最終章 2話 二つに一つ
異世界へ行くと、アイサが夕飯を作っているところだった。
調理の途中だったが、紅茶を淹れてくれる。
トレイの上に、ティーポットとカップを乗せ、危なっかしく持ってきた。
カタカタと音を立てながら、カップをテーブルに置く。
カップに紅茶を注ぐが、一杯になっても淹れ続ける。
「溢れてる、溢れてる」
「ご、ごめん」
ようやく、止めてくれた。アイサは、コンテスト以来、ずっとこの調子だ。
アダムが感慨深そうに呟く。
「恋の季節ですか」
アイサはアダムのくちばしを閉じさせ、
「アダム! バカ!」
アイサたちがドタバタをやっていると、部屋が焦げ臭いことに気付いた。
「そう言えば、料理はどうしたんだ?」
「あっ! そうだった!」
アイサが慌ててキッチンに行くが、鍋の料理はほとんど炭になっていたらしい。
肩を落とすアイサに、
「リオのところに食べに行くか」
「うん、ごめんね」
俺とアイサ、アダムで事務所を出る。アダムが思い出したように、
「マスターから戻ってこいと連絡がありました。研究が忙しくなるそうで、私にもそのお手伝いをしてほしいそうです」
「そっか。お母さんたち大変なんだ」
寂しそうな声で言うアイサの隣で、俺は咳き込んだ。
「ごほっ、ごほっ」
「レン、大丈夫?」
「このあいだから、ちょっと体がだるいんだ」
相変わらず体調が悪く、随分長引いている。
春先から始まった、現代と異世界の二重生活の影響かも知れない。
そのとき、強い視線を感じた。コンテストの日も、こんなことがあったな。
一度、レイジさんたちに相談してみようか。
いや、でもさっきアダムが忙しくなるって言ってたしな。
〈キャット・イヤー〉に着くと、ショウがいた。
「偶然だな。ここ座れよ」
相席して、メニューを注文する。
食事をしていると、ショウが言う。
「長期のクエストに入りそうなんだ」
「長期ってどれくらい?」
「あー、一ヶ月くらいかな」
「すぐ行くのか?」
「いや、長旅になるから、準備で後一週間くらいは街にいるぞ」
リオが会話に入ってきた。
「実は私も、少しの間このお店を離れるの。お父さんの知り合いがお店を始めるんだけど、開店してしばらくは人手が足りなくなるから手伝いに行くのよ」
「お店って、料理店?」
「そうよ。お父さんの料理学校の同期で、自分のお店を持つのが夢だったんだって」
アイサが俯いて、呟いた。
「そうなんだ」
「看板娘コンテストは残念だったけど、ここから大逆襲の始まりよ」
リオが高らかに宣言した。
〈キャット・イヤー〉から帰ってきて、いつものように便利屋の事務所で〈シェヘラザード〉に続きを書いていく。
書き終えて、〈シェヘラザード〉を閉じた。
――しかし、何も起きない。
いつもなら神秘的な光に包まれ、転移の魔術が始まるのだが、何故か〈シェヘラザード〉が発動しない。
今までこんなことはなかった。
俺の手記に不十分なところがあるのか?
読み返すが、どこがダメなのか、分からない。
これまで今回の手記よりも短かったり、簡単な文章だったりすることもあった。
……帰れない?
「レン、どうしたの?」
表情を強張らせる俺に、アイサが声をかけた。
「〈シェヘラザード〉が反応しないんだ」
「え? 本当に?」
アイサは眉をひそめ、
「アダム、何か分かるか?」
「いえ、〈シェヘラザード〉については、ほとんど何も分かりません」
入り口のベルが鳴った。こんなときに誰だ。
ドアが開き、入ってきたのは――。
「未古神?」
「やあ」
未古神そっくりの少女は、親しげに手を挙げた。
いや、アイサやリオ、ショウのように、似ているだけで別人かも知れない。
「未古神 美蘭なのか? 俺が知ってる、クラスメートの」
少女は大きく首肯した。
「そうだよ。私は君が知っている未古神 美蘭だ。蓮城くん」
アイサが小首を傾げ、
「知ってる人?」
「あぁ。現代の知り合いだ」
俺は未古神を見据え、
「なんで未古神がここに? 俺と同じように、こっちの世界へ飛ばされたのか?」
未古神は考える素振りを見せてから、
「私と君では、立場が違うかな」
シェヘラザードは、千夜一夜物語の登場人物であり、物語の語り手の女性だ。
「シェヘラザードは、お前だったのか、未古神?」
「それは違うよ。その魔道具こそが、〈シェヘラザード〉で間違いない。私は〈シェヘラザード〉の守護者に過ぎない」
未古神は、立場が違うと言った。
俺は〈シェヘラザード〉の力によって、異世界へ転移した。
そして、未古神は〈シェヘラザード〉の守護者らしい。
「どうしてここに現れたんだ?」
警戒心を顕にする俺に、未古神は飄々と答える。
「アラビアン・ナイトについて、君はどう思う?」
「酷い話だと思うよ」
未古神が滔々と語り始めた。
「あの話の中で犠牲になった少女たちはもちろん可愛そうだが、私は王が最も気の毒だと思うんだ。確かに、王が行ったことは許しがたいことだが、そうすることでしか、自らを保てなかったのだろう。暴走せざるを得なかったのだ。シェヘラザードは、王の暴走を止めることができる、唯一の存在。再び、王のような悲しき怪物が生まれたときのために、〈シェヘラザード〉は物語を欲し、長い年月に渡り、時空を超え、物語を収集してきた。多種多様の時代、場所、人の元へ現れた。そして、今回は君を選んだのだよ」
未古神は〈シェヘラザード〉を見つめ、
「私は、〈シェヘラザード〉がその目的を果たすため、彼女に危害を加える者から、彼女を守るために存在している。失礼ながら、この数ヶ月、君を監視させてもらったよ」
最近感じていた視線の正体は、未古神だったのか。
「どうして今になって、俺の前に出てきたんだよ。〈シェヘラザード〉が発動せず、俺が現代へ帰れなくなったことと関係あるのか?」
未古神は感心したように、笑みを浮かべた。
「ご明察。さすがだね。そろそろ本題に入ろう。君は現代とこの異世界が、まったく別の世界だと思っているだろう?」
「そりゃ、そうだろ。だって全然違うじゃないか」
「この世界は、現代の文明が荒廃し、その後何とか生き延びた人類が、再び発展させた文明社会なのだよ」
俺は未古神の言っていることの意味が分からず、押し黙った。
「現代の世界が終わり、終末世界を経て、現代でいうところの中世の水準まで発達したが、現代とまったく同じにはならなかった。魔術や異種族、つまり現代ではファンタジーとされている存在が登場した。事実を知らない君が、その世界を見て、異世界だと勘違いするのも無理はないよ」
ようやく理解し始めた。
要するに、俺は異世界転移ではなく、タイムリープをしていたということか。
未古神が俺を見た。
「さて、ここからが最も重要だ。君は〈シェヘラザード〉の魔力の影響を受け続けている。魔術師でない普通の人間にとって、魔力は劇薬のようなものだ。〈順応〉の力が強くなっているだろう? それは〈シェヘラザード〉の影響だよ」
水中で呼吸ができたことを、アダムは不思議がっていた。
未古神は話を続ける。
「最近体調が悪くなったのも、魔力のせいだ。〈シェヘラザード〉が傍にある限り、悪化し続けるだろう。〈シェヘラザード〉は所持者の心を読み取る。私には詳しいことまでは分からないが、君は二人の少女のことで、葛藤や混沌、懊悩を抱えているのだろう? そして、〈シェヘラザード〉は、より素晴らしい物語を求めている」
心臓の音がうるさい。
俺は、未古神の次の言葉を待つ。
「つまり、〈シェヘラザード〉はこう言っているのだよ。――どちらか選べ、と。それは二人の少女についてだけでなく、現代へ戻るか、この異世界に留まるかの決断でもある。タイムリミットは、君の体力が尽きるまで。結論を先延ばしにすると、魔力は君の体を蝕む。どちらにするか決断すれば、君は〈シェヘラザード〉から解放され、体調も回復するだろう」
どちらか選ぶ。
現代か、この世界か。
そして、雨宮 愛砂か、アイサ・レイニーか。
「他に方法はないんだよな?」
「ないよ。他に方法はないし、私は何もできない。私は〈シェヘラザード〉の守護者であり、前提として傍観者だからね」
俺は歯噛みした。なんだよ、この不条理は。
いや、世界はいつだって、不条理だったじゃないか。
この世界へ飛ばされたことも。杏さんのことも。
未古神が静かな口調で、
「突然、お邪魔してすまなかった。時間が許す限り、じっくり考えてくれ」
そう言い残し、事務所を後にした。
俺は目を瞑った。
どうすればいい? 分からない。
肩に手が置かれた。目を開けると、アイサが寄り添ってくれていた。
俺の目を見つめると、おもむろに言葉を紡いだ。
「ねぇ、レン。私と一緒に、ずっとこっちの世界で暮らさない?」




