最終章 3話 銀髪の少年
未古神の言った通り、体調は日に日に悪化していった。
最近は、レイジさんの使っていた部屋で、横になっている。
この世界の真実を知って以来、ずっとどうするべきか考える。
どうするも何も、どちらか選ばないといけない。
初めてこっちの世界に来たとき、俺はほとんど反射的に現代へ帰りたいと思った。
それは現代に対する帰属意識が大きい。
そういう意識がなくなったわけではないけど、あのときと今では、状況が違う。
簡単に言うと、こっちの世界に愛着を覚えてしまっているのだ。
そもそも世界とは、何なのだろうか。
現代でもこの世界でも、俺が行ったことのない場所、会ったことのない人の方が圧倒的に多い。
つまり、俺が認識している世界は、世界全体のほんの数パーセントに過ぎないということだ。
俺はあくまで、断片的な情報をまるでパッチワークのように繋ぎ合わせ、世界の全体像をイメージしているだけだ。
突然、無性に眠たくなる。最近はずっとそうだ。
こういうことでも、体力が落ちているのを実感する。
目を閉じると、すぐに意識が遠くなっていく。
目蓋の裏に、人影が見える。
愛砂? 小学生の愛砂が泣いている。
喪服を来た、たくさんの大人と、白と黄の菊。
杏さんの葬式か。中学の制服を来た愛砂。
表情がなく、感情が抜け落ちてしまっている。
俯いたまま、一人で教室の席に座っている。
高校の入学式、列に並ぶ愛砂。相変わらず、無表情だ。
雨が降り頻る、梅雨の通学路。
冷然とした表情でしゃがんでいる。もう大切なものを失くしたくない。
プールの後の、屋上。躊躇いがちに唇を動かしている。
さっきは、ありがとう。助けてくれて。
期末テストが終わった、保健室。大きな双眸で、俺を見据え尋ねてきた。
どうして倒れるまで頑張ったの?
終業式の日、長い廊下。冷ややかな表情。
私は誰とも付き合わない。特に――あなたとだけは、絶対に。
祭りの夜、秘密基地だった廃ビルの二階。
顔をしかめ、消え入りそうな声。
あの頃に帰れたらいいのにね。
愛砂の目には、世界はどう映っているのだろう。
視界が、眩しくなる。
愛砂の姿が、くっきりと浮かび上がる。
「……愛砂?」
「なに?」
目を覚ますと、目の前にアイサがいた。
「すごくうなされてたけど、悪い夢でも見てたの?」
毛布を持っている。
俺のために持ってきてくれたのだろう。
「アイサ、話があるんだ」
アイサの顔が暗くなる。
「なに?」
俺は意を決し、口を開く。
「決めたよ。俺は現代に帰る」
アイサを見られない。
「そうだと思ってたよ」
アイサは悲痛な表情で、
「私、悪い子だよ。レンが元の世界に帰れないかも知れないって知ったとき、ちょっとだけ嬉しかったの」
俺はアイサを責める気になれない。
どちらかを選ぶということは、もう一方を選ばないということ。
レンはいつか、私の前からいなくなっちゃうでしょ?
一人になるかも知れないという不安を抱えていた。
俺の選択は、アイサを一人にさせる。
私ね、レンのこと、好きかもしれない。
素直に気持ちを吐露してくれた。
俺はそれに、応えないことを決めた。
アイサは笑顔を作って、
「そばにいてくれるだけで、嬉しかったよ」
俺に気を遣わせないよう、言ってくれている。
「もう私は一人でも大丈夫だから」
心配をさせないように、言ってくれている。
これほど俺のことを考えてくれているアイサを、一人にするのは、その気持ちに応えないのは、他の誰でもない、この俺だ。
俺が自分で、決めたのだ。
「便利屋に依頼をお願いしたいんだけど」
俺が言うと、アイサが小首を傾げ、俺の言葉を待っている。
「最初で最後の依頼だ。アイサ。笑って、見送ってくれ」
アイサは少し驚いたような顔をしたが、すぐに頷き、
「二代目便利屋をやって分かったことがある。たぶん私たちは、誰かに『ありがとう』って言われるために、生きてるんだね」
〈シェヘラザード〉の執筆に取り掛かろうとすると、事務所へ移動しようとすると、窓辺に見知らぬ人間がいることに気づく。
銀髪の少年だ。
痩身の体が、白衣のような衣服で包まれている。
気味が悪いほど顔立ちが整っていて、まるでマネキンのようだ。




