きん欲人魚姫
教室に戻って4時間目の数学の教科書を準備。あれ? ノートがない。
と探していたら、
「宗哲、いなかったから勝手に借りてるー」
小田がオレのノートの宿題部分を写していた。
「そこかよ」
あるならいーや。
自分の席を立って、必死こいてノートを写している2人のところに行く。小田の前の席にイスを跨いで後ろ向きに座った。すると、小田がオレの学生服の左肩の辺りを指した。
「宗哲、なんか付いてる」
「ん?」
「コンタクト?」
「オレ、コンタクトじゃねーし」
指し示された部分を見ると、学生服に小さな透明なものがついていて、ちらちらと光を反射している。なんだろ。
ぱんぱん
学生服の左肩を払った。
「宗哲、まだ1つ残ってる」
さっき光を反射していたのは、数か所だった。オレは残りの1つをつまんだ。
コンタクトより小さくて平べったい。小さなころから時々、祖父の魚釣りにつき合うから分かった。
「ウロコじゃん」
なんで?
そういえば、さっき、ももしおにウザがられたとき、ぽんって右肩に手を置かれたっけ。ってことは、ももしおの手にウロコが付いていたのかもしれない。
小田も不思議そうに、じーっとオレの指先についたウロコを凝視していた。
テニス部でももしおが変だって話をミナトにもしてみた。
「授業さぼってばっかいるらしい」
準備体操でアキレス腱を伸ばしながら。「12345678、22345678」掛け声が会話をかけ消す。
「ももしおちゃんだったら、デイトレかも」
ミナトの認識もオレと同じ。
「先週は、4人で喋った次の日から休んでて、今週は学校に来ても授業さぼるって。ねぎまが言ってた」
「は? 休んだ? ずる休みだろー。ww」
ミナト、笑ってるし。ももしおは、どう見ても風邪とかひきそうじゃないもんな。
次は柔軟。ミナトとオレは、ときどき「32345678」と掛け声に参加しながら会話。2人一組。
「あの日、オレ、塾行くときにももしおに会ったんだよ」
「あの日って、ももしおちゃんが株主総会行った日?」
「うぃぃ。でさ、そんとき、ももしおのヤツ、上だけジャージで。胸がデカくなってた」
腹筋するミナトの足首を押さえ、ミナトが屈伸したときに耳元で小声で話した。
「は? 胸?」
驚いたのか、ミナトは体を曲げたまま静止。
「おう。巨乳」
「それは変だよな」
ミナトも同意。
「だろ? どう見たってAなのにさ」
「いや、たぶんBくらい。胴が細いから落差はあるんじゃね?」
「あるんじゃね?」くらいでミナトが体を伸ばし、顔が遠ざかっていく。
そうなんですね。ミナト師匠。オレ、服の上からなんて、そこまで分かりかねます。
「へー」
「着やせする体型」
腹筋をするミナトの顔が近づく。
ってことは、そーゆータイプを脱がせたことがあるんですね。ミナト師匠。御見それしました。
おーっと、感心し過ぎて、肝心のことを伝え忘れるとこだった。
「でさ、今日、手にウロコついてたっぽい」
「ウロコぉ? ぽいって何」
「ももしおに触られたとこ、学ランにウロコついてた。たぶん、ももしお」
「ウロコって魚のウロコだよな」
「うぃぃ。ミナト、ももしおからなんか聞いてね?」
「いや。つーか最近、集まってないよな」
「そーかも」
ももしお×ねぎま、ミナト、オレのグループLINEに「今**にいる」ってメッセージがあると「いくー」ってなんとなく4人集まる。学校の外階段の踊り場だったり、横浜駅近くのカモメ橋を渡った川沿いのパン屋の横だったり。
週に3回は集まっていたのに。最後はももしおが株主総会に行った日。
ねぎまと2人でいる時間は大切。けどさ、やっぱ、ももしお×ねぎま、ミナト、オレの4人で過ごす時間は楽しくて最高で。ないと物足りない。
Z高との練習試合を控えていても、男テニは通常運転。
「お前らー、ちょっとは諦めないでボールを追えー」
顧問の掛け声もまるで気合がない。
こんなもん。
「先生、Z高って都内ですよね? どうして練習試合の話が来たんですか?」
Z高はテニス推薦で入学する者がいるほどの高校。不自然な練習試合のセッティングに疑問を感じて訊いてみた。
「Z高の顧問がオレの友達」
「そんな理由ですか」
呆れた。力のつり合いとか考えようって。
「そんなってなんだよ、宗哲。お前らに一度、速い球とか軽いフットワークを見せてやりたいんだよ」
顧問の言葉に、オレを含め、傍にいた男子硬式テニス部員はしょっぱい顔をした。
「やー、そんなん見たって、なあ」
「んだんだ」
「オレらオレらだしー」
男テニ一同は己を知っている。
「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず」と孫子大先生が言ったとしても、百戦全て負ける。
「刺激になるだろ」
顧問は言うが、気休めにもならない。
「それより、相手に申し訳なくないですか?」
おおっと。部長あるまじき発言が出た。正直さに頭が下がる。
練習試合2週間前に、既に気持ちで負けているオレ達。
一方、Z高が来る日にコートが使えない女子硬式テニス部は、別の高校での練習試合を組まれ、文句を垂れまくっていた。
「先生、私達、男子の応援がしたいですー」
女子部員らは顧問に詰め寄る。
「あー、分かってっから。Z高の応援がしたいんだろ?」
顧問は耳クソをほじりながら答えた。
「いえ、なんなら、マネージャーの仕事を」
顧問に耳クソを弾き飛ばされても怯まない女子部員。
「Z高のマネージャーをしたいんだろ?」
さすが顧問。部員の気持ちを理解していらっしゃる。
「分かってるんなら、どーして他の高校での練習試合なんて組むんですか」
「サイアク」
「とっとと負けてこっちに戻ってこよ」
酷い言い草の女子部員らに、耐えかねたように顧問が一言。
「おい、勝って戻ってこい」
男テニより強い女テニすらこの調子。
そんなにいいわけ? Z高。どーせ期待外れだって。
テニスのネットを片付けながら、日が落ちるのが早くなったと実感する。
早くねぎまとのクルージングデートをしないと、寒くなってしまう。
うだるような暑い夏は、ついこの間だったというのに。夏はテニスコート隣のプールの方ばっか気にしてたっけ。
夏、水泳部女子部員の水着姿を見られなかったことは、男テニの士気を低迷させた。
こっちは炎天下なんだから、ちょっとくらい柵ぎりぎりのテニスコートから見えるところに女子部員が立ってくれてもいいのにさ。水着で目が涼しくなるじゃん? プールの水をかけてくれたら、更に嬉しかったかも。まあ、水ならかけてもらった。男子部員に。
そんな夏はとっくに過ぎて、今、水泳部は陸練。
ふとプールの方を見てみれば、ぼんやりと明るい。
この時期、プールは使っていないはず。しがない公立高校のプールに夜間照明なんてあるはずがない。プールサイドはテニスコートよりもかなり高い場所にあって、どこからの光なのかは見えない。
「なー、プールの方、電気点いてんじゃね?」
一緒にネットを畳んでいたミナトに言ってみた。
「あー、ホントだ」
ミナトもプール方面を見た。
オレはミナトにネットを持っていてもらい、審判用のイスに上ってみた。はっきりとは見えないが、更衣室の方から灯りが漏れているように見える。
「誰かいるのかも」
「水泳部じゃねーの?」
「そっか」
だよな。こんな季節にプールに用があるなんて、水泳部だろう。
下校の際、道路からプールの更衣室を見たときは、電気は消えていた。
帰り際、横浜駅のドトール前でミナトと2人。
雑踏が内輪話を吸い取ってくれる。
「ウロコか。実はももしおちゃん、人魚姫だったとか」
ミナトの頭が湧いた。オレはミナトの額に手を当てた。
「熱はないな」
「うっせーよ、宗哲。冗談だよ。
たださ、ももしおちゃんって、すっげー真っ直ぐで長くて細くて特別な脚じゃん? あの脚、人間離れしてるって思ってさ」
「人間離れ。それ、言えてる」
「そろそろ海に帰るときが来て、次の満月に脚だけ魚化するとかさ。はは」
ミナト作のメルヘンは、日本のかぐや姫とごっちゃになってっじゃん。
ところで人魚姫ってどんな話だっけ。人魚姫に助けられた王子が海に行ってめでたしめでたしだっけ? んなわけねーよな。下半身魚化したら、めでたくねーし。
「脚だけだったら、人魚もありだよな。でもなー、あの、エロ発言と投資まみれの発言じゃなー、アンデルセンもびっくりだよ」
本人がいないから、オレは言いたい放題。オレの言葉を聞いたミナトはふふっと鼻で笑いだした。とうとう堪えきれないかのように声を出して笑う。
「ははは。この間のゼットンのときはすげぇって思った」
『何度も何度も求められて、一睡もせず朝を迎える。朝起きて気づく、体中のキスマークと腰のダルさ』
『ベッドを下りて歩こうとしたら、足腰に力が入らなくて崩れ落ちるんでしょ?』
蘇る鮮烈な言葉。
「確かにすげかった」
「でもさ、あんなこと言えるほど、ももしおちゃんはまだ、何にも知らないんだろな。そーゆー気分も、分かってねーんじゃね? かわいーじゃん。ははは」
気分? 女の子が? ???
恥じらいを知らないのは、無垢だからってことか。
いや、無垢なら恥じらってくれ。無垢でなくても恥じらってくれ。あの外見なんだから。