4章 6話 まるで呪いのように
その日からは、勉強漬けの毎日だった。
四六時中、教科書とにらめっこ状態。
授業中はもちろん、登下校時、休み時間、帰宅してからも睡眠時間を削り、勉強に明け暮れた。
コーヒーとエナジードリンクの飲み過ぎで胃は痛いし、寝不足で体もだるい。
人生でこれほど真面目に、勉強に取り組んだことはない。
だけど、ここで頑張らないと、俺はこの先一生、何にも頑張れない気がした。
そして、テスト当日を迎えた。
教室に入ると、テスト前の殺伐とした雰囲気が居座っていた。
席に着くやいなや、前の席の翔が挨拶と共に、
「ひどい顔だな」
「うっせぇ」
「マジで大丈夫かよ。目の下の隈、ヤバいって。鏡見てみろよ」
今余計な会話をしたら、頭に詰め込んだ知識が飛んでいきそうだ。
最初のテストは数学だったか、理科だったか。違う、英語だ。
単語帳を開き、最後の悪あがきをする。
テスト範囲の英単語を一つでも多く、覚える。
チャイムがなり、英語の先生がやって来た。
「教科書とノートを仕舞ってください。机の上は筆記用具だけ」
答案用紙を裏返して、配っていく。
「まだ伏せたまま。合図の後、表にしてください」
先生は、全員に答案用紙が行き渡るのを待ち、
「はい、始め」
紙を翻す音と、シャーペンが走る音が、何重にも重なる。
名前を書き、問題に目を通す。
英単語、穴埋め、短い英訳と和訳。さっき覚えた単語の問題がある。
次の穴埋めは四択、ここは落としたくない。
時計の針が進んでいく。
知らない英単語が並ぶ英文は、ただのアルファベットの羅列だ。
文字が歪んでいく。
目を擦り、もう一度見るが、アルファベットは形を失い始めている。
焦点が合わない。
あれ? おかしいな、頭がくらくらする。
早く問題を解かないといけないのに。
目眩がしたかと思うと、手からシャーペンが滑り落ちた。
拾おうとするが、試験中は先生に許可を取らないといけないと思う。
手を挙げようとすると、体が大きく傾いた。
ヤバい。これ、ダメなやつだ。
そう思ったときには、俺の意識は暗転していた。
目を開けると、白い天井が見えた。
清潔なシーツと、消毒液の匂い。
保健室のベッドで寝ているのだと分かった。
掛け時計を見ると、とっくに全てのテストが終わっている時間だった。
気絶して、ここに運ばれたのか。
「起きたのね」
声がした方を見ると、愛砂がベッドの脇のカーテンから現れた。
「雨宮、なんで?」
「保険医の先生が職員会議に行ったから、私があなたの様子を見ることになったのよ」
雨宮は丸椅子に座り、
「極度の睡眠不足と過労だそうよ。先生が、安静にしてなさいって」
「そうか。ありがとう」
俺は、追試を受けることになる。
追試と今日のテストでは、当然だが、出る問題が違う。
異なる問題のテストで、点数を競うことはできないだろう。
愛砂との勝負は、有耶無耶になってしまうのだろうか。
愛砂が俺に尋ねる。
「どうして倒れるまで頑張ったの?」
「雨宮に打ち上げ参加してほしいから」
「それだけ? それだけで倒れるまで勉強したの?」
愛砂を見ると、漆黒の双眸が俺を見据えていた。
音羽にも似たようなことを聞かれたな。
苦手な勉強をどうして頑張るのか。
打ち上げのことだけじゃなく、プールの授業に出るように促したことも。
それは決して、理緒の手伝いのためじゃない。
愛砂のことが好きだからだ。
だけど、その想いは抱いてはいけない感情であり、分不相応な恋。
音羽の声が再生される。
恋くんだったら、どうする?
恋くんが愛情を注いだ花を自分の物にしようとする?
俺は――。
私は持って帰らなかったわ。そのペチュニアが綺麗に咲いていれば、それでいい、って思ったからよ。
笑顔を作り、愛砂に答える。
「それだけだよ。皆で騒いだ方が、楽しいと思って」
「そう」
愛砂はおもむろに立ち上がり、
「これ、ここの鍵。自分で返すか、先生に渡して」
そう言って鍵を置き、保健室を後にした。
これで良かったんだ。
まるで呪いのように、俺はそれを頭の中で繰り返した。