。
「申し訳ないけど、俺の方にはそんな記憶はないな」
「そうか。記憶がなくなるくらい必死だったんだな」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、あれか。増殖したスライム退治のとき? それともゴブリンの生態調査だっけ?」
「……すまない。たぶんお前が人違いをしてるだけだと思うぞ」
「あれ、そうなの? まぁ、細かいことはいいじゃん。俺はショウ。ハンターをやってる。よろしくな」
そう言って、ショウは握手を求めてきた。
外見と名前だけじゃなく、適当な性格までそっくりじゃねーか。
「俺はレンだ」
「レンは便利屋に用があって来たのか?」
「ちょっと訳ありで、アイサの家に居候してるんだって」
リオが答えると、ショウは思い出したように背負っている大きな鞄を下ろし、サイドのポケットに刺さっている一輪の花をアイサに手渡した。
真っ白な花びらが綺麗に輝いている。
「わぁ、ありがとう。早速活けるね」
その白い花と、事務机の上にある花瓶を持ち、アイサは部屋から出て行った。
二人はどういう関係なんだろう。
「今みたいに、よくプレゼントとかするのか?」
「レンはアイサの家のこと、もう知ってるか?」
「両親が城にいて、一人で便利屋をやってるってことは聞いたけど」
「そうか。俺たち三人は小さい頃からつるんでて、もう長い付き合いになるんだが、アイサの親父さんたちが城へ行くとき、あいつのことを気にかけるよう俺とリオは頼まれたんだ。もちろん俺たちはそのつもりだったんだけど、親父さんたちはアイサを一人残すことをかなり心配してるんだよ」
「だから私とショウで、時間ができたらなるだけアイサの家に来ようって相談したのよ」
現代では俺と愛砂が幼馴染で、理緒と翔は高校に上がってから知り合った。
しかし、こっちの世界では、俺がいない代わりに三人が幼馴染ということらしい。
白い花を生けた花瓶を持って、アイサが戻ってきた。
それからしばらく雑談した後、リオが時計を見て、
「さて、そろそろ帰るわ。お店の手伝いしなくちゃ。ショウ、油売ってないで、さっさとギルドの集会所に行って、クエスト探しに行きなさいよ」
「そうだな。じゃあな、二人とも」
リオとショウが去っていった。
その日、便利屋のドアを開けたのは、その二人だけだった。
俺は一日中、家事の手伝いをした。
午前中は家の中を掃除し、午後は近くの井戸に水を汲みにいった。
穏やかに太陽が傾くのをぼんやりと眺め、頬を撫でるそよ風を心地いいとすら感じた。
事務所の前の大通りを行き交う人々は活気に満ち溢れ、各々のペースで生きている。
当然のことかも知れないが、その点では現代人と何ら変わらないと思った。
何かのご縁で、この小説を読んでくださったあなた、ありがとうございます。
また、お会いできることを祈っています。