4章 5話 双子の答え
アイサと待っていると、遠くにポニーテールとツインテールが見えた。
オーレリアたちが戻ってきたようだ。
どうやら、話し合いは上手くいったらしい。
意外にも、クロワールが口を開いた。
「私は本が好きなのですが、本がたくさんある場所を知っていますか?」
今日一日はクロックシティを見て回るという約束を果たそうとしているからなのか、あるいは単純に本が好きなだけなのかも知れない。
アイサが思案し、
「帝国図書館がいいんじゃないかな」
俺は行ったことがないので、アイサに案内してもらう。
帝国図書館は、クロノス帝国で最大の図書館らしい。
最大というだけあって、建物は大きく、館内には、神聖な雰囲気が漂っている。
壁一面、床から天井まで本棚になっていて、脚立を使わければ、上の方のものは取れそうにない。
書架が等間隔に並び、本が整然と収納されている。
ざっと目を走らせると、宗教書と学術書、そして、魔導書ばかりだ。
神話集はあるが、この世界にはおそらく、漫画や小説など、娯楽としての本はほとんどない。
インターネットがない異世界は、本から知識と情報を得ることが多い。
印刷技術もなく、とても高価なものだ。
オーレリアは黙ったまま、ずっと本を読んでいる。
クロワールはタイトルだけを追って、棚を移動している。
どれも気になるタイトルだ。
ドラゴン図鑑、一角獣の生態、薬草大百科、聖剣大全、終末世界について――。
終末世界? アイサに尋ねる。
「終末世界ってなんだ?」
「この世界が始まる前に、一度それまでの文明社会が終わっているんだって。ずっと昔にね。その文明が終わってから、今の社会が始まる間の期間を終末世界って呼んでるの。歴史の授業で習ったよ」
こっちの世界にも歴史があって、多くの時間の果に今があるのか。
クロワールが、書架を一周して戻ってきた。
「蔵書数も種類の多さも素晴らしいですね。保存状態も申し分ありません。さすが帝国図書館です」
アイサが答える。
「気に入ってもらえて良かったよ」
「はい。特に魔導書が良いですね。これだけバラエティに富んでいるのは、珍しいです」
「魔導書なら、私の家の書庫にたくさんあるけど、良かったら見に来る?」
「本当ですか?」
アイサの提案に、クロワールは静かに興奮している。
「あの魔術研究者、レイジ・レイニーの書庫が見れるなんて、興味深いです」
俺は、本に目を落としているオーレリアに声をかける。
「オーレリアもそれでいいか?」
「いいですよ」
オーレリアが首肯すると、アイサが、
「そうだ。うちで食事しない? 私料理作るから!」
「いいですね」
そう言うオーレリアに続いて、クロワールも賛成した。
アイサは意気揚々と、
「そうと決まれば、買い物しなきゃね。市場に寄って行こう」
市場に着くと、果物、野菜、肉、山菜、きのこなど、様々な食物が山積みにされた大きな木箱が、はるか遠くに向かって雑然と続いている。
人々が隙間なく密集していて、並んでいる商品を真剣に品定めしている。
ほとんど怒号のような人々の声が響き渡る。
アイサが、オーレリアたちに言う。
「ここからは戦場だよ」
俺たちは、その雑踏に足を踏み入れた。
「何を作るか決めてるのか?」
俺が聞くと、アイサは頷いて、
「クロノス原産のクロノス豆と、人参、ベーコンのスープ。それと暑いからフルーツの盛り合わせかな」
俺たちは人垣を縫うように、市場を進んでいった。
異世界に来ていつも思うのは、こっちの住人は食に対して、良い意味で貪欲だ。
朗らかな性格のアイサでさえ、目の色が変わる。
たぶんそれは、異世界と現代では「食料」への意識がまったく異なるからだ。
異世界は、栽培や保存の技術が未成熟で、その上、気候や天災の影響を大きく受ける。
いつでも満足に手に入るものじゃないのだ。
ふとオーレリアを見ると、顔色がすこぶる悪い。
「大丈夫かよ」
「問題ありません」
どう見ても、大丈夫じゃない。
もしかして、途中から大人しかったのは、体調が良くなかったからなのか。
アイサに声をかける。
「オーレリアの体調が悪そうだ。俺が付き添って、向こうで休んでるよ」
アイサが心配そうに、オーレリアの顔を覗き込み、
「そうだったの? 早く言ってくれれば良かったのに。ごめんね、連れ回しちゃって」
「私は大丈夫ですから」
オーレリアは拒否するが、クロワールが頭を下げ、
「姉さんをお願いします」
俺はオーレリアと一緒に、市場を出た。
静かで涼しそうな場所を探し、目に止まったベンチに腰掛けた。
日陰で、風通しもよく、しばらく二人で体を休めた。
「さっきの話のことだけど」
俺が唐突に切り出すと、オーレリアは小首を傾げた。
「さっきの話、ですか?」
「クロワールと口論になった後だよ。オーレリアは、人間は科学を発展させていって、それがエルフ族の存続のために、必要になるって言ってたよな。それを聞いたとき、凄いって思ったよ。俺なんか自分のことですらちゃんとできてないのに、オーレリアはエルフの未来を考えてて」
オーレリアは表情を変えず、俺の話に耳を傾けている。
「ただ、俺はクロワールの言っていることも、間違っていないと思う。人間の中には、他種族の住処を汚したり、ドラゴンの密漁をしたりしているやつもいる。クロワールはそういうリスクを指摘してるんだと思う。だから、初対面の俺やアイサのことを信用できないのも、そんなにおかしいことじゃない。人間とエルフの過去のことを踏まえれば、なおさらだ」
俺は一呼吸置き、
「だけど、もったいないとも思う。俺はそんな大層な人間じゃないけど、アイサは信用に足るやつだ。あいつは本当に誰かのために、何かしたいって考えてる。あいつの場合、便利屋をしてなくても、勝手に誰かを助けてるよ。便利屋は天職だな。アイサみたいな人間もいるから、一部の悪い人間だけを見て判断するのは、ちょっと早いんじゃないかな。もったいないっていうのは、そういう意味だ」
話し終わると、オーレリアは穏やかに頷き、立ち上がった。
「そうですね。あなたの言う通りです」
「もういいのか?」
「随分良くなりましたから」
アイサたちと別れるとき、噴水に再集合しようと約束した。
アイサとクロワールの姿が見えたが、様子がおかしい。
三人の男にからまれている。
急いで駆け寄ると、真ん中の男が露悪的な薄ら笑いを浮かべている。
「何でエルフがこんなところにいるんだよ」
それに続いて、両側の二人も声を上げる。
「さっさと森へ帰れよ!」
「この街から出て行け!」
アイサがクロワールを庇うようにして、三人の前に立ち、
「やめてください。エルフも人間も、同じじゃないですか!」
真ん中の男が、高圧的に怒鳴る。
「うるせえ、引っ込んでろ!」
アイサもクロワールも魔術を使えば、撃退できるはずだ。
おそらく、一般人には極力使いたくないのだろう。
話が通じる相手だと良かったのだが。
そのとき、真ん中の男が、クロワールの肩を思い切り突き飛ばした。
「突っ立ってないで、早く消えろ!」
これは、ダメだろう。
力づくで黙らせるしかない。
ただのチンピラなら、一対三は、現代で翔の喧嘩に付き合わされて経験済みだ。
いざ掴みかかろうとすると、オーレリアが叫んだ。
「姉さん!」
どうしてオーレリアが、クロワールを「姉さん」と呼ぶんだ?
憤怒の形相のオーレリアが、体に炎を纏う。
その炎は、彼女の怒りを表すように、めらめらと燃え上がる。
「姉さんから離れなさい……!」
気づいた三人組の表情が、一変した。
威勢良く凄んでいた彼らの顔が、みるみる青ざめていく。
無理もない。
自分たちの方へ、強大な魔力を持ったエルフが近づいてくるのだから。
周囲の他の人々も、異変に気づき、騒然としている。
たぶん三人組は、深く考えていなかったのだ。
エルフを敵に回すと、どうなるのか。
愚か者特有の嗜虐心と、その場のノリで、してはいけないことをしてしまった。
今にもオーレリアが攻撃しようとしたとき、アイサが大声で言った。
「ダメです! 魔術をこんなふうに使うなんて! 話し合えば、分かってくれるよ!」
三人組はガタガタと体を震わせ、
「あ、あぁ……ゆ、ゆるしてくれ」
一目散に逃げていく。
オーレリアがクロワールに駆け寄り、
「姉さん、大丈夫?」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。ちょっと肩を押されただけだから」
「でも……」
俺は堪らず、二人に尋ねる。
「一体どういうことなんだ? 何でオーレリアが、クロワールを姉さんって呼ぶんだよ」
本当はオーレリアが妹で、クロワールが姉っていうことか?
そんな嘘を吐く理由が分からない。
おもむろに、クロワールがツインテールのリボンを解いた。
そして、広がった髪を一つに縛り直し、
「私がオーレリアで、この子がクロワールだからですよ」
目を白黒させる、俺とアイサ。
オーレリアだと思っていた方が、ポニーテールからツインテールに変えた。
俺はようやく事態を理解した。
「えっと、つまり入れ替わっていた?」
オーレリアとクロワールが同時に頷いた。
「いつからだ?」
オーレリアが答える。
「私とクロワールが口論になった後ですよ」
オーレリアが、クロワールを追いかけたときか。
あのとき、髪型と服装を交換したんだ。
つまり、帝国図書館以降はオーレリアがクロワールで、クロワールがオーレリアだったってわけだ。
買い物の途中で、オーレリアだと思っていた方クロワールが体調を崩したのは、クロワールが、人混みが苦手だからだ。
オーレリアが、申し訳なさそうに頭を下げた。
「お二人のことを騙してごめんなさい」
すると、クロワールが口を挟んだ。
「私が姉さんに提案したんです」
言いづらそうに目を伏せ、
「姉さんがあまりにも、便利屋の二人は信用できる、ちゃんと自分の目で二人を見なさいと言うから、入
れ替わりを提案しました。便利屋の二人が、本当にエルフ族に親身だとしたら、私と姉さんを見分けられるはずですから。今日の残りの時間で、あなたたちが私と姉さんの入れ替わりを言い当たられたら、人間を信じられるかも知れないと思ったんです」
今度は、クロワールが頭を下げた。
「試すような真似をしてごめんなさい」
アイサは分からないが、少なくとも俺は、まったく気づかなかった。
「そうか。じゃあ、俺は失敗したっていうことか」
クロワールは口を閉ざした。
オーレリアがばつが悪そうに俯く。
いたたまれない空気の中、クロワールが悲痛な表情で呟く。
「人間には、さっきの三人のような愚か者がいる。侮辱されたのが、私だったら良かったのに。何故姉さんが酷いことを言われないといけないの」
クロワールは人間が嫌いというよりも、エルフのコミュニティを守りたいという気持ちが、強いのではないだろうか。
だから、結果的に人間との共存に抵抗があるのだろう。
オーレリアとクロワールを見分けられなかった上に、三人組のチンピラにオーレリアが傷つけられたとなれば、クロワールが人間を信用することはないだろう。
クロワールが静かな口調で言う。
「私の激情を煽ったのも人間だったけど、私の暴走を止めてくれたのも人間だった。強大な魔力を有するエルフは、知性と理性を持ってそれを制御しないといけない。アイサさんのおかげで、私はエルフとしての私を損なわずに済みました」
クロワールは、アイサを見やり、
「しかし、愚か者たちに対して話せば分かり合えるだなんて、相当なお人好しです。それと、あなた」
そして、俺に視線を向けた。
「ベンチで休んでいたとき、あなたは私の言っていることは間違っていないと言いましたね。あなたたちに冷たく接する私を擁護するなんて、よほどのバカです」
クロワールが、俺の目を覗き込む。
「ですが、私にはあなたがただのバカには見えません」
吸い込まれそうな、琥珀色の透き通った瞳。
オーレリアが、クロワールに話しかける。
「クロワールは、私が目指す人間との共存について、少し誤解をしているわ。私は何も、誰でも彼でもエルフの里に招き入れようとしてるわけじゃないし、私たちが人間社会に生活の拠点を置くつもりもない。エルフと人間には、適切な距離というものがあると思ってる。エルフ族が存続していくために、人間の方々の科学の力を取り入れ、その変わりに我々の魔術にまつわるものを提供する」
力強い口調で、オーレリアが言う。
「お互いに依存することのない、対等の関係を築いていきたいの」
クロワールは小さく首肯し、
「姉さんは私に、人間をちゃんと見なさいって言うよね。確かに、私は人間の悪い部分しか見ようとしていなかった。だけど、良い人間もいれば、悪い人間もいるって分かったから。これからは、一緒に頑張ろう」
どうやら、この二人はもう大丈夫そうだ。
オーレリアが俺とアイサの方を見て、
「報酬をお渡ししないといけませんね。ただ、〈メティス〉はエルフの里にありますから、今から向かいましょう」
「分かった。ありがとう」
俺がそう言うと、クロワールが尋ねてきた。
「ねぇ、〈メティス〉を何に使うの?」
「えっと、学校の試験のためだよ」
後ろめたさを感じながら答えると、
「〈メティス〉の力で良い点を取って、何か意味があるの?」
その声には、皮肉や非難の響きはまったくなかった。
ただ単純な興味。
言い訳がましくなるが、俺は別に良い点を取りたいわけじゃない。
愛砂との勝負に勝って、打ち上げに参加させたいだけなんだ。
テストの出来は、俺にとってあくまで手段。
本当の目的は、愛砂がクラスに打ち解けること。
だが、俺は言葉を発せられなかった。
愛砂を言い訳の道具にしてないか?
愛砂のためだとか言って、大した努力もしないで、超常的な力に頼っている。
それが合理的だから? でも、それは倫理的に良くないって?
そういう話じゃない気がする。
たぶん、これはプライドの問題だ。
もう何年も俺は、愛砂から目を背けてきた。
努力できる余地があるのに、それを放棄して、他力本願なんて不誠実にも程がある。
今度こそ、俺は愛砂と向き合うんだよ!
「オーレリア、悪い。やっぱり〈メティス〉はいいよ」
オーレリアが目を丸くした。
「え、でも」
「クロワールの言う通りだ。〈メティス〉に頼らず、自分の力で取り組むことが、今の俺にとって一番大切だから」
「そうですか」
オーレリアがふと微笑んだ。
「クロワールの方が、人間のことを――というより、レンさんのことを分かっているみたいですね」
クロワールの顔が真っ赤になる。
「そういうのじゃないから。姉さん、変なこと言わないで」
オーレリアは楽しそうに笑ってから、俺とアイサに言う。
「レンさん、アイサさん、〈メティス〉の代わりに、今後何か困ったことがあったら、私に言ってください。我々エルフの力が必要なときは、全力でお助けしますよ」
双子のエルフは仲良く、エルフの里へ帰っていった。
オーレリアはコミュニケーション能力が高く、行動力がある。
そして、卓越した先見の明を持っている。
クロワールは楽器を奏でたり、本を読んだりして、自分の世界を持っている。
そして、誰よりも仲間想い。
もっと長く付き合えば、二人を見分けられるようになるのだろうか。
愛砂とアイサはどうだ?
例えば、二人が並んで立っていたら、俺はちゃんとそれぞれを言い当てられるだろうか。
便利屋の事務所に帰っている途中、アイサが問いかけてきた。
「勉強は大丈夫なの? 大事な試験なんでしょ?」
「何とかするよ」
「もしかして、便利屋の仕事、負担になってる?」
アイサが不安そうに尋ねた。
「どうしたんだよ、急に」
「私のせいで、レンの生活の邪魔になってるのかなと思って」
アイサの表情が沈んでいく。
「便利屋を手伝ってくれてるきっかけって、私の両親が、レンを元の世界に戻す手助けをしたから、何かお返しをって思ったからじゃないの?」
それは、もちろんある。だけど、それだけだろうか?
俺は考えのまとまらないまま、唇を動かす。
「実は、俺の世界にアイサそっくりの女の子がいるんだ」
「私そっくり?」
「あぁ。顔も背格好もまったく一緒。最初は本当に驚いたよ。挙句の果てに、名前まで一緒だったんだからな」
「それで初めて会ったとき、人違いしてたんだね」
「そういうことだ」
それから他愛のない会話をしながら、並んで歩いた。
ただ気のせいか、アイサの表情は暗いままのように見えた。




