最終章 5話 逃走劇
「お母さん! どうしてここに?」
アイサが一際大きな声で言った。
アンズさんは屋根から飛び降り、俺たちの前に華麗に着地した。
「不穏な気配は、ずっと感じていたのよ。あなたたちにすぐ連絡しようとしたんだけど、魔術的な結界を張られてしまって、アダムとコンタクトを取れなかったの。厄介なやつらに目を付けられたわね。一応あの魔道具とレンくんに、隠匿の魔術をかけておいたのだけど」
ウィルが言っていた、誰かが魔術によって隠そうとしていたというのは、アンズさんの配慮だったのか。
アンズさんが進行方向に手をかざし、
「フレイム・バスター」
巨大な炎球が放たれ、そこにいた魔術師たちを飲み込んだ。
アイサが巨大スライムを倒したときに使った魔術と同じだ。
しかし、威力には雲泥の差がある。
俺たちの前に道ができた。アンズさんが言う。
「ここは私に任せて、逃げなさい。あなたたちには連絡ができなかったけど、頼りになる人たちには連絡済みよ」
「アンズさんを置いていけませんよ」
俺が食い下がるが、
「優しい子ね。でも、心配ご無用よ。私を誰だと思ってるの」
「分かりました。お願いします」
俺たちは走り出したが、アダムだけはその場に残った。
「アダム、どうした?」
「私はここに残ります。マスターの危機を看過するわけにはいきませんので」
尋ねると、アダムはきっぱりとそう言った。
アンズさんは嘆息して、肩をすくめた。
「仕方ないわね。本当に頑固なんだから」
アイサが叫ぶ。
「お母さん、アダム、頑張ってね」
「あんたは自分たちの心配をしなさい。ほら、早く行って」
再び駆け出すと、道の突き当りで、誰かが手招きしている。
魔術学校の制服を着た、利発そうな女の子。エマだった。
「皆さん、こっちです」
「エマ、久しぶりだな」
「ご無沙汰しています。積もる話もありますが、今は急ぎましょう」
エマに付いて、小路に入る。
「どうして、エマが?」
「アイサさんのお母様から連絡を受けたんです。お母様の使い魔だっていうモンスターが、私のところへやって来て」
アイサが付け足すように、
「お母さんには、アダムの他にも使い魔がいるんだよ」
「なんでアンズさんがエマを知ってるんだ?」
「私が話したからだよ。エマのことだけじゃなくて、便利屋にまつわることは、お母さんにはちょくちょく話してるから」
「なるほど。それで協力してくれそうなエマに声をかけたのか」
小路を抜けたところに、何故かローブを着たショウとリオがいた。
「アンズさんから話は聞いてるぜ」
「本当はすぐに二人のところに行きたかったんだけど、アンズさんから事務所に近づくのは危険だって言われたから」
その判断は正しい。
アイサの家に来ていれば、あいつらに捕らえられていただろう。
ショウが、自分たちが着ているものとまったく同じローブを渡し、
「お前ら、これを着ろ」
首をひねる俺に、
「俺たちが囮になる。その間にお前たちは逃げろ」
同じ格好をして、敵を撹乱しようっていうのか。
「そんな真似させられない。危険すぎる。巻き込むわけにはいかねぇよ」
「いいから。さっさとしろ。時間がない」
「いや、でも」
俺がぐずぐずしていると、ショウが真剣な声で言った。
「俺たちは仲間じゃないのか。人が人を助ける理由なんて、それだけで充分だろ。大丈夫だ。俺とリオはいざとなったら、自警団か帝国軍の駐在所に駆け込む」
リオも頷く。
「そうよ。心配しないで」
「そうだな。ただ、逃げるって言っても、もう体力が残ってないんだ」
ショウがにやりと笑い、
「それなら問題ない」
大きな生物の気配がする。向かいの建物の後ろからだ。
気配が近づき、そこからドラゴンが出てきた。体長は十メートルほど。
茫然と見上げていると、エマが教えてくれた。
「レーちゃんですよ」
「レーちゃんって、あのレッドドラゴンか」
あのときは体長一メートルほどだったのに、ドラゴンはこれほど急成長するのか。
レッドドラゴンが、こちらを見下ろした。
「久しぶりだな。少し見ないうちに、小さくなったか?」
「そっちがでかくなったんだろ」
ショウがドラゴンを指差す。
「レンたちはそのドラゴンに乗って逃げろ。俺とリオは、地上のルートで逃げる」
エマが未古神を一瞥し、
「こちらの方が一緒に乗ると、人数でどちらが本物か分かってしまいますから、私の飛行魔術で逃げてもらいます。アンズさんから安全な場所を教えてもらっていますから、レーちゃんもそこに向かってくれます」
未古神は優秀な魔術師のようだし、何とかするだろう。
「未古神、〈シェヘラザード〉を貸してくれ。逃げながら書くから」
「この状況で〈シェヘラザード〉を託すことはできない。敵に〈シェヘラザード〉を奪われるわけにはいかないからね」
「そうか」
「それに、その右手でペンが持てるのか?」
未古神は平坦な声で言った。
「知ってたのか」
右手にはまだ痺れが残っていて、たぶん羽ペンを握る握力も戻っていない。
アイサが俺の右手を見て、
「私を庇ったから……」
「アイサのせいじゃない」
リオが苦虫を噛み潰したような顔をして、
「相当危ない状況みたいね。ほら、早く行って。時間が勿体ないわ」
リオの言う通りだ。
俺とアイサはフードを目深に被り、ドラゴンの背に乗った。
ショウとリオが、手を振る。
「頑張れよ」
「気をつけてね」
俺とアイサは叫んだ。
「お前らこそ」
「皆、ありがとう」




