最終章 7話 後少し
バニラに付いて、エルフの里へ入っていく。
民家の集まる場所の前に、オーレリアとクロワールが立っていた。
オーレリアが笑顔で迎えてくれる。
「待っていましたよ。お二人とも、ご無沙汰しております」
「こっちへ来て」
クロワールに案内されたのは、オーレリアとクロワールの家だった。
椅子に掛けると、疲労感がわずかだが、ましになる。
オーレリアが俺をじっと見て、
「今から治癒魔術を行います」
「治してくれるのか?」
「いえ、進行を遅らせているだけで、根本的な解決はしていません。私たちでは、〈シェヘラザード〉の呪いを取り除くことはできませんから」
魔術に造詣が深いエルフが、お手上げだというなら、どうしようもない。
それほど〈シェヘラザード〉が、強力な魔道具だということだろう。
「先に右手の治療をしてくれないか?」
右腕は、まだずきずきと痛んでいる。
「分かりました」
オーレリアとクロワールが、俺の前に立ち、
「――ヒーリング!」
俺の右手が光に包まれると、痛みが少しずつ引いていく。
右手の痛みが消えるのは大きい。
「未古神は? 〈シェヘラザード〉の続きを書く」
奥の部屋から、未古神の声がした。
「ここにいるぞ」
未古神から〈シェヘラザード〉を受け取り、
「エマは?」
「帰らせたよ。ここは危険になるからね。〈ケイオス〉は間違いなく、〈シェヘラザード〉の魔力を嗅ぎ付けて、ここにやって来る」
オーレリアが治癒魔術を続けながら、
「アイサさんと未古神さんは、隣の部屋で休んでいてください。私たちはレンさんが書き終わるまで、こうしています」
オーレリアたちの治療を受けながら、書き始める。
しかし、頭が上手く回らない。
何から書くべきか、どんな文章にするか、どの言葉を扱うか。
一文書くのに、多くの精神力と時間を消費する。
集中力が散漫になり、何てことはない、屋外の物音や、時計の秒針の音が嫌に気になる。
少しずつ、〈シェヘラザード〉を書き進めていく。
オーレリアとクロワールは、交互に休憩しながら、治癒魔術を続けてくれている。
後少し。
後少しで、現代へ帰れる。
そう思ったとき、外で大きな爆破音が聞こえた。
遠くではなく、すぐ近く。
未古神が部屋に入ってきた。
「〈ケイオス〉御一行様が、ご到着したようだよ」
アイサもやって来る。
「皆、早く逃げよう」
外に出ると、何人かの白衣の魔術師と、銀髪の少年、ウィルがいた。
ウィルは余裕の笑みを湛えて、
「急に走り出すのでびっくりしましたよ。探し回ったじゃないですか。我々はただ、魔術の研究のお手伝いをしてほしいだけなんです。不毛な鬼ごっこはやめましょう」
オーレリアが耳打ちしてくる。
「レンさんたちは逃げてください。里の奥に乗ってこられた、ドラゴンがいます」
「オーレリアは?」
「クロワールと時間を稼ぎます」
「そんなこと、させられない」
「いいんです。便利屋のお二人には借りがありますから」
俺とアイサは頷き合い、駆け出した。
ぐずぐずして、オーレリアたちの思いを無駄にするわけにはいかない。
オーレリアとクロワールが、並び立つ。
オーレリアの体に、疾風が螺旋を描く。
「クロワール」
オーレリアが呼びかけると、クロワールの周囲に炎の渦が発生した。
疾風の螺旋と炎の渦がそれぞれ拡大していき、やがて二つの円が重なり合う。
「――ストーム・ブレイズ!」
灼熱の熱風が、白衣の魔術師たちに襲いかかる。
「すげぇ」
敵を全滅させたんじゃないか。
火炎の嵐が収まる。銀髪がそよいでいる。
「――シャドー・ハンズ」
無傷のウィルから、漆黒の巨大な手がオーレリアたちに伸びていった。
それは、人一人を握り潰せる程の大きさがある。
オーレリアたちは、迫りくる巨大な手に向かって魔術を放つが、相殺しきれず弾き飛ばされた。
「オーレリア! クロワール!」
引き返そうとする俺を、未古神が呼び止めた。
「止せ。今戻ったら、彼女たちの恩義を台無しにすることになる」
エルフの里の奥に向かって走るが、思うように体が動かず、足が前に出ない。
呼吸が、上手くできなくなる。
さっきまではオーレリアたちが、魔術で進行を防いでくれていた。
それがなくなった途端、普段できることができなくなってしまう。
アイサと未古神から、徐々に離されていく。
未古神が立ち止まった。
「そのまま〈シェヘラザード〉を持って、走りたまえ」
俺とアイサを逃がそうってのか。
「いざとなったら、〈シェヘラザード〉を優先するんじゃなかったのか?」
「私の目的は〈シェヘラザード〉に物語を与えることだ。そのためには、最善の努力を惜しまない。そして、〈シェヘラザード〉は、君の物語の続きを強く求めている」
未古神が俺を見据えた。
「私のことを恨んでいるかい? 〈シェヘラザード〉のために、君を利用した私を」
「そんな風に思ってないよ。お前は〈シェヘラザード〉の守護者として、するべきことをしたんだろ。この状況は最低だが、〈ケイオス〉とお前は関係ない。別の話だ」
俺は未古神をじっと見た。
「それに、〈シェヘラザード〉がなかったら、こっちの世界のやつらとは出会えなかったし、現代の愛砂との関係も変わらなかったしな」
未古神が微かに笑った。
「まったく、大したやつだよ。たぶん、私自身も君の物語の結末を知りたいのだろう」
ウィルが追いついてきた。
俺は懸命に走るが、ほとんど歩く速度と変わらない。
見えない何かに、後ろから引っ張られているようだ。
後ろで未古神が、ウィルと交戦を始めた。
未古神の光の魔術と、ウィルの漆黒の手がぶつかり合う。
最初は拮抗していたが、次第に未古神が押され始める。
未古神は少し距離を取った。
直後、その右手に光の粒子が集まっていく。
長期戦は不利になると判断したのか、決着を付けるつもりのようだ。
それを察したウィルも、動きを止めた。
ウィルの足元に、漆黒の円が浮き上がる。
未古神の手に収束する光は、光度を増していく。
未古神が、その光の集合体を放出する。
「――フォトン・バースト」
漆黒の円が一気に拡大した。
「――ダークネス・フィールド」
二つの強大な魔術が、真正面から衝突する。
衝撃波がここまで到達した。
俺は前に倒れ、その拍子に〈シェヘラザード〉が飛ばされる。
地面に這いつくばり、〈シェヘラザード〉を抱える。
「レン」
アイサが俺の腕を取り、抱き起こしてくれる。
そのまま手を引き、
「行こう」
不思議なことにアイサに手を引かれると、まったく動かないと思われた足が前に出た。
心強い。